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06



 不意にばたばたと廊下が慌ただしくなった。何事かと顔をあげると同時、扉がノックもなく乱暴に開いた。


「エミリア!」


「フリッツ様!?」


 姿を見せたのは、紅毛碧眼の少年だ。年はエミリアとそう変わらないだろう。他が目に入っていないのか、真っ直ぐエミリアのもとへ歩いて行く。


「よかった、怪我はしてないな。お前が帰ってこないと聞いたから、湖にでも落ちたんじゃないかと心配したんだぞ」


「フリッツ様……ご心配をお掛けして、申し訳ございません。あの、でも、それより……」


「分かってる。またあの義姉たちに何かされたんだろう?」


「いえ、あの……王女様に、ご挨拶を……した方が」


「ん? 何だって、エミリア? やっぱり、そうやってすぐ縮こまるから義姉たちも面白がるんじゃないか? 一応俺からも釘は刺しとくが、お前ももっと堂々としろ」


「……」


 好青年を思わせる笑みを浮かべ、フリッツはエミリアの頭を手慣れた仕草で撫でる。困り顔のエミリアの頬がほんのりと色づいた。


「……失礼な客人ね」


 挨拶もなく目の前を通過されたベティーナがぼそりと呟く。しかし苛立ちの混じった呆れ声とは裏腹に、その目は真剣にフリッツを観察していた。


 ヴィルマーは念のためにベティーナのすぐそばに移動した。もしも万が一何かあっても反応できるように。


 ベティーナはこほんと咳払いをして立ち上がる。


「ちょっと! このわたくしを無視するなんて、良い度胸ね! 頭を垂れ、名乗りなさい、無礼者」


「あ、あああ……! 申し訳ございません! 王女様!」


「いえ、あなたじゃなくってね、そっちの赤毛の男よ」


「申し訳ございません、申し訳ございません!」


「おい、エミリアに何したんだ? 泣いてるじゃないか!」


「はあ!? 誰に口を利いていると思ってるの! わたくしたちは何もしてないわよ! 何かしたのはあんたの方でしょ!」


「は? 俺が何したって言うんだよ。だいたい生まれがいいからってそれだけで偉そうにしやがって。お姫様だからって誰も彼もがちやほやするなんて大間違――」


 ばしゃっ。


 一瞬、誰もが誰も、何が起きたのか分からなかった。


 ぽた、ぽた、と紅い毛からしずくが垂れ落ち、床に敷かれたカーペットにしみをつくる。


 息を吐くような、吸うような音がして、ベティーナの侍女――アルマがゆっくりと水差しを持った腕を下ろした。



「私の姫様を侮辱するのも大概になさいませ、アドヘルム様」



 アルマは口元だけを歪め、背筋が凍るような冷たい笑みを見せた。室内の温度が三度は下がったことだろう。もちろん打ち水の効果ではない。


「な――何をする、お前、使用人の分際で!」


 かっと頭に血を上らせたフリッツはアルマに向かって手をあげる。それが振り下ろされる前にヴィルマーはその手を掴んだ。


「おい、生まれで偉そうにするなって言った自分の言葉にもう少し責任を持て」


「あ……」


 自分が言ったことにはっと気づき、フリッツは項垂れた。気づけるのなら救いはあるだろう。


「アルマ。あなたもやり過ぎね。一度頭を冷やしてきなさい」


「……はい。申し訳ありませんでした」


 丁寧に頭を下げてアルマは退室していく。


「で、姫。この無礼者はどうするんだ?」


「そうねぇ、どうしようかしら。なんたってこのわたくしを無視して罵声を浴びせたんだものね。罪に問おうと思えば――って、待ってヴィルマー。わたくしいつもヴィルマーからはそんな扱いじゃなくて?」


「気のせいじゃないか?」


「いいえ、気のせいじゃないわ。わたくし物覚えは悪いけれどヴィルマーに言われたことの大半は記憶している自信があるもの」


「え――」


 得意げなベティーナに、ヴィルマーはほんの一瞬動揺し、返す言葉に詰まった。

 けれど、その直後ベティーナが放った言葉に彼は真顔になる。


「大半はわたくしに対する悪口だもの! 忘れられないわ」


「……姫は本当に昔からどうでもいいことばかり覚えるよな」


「失礼ね。わたくしにとってはとても大事なことよ」


 ベティーナがふふんと魅力的に笑った直後、下から「おい」と声がした。


「おい、放せよ……!」


 フリッツの手をまだ掴んだままだったのだ。

 彼は初めの勢いはどこへやら、怯えの色を滲ませてヴィルマーを見上げていた。


「ああ、悪い。強く握りすぎたな。痛くないか?」


 手を放すと、ヴィルマーが掴んでいた手首は赤くなっていた。


「あら、馬鹿力ね、ヴィルマー。大人げないわよ」


 ベティーナは他人事のようにからからと笑う。誰のせいで力加減を間違えたと思っているのか。


 ――あと一秒。


 アルマが動くのがあと一秒でも遅かったら、ヴィルマーはきっとフリッツに手をあげていた。それが実行できるほど近くに移動していたからこそ、フリッツがアルマに手をあげようとしたのを止められたのだ。


 フリッツは赤くなった手首をさすりながらも、首を振った。


「……こんなの、平気だ」


「平気でも診てもらっておいた方がいいわ。あと、ついでに着替えもね。二人のしたことは、主としてわたくしから謝罪するわ。ごめんなさいね」


「……」


 殊勝に頭を下げたベティーナを見るフリッツの目には戸惑いが浮かぶ。その目は聞いていた話と違うと分かりやすく語っていた。



 ――社交界でのベティーナの評判はとにかく『我儘』で『自分勝手』で、『自信過剰』。


 ベティーナ自身が取っている態度と、いろんな思惑で作り上げられた噂によって構成されたベティーナの人物像は、端から聞いてあまりいいものではない。


 我儘で、贅沢好きで、国庫を食いつぶすだけのお姫様。見た目は良くても性格がそれを上回るほどに悪いから、未だ結婚もできないでいる。行き遅れ。売れ残り。


 派手な美人である見た目からも傲慢そうな印象を持たれやすいようで、噂を鵜呑みにして表面だけを見て決めつける人間は驚く程に多い。


 だからといってもちろん、ベティーナが心清らかな聖人のような純粋な女性だとは言えない。我儘で贅沢好きというのもあながち間違っていないのだ。


 ただ、彼女が本当の意味で望むのは、美しい宝石でも、素敵な王子様でもない。


 ずっと――それこそ、あの婚約者に裏切られた日よりも前からずっと――彼女が望むのは、ただひとつだけ。



 ただひとつの小さな望みだけが不器用なお姫様を動かしていると、ヴィルマーは知っている。



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