03 過去編やるのはまだ早い
「ぜったい、約束だよっ! ふたりで最強の冒険者になるんだからね!」
記憶をたどれば、はじまりはここからだった。
八歳のとき、与えられた加護が判明する日。
私が“勇者”で、シエルが“僧侶”。
夢のようだった。
あの絵物語の世界――心躍る冒険の世界が、手に届く範囲にあるのだ。
そして、その主役は私なのだ。
“勇者”はぜったい、物語の主役なのだから。
「――うん。アメリアならなれるよ。最強の冒険者に」
「なに言ってるのよ! ふたりで、でしょ!」
目を細めて笑う。年齢に見合わない、大人びた雰囲気の少女だった。
聡明で誰からも好かれて、私も大好きだった。
冒険ごっこにも付き合ってくれるし、私の夢を馬鹿にもしなかった。
ひとりっ子だった私にとって、彼女は仲のいい姉妹のようなものだった。
こんな小さな村では住民みんなが家族みたいなものだし、あながち間違いでもなかったが。
「それでね、お母さん。シエルの治癒術がすごいんだよ?! ほんと、一瞬で擦り傷が消えて――」
「はい、はい。シエルちゃんのことになると、途端におしゃべりになるんだから」
食卓を囲むのは、私、ママ、シエル――彼女の両親は冒険者で家を空けることが多かったから、よく私の家に泊まりに来ていた。
「ちょっと、お母さん……! 恥ずかしいから」
「ふふ、いつもは『ママ、ママ』ってべったりなのに、シエルちゃんの前でだけ背伸びして――」
「お母さんっ!」
顔が熱くなるのを感じる。
私はシエルのお姉さんになりたかった。賢いけど、どこかぼーっとしていて、いつも眠たげな垂れ目が愛らしくて、そんな妹が欲しかった。
シエルがまた目を細めた。
「別に、お母様想いなのは良いことじゃないですか」
「……そういう問題じゃないの。私は“勇者”だから」
「ふふ。そうですね」
キノコのホワイトシチューを木のスプーンですくいながら、優しげに微笑む。
私はこの時間が大好きだった。
◆
「お、アンタが隊員募集中の勇者? オレは戦士のボルガって者だ」
「アンタじゃなくてアメリアよ。それで、こっちは――」
「僧侶のシエルです。よろしくお願いします」
「ああ、よろしく……って、二人だけか……他の役職も集めないと、だな――」
――――――――――――――――――
「――助かったよ、ありがとう。君達が通りかからなかったら死んでたね」
「ええ、人助けなんて“勇者”なら当然のことだけどね! それで、あなたは魔術師みたいだけど――」
「ああ、魔術師のイヲ。それで君達は」
「駆け出しの隊、“白銀の牙”です。私は僧侶のシエル。……魔術師なのでしたら、よかったら力を貸していただきたく――」
―――――――――――――――――――
「――あなたが弓の名手のロウカク?」
「ああ? 誰だよオメー。忙しいんだ、さっさとどっか行け」
「……ねえ、シエル。こいつはいらないんじゃない?」
「いえ、きっとアメリアの――私達の役に立ってくれるはずですよ」
「…………いきなり失礼だな、オメーら」
――――――――――――――――――――
「――見て、シエル! この号外、『“白銀の牙”大活躍――シシド山脈迷宮攻略達成!』って……」
「わあ、素晴らしいですね。こんな大々的な宣伝、どうして……」
「……もしかしてよぉ、シエル」
「コホン。ボルガさん?」
「…………」
―――――――――――――――――――
「……せ、“閃光の勇者アメリア”、って……これ……号外に……」
「ぶはっ! 随分とイカす二つ名だな、オメー! 誰が考えて――」
「ちょっと、ロウカク……!」
「ンだよ、イヲ――あ、シエル。すまん……そんな顔すンなよ」
―――――――――――――――――――
「つ、ついに俺達もS級隊か……緊張してきた」
「図体はデカいのに肝は小さいのね、ボルグ」
「うるせえやい! 王族に謁見するとか、まじ、無理だって……」
「ほら、シエルを見習いなさい? あの娘、鼻歌すら歌ってたわよ」
「あいつは胆力がありすぎるんだよ……大物すぎる――」
―――――――――――――――――――
「――さっすがに、S級の迷宮はツラいなあ。もう魔力切れだ。シエル、回復頼める?」
「はい、すぐに――」
「……しかし、シエルはすげえな。指示も的確だし、支援術の腕前も一流だ」
「…………ええ、もちろん。“勇者”である私の妹分だもの。私と同じで、最強じゃなきゃダメよ」
「何だよ、妙にトゲが――あ、もしかして嫉妬してんのか?! おこちゃまめ!」
「――! ち、違うっ! そんな訳ないじゃない。私は“勇者”よ?!」
「……それ、関係あんのか?」
―――――――――――――――――――
「――おい。あれ、“白銀の牙”だ――」
「――……“閃光の勇者アメリア”と――」
「――あいつが、裏頭領の“僧侶シエル”……ただの僧侶に見えるけどなあ」
