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魔法を使えなかったはずの俺が魔法学園に編入することになった件について

作者: 桃山翼




 この世界には二種類の人間がいる。






「───知ってる? ヘルディア魔法学園に勇者の子孫が入学したんですって」


「しかも、あの伝説の勇者と同じ炎の魔法を使うんでしょ!」




「うわぁああん! 膝が痛いよ!」


「まあ、こけてしまったんですね。大丈夫、回復魔法をかけてあげます」






 魔力を保有し、魔法を使える人間。


 そして、





「ハロルドと言ったか? 君、それをさっさと運べ!」


「はい!」


「さっさとしろよ! 大事に扱え! たっく、ぐずぐずしやがって」


「すみません!…………はぁ」






 ────そして、魔法を使えない人間だ。






───────────────────────────── *





 ハロルド・クライネスは、200年前に勇者が魔王を倒してから平和が続く国、デルトワ国にある、町の外れに家を持つ両親の元で生まれた。幼い頃に母を亡くし、兄弟姉妹は居らず、そしてもうすぐ16歳となる。



「はぁー。疲れた」


「お前も大変だな。あの商人、横暴で当たりが強くて敵わないぜ。こんな細腕の奴に酷なもんだ」


「……はは」


「こう物を一瞬で動かす魔法とかねーかなぁ。つっても、俺たちには結局使えねぇか」


「……そうっすね」


 

 ハロルドは、後ろで一つに束ねている母親譲りの金色の髪を揺らしながら、適当な相槌をうつ。


 先ほどまでハロルドは、行商人の様々な商売道具を荷台へ運んでいたところだった。これから地竜──普通の馬より速く移動できるため、最近使われていることが多い──を操り竜車を引く前の一息の休憩中であり、同じように仕事をしていた男が話しかけてきたのに対し、ハロルドは愛想笑いをして言葉を返していた。


 ハロルドはこの魔法が存在する世界において、魔法が使えない側の人間だった。魔法が使える人間とは世界に選ばれた者だけなのだ。



「まだ出発まで時間ありますよね。俺、水飲んできます」


 そう言って、ハロルドは立ち上がり、その場を後にする。

 なんとなく会話を続けたくなかった。その話題のせいで湧き上がる苦い感情が不快で───。






「くそっ」


「お兄さんって服着たまま水浴びするの?」


「え、…………あぁ!」


 どこからか可愛らしい声が聞こえ、自分が顔どころか着ている服まで濡れかけていることに気づく。近くの水辺で水を飲みにきたハロルドは、無意識にか、むしゃくしゃとした気分を払拭するようにか、ザバザバと顔を洗っていた。



「気づいてなかったの?」

 

「……そうらしい。ところで君は?」


 声がした方を向くと、そこには一人の少女が立っていた。黒髪でお人形のように美しい。ジトリとした目をこちらに向けているその顔は幼く、まだ9、10歳ぐらいなのだろうと推測する。その表情を見ると、どうやら少し呆れられているような気がしてしまい、ハロルドは取り繕うようにその子に話しかけた。


「名前を聞くなら、まず自分から名乗るものなんじゃないの。あと、お礼なら聞くけど」


「お礼?」


「あたしがボーッとしてるお兄さんに声をかけて、服がさらに濡れないように止めてあげたお礼」

 

「……」


 幼いながらにして、すでにいい性格をしているらしい。なるほど、凛とした意思の強さを感じられる眉は、性格通りのようだ。

 止めてくれたのに助かったのは事実であるし、ここは年上としての優しさを見せてあげよう。


「ありがとう。あと俺はハロルドだ。ハロルド・クライネス」


「ふーん」


「聞いといて興味なさそうだな」


「暇だからなんとなく声かけただけだし、別にお兄さんの名前にそこまで興味ないから。私はララよ」


「へー」


「お兄さんも興味なさそうじゃん」


「急に声かけられただけだからなぁ」


「……」


 バチバチバチ、とハロルドとララの視線が交わる。少女は年の割に随分大人びた様子だ。それに対して、しかしこちらは、ちょいと大人気なかっただろうか。ここは愛想笑いで誤魔化そう。


「悪い悪い意地悪したな。そういえば、どうしてララちゃんはここにいるんだ?」


「ふん。謝れる人は嫌いじゃないわ。どうしているのかって教えてあげると、これからママと集合竜車に乗るの」


「集合竜車?」


 そういえば、最近魔物が道に出るために、護衛として騎士を数人ほどつけている集合竜車にくっついて、行商人の竜車も出発させると言っていた気がする。もしかして、商人はそれで護衛を雇う費用を削減させているのだろうか。商人が自分の竜車につけている用心棒は一人だけだった。ケチな人間である。


