01 我儘姫
*まだ前半部分しか書き終えていないですが、夏のお話なので、夏の内にキリの良いところまで更新します。
*以前投稿した同タイトル(短編)のリメイクであり続編でもあるお話ですが、このお話だけでも読めるようになっています。
その日、ブルメンタール王国第二王女ベティーナ姫はたいそうお怒りだった。
持ち上がりかけた縁談が、相手と顔を合わすことすらなく泡と消えたから――ではない。
「ありえないわ――本当にありえない!!」
「頭から湯気が出てるぞ。そうかっかするなよ。気に入った宝石がなかったくらいで」
王城の一室。
大きな窓が全て開け放たれ、夏らしい緑の青々しい香りをささやかな風が運んでくる中で、ヴィルマーは、いつの頃からかお決まりになったベティーナとのお茶の時間を過ごしていた。
機嫌の悪いベティーナは気安い口調で話す家臣にきっとまなじりをつり上げる。
「気に入った宝石がなかったくらい? くらいって、何なの? わたくしはこの国の王女よ。わたくしが命じたのなら、宝石だろうとドレスだろうと最高のものを、何をしてでも持ってくるべきじゃなくて? それなのに――何なのよ、あの質の悪さは!」
ベティーナが怒っているのは、呼び寄せた商人の品揃えの悪さに対してだった。
三日前に遠く西にある島国の王子との縁談話が消えたことなど、彼女の頭はもう覚えていないに違いない。
ただしそれはベティーナに限らない。ベティーナ姫の縁談話が煙のように消えていくのは、もはやこの城では日常茶飯事と言っていい。王城勤めの人間たちは「ああ、またか」程度に思っていることだろう。なんと嫌な日常か。もしも姫が成婚に至ったら、翌日は嵐が来ると誰も疑わないことだろう。
「――で、出入禁止にしたのか?」
昔から付き合いのあるヴィルマーはベティーナの剣幕に怖じ気づいた様子もなく、平然とティーカップに口をつけた。
「いいえ? でもお兄様に文句を言ったわ。ちょうどよくわたくしを訪ねてくださったから」
「ふうん。アルス殿下に――……は? アルス殿下に?」
「そう言っているじゃない。わたくしのお兄様は一人しかいないわよ。公式では」
ここブルメンタール王国では、正式に認められている王子はただ一人だけだ。他に庶子がいることは公然の秘密である。
「アルス殿下は何と?」
ベティーナはヴィルマーの問いには答えなかった。
不満げに眉根を寄せる。
「ヴィルマーってお兄様には敬意があるわよね。わたくしへの態度と違いすぎないかしら」
「気のせいじゃないか? 俺はきちんと敬意を込めて姫と呼んでいる」
「姫よりももっと敬いの意味を込めた呼び方があるわよね。様とか、お兄様のように殿下とか」
「ははは、ご勘弁を」
「軽い冗談を言われたみたいな態度やめてちょうだい!? わたくしは一言も冗談で言っていないのだけれど!」
ベティーナがティーカップを乱暴に置いたために、ガチャンと大きな音が響く。
「不作法だな、お姫様」
「ああ、なんてこと! それはそれで腹が立つなんて! やっぱり姫でいいわよ、姫で!」
「なんだ、ベティーナ姫殿下様っていう特盛りセットもまだあったのに」
「そこまで行くと逆に不敬よ! 馬鹿にされているようにしか思えないわ!!」
叫んだベティーナは喉を潤すために紅茶を一口含み、はあ、とため息を吐いた。
「まったく……ここまでこのわたくしを虚仮にするのはお兄様とあなたくらいよ。おかげで、宝石のことなんてどうでも良くなってしまったじゃない」
「アルス殿下にも何か言われたのか?」
ベティーナはじとりと恨みがましげにヴィルマーを見上げた。
「……綺麗なだけで中身がない人間は、飽きるって」
「そりゃまた手厳しいな。何言ったんだ?」
「別に……ただわたくしの嫁ぎ先探しが行き詰まっているようだって仰っていたから、わたくしはこんなに美しいのだから焦ることはないわって言ったのよ」
「なるほど、つまり姫の自業自得と」
「なんでそうなるのよ」
逆に、なんでそうならないんだ? そんな視線を送る。
「行き遅れすれすれな王女がのんびり自分の美を磨くことばかりに熱中していたら、文句の一つも言いたくなる。しかも縁談を滅茶苦茶にするのは、当の王女なんだからな」
ベティーナの縁談が浮かんでは消えを繰り返しているのは、ひとえにベティーナが様々な難癖をつけるせいである。
我儘王女であるベティーナの理想は高く、少しでも気に入らなければ自身の名を貶めるようなことをしてでも破談へと仕向けていた。
おかげで国内どころか周辺国でもベティーナの評判は芳しくなく、縁談に選ばれる相手は一歩一歩確実に彼女の理想から遠のいている。
ベティーナはヴィルマーの発言を鼻で笑った。
「馬鹿馬鹿しいわ。見た目が良くなくては、中身までは見てももらえないっていうのに」
