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異世界Vtuberに囲まれて  作者: 未田不決
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5.初収録と初仕事

 プロトの魔力暴走は回復し、しばらく配信を休んでいることもあって喉も快調である。熱も痛みも腫れもなく、むしろプロトは独り言を声に出さないタイプなので、大きな声の出し方を忘れるくらいには療養が出来ていた。


 事前の話し合いにより、配信活動への復帰に関しては大事を取って年が明けてからと決定している。その間、療養に専念していると言えば聞こえは良いが、最近は特にやることがなく、誰かに連れ出してもらわなければゲームをするか、ゲームの情報をチェックするか、寝るかの生活を送っていた。

 そんなプロトの復帰初仕事はスタジオでの収録だった。


 年末年始にVモンスターズの公式チャンネルにて行なわれる、所属Vtuber全員が参加する年越し配信に向けた収録だ。

 日本の年越し特番に倣ったその配信は、三十一日の二十時から翌日の午前三時までの七時間にわたる長時間の生配信で、オープニングとして生歌のライブを行い、その後総集編と称して各所属ライバーのハイライトを取り上げながら雑談をして、カウントダウン。新年を迎えた後で正月らしいスタジオから3Dモデルを使っての様々なチャレンジ企画配信を行なっていく。

 プロトたち四期生が出演するのはスタジオの転換、準備のときに流れる企画の一つらしい。内容は新年の抱負を書き初めにするという簡単なものだ。


 プロトは予定の時刻よりも早くにスタジオに到着した。住んでいるビルの二階オフィスの奥に収録現場があるなんて今でも不思議だが、そのアクセスの良さは格別だ。

 しかしながらプロトは他の誰かの到着を待ちながら入室を躊躇っていた。何せスタジオには未だ入ったことがない。「また都合のいい時に案内しますね」みたいなふうに言われていたはずだが、今日の今日まで結局スタジオを使う機会は訪れなかった。

 チャットには「スタジオに集合してください」とだけ書いてあって、中なのか外なのかがはっきりしない。しかし、スタジオに入られて欲しくないなら、スタジオの前かもしくはオフィスの休憩所に集めたって差し支えないだろうから、別に先に入っても困ることはないんだろう。

 赤色の使用中と記されたランプも消灯しているし――。


 それからも、そんな逡巡を三分ほど続けて、ようやくプロトは意を決し、外開きの重たい鉄扉のドアノブを引き寄せた。


 スタジオは正方形、もしくは少し奥行きの方が長い長方形らしかった。空間が二分され、手前に何やら大きな機材が置かれ、横長のデスクにディスプレイが置かれる作業スペースがあり、奥には厚さが一センチないくらいの厚めの黒のタイルカーペットが敷き詰められた区画がある。カーペットは表面がザラザラしているようでゴムみたく鈍く照明を反射している。周りの壁は吸音材の刺々しいスポンジが覆っている。自室の防音室にも一部吸音材が露出した部分があるからプロトも見たことがあった。さらに、吸音材の上から正面に三つ、左右に一つずつ壁掛けのモニターがある。


 プロトは一歩進み出てスタジオ全体を一瞥する。


 ――さて、どこで待ってようか。

 デスクの所に並んだ椅子はスタッフさんがかけるようのものだろうし、カーペットのところには勝手に入って良いのか分からない。靴は脱いで入るのだろうか。


「――ども」


「うぇ⁈――ッす」


 真後ろからいきなりに声を掛けられたプロトは驚いて情けない悲鳴をあげ、慌てて振り返る。そしてマネージャーであるスイレンの姿を認めると、あたかも砕けた挨拶でもするみたいに誤魔化した。


 スイレンはクリップボードの上に重ねた資料を小脇に抱え、ゆっくりと閉じていく防音扉を肩でペタリと受け止めていた。

 プロトがドアから伸びるスタジオ唯一の動線を空けるように、並べられた機材に注意しながら隅に立つと、その横をスイレンはするりと抜ける。


「あー、プロトさん、初めてすよね。スタジオ」


「あっ、はい」


「まだ適当に座ってて問題ないすよ。全員揃ってから説明するので」


 スイレンに促されて、プロトはスイレンが座った椅子の隣に置かれた椅子に座った。

 スイレンは全身が宝石のようにキラキラと艶めくホリゾンブルーなことを除けば、バリキャリと行った感じの凛とした垂れ目の美人である。

 その癖、声色はダウナーで口調は砕けた若者言葉で、険しい見た目に反してガードは緩そう。彼女がいつも着ているスーツも上部のボタンが開かれていて谷間が大胆に見えている。

 青色でなければプロトはうっかり胸元を目で追って、その豊満さに欲情していたかもしれない。そう思うと独特な艶かしさを秘める肌色がいかに危険な色かが分かる。青色は食欲減退の効果があると言うし、きっと性欲にも――。


「つか、声大丈夫すか?治りました?」


「――ッはい、もう全然!配信してないからか、ちょっと声量とか滑舌が心許ない気がしますけど」


 プロトは邪念を振り飛ばし、わざと元気そうな声を作って答えた。

 初めての収録だと言うのに緊張感が足りないぞ。休みボケしている暇ではない。と自分を奮い立たせる。


「そうすか。じゃあ、せっかくなんでスタジオ使ってみます?まだ専用のモデルはないすけど」


 スイレンはスタジオの一角、入り口手前側の作業スペースの左端、壁に添わせるようにして置かれた台車を物色し始めた。

 その台車は一見すると電線コードが天板から飛び出し、絡まり合い、大小様々な機械類が乱雑に置かれているように見える。スイレンは垂れ下がる黒やら青色のコードのカーテンを開け、手慣れた様子で積まれているいくつかの機器を取り出す。取り出した機材を左手で抱え、それがある程度の物量になるとデスクの空きスペースへと置き、最後に壁のフックに吊るされた長いアームの付いたヘルメットを取った。


 スイレンが用意したのは、手の表側、爪の付け根の辺りから手の甲まで電線が取り付けられた手袋とアームの着いたヘルメット。ヘルメットには長いコードでピンマイクとそのバッテリーが取り付けられ、アーム部分は何かを受けるような構造になっている。

 他にも面ファスナータイプの幅広の結束バンドが計八つ。それぞれサイズが微妙に異なって、同じサイズのものが二組ずつ鎖のようにまとめてある。肘や膝、腰につけそうなサポーター。そのどれにも怪しげに煌めく紫色の宝石があしらわれている。