「そうかそうか、俺も今から地竜に乗って出発するんだよ。商人の荷台の方だけど。短い間だけどよろしく──へっくち」


 ぶるり、と寒気がする。さっき水を顔面いっぱいに浴びてしまったのが原因なようだ。服すらも少し濡らしてしまった先程の自分の行いに後悔する。それを見た可憐な少女は、呆れたようにため息をついた。


「ヒート」


「え?」


 そして、少女が短い言葉を唱えるとハロルドの肌に温かい風が感じられた。ハロルドは少女──ララを見る。ララの指先には炎が灯っていた。


「────魔法、か」


 「そう、あたし、もう魔法が使えるんだよ。まだ、これしかできないけどいつかお兄ちゃんみたいにすっごくなるんだ」


 瞳を煌めかせ、ララは嬉しそうに語る。どうやら兄がいて、兄弟仲は良好らしい。



 

 ─────そうか、この子も魔法が使えるのか。




「お兄さん?」


「───ん? あぁ、ありがとな。この炎、俺のために出してくれたんだろ」


「う、うん。……どうかしたの?」


 ララは、戸惑いこちらを心配するような目をして尋ねてきた。最初は子どもにしてはふてぶてしい態度をとるなと思っていたが、性根は優しい子のようだ。ハロルドはそんな子を心配させてしまった自分に嫌気がさす。


「いや、なんでもないよ」


「なんでもないわけないわ! 変な顔してるもの!」


「変な顔……」


「そう、変な顔!」


 ララはじっと、ハロルドの目を見つめる。困ったことに、言うまでどこにも行かせないといった様子だ。



「───お兄さんは、魔法が使えなくてね」


 しょうがなく、ハロルドは話始める。



「……そうなんだ。でも、そこまで落ち込むことでもないでしょ。使えない人なんて珍しくもないわ」


 それを聞いたララははっと息を飲み、相手をやんわりと慰めるように、しかし、自分が感じたのであろう疑問を口にした。そう、別に魔法が使えないことは珍しいことではない。だからこそララは、悲観することではないと伝えたいのだろう。でも、ハロルドにとっては違った。


「俺の父は優秀な魔法使いだったもんでね。──それで、息子である俺がいつまで経っても魔法を使えないもんだから、がっかりさせちゃって」


「あ、」


「それに、耐えられなくなってさ。つい最近、家を飛び出してきたんだ。それでこうして、生活のために働いてる」


「──」


「…………俺は、要らない人間なんだ。──ははっ、何言ってんだろ、俺。そろそろ仕事に戻らないと」


「──お兄さん!」


「ララちゃんも速くお母さんの元に戻った方が良いぜ。服、乾かしてくれてありがとう」




 ハロルドは逃げ出すようにその場を離れる。心中は後悔と恥でぐちゃぐちゃだった。


──────本当に、子どもの前で何を言ってしまったのだろうか、俺は。




 ハロルド・クライネスは本当に惨めで恥ずかしい人間だ。優秀な両親の元で生まれて、なのに期待に応えられず、なんの魔法も使えない。

 

 そう、ハロルドは以前までは、魔法が使えるようになることを父に期待されていたのだ。10歳までなんの魔法も使う様子を見せないハロルドを、父は魔力鑑定士の元へ連れて行った。それは、魔力を図るためである。

 10歳以下でも魔法を使い始めることはできるが、いつ魔法が使い始められるのかは個人差があり、そして、魔力を持てるのかどうかは10歳ほどになるまでわからない。魔法が使える人間は、生まれてから10年ほどかけて魔力を作り出す器官を成長させていく。そのため、魔力を持つものが魔法が使える人間であり、魔力を持たないものが魔法を使えない人間であるのだ。


 そしてハロルドは、───魔力を保有していた。さらに成長していけば、父にも負けないぐらい、いや、それ以上の魔力を保有することができると、父は珍しく、誇らしそうに褒めてくれた。


 そして、魔法が使える人間が学園へと集められる15歳の歳をハロルドが迎えた時、すでに父は、まだ魔法が使えないハロルドになんの期待も関心もなくなっていた。

 ハロルドの頭に、最後の父の言葉が響いた。──────お前は、必要のない人間だ。




「所詮、俺は誰からも必要とされない奴だよ」






───────────────────────────── *




「出発しまーす」


 ハロルドは馭者として行商人の竜車に乗り込み、前の集合馬車についていくよう出発の準備をした。この竜車は都市、「ヘルディア」へと向かう。


「おい! 安全な操縦を心がけろよ。私の商品に傷でもつけたらただじゃおかないからな!」


「はい! 気をつけます!」


 

