おとこのひとってこういうのが好きなんでしょ?
「うーむ、悩ましい……」
その日、大橋健太高校生17歳は放課後の学校の机で腕を組み、まるで乙女のようなため息をついていた。
もっとも、健太の帰宅部ながら鍛えられた体つきは健康的な男子高校生のそれで、繊細な息漏れはあまり似合っていなかったが。
「どれを選ぶか。どういう順番で対応すべきか…」
「よ、健太。なにらしくなく悩んでんの。ん? 机の上のそれ、手紙かな? ……どういう状況だい?」
廊下側の壁に背をつけて唸る健太に声をかけた影があった。
それは健太を下校がてらのコンビニアイスに誘うべく、隣のクラスからやってきた大友辰巳という少年だ。
健太とは中学生の頃からの付き合いで、男子中高生に必要な諸々を貸し借り勧め合う程度には仲が良い。
「おお、辰巳か。いや、聞いてくれ。今俺はな。人生の岐路に立たされてるんだ!」
辰巳は、大仰に腕を振りかぶる健太と、その机に置かれた5枚の便箋を見比べ、ふむ、と興味深そうに頷いた。
「健太の人生の岐路とやらはどうでもいいけど、なんか面白そうな話が聞けそうだ。相談に乗ろうか?」
「おお、友よ! 汝こそセリヌンティウス! 我が無二の親友だ!」
「はいはいありがとう。いい加減、演劇部入りなよ健太。その奇行も目立たなくなるし、あそこ、幼馴染の理恵ちゃんもいるんでしょ?」
「り、理恵? あ、ああ、そうだな。確かにいるな」
と、理恵の名前が出たとたん、そわそわと落ち着きのない様子を見せだした健太。
胡乱なその視線がなぞった机の上の便箋と、その表面に書かれた見慣れた筆跡に、辰巳はピンとくるものがあった。
「あ。さてはその赤い手紙」
びくっと面白いように跳ねる健太に、辰巳はにやにやと笑いながら告げた
「理恵ちゃんからのラブレターだ。違う?」
「…………違わない」
むにゅむにゅと、唇を曲げながら告げた健太を見て、辰巳は手を叩いて笑い出した。
「ははっ。良いじゃないか良いじゃないか! ようやく理恵ちゃんも動いたんだ! いやー、ようやくだね! 長かった長かった! 二人の関係は傍から見ていて、本当に歯痒いやら甘酸っぱいやらだった! お互い意識してるようで、していないようで……時折あからさまに相手の異性を感じて赤面しててさ。うんうん」
辰巳の囃し立てに、え? お前から見てそんな感じだったの俺達? とでも言いたげに狼狽える健太。
「で、健太。当然付き合うんだよね?」
ひとしきり笑い終えた辰巳は当たり前のようにそう言った。
彼から見ても二人はお似合いだ。プロの劇作家である理恵の両親の影響か、子供の理恵もその隣家に住んで仲良くしていた健太も大変な演劇かぶれで、二人の掛け合いは独特に過ぎ、見ていてとても楽しい。
お互い中学の二年生になった頃には、何のきっかけがあったのやら、お互いのことを憎からず思い始めたようで、つかず離れず、びくびく様子を伺いながら接するようになってからは傍観者の辰巳にとっては大変鑑賞しがいのある日々だった。
「いや、その……なんだ」
しかし、辰巳の質問を受けて健太は急に歯切れ悪く押し黙った。
「――え? 健太。まさか付き合わないとでも……。いや、でも健太は夢見る童貞くそ野郎だし、理恵ちゃん相手にそういう目を向けるのが急に怖くなったとかならワンチャン」
「ワンチャン無えから! いやそこが今回の主題なんだって! ほら、こいつを見てみろ!」
慌てたように言いながら、健太は辰巳に、机の上の二枚目の便箋――その中に入っていた青い手紙を見せつけた。
「ん? 綺麗な字体の手紙だね。差出人は高嶺玲子……え、生徒会長の高嶺さん? ……まさか。え、いや、嘘でしょう?」
「いや、そのまさかでな。この二枚目もラブレターなんだよ。この前の文化祭設営で縁ができたばっかりなんだが……成績優秀だと行動も早いのかね」
「うっそだーー!」
「その反応は分かるけど嘘じゃねえんだよ、これが」
健太には子供の頃から不思議な特技があった。
それは手紙など、健太の知り合いが直筆で書いた文章を読むと、その言葉が嘘か真かわかるというもの。
PC全盛のこの世代に生まれていなければネット小説主人公張りのチート能力だったのにと良く嘆いているのを辰巳は知っていた。
「高嶺会長が健太に、ねえ。……納得はいかないけど、まあ分かったよ。確かにあの成績優秀、眉目秀麗、しかも名家のお嬢様で健太の大好きなあの部分が大きい人から言い寄られたら、そりゃあぐらつくよね」