「これ腕と足に通して下さい。魔力結晶のある方が出っ張る方、肘ならこっち側で、膝ならこっち側っす」


 スイレンは先ずサポーターをプロトに渡し、身振り手振りを混ぜながら装着の指示を出す。

 サポーターはサイズが合ってないのか、それとも大分伸びているかで拘束力が心許ない気がするが、けれど落ちてくるほどではない。


「次に取り敢えずこれ巻いて下さい。手首と足首、それと太ももと二の腕にくるようにして下さい」


 次々と手渡される装備品に段々余裕がなくなっていくプロトは「はい」とだけ相槌を打って、言われるがままにバンドを巻いていく。

 黒色のバンドにはタグが付いていて、親切にもそこに『手首』とか『腕』とか書いてある。ベリベリと剥がして、着けて。ちょっときつくしすぎた気がしてまた剥がして。そんなことを悠長にやっていると、見兼ねたのかスイレンが装着を手伝うために足首のバンドを巻き始めてくれたので、プロトは慌てて二の腕と太もものバンドを着け終える。


「これはこんな感じで外側に向けるす」


 かがみ込んでプロトの足首を弄るスイレンは、バンドに取り付けられた宝石が外くるぶしの上に来るようにする。

 プロトもそれに倣い、太ももから手首、二の腕と順にバンドを回し、向きを調整する。


「最後に、ヘルメットを被ってもらって……」


 プロトはスイレンからヘルメットを受け取ると、渡されたままの向きでそれを頭に被る。ヘルメットを被るとU字のアームは顔から三十センチくらい離れたところで、恐らくカメラを付けるだろう受けの部分が口を正面から捉えている。


「ちょっと、顔下げてもらっていいすか」


「はい」


 指示に従い顎を下げると、アームの先端にスイレンがアイバンを取り付けた。


「……マイクは――。今回はなしで。そしたら、本当は最初に靴履き替えてもらうんすけど、これ履いてもらったら最後す」


 スイレンはプロトを導いて、スタジオ隅の下足箱から紺色のサンダルを出す。その昔、一世を風靡した穴空きの某サンダルは、多分偽物だろうが、丁度サンダルの真ん中ぐらいの穴に宝石が一つ埋め込まれている。


「じゃあ、動き取り込んでみるでそこ立ってて下さい。モデルがどんな感じなのかは壁掛けのモニターで見られるんで」


 デスクに座ったスイレンの手元のリモコンでモニターに電源が点けられ、ブルーバックのパソコン画面が表示される。スイレンは目にも留まらぬ速さでパスコードロックを解錠すると、直ぐにショートカットまみれのデスクトップが表示された。

 プロトがタイピングの速度に驚嘆し、ショートカットが縦に二列もない寂しい自分のデスクトップに想いを馳せながら呆けていると、それを画面を注視し、モデルを動かすのを心待ちにしていると勘違いしたのかスイレンが、


「ちょっとソフトの立ち上げに時間かかるんで待ってて下さい」


 と言った。



 ――ウレタンなのかな。


 静かなスタジオにはパソコンのウィーンという正常な駆動音だけが鳴っている。

 暇になったプロトがカーペットの独特の沈み込み――表面はタイヤのゴムみたく硬く、それでいて一つの場所に止まると低反発のマットレスみたくゆっくり萎んでいく不思議な感触に夢中になっていると、


「準備できたっすよ」


 とスイレンが声を上げた。


 画面に映し出されたのは日焼けした浅黒い肌の男。頬には十字傷があり、紺色の短髪に紺色の目をしたイケメンである。優しそうな中性顔の外見に、ワイルドで力強い印象を受ける肌色や傷、銀色の鎧。そして何よりデカい。


 ――いくさイサミ先輩。確か、二期生の……。設定は戦士だ。


 自分よりもガタイがいいのは当たり前である。プロト本人はゲーマーだし、アバターだってインドアなキャラ設定から細身で作られている。しかし戰イサミのモデルは戦士である。恰幅が良くて、鎧の隙間から筋肉質な肉体美が覗いているのも、戦士であれば当然のことだ。


 VモンスターズではVtuberとその中の人、つまり配信上の外見とキャラクターを演じる人との外見が一致している。プロトやホウキは例外だが、概ねは元の外見をもとに二次元のキャラクターらしさを追加しているような感じだ。黄金イナリも顎リサも夜深カミラも外見とモデルが殆ど同じで、忠実なコスプレに見えるほどである。


 ――つまり、だ。


 今までプロトは考えたこともなかったが、それはつまりVtuberで見るままの美少女やイケメンが現実に存在しているということだ。プロトが今まで出会って来た同僚たちは確かに顔立ちが整っている。プロト本人のモデルはかなり美化されているとしても、自分以外のリサ、イナリ、ホウキやカミラは全員が美人なのだ。ホウキはキャラクターと比べるともう少し日本人ぽい丸顔だが、それでも可愛い方なのは間違いない。


 プロトは頭の中で紆余曲折と考えを巡らせたが、つまり戰イサミの存在を危惧していた。


 ――こんな女好みのしそうな優男がいるだと?あり得ない。世の男たちはどうすればいい?この事実が明るみに出れば世は正に異世界男子ブームだぞ。


 プロト自身にも自分の胸のうちのモヤモヤをどう表現していいか分からなかったが、要するに非モテの嫉妬と羨望が入り混じり、思考をロックしていた。


「男性らしいシルエットのモデルにしてみましたけど、どんな感じすか」


「……スゴイです」


 口をついたのはあまりに稚拙な賛辞だった。


「これもカメラですか?」


 何カメなのか分からないが、プロトはスタジオを横から撮っているカメラに近付いて、カメラのすぐ横にあるモニターをまじまじと見つめた。


「そうっすよ」


 機転を効かせたスイレンがカメラを映像を切り替えて、丁度戰イサミのモデルの顔がデカデカとモニターに映る。


 ――顔の彫りが深いのに、まつ毛が長いから女っぽく見えるのか?何なんだ、この絶妙な眉目秀麗加減は。


 首を捻って色々な角度で顔を写してみるが、どこからどう見てもイケメンである。


「あの、顔の動きばかり見ずにせっかくなんで身体動かしてみたらどうすか?」


「ああ……ッと、そうですね」


 顔の作りへの嫉みから始まったプロトだったが、段々とそのイケメン具合に現実味がない気がしてきて、興味が冷めていく。世の中には絶世のイケメンもいるもんだな。と他人事にして納得する。絶世の美女とか傾国の美女という表現もプロトにとっては怪しいもので、綺麗な人自体は案外たくさんいるし、たまにネットニュースで見るようなミスコンテスト覇者にさえ特別な美は感じない。要するに『絶世』というのはその存在が疑わしいほど顔立ちの整った人への形容詞なのだと理解した。