 横暴な態度をとる商人に小言を言われた後、ハロルドは竜車を動かし始める。


 地竜を操りながら、動く竜車によってあたる風が気持ちよかった。先程会ったばかりの子供へと、自分の面白くもない話を語ってしまった恥ずかしさからか、少々熱ってしまった顔を冷ますのにはちょうど良かった。


「チッ。天気がくれぇなぁ」


 隣に座っていた男──ハロルドと同じく商人に雇われた仕事仲間──が言葉を発する。確かに、この時間帯にしてはいつもより辺りが暗い気がする。


「何事もなければいいんですけどね」


「なんだ、魔物のことでも心配してんのか? 気が小せぇ奴だな。この辺りに出るといっても、群れからはぐれた数匹ぐらいだ。そんぐらいなら前の竜車に乗ってる護衛の騎士たちがどうにかするさ」


「あぁ、なら大丈夫か」


「魔王が消えたってのに、魔物はいなくならねぇもんだな。そういえば知ってっか? 今年、勇者の子孫が魔法学園に入学したらしいぜ」


「勇者の子孫?」


「そうだ。しかも魔王を倒したあの伝説の勇者と同じ炎の魔法が得意で、もしかしたら強さも引けを取らないという噂がある」


「え、伝説の勇者と同じくらい強い!?」


「しかも、同時期に同じ学園に聖女の子孫も入学したらしいぞ」


「えぇ!?」


 ハロルドは思わず大きな声をあげる。それは、とても驚くべきことだったからだ。


 200年前まで、この国──デルトワは魔王により支配されていた。しかし、苦しめられている民を救うために立ち上がり、魔王を倒した男がいる。それが現代まで語り継がれる伝説の勇者、アーサー・アークランドだった。

 まさか、その勇者と同じくらい強いと噂される子孫が出てくるとは。しかも、伝説の勇者を支えたとされる聖女の子孫までいるらしい。


─────魔法学園に今年入学ってことは、俺と同い年なのか。


 彼らはハロルドと同じ15歳なのだ。

 しかし、ハロルドと彼ら達が、置かれている環境は全く違うものだ。片や、偉人の子孫で優秀な魔法使いとして学園に通い、片や、魔力を保有しているくせに魔法が使えず、誰にも頼ることができずに、生きるために日々商人にコキを使われている人間。



 自分で自分の状況を整理してみても惨めなものである。ハロルドはこういう時、いつも考える。もし、自分に魔法が使えたとしても、どうせすごい魔法なんて使えなかっただろうと。だから、魔法が使えなくても別にいいのだと。

 そうやって、本当は思ってもいないこと自分に言い聞かせて、誰に訊かせるわけもなく言い訳を繰り返して、惨めになる。父の期待を無碍にしてしまった自分をはずかしく思う。もし、そもそも魔力を持っていたら。もし、優しい母さんがまだ生きてくれていたら。もし、



─────俺も、魔法を使えたのなら。






「うわあああああああ!!」


 その時、前方から悲鳴が聞こえた。俯いていたハロルドが前を向く。その声は集合竜車からのもののようだ。


「なんだ?」


 隣の雇われた男もその声を聞き不審を露わに前を見る。しかし、前方は集合竜車に隠れて見えない。




「あ?」


 

 その時、衝撃がした。



 予期せぬ、突然の衝撃。竜車に何かがぶつかった。いや、ぶつかってきた。


 竜車がよろめき、回転するように横に傾く。そして、商人のカン高い叫び声が聞こえ、ハロルドがどうにか体勢を立て直そうとするのも虚しく、操っていた地竜は混乱したように唸り声をあげて、地面から足元を滑らせる。





「───いってぇ。……何が起こったんだ?」



 そうして竜車から吹っ飛ばされたハロルドは、周りの人間達が騒いでいる声を聞いた。そして、集合竜車から鎧をつけた数名の騎士達が出てきていて、一体、何が起こったのかと、ハロルドは周りを見まわし、────────息を呑んだ。


 そこには、目があった。木々が生い茂る暗闇の中、爛々と光る目。そして、それは一つのものではない。沢山の目がギロリとこちらを見ている。いくつもの、生き物達の目が─────あれは、魔物だ。



「なっ、なんなんだよ!なんで、ビーストウォルフの群れが!」

 

 誰かが叫んだ。───ビーストウォルフ。森の中にいて、見つけた人間達をその鋭い牙で襲う魔物だと聞いたことがある。しかし、その魔物は基本群れでは動かず、単独で生活するのを好む生き物ではなかっただだろうか。


───なのに、なんで群れで出現した!?