「最後の部分いるか? いや、会長はただ凄いだけじゃなくてな、あれだけの評価を得るために粉骨砕身努力している人で、しかも親との折り合いも悪い中――」
「ああ、もういいから。なんとなく、この短い間に君たち二人が濃密なイベントをこなした片鱗のようなものも見えたし、……なるほど、理恵ちゃんがこのタイミングでアプローチをかけたのはその辺を知ったからなのかな? いやあ、僕もうかつだった。まさか健太の身の回りにこんな面白い事が起こっていたなんて」
辰巳にとっては驚きの連続だったが、なるほど健太が悩む訳は分かった。
辰巳としては個人的にも親交の深い理恵とくっついて欲しいところだ。
けれど辰巳は、二人のあまりに長い幼馴染関係が、健太に理恵の受け入れを素直に受け入れられない心の壁になっていることを察していた。
関係性を変えることへの恐れや、異性へ向けるものとは別種類の強い好意が、芽生えかけの女の子へ向ける好意と混じって薄めてしまっているのだろう。
高嶺会長には悪いがやはり理恵ちゃんを応援したいところ――そう考えたところで辰巳は気が付いた。
「ねえ、まさかその机の上の残り3枚の便箋も、……とかじゃないよね?」
辰巳は戦慄の面持ちでそう聞いた。
こんな世の男子高校生にとって理想のシチュエーション。
一度に五人の女の子から好意を寄せられるなんていう罰当たりなできごと。
それが友人の身に起きているなど、あまりに信じられなかった。
だが、状況を見るにその可能性はあまりに高い。
健太は、戦慄する辰巳をみやると、ふうっと大儀そうなため息をつき、わざとらしく肩をすくめた。そして、喉を鳴らして健太を待つ辰巳を見据え、ゆっくり口を開く。
「……」
「…………」
「………………」
「……………………っ」
「…………………………」
「………………………………?」
「……………………………………」
「……いや溜めすぎでしょ! 早く言えよ、健太!」
口を開いたまま言葉を発しない健太に業を煮やし、辰巳は健太の肩をはたいた。
「いや、悪い。良いオマージュセリフが思いつかなくてな」
「ねえ! 今必要かなそれ!?」
「俺と理恵には必要なことだ。『ずっと二人で、演劇のこと好きでいようね』と、理恵と小学生の頃誓いを交わしてるしな」
「もういいよ! 早く結婚しなよ君たち!」
肩をいからして健太に迫る辰巳を、健太はどうどう、と押しとどめた。
「いや、すまん。相談を聞いてもらってる立場なのにな。実を言うと、ラブレターはこの二枚だけなんだ。俺としても二人のどちらにどう回答すべきか悩んでいるところだ」
「え? ああ、そう。なら何をそんなに悩んでいたんだい? まあ、正直かなりこの相談を聞くのが馬鹿らしくなってきたんだけどさ」
すっかり投げやりになった辰巳を見てさすがに悪ふざけが過ぎたと感じたのか、健太は真面目な表情で相談を切り出した。
「まず三枚目のこれなんだが、俺の好きな唐揚げ店の優待券だ。期限が今日までなのを失念してて、何とか今日中に行きたい」
「……え? いや、それ重要な話? 前の二枚に比べたらどうでも良くない?」
「いや、俺としても、重要度のほどは分かってるんだ。けど、二人とも、今日これから一時間後まで答えを聞きたくて待ってるって話だったから必然的に店に行くのはその後になるだろ?」
「……ふーん、それで?」
「理恵はともかく、玲子会長はこういう店にいきなり連れてかれるの嫌だろうし……って痛てててえええええ! 何すんだよ 辰巳!」
「自分の胸に聞け、この罰当たりの馬鹿野郎!」
辰巳は健太の腕をひねり上げ、その手の中の優待券とやらを奪い取った。
そして健太の目の前で真っ二つに引き裂いて見せる。
いくら何でもひと箱数百円ぽっちの唐揚げの存在が二人のどちらかが選ばれる決め手になるのでは理恵も高峰会長も可哀そうすぎる。
唐揚げが高校生男子の好きなものランキングで上位に来る食べ物であることは辰巳も認めるところだが、今悩んでよい問題ではあるまい。
「ああ、もったいねえ……」
「それくらい今度僕がおごってやるから! ほら! 悩みの一つは消えた! 後の悩みは何だ!」
「お。おう、四枚目の内容がこれだ」
未練がましく優待券を拾い上げた健太は、どこか気まずげな様子で周りを見渡し、辰巳に四枚目の便箋を差し出した。