 本当のところ、プロトが羨んでいる部分は顔の作りではなくてイケメンさが持つ影響力にある。顔がカッコいいかどうかは本質ではなく、自分がとびきりなイケメンだったなら女の子に囲まれた華々しい学生生活を送れただろうし、教室での発言力も高かっただろうし、何より友達作りに苦労しなかったろう。同性になめられることもないはずだ。


「……」


 プロトは適当に身体を動かしてみる。もともと運動は出来ない。リズム感もない。歌って踊れるVtuberが数いる中で、そういうのには不得手である。

 最近では中学校で必修になったダンスだが、プロトの時には教えられる教師がおらず、アメリカ軍の新兵がする基礎訓練から着想を得た激し目のエクササイズを映像を基にダンス(仮)をやったものだ。

 だからダンスの基本も知らないし、リズムゲームも基本的には動体視力とゲーム音に集中することで、反射神経のみでゴリ押ししている。


 運動音痴なのがバレたら恥ずかしいな。能面のような顔でそんなことを考えながら、手を振ったり、控えめにぴょんぴょん跳ねてみたり、屈伸したり。ラジオ体操にあるような身体をひねる動きをしてみたり。

 その間、スイレンは作業スペースでディスプレイに映る映像越しに静観している。彼女が黙ったままだから何か物足りないのかなと、プロトは必死に動いてみるが、その動きは自分でモニターから見ても、固いし何処となく幼稚だし、ダサい。自分の動き以上に画面の中のキャラクターの動きは固い気がする。


 ――もっと派手に動かないと画面映えはしないんだろうな、きっと。……3D向いてないかもな。


 折角の全身モデルを動かせる機会に、プロトは定点カメラの前で指だけを動かしている。乱暴にピアノを弾くみたいに指の関節を滅茶苦茶に折り曲げている。――というのも、画面に映る俊敏な指の動きに対して、身体の動きはもっさりしていると言うか、反映に遅延があるみたいである。


「どうでした?」


 スイレンはもとより抑揚がない話し方をする。口調が砕けているから親しみは持てるのだが、感情が読めないところが事務的なコミュニケーションをしているという距離感を感じさせる。

 だから、簡単に「どうでした?」と聞かれても、それが技術的な話かプロトの心象的な感想を求められているのか分からない。


「何か慣れないですね。画面の中のキャラクターが自分と連動してるってのは理解できるんですけど、遅れて付いてくるんで若干気持ち悪いです。指の動きだけは凄いんですけどね」


 プロトはどっちとも取れることを言った。

 モニター越しに見る自分の動きはいくつもの機械を通したもので、鏡で見る自分の動きと比べて遅延が出るというのは考えてみれば当たり前だ。


「それは取り込み方が違うんすよ。指の細かい動きだけはカメラでトラッキングできないので、手袋のセンサーで読み取ってるんす。後はそのバンドに付いた魔力結晶が、えー、魔力と結び付いて……擬似的な魔力脈の役割を、まぁどうにかするらしいですけど、そのシステムを開発したのはカモさんなんで、詳しく知りたいならカモさんに聞いて下さい」


「へぇー」


 まぁ、難しいそうだし別にいいか。という淡白な気持ちを、プロトはたった二文字に込めながらモニターの注視を続ける。


 ――こっちにも魔力が、ね。だとすると3D化も僕の問題が片付くまではお預けだな。いや、そもそもVtuberとしてちゃんと活躍しないと駄目か。そこら辺の規約は興味なくてあんまり読んでないし。いや、そもそも今ってカミラさんに魔力吸って貰ってるのに何でモデルを動かせてるんだろう……。


「――正確には撮影スタジオの魔力と結び付いて擬似的な魔力脈を形成するんだ。そうして魔力の流れで身体の動きを追う。儀式魔術なんかで用いられる応用なんだよ」


 プロトの胸中の疑問に答えたのは声の主はカモだ。

 プロトが入り口の方を見やると入って直ぐ脇のデスクスペースにカモが沢山の紙の山をどかっと置く。積み上げられた書類の一番上から順に机に広げ、広げた紙束の一塊をまた重ね、また崩しと書類整理をしている。


 カモが入って来て開かれたままの扉の奥から二人組が入って来る。初めにイナリがズカズカとやって来て、その後ろをホウキが追い掛ける。


「なんやプロト、今日はえらくキャラ作りしてるやん」

「ヘルメットに手から出る電線、本格的に人造人間にでもなるんか」


 イナリは真冬でも露出が多いコスプレみたいな巫女衣装を着ている。ミニスカ風のショートパンツから大胆に足を出し、小袖の肩のところにスリットが入っていて、中には薄手の生地が見える。それでもイナリはフカフカの尻尾を振り回し、至って元気そうである。さらに言えば勝ち誇った顔でプロトをイジる。


 ――きっと狐だから寒くないんだろう。冬でも雪に頭突っ込んでるイメージあるし。


「あー!下駄ではしゃいじゃダメだよイナリ」


 いつも通りの格好をするイナリは彼女が愛用する駒下駄でぴょんぴょんと跳ねる様に歩く。

 スタジオには床用のコンセントとか、床を這う剥き出しの配線とか、高さの違うカーペットなんかで床が隆起していてところをイナリは不用心に駆ける。

 そして――。


「ッタァ!」


 太めのコードを下駄の後ろ歯転がして足を滑らせ、ド派手に尻もちを着いた。


「他人を馬鹿にするから罰が当たったんだ」


 プロトが呆れながら静かに悪態を吐く。


「ンフフ、フフ、アハハ。なんか懐かしいね。デビューしてからもそんな経ってないし、プロトの喉がおかしくなってからもそんな経ってないのに」


 一番後ろでホウキが笑うと、イナリは満足げに腰を上げ、


「で?復帰はいつかもう決まったんか?」


「予定では四日以降に復帰する予定。また魔力増強剤を飲んでみて反応を見てからって話だけど」


 プロトがイナリにそう答えると、カモが補足する。


「Vtuberは中々休み難い仕事でもあるからね。折角だから三が日までは休養して貰うって話になったんだ。正月の間は事務所の中も多少ごたつくと思うし」


「復帰したら凸待ちしようよ。わたし行くよ」


「ええな、ウチも行ったるわ」


「……うーん。なんかお見舞いして欲しい人みたくない?構ってくださいみたいな」


「まあ……。でも、みんな気にしないよ」


 ――それはつまり、気にするってことじゃないのか?