 クソ、運が悪い。ハロルドは自分の運命の不運さを嘆いた。はやく、逃げなければ。



 「うわあぁぁあ! は、早く、早く、倒してくれ! おい、用心棒、騎士達、一体、なんのためにいるんだ! 私の商売道具を守れ!」


 自分の竜車が転倒し、放り出されたのであろう商人が、魔物を見た恐怖からか、悲鳴をあげ、吃りながら、自分が費用削減のために一人しか雇っていなかった用心棒、自分が雇ってもいない集合竜車の騎士達へと命令する。


 騎士達は言われるまでもなく、乗客達が乗っている集合竜車へとビーストウォルフを近づけさせないようにしているが、側から見ても押されているように感じる。いかんせん、魔物の数が多すぎるのだ。


 これは、倒し切ることができないはずだ。それなら、逃げなければならない。ハロルドは前にある集合竜車を見る。それは、転倒もしておらず、どうにか無事であった。


「集合竜車に乗り込みましょう!」


 ハロルドがどうすればいいのかと動揺し、恐怖に怯えている周りの男達に向かって叫んだ。転倒した商人の竜車に乗っていた人間は自分──ハロルドとその隣に座っていた男、商人と用心棒を合わせて4人だった。その人数ならばギリギリ集合竜車に加わって乗れるはずだ。


 騎士達がどうにか前方にいるビーストウォルフをどかして、乗り込み、急いで出発すれば、全員助かる。

 そうして、ハロルドは自分も竜車に乗り込むべく走り出そうとして──────誰かの叫び声に近い言葉を聞いた。




「誰か、誰か助けて!! 子供が外に!!」


「は、」



 集合竜車の出口に、今にも、魔物の群れへ飛び出そうとする茶髪の女性がいた。焦ったように叫んで、周りの人間に取り押さえられている彼女の、視線の先には───。




「ララ!!」



 視線を向けた先には、一人の黒髪の少女が───ララがいた。竜車が出発する前に、ハロルドに話しかけてきた、あの子どもだった。

 一人ぼっちで座り込み、そして、その近くにはビーストウォルフ達がいる。誰がどう見ても、危険な状態だった。


「なんで、あんなところに!?」


 集合竜車は転倒しなかった。しかし、商人の竜車と同じように、魔物の襲撃を受けていたのだ。そして、揺れた竜車から、運悪く、身体の軽い少女の体は───外へと、投げ飛ばされた。



「ひっく、ひ、ひーと! ヒート!」


 小さい子どもは、恐怖に涙を流しながら、でも懸命に魔法を唱えている。でも、その指先に灯るのは小さな炎だけだ。少しの熱風を周りに与えるそれは、ビーストウォルフをほんの少しだけ怯えさせたようだが、それだけだ。いずれ、周りにいる魔物達はそれは自分たちに碌な危害を与えられないのだと気づくだろう。


 誰かが、助けなければ彼女は怪我を負って──いや、殺されてしまう。


 「騎士達は……」ダメだ。数名しかいない騎士達は、沢山いるビーストウォルフを竜車に近づけさせないだけで手一杯だ。


 誰かがどうにかしなければいけない。でも、ハロルドの体は動かなかった。濡れたハロルドの服を乾かしてくれた優しい子どもが、このままでは死んでしまうかもしれない。なのに、体が動かない。



 だって、ハロルドがそこへ行ったって、何もできないじゃないか。



 魔法の使えないハロルド。なんの武力も持たないハロルド。期待に応えられないハロルド。



 ──────お前は、必要のない人間だ。



 記憶の中で父の言葉がこだまする。

 