「何々? ……おめでとうございます。大橋健太様。貴方は異世界グリムガルドの転生者に選ばれました。以下のチート能力から好きなものを選んで、以下の魔方陣を通じて申し出を受けるか返信ください。尚、グリムガルドではあなたのことが大好きになる奴隷少女や巨乳エルフ、それに――」
読む途中で辰巳はその手紙を縦に引き裂いた。
何やらグニャグニャと波たつ文字で描かれた円形の図形の箇所は特に念入りに引き裂き、ぐちゃぐちゃに握りつぶす。
「いや何すんだよ!? 言っとくけどその手紙嘘書いてないぞ! 俺にはわかる!」
「嘘つくな! 健太の特技は手紙を書いた人が知り合いじゃないと使えないって自分で言ってたでしょうが! というか、仮に内容が本当だったとして、君の帰りを待つ子の気持ちを考えろって!」
「あのな、その手紙の下の部分に、異世界転生した上で日本に戻ってくる場合は、まったく同じ時間、同じ場所、同じ年齢で戻してくれるって書いて……」
「異世界現地妻でハーレム築いた後でかい?」
怒気に震える辰巳の声を聴き、健太は押し黙った。
なるほど、異世界チートで、美少女ハーレム。男の好きなものが満載だ。仮に本当なら大変な幸せだろう。
しかし、それを経験してから日本に戻ってくるのは、例えるなら世界一の大富豪となって好き勝手贅沢した後で元の庶民の生活に戻るようなものだ。
普通の感性の人間がそんなものに耐えられるわけがない。健太一人なら自己責任だが、家族も友人も、そして彼のことを好きだという女の子たちもいる中で、そんな壊れた状態にさせるわけにもいかない。
「で? 五枚目は何?」
いつの間にか辰巳は健太のすぐ傍にまで移動して腕を組み、健太を見下すようにして迫っていた。
いつになく恐ろしい重圧を放つ友人の姿に、健太はすっかりタジタジになってしまっていた。
「これ……です」
「ふうん? ……随分丸っこい字だね? けんたお兄ちゃんへ、高嶺冬子より。……冬子って誰?」
「あ。ああ……玲子会長の妹さんだよ」
手紙を読みながら、辰巳は健太の頭上の壁に腕を置き、その体で完全に健太を覆ってしまっていた。
自分の席で縮こまる健太は、すっかり委縮しきった声しか出せなくなっている。
「高嶺会長の?」
「その……玲子会長のお手伝いで家に伺ったことがあるんだ。会長と二人で暮らしてる。俺と同じ精神感応系の能力者なんだけど、歴代の高嶺家でも相当強い力を持ってるとかで、学校とかにもちゃんとした形で通えないんだと」
「……っ」
辰巳はツッコミを入れたい気持ちをぐっとこらえた。
手紙に嘘が無いかを見破る健太の些細な特技であったり、高嶺会長が実家と折り合いが悪く、姉妹二人で離れて暮らしているあたりに説明がつきそうな設定が語られそうな気がしたが、ここまで来てそのようなファンタジーもサイエンスフィクションも聞きたくなかった。
「なるほどね。で、手紙の続きか。
――お兄ちゃんがうちに来てくれるようになってから、お姉ちゃんがうれしい気持ちになることが多くなりました。
ありがとうございます。
はじめはとてもイジワルなことを言ってしまってごめんなさい。私にとって、心を読めないひとは生まれてはじめてで、こわかったのです。
でも、お姉ちゃんから聞いていたとおり、とてもすなおでおもしろい人なんだってことを今ではちゃんと知っています。
お兄ちゃんの宝物のビー玉をくれてありがとう。
私のことをかわいいって言ってくれてありがとう。
今ではお兄ちゃんが来るたびに私もとてもうれしい気持ちになります。
お姉ちゃんはすなおじゃないから『また来たのか、めんどうだが茶くらいだしてやる』なんて言いますけど、ほんとうはとってもうれしいきもちでいっぱいなんです。
私、お兄ちゃんがだいすきです。
またお姉ちゃんとうちに遊びに来てください。
冬子」
辰巳は読み終えて後悔していた。
何も知らなければ、理恵にだけ肩入れできた。
でもこんな、幼い子供の素直な好意なんていう、こんなにも、おとこのひとってこういうのが好きなんでしょ? と言わんばかりの文面を見てしまったら、理恵と高峰会長の二人共に幸せになってほしくなる。
なってしまう。
この文章があざとさを前面に押し出した偽物のお願い文ならば、小悪魔的の囁きとして処理できたろう。
しかし、健太の特技をもってすれば、手紙に書いてある嘘や建前は――ん?