「――はいはい」


 カモが手を叩き、会話を遮った。


「とりあえず、撮影していこうよ」


 撮影の内容は新年の抱負を書き初めに書くことである。


 隣部屋の備品室から折り畳み机をスタジオへ運び込み、撮影エリアの真ん中を縦断するように机を並べて、そこへ四期生が三人並んで座る。机の前にはそれぞれの表情を撮影するために三台のアイバンが三脚にセットされる。

 アイバンの向こう側には書画カメラが置かれた台と、スタジオの作業スペースから持ってきた書道用の一人掛けデスクがある。さらにその向こうにはスタジオの壁掛けモニターがあって、カメラに向かう自分たちの様子が見えるようになっている。


 実際に墨と筆で書いている様子を、デスクの横に並べられた天板の小さなキャスター付きの台から書画カメラで撮影するのだ。デスクにはカメラ画角の中心点が分かるように、あらかじめフェルトの下敷きが両面テープで接着されている。

 書き初めとは言うが、今回はカメラの画角に収めるために書き初め用の半紙ではなく一般的な書道用の半紙に書く。


 書画カメラを使って撮影する際はタレントのプライベートを守るため、事務所の方で用意した手袋を着用して手を隠す。

 手袋は分かりやすいように三つ、別のものを用意してある。

 パッケージにニトリル手袋と書かれたそれは、それぞれピンクとオレンジと黒のカラーバリエーションがあり、それぞれが四期生のイメージカラーである。


 ちなみに、録画ではあるのだがその流れは配信の体で撮影され、演者の四期生にはライブ感というのを意識して欲しいとのこと。


「みなさん何書くか決まりましたか?大体でイイんすけど、漢字間違ったりしても、それはそれで色になるんで」


 スイレンがそう言うとホウキは自分のスマホをイナリから取り上げ、狼狽するイナリを他所に本番の撮影開始になった。

 作業スペースからスイレンは顔乗り出してスタジオを見つめる。


「それじゃあ、いいっすか?いきますよー、さん!」


 それから無言のままで手を伸ばし、彼女の水で出来た自在の手がアラビア数字の三に続いて、二、一と変形する。そしてゼロのタイミングで平手に戻り、「どうぞ!」という感じで空を切る。


「……で、どうする?」


 真ん中に座るプロトが隣に座る二人を交互に見て言う。


 用意された台本では『Vモンスターズお正月スペシャル企画!四期生書き初めチャレンジ〜!』と三人で言うはずである。リハーサルでもそうだった。ただこの手の収録は全員初めてで、リハーサルの時は「ここで、皆さんでタイトルコールします」とスイレンが促していた。


「どうするって何が?」


 イナリは不思議そうに訪ねる。


「いや、だから『せーの』的なヤツ」


 プロトが言うと、ホウキが焦ったように声を上げ


「――ええ、じゃあいきますよ。はい、せーの」


 と言い、微妙に息の合わないタイトルコールで企画が始まった。


「Vモンスターズお正月《《スペシャル》》企画!――四期生⁉︎書き初めチャレンジ〜。いぇーい」

「Vモンスターズ、《《お》》正月、スペシャル企画。四期生――書き初めチャレンジィイー!ヨッシャ!」

「……ッVモンスターズ、お正月スペシャル企画。四期生ッ、書き初めチャレンジ。イェー」


「明けましておめでとうございます」


 プロトがアドリブで台本にないセリフをさながらニュースキャスターのように誠実そうな声色で言った。

 普段、四期生が集合するとプロトが仕切り役をさせられるのだが、今回はプロトの喉のことやまだ休養中の体であることを加味してホウキが進行役になっている。だからプロトは比較的に気楽だった。

 台本も一人一人のセリフがきっちり定められているわけではなく、ざっくりとした企画構成の流れを指示したものだから、むしろアドリブ歓迎といったふうである。


「ア、明けましておめでとうございます」


 少々面食らったホウキが続いて年始の挨拶をする。

 戸惑うのも無理はない。現時点ではまだ年の瀬である。


「ちょ、待て。実はまだ明けてへんのちゃう?」


 戯けた感じのイナリがニヤニヤして言った。


 ――確かに。年末の年越しライブの休憩時間。つまりはライブ配信中の中継ぎにこの録画が流されるわけで、どの時間帯に使うのかはまだプロトたちは教えてもらっていない。当日のライブ配信ではまだ年を越す前の可能性だってある。

 と、プロトは懸念する。


「でも、書き初めは明けてからするものだから。書きはじめって言ってるじゃん?」


 プロトがちらりと視線を作業スペースで見守るスイレンや待機しているカモに向けると、カモはウンウンと頷いている。どうやら間違ってはいないらしい。


「なんや、マジレスすんなや〜。新年早々カタイなぁ、プロトは」


 イナリが極々自然にケタケタと笑う。

 どうやらイナリの冗談だったみたいだが、プロトは余計なことを言ってしまったかと思って額に若干の冷や汗を掻いていた。


「――じゃあ、簡単にわたしの方から企画の説明をしますね」


 ただ書き初めするだけでは面白くないだろうと言うことで、書き初めチャレンジでは文字通り、チャレンジがある。それは、同期の書き初め――ひいては抱負を当てるチャレンジ。

 先ず、普通に書き初めをするのだが、その際には三人のうち一人が別のデスク(書画カメラが置かれているデスク)で書き、残りの二人はアイマスクで目を隠す。その後、書き初めは四期生の三人がそれぞれ書く三枚と、Vモンスターズに所属するVtuberの中から五人分、計ハつが配信の画面上に写され、その中から四期生は同期が書いた書き初めを推測し、見事当てられれば、報酬として事務所からお年玉が出るのだ。


『賞金は何に使いますか?』


 と、待機しているカモからカンペが出される。


「えー、今、スタッフさんから『賞金何に使いますか?』というカンペが」


「ウチは……そやな〜……。高・級・焼・肉で」


「うーん。わたしは服が欲しいかなー。冬物で、丈夫だけどオシャレなの」


「……」


「え、プロトは?」


 一人だけ黙っているプロトにホウキが問いかける。


「……んーと、貯金?」


 イナリが下顎をガクッと下げて、無言のまま「は?」という口をつくる。


「――おもんな」


 そして落胆したように言った。


「いやだってさ、正月にはセールとか福袋とかあるけど、そこで出費が嵩んで、その後に面白そうな新作ゲームが出たらガッカリするじゃん?お正月セールになるようなゲームって大概はもう持ってるか、情報見て買わないって決めてるヤツだから。それなら取り敢えずでキープした方が良くない?まあ、セールの誘惑に勝てるかは置いといて」