 俺じゃない誰かが、助けなければ。誰か。誰か。





「今だ!」


「え?」


 その時、商人がハロルドの元に寄ってきて叫んだ。そのタイミングに、商人には何か策でもあるのかとハロルドは僅かな希望を抱いて────。



「あの子どもが魔物の興味を惹いてる内に、私の商売道具をあの竜車へと移そう!」



 そして、すぐさま、その希望は打ち砕かれる。


「なに、いって……」


「あれは、大事なものなんだ! たくさんの金になる! 価値のあるものだ!」



 ハロルドの思考が一瞬止まる。この男は一体、何をいっているのだろうか。



「は……、人の、子どものっ、命がっ、掛かってんだぞ! なのに今、そんな道具なんて!」


「どうせあの子は助からない。誰が助けるっていうんだ」


「それは──ッ」


「なんだ? あの子どもは君の家族か何かか?」


「違う、けど……」



 そう、あの子は──ララはハロルドの家族ではない。ましてや前から付き合いがあったというわけでもない。ただ、さっき知り合っただけの子供だ。


 そう、それなら、別に見捨てても。だって、自分の命だって危険に晒されてるんだから。俺は、悪く────。


「なら、いいだろう。私の商売道具に比べたら、そこらのガキなんてなんの価値もないものだ!」


「──あ、」


「なんの必要もない人間なんだよ! だから私の商売どぐふっ ───!?」




 その瞬間、商人の顔面に衝撃が走り、後ろに勢いをつけて倒れた。


 ────ハロルドが拳を振るい、その男を殴ったのだ。




「ふざけんな!!」



 空気を揺るがすほどの怒声がハロルドの口から飛び出た。

 その時、ハロルドの胸中を占めていたのは激しい混沌と怒りだ。


 一瞬でも子どもを見捨てることがよぎった自分への軽蔑、今の状況への恐怖、混乱。全てが混ざってぐちゃぐちゃで、それでも確かなのは、この商人の言葉に激しい怒りを感じたことだ。


 ──────いや、それはもしかして、過去の自分自身に対しての憤りだったのかもしれない。




「子どもに向かって必要ないなんて、死んでも言うんじゃねぇよ!!」




 


 ──────そして、それはハロルドが覚悟を決めた瞬間だった。








 近くにいた一緒に雇われた男に向かって唖然としている商人を指差し「そいつを連れて竜車に乗れ」と言い捨てたハロルドは、そして一目散に、危険にさらされている少女───ララの元へと駆け出した。


 ビーストウォルフに囲まれながら、一人で懸命に頑張っている少女には、竜車にいる人間数人係でおさえつけられていなければ、今にも魔物の群れへと飛び出していきそうな母親がいる。


 あの子は必要とされている人間だ。いらない子なんかでは、決してない。




 だからハロルドは駆け出した。

 だからハロルドは、ララの魔法「ヒート」が自分たちへなんの危害も与えることはできないと気づいたのだろうビーストウォルフ達が、その鋭い爪をキラリと光らせて少女へと襲いかかる瞬間───。



「───ッ、ぐぅっ」


「お兄さんっ!」



 ララを抱きしめて庇ったのだ。



「お兄さん、どうして! 背中が!」


「大丈夫、大丈夫」


「どう見ても大丈夫じゃないでしょ!」


 震えている小さい子どもを抱きしめる。


「ララちゃんはもう、大丈夫だよ。怖かったよな」


「───ッ。う、うわあぁあん!」


 怖かっただろうにまず相手の心配をして、そして泣き出した優しい少女を胸に抱えて、ハロルドはどうにか竜車の元へ行こうと奮闘する。

 先ほど、ビーストウォルフの鋭い爪に抉られた背中は熱く、今にも倒れ出しそうなぐらい、どうしようもないほど痛かったが、それでもせめてこの子だけは逃がしてやりたかった。



 魔法が使えず、何もできないハロルド。でも、この子の側に駆けつけて、魔物達からこの子の盾になってあげることはできる。

 できるはずだ、それくらいしろ、とハロルドは自分自身を奮起させる。自分はどうなってもいい。───ただ、ララを、あの子を大切にしている人の元へと返してあげたい。



 ララを抱きしめて、飛びかかってくるビーストウォルフ達を間一髪で避け、それでも避けきれない攻撃はあり、すでにハロルドの体は切り傷と噛み傷でいっぱいだ。


 朦朧とする意識の中で、自分が気を失ったらこの子は危ないのだとハロルドは無我夢中でビーストウォルフを避け続ける。そうした、無限にも感じられる時間────。




──────『あなたは、優しすぎる子ね』




 声が、した。



 それは、鼓膜に届いた声ではない。その場で誰かが実際に話した声ではなかった。それは、ハロルドの心中に直接響く、ハロルドの幼少期の記憶だった。




──────母さん。




 ハロルドがまだ幸せだった時の記憶だ。まだ母が生きていて、まだ自分が魔法を使えないことも知らなかった、幸せな記憶。成長したハロルドが忘れてしまっていた記憶。




───────────────────────────── *



 家の庭に、幼いハロルドと母がいる。母はよく外で一緒に遊んでくれた。庭を一緒に駆け回る少しお転婆な母。庭の木に咲く桃色の花が散るのと一緒に、美しい金色の長い髪が風に揺れて煌めいていた。

 ハロルドの母と同じ金色の髪は、ハロルドにとって唯一の自分自身の好きなところだ。


 ハロルドはその美しい光景が好きで、もっと桃色の花を散らしたいと思った。そのために、もっと強い風が吹いたらいいのにと思って、そうしたら、その木の上の一部がものすごく揺れた。


 それが面白くて、それからもっとゆれろとおもって、そうしたらそこにかぜがもっとつよくふいておかあさんのうえにえだがおちちゃった。あれ? おれがかぜをあやつったの? おれ、まほうをつかえてる?



