09 軟派撃退が遅い
“氷結のセナ”を名乗る冒険者は、S級でありながら迷宮攻略を免除された異色の“勇者”でした。
私はこの男が嫌いです。
組合の運営、兼用心棒として活動しており、私とアメリアも田舎から出てきて右も左も分からない頃はよくお世話になっています。
それに、人格者でもあり冒険者からの人望も厚く、眉目秀麗で街を歩けば黄色い歓声が上がる。そんな冒険者でした。
そういった好ましい部分があることも否めませんが、とにかくこいつが嫌いです。
長机を隔てて座る現在だって、嫌悪以外の何も感じません。
セナは静かにティーカップを口元に運び、含み、その上品な動作ですら苛立ちの要因になりました。
「……それで、いい話とはなんでしょうか」
「ううん、久々に会ったのだからもう少し楽しそうな顔をしていただきたいものだ、シエル嬢」
額に掌を当て仰々しく語る姿は戯曲の役者の如くで、端的に言って腹立たしい。
「聞いたよ。“白銀の牙”は解散だって? それは大変――」
「解散ではありません、降格です。まだ私とアメリアがいます」
「……失敬。まあ、そこで提案したいのだけれども」
そう言ってセナが胸元から取り出したのは、見取り図か地図か、そういった類のものでした。机に広げられた羊皮紙には入り組んだ線がいくつも走っており、一見して何を描いたものなのかを判別することはできません。
「……これは?」
「現在のロンド地下迷宮――かつて君達が攻略に失敗したダンジョンの見取り図さ」
セナはそう淡々と告げる。隣に座るアメリアがぴし、と固まる。
かつて、“白銀の牙”フルメンバーで挑み、そして単眼巨人に敗れた地。S級迷宮の一つでした。
「……ここまで三次元的な……複雑な構造ではなかったはずです」
「かつては、そうだったかもね。でも今は違う。迷宮の肥大化が進んでいるんだ」
迷宮が発生する起点は様々です。森林であったり洞窟であったり、人工的な建造物であったり。そうした空間が自然的な魔力過多により歪み、それがダンジョンになります。
そして原生生物が魔力にあてられて魔物になり、濃度の高まった魔力から魔力生物が具現化し、脅威が生まれる。
その脅威を速やかに排除できなかった場合、次なる脅威は迷宮内にある魔力が外部にあふれ出ることによる迷宮の肥大化でした。
周囲の自然を蝕んで迷宮の領域へと変換していく現象であり、それを食い止めるためには迷宮内の魔力濃度の高い魔物――迷宮の主を討伐することによる攻略以外の方法はありませんでした。
恐らくは、ロンド地下迷宮の主はあの単眼巨人です。しかし――
「この肥大化の速度は……いくらなんでも」
「そう、早すぎる。君達が敗北してからまだ一月も経っていない、にも関わらず、判明している部分だけでも倍近く肥大化している」
異例の事態でした。通常、肥大化の速度は微々たるものであって、一年を放置しようとこのようなことにはなり得ないはずです。
「……ロンド地下迷宮はS級迷宮だ。本来であれば、その攻略にはS級小隊でなければならない」
セナが再度ティーカップを舐めます。
「しかし、事態が事態だ。組合として、信頼できるA級以下の小隊、冒険者にも協力を要請してロンド地下迷宮の攻略に取り組んでもらう方針に決まった。そして、攻略に貢献した小隊には昇級に査定されるとも」
はあ、なるほど。大体把握しました。
「それで、“白銀の牙”――私達にも攻略に参加してもらいたいと?」
「そういうことになる。まあ、もちろん君達の意思は尊重するが」
当然やります。と口にする直前でした。
「――やる。やってやるわよ」
それよりも先にアメリアが、静かに、しかし力強く呟きました。
めら、と微かに再起の香る、そのような呟きです。
流石は、アメリア――最強の“勇者”の、その片鱗でした。
「流石はアメリア嬢。そう言ってくれると思っていたよ」
セナと意見が一致するのは複雑な気持ちではありますが、彼のアメリアに対する評価については間違いがないので、その点は好ましい部分でした。
「ただ、君達の小隊は二人だし危険なことはしなくても良い。肥大化が進む部分を食い止めてくれればそれで十分さ」
「攻略は他のS級小隊が担ってくれる」と続けます。
そして上体をこちらに伸ばす。あまりに自然な動作であったとはいえ、それを見逃したのは私の落ち度でした。
伸びた腕がそのままアメリアの手を掴み、セナが語らいます。
「……僕が一緒に行けばもっと深部までの攻略ができるけど、どうかな。シエル嬢の支援術と君の剣技があればきっとこんな迷宮余裕で踏破できるし、僕達も更に親睦を深め――」
素早く立ち上がり、頭頂部に掲げたメイスをまっすぐに振り下ろします。
どうしようもない瞬発力を発揮したセナは一瞬で腕を引っ込め、骨の代わりに長机が盛大に割れて木片が飛び散りました。
こいつの、好ましい部分を全部ひっくるめても釣りが返ってくる、このような最低最悪の部分が大嫌いでした。
「――おお、相変わらず恐ろしい! いいじゃないか、スキンシップくらい」
「アメリアに触れるな、と、何度言ったとお思いですか?」
「数えきれない程度には」
セナがへらへらと笑み、両手を振ります。
こいつの軟派な性格は明確に汚点と呼べるほどのもので、自然体で他人を口説こうとする恐ろしい青年でした。
特に、アメリアに対するアプローチは凄まじいもので、何度妨害しようと繰り返すさまは、農村で丹精込められた大地の恵みの味を覚えた猪――害獣そのものです。
「まあ、僕も行けたら行くから、気を付けなよ」などとのたまうセナはもう放っておきます。
「さ、もう行きましょう、アメリア」
「うん」
立ち上がった彼女の瞳には、なにか決意めいた炎が見えました。




