05
「――半年前、お母様が亡くなって、お父様は後妻を娶りました」
目をつり上げたベティーナに詳しく話せと言われたエミリアは、おどおどしながらも話し出した。
「お継母様も、お父様のように連れ添いを亡くした方で……その方との娘二人を連れての再婚でした」
「で、その娘二人があなたの靴を捨てた義姉ってわけね? あなた、嫌われてるの?」
あまりにも直球な問いだが、エミリアが気を悪くすることはなかった。そもそもエミリアはベティーナに対して萎縮しているので、気分を害しても態度に表れることはないだろう。
「わたし、昔から何をやってもダメなんです……鈍くさくって、人に迷惑をかけることばかりで……だから、お継母様やお義姉様たちもすぐに苛つかせてしまうんです」
「……」
ベティーナの眉がぴくりと上がり、眉間にしわが寄った。
ヴィルマーはベティーナが何を思って不機嫌な顔つきになったのかなんとなく分かった。そして目の前の少女に対してやけに前のめりである理由も。
「先程は、お義姉様たちの舟遊びに付き合って湖畔にいたのですが……わたしは舟に乗せてもらえなかったので、足を水につけて涼んでいたんです。そうして気づいたら、舟を降りたお義姉様たちがわたしの靴を持っていて……湖に向かって、投げてしまって――」
一斉に水鳥が飛び立ったときだろうか。あのとき水鳥たちは唐突に靴を投げ込まれて驚いて飛んでいったらしい。ぷかぷかと浮かんでいた何かはエミリアの靴だったのだろう。
「――ふうん。走っていたのは、どうして?」
「あ……わたしが呆気にとられている間に、お義姉様たちが馬車に乗って行ってしまって……」
「それを追いかけていたってわけね」
「気分が悪くなる話だな」
エミリアの義姉たちは、エミリアを裸足で歩かせようとしたのだろう。短くない屋敷までの道のりを。
陽気に照らされた地面は熱く、いくら舗装されていても小石は転がっている。楽しい道のりにはならない。
「もしかして疲労とか寝不足ってのも、何かの嫌がらせの影響か?」
医者の診断を思い出す。
思い出さずとも、エミリアの白い肌にはうっすらと隈が浮かんでいたので、誰がどう見ても睡眠が足りていないと分かる。
「え、えっと……嫌がらせというわけではありませんが……確かに、ここ数日はお義姉様たちに頼まれて刺繍をしていました。ただ、それはわたしが好きでやってることなので……」
「好きで? あなた刺繍なんて好きなの?」
ベティーナが目を丸くする。
刺繍なんてと言うが、別に彼女は刺繍をばかにしているわけではない。ただ、ベティーナは刺繍が下手だ。一向に上達しないものを好きになれるはずがなく、悔しさも混じってそんな物言いになっているのだろう。
「あ、はい。好きです。……わたしなんかが、おこがましいですよね。でも、刺繍だけは褒められたことがあるんです――お父様に」
それは余程嬉しい思い出なのだろう。エミリアは初めて嬉しそうに頬を染めて微笑んだ。
「……」
ベティーナはほんの少し目を細め、それからゆっくりと閉じた。短く息を吐き出す。
「……そう。そっくりね」
「え?」
「何でもないわ。それより、そろそろ日が暮れそうね」
窓から差す太陽は既に傾き始めていた。もう少しすれば空と湖が赤く染まり、昼間とはまた違った味わい深い風景を楽しませてくれることだろう。
「も……申し訳ございません。こんな時間までお世話になってしまって……! い、今すぐにお暇します!」
サッとエミリアが青ざめるとほぼ同時。ノックの音が響いた。入室を許可すると、使用人全体を取りまとめる初老の家令が姿を見せる。
「お話中に失礼致します。ヴィルマー様、フリッツ・アドヘルムと名乗る方がいらしています」
「アドヘルム? ……辺境伯の?」
一瞬誰だ、と思うほど面識のない相手に戸惑う。しかし、その戸惑いはエミリアがあげた声によって霧散した。
「……フリッツ様?」
「知り合いか?」
「は、はい。お父様どうしの付き合いがあって……幼馴染です」
「じゃあ、その男はあなたを探しに来たのね」
「そうなのか?」
家令に問えば、ゆっくりとした頷きが返ってきた。
「エミリア・ハーナウという少女を探しているとはっきり仰いました」
エミリアに視線を送ると、はっと何かを思い出したような顔になる。
「あ……別荘がお隣で、今日は晩餐に一家で招待されていたので……なかなか帰ってこないわたしを探してるのかもしれません……どうしましょう、なんてご迷惑を……!」
「いや、義姉たちの嫌がらせに遭っていたんだから、気に病むことはない」
「そうよ。卑屈になったって損しかしないわよ。あなたはもっと堂々となさい。世界は全て自分を中心に回っていると思うのよ!」
「そこまでいくのもどうかと思うぞ。姫は姫だからまだいいが」
「何よ、わたくしは世界が全て自分を中心に回っているなんて思ってないわよ? 本気でそこまで傲慢な考え方をしているのは……お父様や、お兄様ぐらいね」
「反論しづらいな……」
国王や第一王子が自分中心に世界が回っていると認識していると言いたいわけではない。だが、周囲の者たちを思うままに動かせる、ぐらいのことは思っていても驚かない。
「ヴィルマーはいちいちわたくしの言葉に噛みつかないと気がすまないの?」
「だって姫はボケ担当だろ?」
「何の話よ!」
訂正。ツッコミもきちんとこなしてくれるらしい。
話に区切り(?)がついたところで、「ともかく」とエミリアに向きなおる。一瞬だけ視線があったが、青紫色の瞳はすぐに俯き隠されてしまった。
「あんまり気にしないことだ、エミリア。もしも何か責められるようだったら、俺の名前を使ってくれていい」
「わたくしでもよくってよ!」
ベティーナが胸に手を当ててふふんと鼻を鳴らした。
「というか、わたくしの名前を使うべきね。このわたくしと言葉を交わしたなんて一生全世界に自慢できる慶事よ。あなたったらとんでもない幸運の持ち主ね?」
「見事な大言壮語にいっそ感動するな。そこまで自分のことを持ち上げられるのは姫ぐらいだろう」
「あら、感動だなんて。ヴィルマーもようやくわたくしのそばにいられる幸運に気づいたのね?」
「都合良く肯定的な単語だけ拾うな。あと、姫と一緒にいる自分がどれだけ幸運なのかなんてのは、ずっと前から気づいてる」
「……は、え……なな、な、何それどういう意味よっ?」
言語機能に異常を来したかのように、言葉を詰まらせるベティーナ。
予想していたような皮肉やツッコミではないヴィルマーの言葉に、照れて戸惑っているのが見て取れる。ほんのりと頬が染まっていた。
ヴィルマーは悪戯が成功したようににやりと笑う。
「さて、どういう意味だろうな? 物覚えの悪い姫には分からないだろうが」
「な――からかってるのね、ヴィルマー! 本当は幸運なんて欠片も思ってないでしょ!」
「思ってるよ、ちゃんと。俺はいつだって姫の前じゃ正直者だろ?」
「……何よ、それ。わたくしにここまで好き勝手言ってくるのなんて、ヴィルマーぐらいだわ、本当に」
唇を尖らした不満顔でベティーナはぷいっとそっぱを向いた。怒っているというよりは照れているのだろう。