「まあまあ確かに。福袋って外れるとガッカリするけどな。ほんなら、プロトはゲームちゅうことで」


「けど、全員当てられないと賞金出ないけどね。そうだったよね?」


 面白くないと言われてしまったことを根に持ったプロトが仕返しにと水を差す。


「えー、……そうです」


 ホウキが台本を読んで確認する。


「僕のは多分、いや百パー当てられるから。後は二人の当てられるかだな」


「それ本当〜?」


「マジで、マジで。もう絶対分かる」


「まあ、プロトが書くことなんて、どうせしょうもないことやから」


「オイ」


 そんな感じで雑談も盛り上がり、順調に企画は進められていった。



 四期生が書いたそれぞれの書き初めがスイレンの手によって複合機から画像取り込みされ、それが前もって準備されていた五つの書き初めと併せて画面に表示される。


 出揃った八つの書き初めはそれぞれ、


『健康、酒、自炊、点滴穿石、漢を磨く、あいるびーばっく、金、CD』


 各書き初めからプロトが受ける印象は――


 『健康』は筆運びが丁寧といった感じで、達筆とは言えないがおおむね綺麗である。

 『酒』は極太の一筆書きで書かれ、少しずつ掠れていく線に味があり字自体もかなり上手い。

 『自炊』に関しては至って普通。プロトと似たような綺麗でも汚くもない字を書いている。小学校や中学校の教室の壁に張り出されるよくある感じだ。

 『点滴穿石』は達筆の一言に尽きる。プロトは書道に関して全くの素人だが、筆に乗せる墨の分量まで恐らくは完璧である。それでいて余白の白と墨の黒のバランスが丁度良い。小さな半紙に良くこんなにバランスよく漢字四文字を並べたなと思わず感心する出来である。

 『漢を磨く』ははっきり言ってしまうと字が下手だ。何より控えめな筆圧で書かれたか細い線が、この書き初めの印象の薄さに拍車をかけている。根本的に漢らしさが感じられない。

 『あいるびーばっく』に関してはプロトから特に言うことはない。

 『金』はとめ、はね、はらいこそおざなりになっているが、線の太さや余白と字の大きさのバランスにセンスを感じる。細かいところを見ると上手くはないのだが一見上手に見える。

 『CD』については、アルファベット二文字を縦書きするなんてナンセンスだ。


 ――と、そんな感じだ。


「このいっちゃん上手いの……」


 イナリが声を上げる。


「――漢字多いヤツ?」


 プロトが訊いた。


「そうそう」

「これ何て読むん?」


「てきがん、フンせき」


 『穿』の部分を適当に濁してプロトは言ってみた。


「テキガンフンセキ?」


「いや、僕も分かんない」


 それを勘違いしたイナリに正直に答える。


「何やねん。ホウキは?」


「えー……、わたしも分かんない」


 ホウキもしばらく考えたが、分からない様子。


「多分、滴る水滴でも何年かすれば固い石を削って、なんかこう穴じゃないけど陥没するのになるよね――みたいなことだと思うけど」


 プロトは一応大学まで進学した者として、日本人として、漢字に含まれる意味、四字熟語のニュアンスが分かっていることだけは強調しておく。


「それってつまりどういうことなの?」


「うーん、継続は力なり的な?」


 「へ〜」という間の抜けた空気がスタジオを包み、それからしばらく経ってポツリとイナリが呟いた。


「やったら、こんなかにコレ書いた人はおらんゆうことやな」


「「……」」


 イナリの発言を受けて黙ったままの二人。


 ――確かに。


「――え……あぁ、うん」


 プロトに内心で打った相槌に続いてホウキが納得する。その遅れた感じが、『点滴穿石』が実はホウキが書いたものではないか、とプロトを疑心暗鬼にさせたが、モニターを熱心に見つめていた様子からして別のことを考えていただけだろう。


「よっしゃ、これで一個消えたな」


「いや、でも待って。それありなの。これ話し合っていいの?」


 得意顔のイナリにホウキが割って入る。


「何で?」


 イナリが少しだけ反抗的に言う。


「何でって、話し合って『これ誰か書いた?』『書いてない』ってなったら分かるからでしょ」


 プロトが説明した。


「あ、せやな」



 それから、一先ず三人で話し合いが行われた。リハーサルや台本で協議されていなかった書き初め当てチャレンジのルールについて詳細が詰められる。

 先ず、絶対のルールとして書いたか書いてないかを直接言ってしまうのは御法度であること。仮に自分が書いてないものにも知らないというのは無しになった。

 そして、チャレンジをするに当たっては一人が話し合いに参加せず、残された二人で話し合いもう一人の書き初めを当てることになった。

 カモやスイレンが慌ててスタジオ内を探し回り、スタジオには急遽スマホとヘッドフォンが用意される。スマホはカモの私物である。

 まさかVモンスターズを運営する企業の代表取締役が裏方に四苦八苦しているとは、視聴者は思うまい。


「今、スタッフさんにヘッドフォンを用意して貰いました。これで当てられる人は耳栓して、反応出来ないようにします」


 一旦カメラを止め、少しの準備を挟んで再開した撮影を、ホウキがいかにも生配信っぽく演出する。

 こういう時、モデルを並べただけのVtuberは便利である。立ち位置とか表情とかを深く気にする必要がない。


 そんなトラブルもありながら、生放送の体で収録は続いて行く。


「プロトんは絶対当てられるんやろ。せやったらプロトからでええんちゃう」


 イナリの一言によって、プロトはヘッドフォンをはめた。


 ヘッドフォンからは女性アイドルグループの楽曲が流れている。プロトはアイドル文化に疎く、何のアイドルかは分からないが、曲はロック調と言うべきか、ハイテンポのドラムやエレキギターの音が轟く中で、どちらかと言えばポップでキャッチーな歌詞を女性ボーカルが歌を歌っている。歌詞は日本語だから邦楽で、ジャンル的にはJ-POPになるんだろう。プロトがアイドルグループと推測したのは聞こえる声が最低でも三つあるからだ。コーラスの声の主は分からないが、歌詞を順々に回し、力強くて凛とした声と、吐息混じりで細いようだがよく通る声と、曲にメリハリを付けている太くてカッコいい声が聞こえる。

