6:三角形
しばらく長い沈黙が続く。梓の携帯が何度も着信を知らせた。その度に梓はため息を吐く。それもそのはず。今までメールを送っても返ってこなかった相手から、急に、数分に一通の割合でどんどんメールが届いたら、誰だって戸惑うだろう。そんな梓を見ながら、この状況を打破するためになんとかしたかった。役に立ちたかった。でも、どうしていいか分からなかった。
夜空を見上げると、雲の合間から何千、何万と輝く星達が、俺たちを見守っている。夏の大三角形や冬の大三角形みたいに、春にも大三角形見られないのかな……。どうでもいいことだけど、なんとなく知りたくなった。後で調べておこう。何かに役立つかもしれないし。
その時だった。俺の頭の中にある細い神経と神経が繋がったかのような感じがした。
俺と、梓と、大。
三角形だ。
違うか。何考えてんだろ、俺。別に何とも思ってないのに。ましてや幼なじみだし。 でも……本当にただの幼なじみなのかな?
なんだか高校時代にやり残したことを思い出せそうな気がしたが、気のせいだろう、きっと。
ふうと一息つき、携帯電話を取り出した。それを開き、『春の大三角形』を検索してみる。検索画面に『春の大三角形』と打ち、検索ボタンを押した。検索結果を見ると、二千件ほど出てきた。意外と関連性のある記事が多い。一番上に表示されたページにちょうど良い記事が載っていたので、これを梓に見せてみた。現状打破のための秘策。とりあえず話題を変える。
「梓っ! これ見てよっ!」
「えっ、あっ、びっくりしたぁ……何?」
しばらくお互い黙り込んでいたのもあって、ビクッと飛び跳ねるような梓。梓はそのまま俺の携帯電話の画面を覗きこんだ。それと同時に、俺はすぐに小さい子供が嬉しそうに自分の描いた絵を説明しているかのように語り始めた。
「春の大三角形。ほら、夏の大三角形とか冬の大三角形は有名だろ? 春にも同じように、大三角形があるんだ」
梓も現実から目を逸らせたいのか興味津々で文章を読んでいる。作戦成功。とりあえず連絡地獄から少しでも気を紛らわせることに成功したみたいだ。膝に肘をついて頬杖をつく梓の息が携帯電話を持っている手に吹きかかりそうで、この微妙な距離感を頑張って平常心を保つことに集中する。
「東の空を見上げると、獅子座のデネボラ・乙女座のスピカ・牛飼い座のアークトゥルスの三つの星で、出来てるんだなぁ」
そうやって文字列を追っていく俺の顔は、文字を追うごとに梓の顔に近づいていく。距離がどんどん近づいてくる。体温を感じるほど近づくと流石にまずいので、うまくそれをかわすように読んでいく。梓の後ろ髪が当たるだけでどうしようもなく手が震えそうになる。
「へぇ。いつか見てみたいなぁ」
梓が不意にそんな事言うから、思わず口から言葉がこぼれた。
「じゃあ行こうよ! あそこに登ったら、少しは夜空に近づけるかもしれない!」
俺はさっきまで隠れていた部室を指差した。夜空に近づけるなんて、なんでそんなファンタジックな言葉を口にできたのだろう。数秒前の自分が恥ずかしくなってくる。なぜ言ってしまったんだろう。ちょっと後悔している。
「え? 今?」
「うん。今!」
ええい、こうなったら勢いに身を任せるしかない。俺は梓のセーラー服の袖を掴んで、部室まで連れていこうとした。俺の視線はまっすぐに部室の方へ向いていたから、梓が見えていなかったが、きっと焦ったと思う。急にそんな事されるとは、まさか思わなかっただろう。自分自身でもなんでこんなことをしているのかわからないから。
中庭から部室までは校舎の横を抜けてグラウンドの方向へ行く必要がある。できればもっと高いところ、例えば屋上なんかに行ければもっとロマンティックだったのかもしれないが、今すぐ行ける精一杯高いところと言えば部室の二階だった。まっすぐ部室まで目線を伸ばすが、その道中、丸っこいシルエットが視線に入ってきた。
「おっと、お二人さん、どちらまで?」
ハナケンだ。またもや、ハナケンだ。この状況でハナケンは……まずいな。変なちょっかいかけられたら面倒くさい事になってしまう。なにか良い言い訳はないものか。いや、でもここで変に嘘をついて言い訳しても後々面倒なことになりかねない。とっさの嘘がつけない性格がこんなところで障害になってしまうなんて。
とにかく梓に元気をだしてもらいたいから? だったらみんなとワイワイすればいい。
部室の方に忘れ物をしたから? 俺がいつ部活に加入したんだ。しかもこの時間に職員室に鍵を取りに行っても誰もいない。
俺は諦めて白状することにした。
「あぁ、ちょっと梓と部室行ってくるんだけど」
なんとか冷静に振り切ろうとしたが、ハナケンの絡みからはやっぱりそう簡単には逃げられなかった。
「おっと、部室ですか。へーそうなんだふーん?」
ハナケンがニヤけた。ハナケンの後ろにも、何人かニヤけている。まぁ、予想通りではあるが。
「なんでもないから。別になんでもないから。何にもないから! ね、梓!」
「うん、ないない。あれだよほら、さっきまで部室にいて、落とし物しちゃったみたいで。ね、潤くん!」
「そうそう、そういうこと!」
いや、まずいよ梓。変に言い訳しちゃダメなのに。
「もう、詰めが甘いなぁ」
「うるせっ!」
俺はハナケンや後ろのクラスメイトたちからの視線を浴びながら、梓と逃げるように部室の方へ向かった。その途中で梓が一言。
「別に部室じゃなくても星見えるよね……」
「それ言っちゃう?」
進みだしたら止まらない。それが青春なんだ。と、言い訳しながら校舎の横を抜け、部室に近づいていく。部室に近づくに連れて、バカ騒ぎしているクラスメイト達とは対称的に、涼しげな静けさが漂ってきた。