『泣かないで。大丈夫、大丈夫。お母さん、ちょっと手を怪我しただけじゃない』


『でも、おれのせいでおかあさんが』


『すごいよ、ハロルド。さっきのはきっと風の魔法だよ! もう魔法を使えたんだよ!』


『けがさせちゃった……』


『ね、もう一回魔法使ってみてよ』


『おれのせいで……』


「もー、あなたは、優しすぎる子ね。いつまで落ち込んでるの」

 


 俺は、怖かったのだ。風を操って木を折ったことで、その下にいた大好きな母に怪我を負わせてしまった。実際それは、本当に大したことのないかすり傷だったけど、それでも幼い俺は怪我をさせてしまったという事実から、魔法を使うということが怖くなってしまった。


 泣きながら話したそのたどたどしい話を聞いた母は、涙が止まらない俺を慰めて抱きしめてくれた。


『怪我をさせてしまったことが怖かったのね』


『うん』


『もう魔法は使いたくない?』


『……使ってみたいけど、こわい』


『そうねぇ……。うん! じゃあ、こうしましょう。あなたは誰かを守るために魔法を使えばいいわ』


『だれかを守るために?』


『そう、誰かを守るために。人を傷つけるのが怖いなら、その魔法で誰かの手助けをしましょう!』


『──じゃあ、おれはおかあさんを守る!』


『ふふっ、ありがとう』






 しばらく経たずに母は事故で死んだ。───少年にトラウマを残して。








───────────────────────────── *






「ははっ。───そうだった」


「お兄さん?」



 突然笑い出したハロルドを不審に思ったのか、腕の中のララが困惑した目を向けた。それも当然だろう。丸腰で魔物に囲まれた、まさに絶体絶命な状況で、この男は笑い出したのだ。

 もう限界なのではないか、ララがそう感じた時、───自身の黒髪がふわりと揺れた。


「え?」



 否、髪だけではない。ララとハロルドの周辺全体にふわりとした風が吹いている。まるで二人を包み込むように。




「俺は、臆病者だったんだ。母さんが死んで、それを自分のせいだって感じて、魔法を使うのが怖くなった。そして、それすらも記憶から消していた」



 あの日、怪我をさせたことに落ち込み泣いていたハロルド向けて、母が言ってくれた言葉。それすらも忘れて。



 切られた背中が熱い。そもそもすでに全身が傷だらけだ。それなのに、今、ハロルドは高揚感を感じている。ハロルドとララの周囲に風が巻き起こる。ハロルドの、魔法による風。



──────魔法を使っている。それでも今は怖くなかった。



 腕の中の子どもをさらにぎゅっと抱きしめる。今のハロルドには守るべき存在がいた。

 




──────『誰かを守るために、魔法を使えばいいわ』





 母さん、その言葉を今まで忘れててごめん。母さんが死んでからずっと怖がっててごめん。

 でも、これからはそんな風に生きられるように頑張るから──────。



「お兄さん、魔法が使えたの!?」


「どうやらそうみたい。だから、行くぞ!」


「───うん!」


「逃げる!!」


「えぇ!?」


「竜車を出発させてください!」



 ハロルドははっきりと逃亡宣言した後、自分とララ以外全員が乗り込んだ竜車をすぐに動かすように大声で呼びかけた。


「魔物を倒すんじゃないの!?」


「俺は碌に魔法知らないんだよ。しかもここにいるビーストウォルフは数が多すぎる」


「もう竜車も出発させてるのに! じゃあ、何が使えるの!?」


「多分、これならできる」


 ハロルドは焦るララをぎゅっと握りしめて竜車へと駆け出した。





 ──────足が軽い。





 怪我をした体で、誰かを抱えた状態で、本来ならむしろ普段より走る速度は遅いはずなのに、ハロルドの体は羽のように軽かった。



 ハロルドは風に乗っていた。



 自身の出す風に自分を乗せて、どのビーストウォルフにも一切の攻撃すら許さない。周囲に突風を吹き荒らして、ハロルドは走った。




 ただ、逃げるための単純で簡単な魔法。でも、ハロルド達にはそれでも十分で───。









「ララ!」


「ママぁ!」




 そして、ついに、ハロルドとララはすでに動き出していた竜車に乗り込むことができた。

 ハロルドの腕の中から降りた幼い少女は、母親と再会する。ハロルドはそれに安心と確かな満足感を覚えて───。


「兄ちゃん!大丈夫かい!?」


「すごい怪我だ! 誰か手当を!」



 全身から力が抜けて、立っていることもできずにハロルドの視界が傾く。血を流しすぎたのかもしれなかった。

 乗客の声がぐるぐると聞こえて。ぐるぐる、ぐるぐる。あぁ、ビーストウォルフに追いつかれないように竜車にも風の魔法をかけなければ。風に乗せれば、きっと魔物に追い付かれないぐらい早く、森から抜けれるはず。