 三人ボーカルで、聞こえる音的には楽器を生演奏している感じではなく、もっと加工された楽曲を再生しているようなのでアイドルグループとした。

 歌って踊れるをアイドルとするなら、踊っているかは音だけでは判別付かないから所謂『歌い手』と呼ばれる人たちのグループかもしれない。

 ただ、それなら広義ではアイドルグループといっても差し支えないだろう。


 プロトはどちらかといえば音楽にだって疎い方で、よく聞く音楽はゲームBGMである。「好きな曲は何ですか?」と聞かれればナントカとの戦闘曲とか、2の時の主題歌とかキャラクターのテーマソングが浮かんでくるほどだ。趣向がマイナーなのには間違いないし、自分を奮い立たせて人並みに音楽を聴いてみたけれど、流行の曲が合わなかったり、何曲も聴いてやっと見つけた良曲が気づいた頃には廃れていたりして、正直着いて行くのが面倒だと思っている。けれど。


 ――ちょっと調べてみようかな。


 と、そんなプロトが思うくらいにはイイ曲だった。

 カモさんのスマホに入っているのに少し違和感があるのだが……。趣味が若々しい気がする。流行について行けない自分なんかより余程いいんだろうが。



***



「アイツが書いてる時目隠ししてたやん?」


「うん」


 プロトがヘッドフォンを装着してしばらくして、徐にイナリが話し始める。


「ウチ聞いててん――筆の音。時間もそうやったけど、プロトガッツリ書いてたから長いやつとちゃう?」

「ウチが思うに『漢を磨く』か『あいるびーばっく』か。『健康』も結構画数あるからな……、後は薄いけどテンテキふんセキ」


 眉を顰めて、珍しく集中した顔のイナリが言った。


「う、うん。それね、点滴穿石てんてきせんせきだって」


 ホウキはくすくすと笑いを隠しきれない様子で答える。


「ん?なんか、ウチおかしなこと言うたか?」


 隣で真面目な顔を続けるイナリに、ホウキはさらに可笑しくなって遂にアハハと笑い出してしまう。

 そして少し落ち着いてから、


「――いや、プロトが書いたのは『あいるびーばっく』じゃない?」


 と言った。


「なんでや」


 ホウキの言うことにも、笑われたことにも納得がいかないイナリは少しだけ苛立ったような声で答える。


「機械の人間が出てくる有名な映画の、有名なセリフなんだよ。この『I'll be back』って。わたしも本当小さい頃にテレビで見たきりだから詳しくないけど、『私は戻ってくる』って復帰するのと掛けてるんじゃないかな?」


「そうなんか」


 釈然のしない様子のイナリ。


「だから絶対に分かるって言ったんだと思うよ」


「……」



***



 ラスサビの最後、消え入るようなロングトーンと共に、メロディがフェードアウトしていくところでプロトはイナリに揺り起こされた。肩を鷲掴みにして容赦なく揺らすので、仕方なくヘッドフォンを外す。

 丁度よく曲が終わるところだったのに、その一歩手前で中断されて大層気持ちが悪い。


「――正解だった」


 直前まで周囲の情報をシャットアウトしていたプロトへ、どこか無気力なイナリが端的に告げる。


「あ、そう」


 唐突な答え合わせではあったが、プロトもまず間違えないと踏んでいたため、随分と淡白に返す。それでも自分のものが当てられなかったら――なんて責任感からくる緊張がなくなって人知れず胸を撫で下ろした。そして鑑賞を中断された機嫌の悪さを忘れた軽い声色で


「次、誰の当てるの?」


 と両隣の二人を交互に見遣った。


 カメラやマイクの機材が並んだ向こう側で、カモは『○』と描かれたスケッチブックのカンペを高らかに掲げる。


「――やった!正解だよ」


「まじか。割りかし当てずっぽうだったと思うんだけど」


 その様子を見てか、イナリはヘッドフォン外してデスクに置き、疲れたのかだらりと腕を下げた。


「……やるやん」


 イナリはヘヘヘと満足そうな笑みを浮かべた。


「ねぇ、ちなみに何で『金』って書いたの?」


「うん?まぁ、そのエピのランクマでソロゴールド目指そかなぁて思て」


「ゴールド?目標低くね」


「それは!……最初はプラチナって書こうかと思ったけど、調べたらソロやったら結構時間かかるのも覚悟せぇへんなんって」


「ふーん。一年もあるんだからダイヤとかにしとけば良いのに」


 プロトが簡単にそう言うと、


「自分も復帰報告しかしてへんくせに。それにシーズンリセットとかあってどこまでいけるか分からんやん。ウチは小さい目標からコツコツいく派なんや」


 と敵愾心剥き出しでイナリは抗議する。


「イナリって意外とリアリストというか、慎重派なんだね」


「そうやぁ。ウチが大雑把なことなんかあったか?ないやろ、なんせキツネやからな。これでも用心深いんや」


「用心深いね……あんまそんな気しないけど」


「なんやぁ!」


「――でも『金』と『黄金』を掛けて――ってのもあったんでしょ?プロトが気付いたんだよ」


 いつもの表面だけは険悪そうな言い合いに、ホウキが落ち着かせるように割って入る。

 裏でも軽口を言い合うくらいで、仲はむしろいいのだが、一部では不仲説も流れている。


「は?そんな話ウチは知らんけど」



***



 画面に八つ並べて表示された書き初めの画像には、青色の丸に白字で『プロト』、同様に濃いオレンジ色の丸に『イナリ』と記載されたシールが貼られている。


「さて、じゃあ最後にホウキのがどれかだけど」


「今んとこ正解やから、これでホウキん当てられればお年玉ゲットや」

「――絶対当てたるで!」


 イナリはどうしても高級焼肉を食べるつもりらしい。


「さっきみたいに消去法でいくと『酒』も消せるだろうね。ホウキは飲めないし」


「何てったって魔法《《少女》》やからな」

「で、『さっきの消去法』ってなんや?」


「かいつまんで言うと後残ってる選択肢は『健康』と『CD』と『自炊』だけ」


「『CD』ってあると思う?」


「ホウキはそのうち四期生ボイス出そうとか言いかねないけど、多分ないんじゃない?無難に『健康』か『自炊』だと思うけど。もっと言えば『CD』はさっきのイナリのターンの候補に最後まであったからホウキのではないんじゃない?」

