08 キレるにはまだ早い
「撤回しなさい」
なるべく負の感情を表に出さぬよう、毅然と言い放ちます。
「はァ?」
「今なら許しても良い。撤回し、謝罪しなさい」
「ちょっと、シエル……! 行こうってば」
アメリアが手を引きます、が、それを無視します。これは彼女の問題でもありました。
彼女は崇高な勇者であるのに、こいつらは嘲った。なので、嘗められっぱなしではいけませんでした。
「おいおい、俺を誰か知らねえのか。今一番S級に近い冒険者……“剛腕の戦士”イジャル様だぞ?」
「……知りませんが」
本当に知りません。最近成り上がった冒険者なのでしょうか、S級になれば組合との関わることもとんと減るので、現状については詳しく知りませんでした。
若干の気恥ずかしさでもあるのか、ぽりぽりと頭をかきながら、イジャルを名乗る大男は続けました。
「お前らのことは前々から気に入らなかったんだが……とんとん拍子でS級になっちまったツケがようやく回ってきたみたいだなァ」
ははあ、理解しました。
こいつらは単なるしようもない嫉妬心で突っかかってきただけのようでした。
自分たちがS級になれない劣等感で、S級から落ちてきたちょうどいいサンドバッグを叩きたいだけ。
ですが、それを実際に元S級に実行してしまうのは、あまりにも無謀であると思います。
深く、ひとつため息を吐きました。
「……仕方ないですね。撤回しないのであれば」
「どうするってんだよ、ただの“僧侶”が。あ?」
大男は両手を大にして挑発します。
彼の言うことも間違いはなく、ただの“僧侶”であれば荒事などできませんし、それこそ涙目で逃げ帰るだけでしょう。
ですが私は訓練を積んだ“僧侶”であり荒事も辞さない構えでしたので、そうした油断がある部分で彼はS級になれないのだろうと感じました。
かつ、と小気味いい破砕の音が鳴ります。
大男は一瞬だけけいれんし、そのまま沈黙して立ち尽くしました。
「! ちょ、ちょっとシエル!」
と、泣きそうな顔のアメリアがさっきよりも強く手を引きました。この場において、私の行動のすべてを知覚できたのは“勇者”である彼女くらいでした。
「……? おい、イジャル」
にやけ面を浮かべたままであった取り巻きうちの一人が、黙ったままの大男に不審に思ったか、肩を揺さぶりました。
そして、イジャルはそのまま後方に倒れる。
完全に重力に身を任せて、受け身もとらずに組合の床板を大きく揺らし、轟音を響かせました。口から泡だって吹いています。
「――は?! イジャル?!」
と、取り巻きが慌てて駆け寄ります。しかしイジャルは沈黙を貫いたまま。
罰を与える必要がありましたので、与えた。それだけのことでした。
向き直り、再度受付嬢に依頼の確認をしようとして、
「おい、テメェ! イジャルに何をしやがったっ?!」
などと取り巻きが騒ぎますので、再びため息を吐いて振り返りました。
「……なにか」
「なにか、じゃねえよ! お前がなンかしたからイジャルが――」
「見えましたか?」
と言うと、取り巻きは口を大きく開いたまま固まりました。平静を保ったままの私の態度にあっけにとられているのかもしれません。
そのまま何も話さなくなったので、仕方なく私が二の句を継げます。
「ですから、私が何かしたように見えましたか? 証拠は?」
「……っいや、おかしいだろ! 何もしてなかったら、こんな」
「よほど呑まれていたんですね。それこそ倒れるほど」
大の字に転がるイジャルに視線を戻します。
「見たところ外傷もなさそうですし……酒酔いには気を付けた方がいいですよ」
もちろん嘘だ。これはアルコールのせいではない。私がこいつの顎をブッ叩いてやったから気を失っただけだ。
あの一連の動作を知覚できた人間はアメリア以外にいないだろう。
腰からメイスを抜き放ち、その勢いで顎を砕き脳を揺らし、同時に傷だけは治癒術で治した。
ただ、それだけのことだった。
冒険者同士のいさかいはお互いに降格や資格はく奪のペナルティがある。
これが一番ちょうどいい落としどころである。と、思う。今にも泣き出しそうな顔をしているアメリアは、そうは思っていなさそうだったけれど。
「――ふっ……ふざけんな!」
「待ちたまえ」
と、こちらに飛び掛かるほどの勢いのあった取り巻きが、組合の奥から聞こえてきた声で静止します。
聞き覚えのある、老紳士のように低く落ち着き払った、だけど嫌いな声でした。
いつの間にか開いていた奥の扉から躍り出るように現れたのは、細身長身の青年です。名を、“凍結の勇者セナ”といいます。かつてのアメリアと同格のS級冒険者でした。
令嬢と見紛う長髪を手で払いながら、切れ長の瞳でこちらを見据えました。
「――矛を収めたまえ。この組合内でトラブルは許さない」
と、キザったらしく額に掌を添えながら言います。
「……で、でもよ、セナさん。こいつらがイジャルに何か」
「ボクの目からも、彼女が何かをしたようには見えなかった」
こいつも私と同じで嘘つきです。“勇者”に見えなかったはずがない。助け舟を出したつもりなのでしょうが、それが逆に不快でした。
「……今日のところは、出直すといい。イジャル君も安静にさせておきなさい」
「は、はあ」
セナの一言で、納得のいかないようではありましたが、取り巻きはイジャルを抱えて組合を後にしました。
それを見送ってから、セナがこちらに歩み寄ります。それで、アメリアが私の陰に隠れる。
「それで何かお困りのようだね、シエル嬢、アメリア嬢」
「……どうもセナさん。ですが、私たちは別に困ってなど――」
「S級に、戻りたいんだろう? きっとそうだ」
「…………」
正解ではあるのですが、この言い当てられる感覚は、私がこの男が嫌いである要因の一つでした。
「なら、いい話があるんだ。ささ、奥へ行こう」
セナがぱち、と指を鳴らす。すると受付嬢がまた慌てたように立ち上がり「あっ、こ、こちらです!」と案内を始める。
こいつの口車に乗るのもしゃくですが、今はアメリアの夢を叶えるのが先決でしたので、奥歯を噛みながら案内の後に続きました。