「お兄さん!」


 ハロルドの薄れゆく意識の中で、最後に聞いた声は、あの少女のものだった。




─────あの子が無事でよかった。




 そしてハロルドは意識を失った。







───────────────────────────── *


 


 

 


 「───ぁ」




 瞼がふるえ、視界がひらく。───ハロルドの深いところにまで沈んでいた意識が現実へと起き上がった。


 目を覚まし、ハロルドが最初に見たのは、見覚えのない白い天井だ。

 ここかはどこか、自分はどうしたのかと、ハロルドが記憶を呼び起こそうと──。



「あー、お兄さん起きた!」


「んえ!?」


 側で大きな声が聞こえたのに驚き、ハロルドは珍妙な叫び声をあげた。そして、自分のことであろう名詞を呼んだ人物へと目を向ける。



「ララちゃん」


「そう、ララよ。よかったぁ、お兄さんが起きてくれて。……あんなに怪我してたのに」


「──そうか、俺。……そうだ! ララちゃん怪我はない!?」


 ハロルドの寝ているベッドの側に座っていたのは、黒髪の少女──ララだ。少女は目に涙を浮かべてこちらを見つめていた。そして、ハロルドは自分達が先ほどまで魔物に襲われていたことを思い出す。


「もう、人のことばっかり。安心して、お兄さん以外大怪我なんてした人はいないよ」


「そりゃ、良かった。ところで、ここはどこ?」


「都市、ヘルディアです。お兄さんのおかげでちゃんと竜車は目的地にまで着いたんです。今いるのはヘルディアの医療施設」



 ハロルドの疑問に対し、ララの代わりに返答したのは茶髪の優しげな風貌をした女性である。ララの横にいる状況。そしてあの時竜車で、外に放り出されたララの名前を必死に呼んでいた彼女は───。


「ララの母です。今回は本当に、本当にありがとうございました!」


 そうして彼女はハロルドに向かって頭を下げた。突然の出来事に驚いたのはハロルドである。


「あっ頭を上げてください。俺、俺はほんとただ逃げることしかできなくて」


「あなたがいなかったら、娘は大変なことになるところでした」

 

「そうだよお兄さん。助けてくれて、ありがとう!」


 母に続いてララにまで、親子二人にお礼を言われて、ハロルドはなんだかむず痒い気持ちになった。こんな風に誰かにお礼を言われるのなんて、いつぶりだろうか。

 


「そうだった。怪我は回復魔法で全て治療されているそうなんですけれど、起きたので念のため診てもらいましょう。先生を呼んできますね」


「あ、ありがとうございます」


 そういえば、体の怪我が全くない。血が流れすぎたのかなんだかフラフラするが、あれほどあったハロルドの体の切り傷も噛み跡もすっかり治されていた。やっぱり、魔法ってすごい。




「───魔法」


 ハロルドは思わず呟く。ハロルドは魔法を使った。ビーストウォルフから逃げるために使ったのは風の魔法だ。幼い頃に母が死んでから使えなくなり、そしていつしか使えていたことすら忘れてしまっていた魔法を、ハロルドは今日、使えるようになったのだ。


 それで、これからハロルドはどうすればいいのだろうか。魔法が使えるようになったと、今更、父の元へ戻る?

 

───いや、それは無理だ。


 もう、あの時のハロルドへの父からの期待は帰ってこない。温かい家族も生活も全て得ることなんてできないのだ。

 あれほど望んでいた魔法が使えるようになったのに、喜ぶこともできない自分。自分は一体何のために、



「お兄さん」


「……ん?」


 自分の考えに沈み込んでいたハロルドは、少女の声によって、現実に引き戻される。少女は真っ直ぐな目をして、ハロルドを見つめていた。


「あの、今日は本当にありがとう」


「ああ、もういいよ。気にしないで」


「……それで、あの、お兄さんが言ってたことなんだけど」


「言ってたこと?」


「あの、お兄さんが、自分のこと要らない人間だって……」


「──」



 その言葉はララと初めてあったあの水辺で、ハロルドが思わずこぼしてしまった言葉だった。あぁ、自分は子どもの前でどうしてそんなことを言ってしまったのか。気にさせてしまったことへの申し訳なさを感じ、ハロルドは誤魔化すことを決める。



