1-3 階段落ちの真実は(3)
階段を下りる僕の左側の視界に、まるでスローモーションのように風子の姿が飛び込んだ。
バランスを崩して、プールに飛び込むように両手を前に突き出して、僕の横を通り過ぎて行く。
僕は思わず手を伸ばして、その右手首を掴んだ。
でも、僕の手はしっかりと彼女の手首を掴むことができずに、すぐにその手は離れていく。
一瞬だけ僕が手首を掴んだせいで、彼女の体は左斜め前に向かって捩れ、それからゆっくり回転して顔がこちらを向いた。
放心した彼女の見開いた瞳がすっと僕を見る。
次に静寂を破ったのは、ドスっという鈍い衝撃音。
回転して背中から後ろに落ちる体勢になった彼女は、激しく階段の途中の段に打ち付けられると、あとは一階の床面まで一気に転げ落ちた。
『桜台!』
思わず叫ぶ。
すぐに階段を下りて彼女のそばに駆け寄ると、彼女は焦点の合わない目を開いたまま、うーっと唸っていた。
僕はすぐにポケットからスマートフォンを取り出すと急いで一一九番通報をして、それから大声で助けを呼んだんだ。
「はぁ……、それが一部始終?」
下見さんという係長は、大きな溜息をついた。
「はい」
「ふぅん、そうか。誰か他にその状況を見た人は居ないの?」
「二階の廊下は僕からは見えなかったので分かりません。でも少なくとも僕から見える範囲には、僕と桜台以外の姿はありませんでした」
「そうか。じゃあ、最後にキミのDNAを採らせてくれないかな」
「DNA?」
下見さんは、手元の数枚のメモを重ねてトントンと揃えると、それからスッと顔を上げて僕に満面の笑みを投げた。
「うん。DNA」
「僕はなにもしてませんが?」
「そんなに睨みつけないでくれよ。キミを疑っているわけじゃないんだ。間違いなくキミじゃないってことを確かめるためさ。今日はDNA採ったらもう帰っていいから」
「別に睨んでなんかいません。生まれつきです」
DNA採取が終わって生活安全課の前の廊下に出ると、その薄暗い中に置かれたベンチには、僕の父さんと母さんが重苦しい表情でうな垂れて座っていた。
「ごめん、心配掛けて」
父さんと母さんがゆっくりと顔を上げて僕に向けた瞳は、なんとも表現し難いうつろな色。
父さんは無言で立ち上がると、僕の肩にそっと手を置いた。
それから母さんも立ち上がり、小さく肩を震わせてゆっくりと息を吐いたあと「帰りましょう」と小さくひと言だけ言った。
下りた一階のロビーに他の来訪者の姿はなくて、カウンターの内側で数人の制服を着た当直の警察官が、電話を受けたり無線で指令をしたりしてるだけだった。
彼らから向けられたのは、犯罪者を見るような冷ややかな目。
自動ドアが少しガタガタと音を立てて開く。
なんともやりきれない気分だ。
警察署の正面玄関を出るともう外は真っ暗で、息を吐きながら空を見上げると、漆黒の夜空を背景に青白い冷淡な光を放つ無数の星たちが、なにを語り掛けるでも無く冷たく僕を見下ろしていた。
『その顔、よく覚えておくわ』
病院で風子のお母さんに投げつけられた言葉。
僕の父さん母さんが逆の立場になったら、どう言うだろう。あんなふうに感情をむき出しにするだろうか。
しかし考えてみれば、そうさせたのは『娘が階段から落ちて意識不明になっている』という事実と、『誰かに突き落とされたかもしれない』という疑い。
そして僕はその疑われている当事者だ。
あの風子の天真爛漫さを見れば、普段はすごく優しいお母さんなんだろうと思う。
そのうち『病院の風子』が目を覚ましてすべてを語ってくれれば、事実は即座に明るみの下となるのだろうが、それまでは僕はずっと親不孝のままだ。
それにしても謎なのは『うしろの風子』だ。
ハルダはいまも、この謎を解こうといろいろ調べてくれている様子。
「うしろの風子……か」
不意に出たその独り言を飲み込みながら、僕は部屋の灯りを消してベッドにもぐり込んだんだ。