「自分のならイナリのどれか当てようって時に態々『CD』を候補に入れないよ」


「その理屈ならさっき候補になかったヤツちゃうん?」


「だったら『自炊』しか残ってないね」


「――ほなもう『自炊』やないか」


 イナリは気抜けした感じで言った。


「はい、自炊で決定や!」


「いや、ちょっと待って、待って」


 プロトは考える。

 空飛部ホウキの人物像について――。そして今日の収録の様子からわかること予想できることがプロトの頭の中をぐるぐると巡り、煮詰まっていく。


 ――『自炊』を目標にするのはどんな人物なのか。それは勿論、自炊を始める人だ。今まで自炊をしてこなかった人。何故なら、自炊をする人にとって自分の食べる物を自分で作ることはもはや当たり前であり、今更目標にすることでもない。もし自炊をしていて、その上でさらに自炊に力を入れたいというなら、どちらかと言えば『料理』を目標にするはずだ。……これは、僕の主観に過ぎないけど。

 そしてホウキは今年で高校を卒業する。高校卒業を機に本格的に自炊を始めたいという可能性もあるし、謎に生活力が高いイナリに影響されたのかもしれない。


 隣ではイナリが何やら騒ぎ立てているが、プロトの耳には入らない。というより、入れないようにしていると、そのうち諦めて「悩むんやったら早よせんと、ウチが『自炊』にしてまうからな」と言って静かになった。


 瞼を閉じて瞑想に集中すると、記憶の中のホウキが何やら言っている。

 年下で、現役の高校生だが、性格は大人びている。この前なんかは魔法で空を飛んでいた。プロトなんかより余程社会人らしく、明るくて人当たりが柔らかいけど実は意志が固い。そんな人間的にいかにも優等生のホウキが、何故Vtuberなんていう狭き門をくぐったのか、それがプロトには分からない。

 プロトの脳内には余計なことまで浮かんでは消え、最後に『健康だけは絶対にない』と強く宣言したホウキを思い出す。


「……『健康』かも知れない」


 確か、ホウキは『健康』だけは強く候補から除外しようとした。それも真っ先にだ。ホウキの目線では何か確証があったに違いない――と考えることもできる。



***



 大晦日――、プロトは例年のように自室でダラダラ笑ってしまうとケツをしばかれる年越し特番を見るでもなく、落ち着かないでいた。

 何時もなら見るはずのテレビ番組を見ないのは、一端の若者らしく高校生ぐらいから何となくテレビ離れしてきたことも要因だったが、大きな理由は大晦日だけは必ず視聴してきたその最後の砦的な特番が終了してしまったからだった。引っ越しの際にテレビも運び込んだわけだが、最近では完全に置き物になっているというか、同じく可愛いインテリアになっている赤と水色の据え置きゲーム機を繋げるだけのものになっている。


 毎年欠かさず、それこそ番組が始まる少し前からテレビに齧り付き、コマーシャルの間にトイレに行ったり、年越しそばを用意したり。それほどにあの特番に賭けていたはずだったが、今は不思議と残念だという気持ちはない。


 ――これは僕の煩悩が減ったからだろうか。


 時間的にもそろそろ世の寺院では除夜の鐘を突いて、人々の頭から煩悩が少しずつ削除されている。仏教においては無我の境地へ至ることが是とされているが、大晦日の夜、ベッドから空を見上げるだけのこの時間が本当に正しいことなのだろうか。働きすぎる日本人にとって、こうしてぼうっとするだけの大晦日は大変素晴らしいことだろうが、プロトには無我と無心と思考停止の区別がつけられていない。


 しかし、「正月はゆったりするものだ」なんて老成したことを思っているあたり、ある種悟りを開いているのは間違いなかった。


(そば出来たから降りてき)


 そんなメッセージが飛んできて、プロトはやおら体を起こす。

 プロトは別に正月の間実家に帰省しているわけではない。そもそもプロトの両親は関西弁を使ったりしないし、関西圏の人でもメッセージのやり取りにまで方言を用いる場合は少数なのではないだろうか。


 ――蕎麦?


 大晦日に蕎麦と言えば年越し蕎麦のことである。

 では「降りてこい」とは?


 イナリの部屋のことか?でもアイツって僕より上の階だったよな。


 ベッドを降り大きく伸びをした後で、部屋着のスウェットをパンパンと軽く叩いて埃を落とす。

 それから、すっかりオフィスや廊下を歩き回る用になっているルームシューズを履いて部屋を出た。行先も分からないので、階段を降りては辺りを見渡し、イナリかもしくは誰かの人影を探した。



 二階へ続く階段で――、つまりはオフィスへ向かう途中でプロトは異変に気付いた。もう二十二時を過ぎる時間だと言うのに、わいわいと活気があって、それでいて香ばしいダシと油の匂いがしている。


 ――何。どうなってんだ?


 段差を降りる度、ルームシューズをペチペチと鳴らしながら廊下に片足ずつ着地する。イナリを探して声のする方を覗いてみると、オフィスへ続く扉は開けたままロックされていて、スタジオの方の喧騒がこっちにも聞こえてくるのだが、人の姿は見えない。


 ――どこにいるんだよ。


 賑やかな雰囲気が苦手なプロトは声の下へ向かうのを躊躇い、一旦、辺りを見回してみる。


 すると、反対側を見た際に会議室の並ぶ廊下にあるミニキッチンから狐の尻尾がふわふわと揺れていた。


「イナリ?」


 内心で「良かった」と安堵しながらプロトがそう声を掛けると、仕切りはないが丁度壁で様子が見えないミニキッチンへ先ず尻尾が隠れ、次に耳がひょこと飛び出し、イナリが顔だけ覗かせた。


「おお、プロト。悪いけど次いでに配膳手伝うてや」


 「はい」とも「いいえ」とも特に応えることはせず、ミニキッチンへ向かうと、手狭なワークトップの上に大きな金ザルに大量に積まれた各種天ぷらと、同じようなザルにこんもりとなった蕎麦があった。そして戸棚の取手にスーパーの買い物袋が掛けられて、中には大量の茹でる前の蕎麦と油揚げがごっそり詰まっている。

 イナリはそれらを手際良くどんぶりに入れ、市販の濃縮そばつゆをかける。最後にどんぶりの端からお湯を入れつゆを薄める作業は、コンロで火に掛けられた鍋と電気ポットをフル稼働させてを行われている。


「――そこの出来とるの持ってって」


「持ってけって何処に⁈」


「休憩所と大会議室や」


 プロトは言われるがまま、四杯の蕎麦が乗せられたプラスチックトレーを手に取り、運び出す。


 すると、開け放たれているオフィスへ続く二メートル以上はある両開きの扉を、身を縮ませるようにして潜ってくる大男――もとい毛むくじゃらの塊がプロトの行先を占拠した。


 それはファンタジー世界で俗にオークと呼ばれる姿形。


「おっと、失礼」


 イノシシ顔の恐らくは大男が、顔には似つかぬ爽やかイケメンボイスでそう呟くと、踵を返して今し方潜ってきた扉からオフィスの方へ戻って行く。そして各部屋に一直線で繋がる動線を開けるように脇に立つ。