「いや、あいつが一番ヤバいんだとよ。治癒も支援も戦闘も何でもできる。まるで“勇者”みたいだって――」
「おーおー。噂されてンなあ。オレ達も有名になったもンだ」
「…………そうね」
「ふふ。裏頭領ですって、シエル」
「いえ、そんなつもりは毛頭ないんですけどね」
シエルが私の手を取る。
「頭領は、“閃光の勇者アメリア”を置いて他にいませんよ」
「…………そうね」
―――――――――――――――――――
「――次の攻略の陣形はボルグさんが盾役で、イヲさんが背後から――」
つまんない。
「――と、いう感じでどうでしょうか、アメリア?」
「…………そうね」
「そうね、ってオメー……まじめに聞いてたか?」
「……別に、陣形なんてどうでもいいじゃない。私が突っ込んで、全滅させちゃえばいいのよ」
「できる訳ねえだろ。なあ、最近すこし変じゃないか? 疲れてるんだったら休んだ方が――」
「っ変じゃない!」
机に掌を叩きつけて立ち上がる。
みんなが目を見開いている。
「私っ――私は、“勇者”よ?! 私ができるって言ったら、できるの!」
「ねえ、なんで拗ねてるのか知らないけど、一度落ち着いて――」
うるさい。うるさいなあ。なんでみんな私に意見するんだろう。
私が“勇者”なのに、みんなシエルの言うことばかり聞いて。
「とにかく、次の攻略は私が前衛に出る。決定事項だからね!」
―――――――――――――――――――
「――アメリア、これ以上は危険です! いったん退いて態勢を――」
暗い迷宮の、戦闘の最中でさえよく通る鈴のような声だ。何かを叫んでる。
眼前に立つ単眼巨人は未だ健在。私の身の丈の三倍は大きい。丸太ほどはある棍棒を振り回す、強敵だ。
S級・ロンド地下迷宮の最下層通路はこいつに阻まれ、完全攻略の目前で足踏みしていた。
もうすぐ支援術の効果も切れる。それだけ長い時間を戦っている。
頭では分かっていた。退却すべきだ。
シエルの支援術なしでは、こいつに勝てない――
――勝てない?
――なんで?
――私は“勇者”なのに?
剣の柄を握る手に、痛いほど力がこもる。
“勇者”の剣はすべての敵を斬って、仲間を守るために振るわなければいけない。
それができなければ、“勇者”じゃない。
「……私は、“勇者”なんだ」
“僧侶”とは違う。もちろん“戦士”とも“魔術師”とも“弓手”とも違う。
誰もが憧れて、誰もが目指して、そして私の手の届く範囲にあった。
だから、私はそうじゃなきゃいけない。
世界最強の“勇者”がシエルを――パーティを率いて、守っていかなくてはならない。
雄叫びで自身を鼓舞する。
それで鈴の声は聞こえなくなる。
単眼巨人の外皮は硬い、が、全力の踏み込みであれば斬れると直感していた。
だから渾身の力で石畳を蹴りつけ、その加速に身を任せたまま上段に刃を構える。
距離は一気に縮み、一呼吸の間もなく接触。
振り下ろし、袈裟切りにする。
そのはずだった。
確かに、斬れると思っていた。なのに切っ先は筋肉に埋まり動かない。
支援術が切れていた。
それに気づくのが遅かった。
横合いに振られた棍棒が私の横腹に直撃し、通路を四、五回転がってから壁面に激突する。
頭をしたたかに打ちつけて、ぬめり、と血が溢れた。
(――なんで)
私は“勇者”なのに。
辛うじて離さなかった剣の刃は、腹から真っ二つにぽっきり折れている。
這いつくばったまま見上げると、振り上げられた丸太が映った。
「【最上位筋力増強】【最上位魔力増強】【最上位外皮増強】【最上位自然回復】」
風が吹いた。
私を打って砕く、はずだった棍棒がその動作の途中で静止している。
単眼巨人と私の間に誰かいる。
シエル――が、その一撃を受け止めていた。
彼女が手にするのは僧侶用の護身武器であるメイス――指先から肘先くらいまでの長さしかない、単なる鉄の棒と変わらないそれで、何倍もの質量を防いでいる。
しかし腕は小刻みに震え、長くはもたないであろうことも分かった。
肩で息をしている。深呼吸をして肺を膨らませ、そのままむせて咳をした。
「けほ、こほっ。……流石に、最上位支援術の重ね掛けは、きついですね……」
「――シエル……ッ!」
「大丈夫ですよ。私が守ります」
違う。そうじゃない。
何で“勇者”が“僧侶”に守られている。
「――イヲさん、ロウカクさんっ! 目を狙ってください、撹乱を! ボルグさんは殿をお願いします!」
その号令に皆が応じる。統制のとれた攻勢。
小隊の中心にはいつもシエルがいた。
「“勇者”だから、って無茶しすぎですよ」
いつも通りの優しい声音だ。もっと怒ったっていいだろうに。
注意がこちらから逸れ、シエルが私を背に抱えて駆けだす。
パーティを率いて守っていく。
シエルの方がよほど、絵物語の――
意識はそこで途絶える。
夢は潰えた。