「ねえ健太、冬子ちゃんって普段からこんな感じのことを言う子なの?」
「ん? ああ、そうだな。結構頭がいい子だからもう少し漢字とか使えそうなのにとかは思ったけど、最近は凄い良い笑顔でそんな感じに素直な気持ちを伝えてくれるぞ」
「健太が冬子ちゃんに心を読まれないのってなんで?」
「いや、俺もよくわからんけど、同じ方向性の能力者には能力の効きが悪いとかなんとか」
なるほどなるほど。
――そういう感じかあ
辰巳はにこりと良い笑顔を取り戻した。
「じゃあ、健太。君はこれから理恵ちゃんと高嶺会長のところに行くんだよね?」
「あ。ああ。頭を悩ませてた二つはとりあえずなくなったし、ギリギリまで悩んで、答えを――」
「やめた方がいいよ、健太」
辰巳は健太の肩に手を載せ、言葉を止めた。
「それだけ悩むってことは、今は二人のことを同じくらい好きってことだろ? そんな状態で無理やり答えを出しても、断った方への未練が残るし、OKした方にも後ろめたい気持ちが残るんじゃないかな? 場合によっては不誠実な話だよね」
「う、確かにそうかもしれないが……かといって二股もどちらも振るのもそれは――」
「正直に現状を言えばいいんじゃないかな?」
眉を寄せて悩む健太に、辰巳は言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「こう伝えるのはどうかな。今、二人に同時に告白されている。そして、どっちも同じくらい好きで――いや、どちらの方が女の子として好きなのかわからないから、答えを保留させてほしい。期日は――そうだね、半年とかで」
「それは……何というか、俺にとって都合がよすぎやしないか?」
「いいや、そうじゃないさ」
このまま押せば行ける。
辰巳はそう踏んだ。
このまま、健太の思考を誘導するのだ。
「その答えで二人が健太のことを見限る可能性だってあるからね。その時は最悪、健太は二人の好意を抱いている女の子と両想いになるチャンスを失うことになる」
「う。確かに。そういうリスクもあるな」
まあ、理恵ちゃんは健太一筋だろうし、問題ないだろう。そして、高嶺会長の側も、その背後にいる天使か小悪魔ちゃんかの存在を鑑みれば、ここでリタイアはすまい。
辰巳は心中でそう確信しながら、健太の説得を続けた。
「だろう? リスクも踏まえての正式な回答だし、不誠実な内容でもない。なら、別に良いじゃないかと僕は思うよ」
「うーむ。ありがとう、辰巳。俺にはない選択肢だった。少し考えさせてくれ」
「うん、じゃあ。結果報告待ってるよ」
教室を後にし、帰り支度を整えながら、辰巳は説得が上手くいった手ごたえをつかんでいた。
健太は最後は自分で決断するタイプではあるが、ある程度まで絞り込まれた選択肢にわざわざ異を唱えてすべてをひっくり返す性格ではない。
このままなら辰巳の望むように現状維持をするはず。
そしてこれから、辰巳が求める最高に楽しいラブコメディを繰り広げてくれることだろう。
――できれば冬子ちゃんとやらとも会話してみたいな。彼女が本当に僕の思う小悪魔なら、きっと楽しく火花を散らすことができるだろうし。その場合、僕は理恵ちゃん側につくのがフェアなのかな?
そう企てる辰巳の脳内に、仮想敵となった小悪魔が舞い降りる。
その小悪魔が囁いた言葉に、辰巳は首肯を返した。
「男の人ってこういうのが好きなんでしょ? か。うん、大好きだ」
辰巳はにやりと笑ってつぶやいた。
「ラブコメディはいつだって最高の娯楽だからね。……君もそう思うでしょ?」