 その様子から、どうやら道を譲ってくれたらしかった。


 道を譲ってもらったプロトがそそくさと廊下を抜けると、男はすれ違い様に声を掛けてくる。


「はじめまして。オレ、二期生の戰イサミ。……男の人間。キミはプロトくんだね。よろしく」


 イサミは巨大な手を出して、そう言った。


「――あ、はじめまして。よろしくお願いします」


 トレーを持ったまま、プロトが会釈すると。


「あ、そうだった。ごめん」


 と照れ笑いをしながらイサミは手を引っ込めて、


「休憩所の方はいいから、会議室に運んでくれる?」


 と言った。


 会議室まで年越し蕎麦を運ぶと、そこには十人ぐらいの人間がいた。

 何人かは知っている。一期生の先輩、二期生の先輩。先程すれ違った戰イサミと比べれば、モデルとの見た目は一致している諸先輩が四人。残りは知らない顔ぶれだ。事務所の中で一度も見かけたことがない人たち。その全員が何かしらの異形の者、つまりは異世界人だった。


 盃を啜る身体全身が鱗で覆われた龍の髭を蓄える爬虫類人間。大笑いする度に椅子をひしゃげてしまいそうな額に二本の角を生やした赤い肌の巨漢。目を合わせると吸い込まれそうになるほどの妖艶なオーラを放つ黒い翼の生えた女。


 初めて見る同僚以外の異世界人たちだがVモンスターズと無関係であることはないだろう。だとすればここは挨拶の一つでもして置かないといけないとも思うのだが、正直なところ、いきなりなことで面食らっていて声を掛ける勇気が微塵も湧いてこない。


 Vモンスターズの同僚たちに混じって和気藹々と談笑に耽る彼らの作り出す雰囲気に潜むように、プロトは息を殺して入室する。


 自分はVモンスターズに所属する試作機プロトとは全くの無関係です。外見もモデルと全然違うでしょう?なんて素知らぬフリをしながら、


「どうも〜。お待ちどうさまでーす」


 と静かに、それでいて極々自然に彼らのもとに迫り、決して作り笑いを絶やすことなく、手際よくトレーから机にどんぶりを移動させる。


 異世界人の中には「おお、コレが」と蕎麦に喜色を示す者もいたが、「はい、どうぞ」とだけ答えて配膳役に徹する。


 ――自分はただ蕎麦を出しに来ただけ。それ以上でも以下でもない。

 兎に角目立たず、それでいて粗相の無いように仕事を終えると、トレーを小脇に抱えて会議室を飛び出した。


「おう、ありがとう。もういいから、自分の分、貰ってきな」


 会議室を見つめ、警戒しながら歩いていると、いつの間にか目の前に立っていたイサミが言う。

 イサミはプロトが両手で運んでいたトレーを大きな手に乗せ、それを親指で抑えつけるようにして持っている。親指が大きい所為で乗せられるどんぶりは三つだけだが、両手にトレーを一つずつ持って計六つを意図も容易く運んでいた。



「――イナリ!」


「ん?おつかれ、手伝うてくれたからサービスするぞ。きつね大盛りがええか?」


「あの人ら誰⁈」


「会議室におった人らか?ウチは知らんけど」


「接待か何か中?でも今日ってスタジオで配信してるんだよね」


「そうやぁ。今、一階のロビーの横のスタジオで音楽ライブを撮ってて、そこのスタジオでライブのMCしとるらしい。みんな今日は忙しうて折角の年越しなんに何も食べとれんやろ?せやからウチがなんか作ったろ思て。こーいうんなんて言うんやったかな。ようは差し入れの横文字なんやけど」


「……ケータリング?」


「そそ、それや!」

「で、どうすんの?麺大盛りの方がええか?」


「――それって配信の手伝いってこと?僕も何か手伝いやった方がイイかな?ホウキは?」


 プロトが今日ずっと不安だったこと。それは、公式配信中を如何に過ごすかだった。配信が始まる前、今日の昼間なんかは何の用も無しにオフィスに顔出してウロウロしていた。結果として休憩所の自販機の前でいくつもあったか〜いの飲み物を飲んで暖まり、出費が嵩み、ゴミを増やした。忙しそうなスイレンやスケさんに数度すれ違ったのだが、「何か手伝えることありますか?」とは言えなかった。

 そして何を手伝うこともなく、無念のままに自室へ帰り、今の今まで眠りこけていたのだ。それで配信を見るのすら怖くなっていた。


「ホウキは友達と高校最後のカウントダウンしに行くって」


 ――じゃあ、別に僕が何かをする必要はないのか。連絡が来てたわけでもないし、イナリはボランティアで、ホウキは遊びに行ってる。


「もう手伝いはいいの?」


「うーん。しばらくはええはずや。今さっき入れ替わりで三期の人らが入って……。で、今度はカウントダウンでみんな出るらしいから。蕎麦出すにしてもかなり後や。そしたら揚げもんなんて美味しくないやろうから、どんどん持っていってええで」


「……じゃあ、天ぷら大盛りで」


「よっしゃ」

「ほら、持っていき」


「これ、部屋で食べてもイイかな」


 流石に知らない異世界人と同席するのは怖すぎる。これでもファンタジーに対して常人よりもかなりの耐性が付いているはずだが、外見が自分とは異なり、恐らくは全く話も合わないだろう知らない異世界人に対してそもそもの人見知りに拍車がかかっている。


「ええで、器はここのやからすぐ食べて持ってくるか、洗ってここ返しといてや」


「うん。りょーかい」



 それから自室に戻ったプロトはスマホに公式配信を映し、鍋にお湯を沸かした。そこへ生卵を一つ落として即席の半熟卵を作る。

 寂しいとかはない。実家にいた頃だって正月は一人で過ごす時間の方が多かったし、家族団欒を重視する家庭でもなかった。何より、今年の年越し蕎麦は――、


「おおー、トッピング豪華。贅沢だな」


 どんぶりからはみ出す天ぷらの複雑な凹凸を半熟卵が転がって行く。トッピングの下に履いた油揚げが蕎麦に蓋をして、熱々さを保っていて、遠慮がちに箸を入れると噴き出す蒸気がほおを濡らした。

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