自嘲めいた笑みに、ヴィルマーは返す言葉を迷った。
ベティーナは幼い頃、第三王女である妹姫に婚約者を奪われたことがある。
当時、暗く内気で俯いてばかりだったベティーナとは対照的に、社交的で明るく、表情がくるくると変わる愛らしい第三王女に、ベティーナの婚約者だった王子は一目惚れをしたのだ。
自分に自信がなく、美しく着飾ることを躊躇し、地味な装いをしていたベティーナに、王子は目もくれなかった。
いや、王子だけではない。あのときは、誰一人としてベティーナに注目している者は居なかった。――幼馴染としてそばにいたヴィルマー以外は。
王子と婚約を解消したベティーナは、とにかく美しさを追求するようになった。それなりに恵まれた容姿だけが、自分の才だと信じて。
その才が努力によって開花し、今現在確かに誰もが振り返る美姫に成長したわけだが、彼女のその美しさに称賛が集まったのはほんの一瞬。数度の破談と繰り返される散財によって、今は「美しいけれど、とんだ我儘姫」という評価が世の中心である。
「――……姫の場合は、中身を見られたら逆効果だろ。自信家で、我儘で、不器用なんだから」
少しの間を置いた返事を聞いて、ベティーナは自信たっぷりの笑顔を見せた。おどおどしていた幼少時が嘘のような堂々とした笑みだ。
「全部わたくしの魅力と言ってくれる方しか選ばないから問題ないわ」
「そんな王子はいない」
「……断言したわね」
「ああ、断言した。――だが確かに、姫の中身を知って手の平を返すような人間は俺も反対だな」
「え?」
意外なことを言われたというように、ベティーナがきょとんと目を瞬く。
そうしているといつもより少し幼く見えた。
「当然だろ? 俺だって姫の幸せを望んでるんだ。山ほどある欠点よりも、悔しさをバネにここまで美しくなれた努力を見てくれるような相手じゃないとな」
「は――――」
ぽかんと口を半開きにして固まったベティーナの頬に徐々に赤みが差していく。そして頬に叩いた紅よりも赤くなった頃合いで、彼女は今日一番大きな声をあげた。
「――はあああぁぁ!? な、なな、何よ、何言っているのよ、ヴィルマー!?」
「うわ、うるさ。どうしたんだよ急に」
「ああ、あなたが調子の狂うことを言うからでしょう!? 何? 何なの? う、美しいとか、努力とか、どの立ち位置で言っているのよ、あなたは!」
「立ち位置? 兄とか?」
「わたくしのお兄様は一人だけよ! 公式ではね!」
「なんでそんなに怒ってるんだ? 兄はダメなら、幼馴染か」
「幼馴染!? 幼馴染……そう、幼馴染ね。幼馴染だわ」
熱い鉄が冷や水を浴びせられたように、ベティーナの興奮はしゅんと収まったようだった。
机に置いていた扇子を手に、軽く仰ぐ。
「あなたが変なことを言うから、暑くなったじゃない。どうしてくれるのよ」
「侍女に仰いでもらっているくせして何言ってるんだか。暑いのは季節柄しようがない」
ベティーナのすぐ横には侍女が控えており、会話の最中ずっと扇子で扇がせていた。開け放たれた窓からもささやかながら風が吹き込んでくるが、厚ぼったいドレス姿では暑いのだろう。いや、汗をかいて化粧が崩れないための配慮かもしれない。
「季節……夏ね……」
扇いでいた扇子をはたと止める。
「そういえばハルデンベルク公は、いい避暑地を所有していたわよね」
ハルデンベルク公とは、ヴィルマーの父親のことだ。ヴィルマーは名門貴族ハルデンベルク公爵家の自由気ままな三男である。
「避暑地? そんなの王家だっていくらでも持ってるだろ?」
「でもわたくしは大方行き尽くしてしまったわ。お父様の夏のお庭以外はね」
「あれは避暑地というかなんというか……いや、うちの避暑地がどうかしたのか?」
国王陛下の夏の庭と称される優雅な意匠を凝らした城は、避暑よりも遊興を目的とした――要は愛妾を囲うための――場所だ。公然の秘密はあの場所から生まれる。文字通り。
「この間のお茶会で、ハルデンベルク公爵夫人に聞いたのよ。涼しげな湖が楽しめる避暑地があるんですって?」
「…………まあ、あることにはあるな」
子供が悪戯を思いついたようなにんまりとしたベティーナの笑みに、ヴィルマーは心なしか嫌な予感がした。
パチリと扇子を閉じたベティーナは、手の平を返してその先を優雅にヴィルマーに突き付ける。
「今年の避暑はそこにするわ。いいわね、ヴィルマー」
決定事項を告げるのは、有無を言わせぬ強い口調。この瞬間だけを絵に切り取ったら、頼れる王女様に見えることだろう。
その場合、ヴィルマーは大切な任務でも仰せつかった臣下だろうか。
くだらないことを考えながらヴィルマーは、我儘姫の命令に近い要求にしぶしぶながら首を縦に振った。