「そのことなんだけど、気にしないで───」

 

「お兄さんを、あたしのお兄ちゃん2号にしてあげる!」


「え?」



 予想外の言葉が聞こえ、思わず疑問の声を出してしまった。 


 2号? そういえばララは兄がいると言っていた。ハロルドの言葉を被せるようにして、急に大声を出したララの表情はなぜだか必死だった。



「あたしっ、お兄ちゃんがいて、お兄ちゃんのこと大好きで!」


「おお」


「それで、だから、今日お兄さんにすっごく恩ができて、お兄ちゃんの次ぐらいにはかっこよかったしっ!」


「……おお」


「だからっ、だから、その、お兄さんはあたしにとって、要らない人じゃない……」


「──」



 少女の言葉はしどろもどろで支離滅裂だった。自分でも変なことを言ってるのかもしれないと感じているのだろう、顔は真っ赤になっている。

 ───それでも、その少女の言いたい事はしっかりとハロルドに伝わった。





「──ははっ」


「……ちょっと、笑わないでよ!」


「ははははっ、はっ、ふふ」


「もう! お兄さん!」


「すまん、すまん。───ありがとう、ララ。俺を必要としてくれて」



 その時、ハロルドはその日初めて、心から笑った。



───────────────────────────── *






「それで、俺に話って何でしょうか」



「お疲れのところすみません」




 ハロルドはララの母が呼んできてくれた先生の診断を受け、たいした問題はなかったのだが、ララ達と別れたその後、貧血でフラフラする体を休めるためヘルディアの医療施設で過ごすこととなった。のだが、施設の職員からハロルドに来客がいると伝えられた。


 そして、ハロルドの元に一人の女性が訪ねてきた。黒い服に身を包んだ上品な年配の女性である。一体、ハロルドに何の用があって訪ねてきたのか。



「私はベラリン・リートベル、魔法局の者です」


「魔法局!?」



 何でそんな人が自分の所へ来たのだろうかと、ますますハロルドは不思議に思う。そんなハロルドの心情を和らげようとするためにか、彼女は優しい笑顔で話し始めた。


「昨日の竜車の件について、ハロルド・クライネスさん、あなたのお話を聞きたく参りました」


「竜車の、ですか?」


「はい。昨日、このヘルディアへと向かう竜車の通路でビーストウォルフが出たという情報が入りました。その調査を目的としています」


 なるほど、彼女が訪ねてきた目的はわかった。でも、疑問はまだまだある。


「それって、国直々で調査するほどのことなんですか?」


「はい。最近、国で魔物達の異常行動が問題視されているのです」


「異常行動?」


「昨日あなたが通ったヘルディアへと向かう竜車の道は、本来は低級の魔物が数匹たまに現れる程度であって、ビーストウォルフのような危険性の高い魔物が現れる事はありませんでした。しかも、ビーストウォルフが群れで行動していたというのも珍しい事です」


「──確かに」


 ハロルドは魔物に詳しいわけではないが、以前ビーストウォルフのことについては聞いていたことがあった。あの場所に、しかもたくさんの数が出てきたことには疑問に思っていたのだ。


「そういう事なら、すみませんが、俺は調査の力になれそうにもありません。あなたが仰ってる事以外で特に離せるようなことも思いつかないし、ほぼ気絶しちゃってたもので……」


「そうですか。……わかりました。ありがとうございます」


「なんか、すみません」


「いいえ。それに、あなたにはもう一つ用があるんです」


「え?」


 魔法局の人間が、ハロルドに一体なぜ用事があるのか。昨日の竜車以外の用事とは何か、ハロルドは全く検討もつかない。



「あなたは現在15歳であり、魔法が使えるようになったらしいですね」


「──」


 予想外の言葉に一瞬、ハロルドの動きが止まる。


「そして、少女をビーストウォルフから守ったのだとか。素晴らしい事です」


「……それで、俺への用って?」


「魔法が使える人間は、15歳になると集められ、魔法学園に通うことになります。つまり、昨日魔法が使えるようになったあなたにもその資格があるのです」


「──魔法学園」


「はい。あなたにはこれから、ヘルディア魔法学園へと編入していただくことになるのです」




 その日、ハロルド・クライネスの運命は変わり始めた。





  

 最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

 今回は短編として書きましたが、いつか魔法学園編を長編として書いてみたいと思っています。

 では、ありがとうございました。

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