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29:卒業式


 急激に静かになる教室。冷めた雰囲気の中、担任の先生が話し始めた。


「みんな、卒業おめでとう。今日は最後の晴れ舞台になるから、くれぐれも調子に乗って騒ぎ立てたり他人に迷惑をかけることが無いよう注意するように。いいね?」


 そう先生が睨みを効かせたのは、ハナケンをはじめとしてさっき呼び出しを食らった連中。そしてついでに俺まで。いや、俺は何もしないししてませんから!


「でだ、あと三十分で君たちの卒業式が始まる。今から配るのを自分の制服の胸のところにつけてくれ」


 そう言うと、花にリボンがついたようなものが配られた。いかにも人工だと分かるプラスチック製の花で、リボンには多分筆ペンで書かれたであろう文字で『第七十二期 卒業生』と書かれている。その意外と長い歴史とチャチい胸の飾りがアンバランスで苦笑していると、また先生が睨みを効かせてきた。


「みんな付けたかぁ? 付けたら廊下に出席番号順で並んでくれ」


 ざわざわとしながら、ぞろぞろと廊下に出ると、出席番号順に呼ばれ、そのまま一列に並ばされた。

 俺は神崎だから、前から六番目。ちなみに梓は上岡だから、四番目。

 前に立っている内原が邪魔であまり見えないが、トレードマークのポニーテールが時折、春風に揺れているのが見え、引き寄せられるような気持ちになった。

 梓はその前の井藤さんと微笑みながら話している。


 井藤さんはいかにも『文学少女』って感じで、いつも休み時間には小説を読んでいる。

 二年生の時には、生徒会に入っていて、生徒会新聞を締め切りギリギリまで忘れていたと言うのに、三分で完成させたと言う伝説を残している。眼鏡をかけていて、いつもスカートは折り曲げたりせず、膝下までちゃんと伸ばしてある。しかし今日はそのスカートが膝上まで微妙に上がっている。とうとう井藤さんも色気づいたのかな?


 なんていらない想像を膨らませていると、後ろの木下の指が、俺の肩を何回もつついた。


「潤、前」


 木下に言われた通り前を見ると、さっきまでいた出席番号五番までの人の姿が見当たらなかった。おかしいな、さっきまでいたのに。俺が見ていたのは何だったのか。それとも単に見ていたと錯覚していただけだったか。とにかくぼぉっとしていたのは確かだ。


「あれっ、みんなは?」


「もう体育館に向かってるよ」


 またぼぉっとして周りを見ていなかった。俺より前に並んでいた人はみんな先に行ってしまっていた。ちょっと一言くらいかけてくれれば良かったのに。ま、後ろの木下はひと言くれたけど。


「早く進んでくれないとオレらが進めないんですけど」


 鼻で笑う木下。すごく嫌味たらしいが、さすがに今回は俺が悪いので、反論の余地はない。


「ごめんごめん。今から進むから。許して!」


 俺は小学生みたいに小走りで廊下を勢いよく下った。とにかく木下からあんなふうに言われたくないという思いでいっぱいで、それだけが原動力になった。

 やっと前の内原が見えたと思ったら、もう体育館のすぐ側だった。体育館の外で待っていた卒業生の親や家族と思われる淡い色のスーツ姿の方々を横目に、体育館に近づいていく。


 体育館に近づけば近づくほど、厳粛な雰囲気に包まれそうになった。体育館内では、二年生の主任である岩内先生らしき声が響き渡っているのが分かった。きっと最後に注意事項を確認している最中なのだろうと思う。


 やがて、吹奏楽部の演奏が始まった。曲名は分からないが、卒業式にピッタリな静かで雅で華やかな曲。ああ、もうすぐ卒業式なんだなという意識が芽生えてくる。


「卒業生、入場」


 岩内先生の声だ。その声と同時に、拍手が鳴り始める。

 まずは俺ら三年A組から入場しはじめた。拍手に包まれながら体育館の真ん中に敷いてあるレッドカーペットをゆっくり進んで、自分の席に座る。それをF組まで繰り返すと、流石に疲れたのか、拍手が徐々に小さくなっていくのが分かった。

 全員が揃ったところで教頭先生が開会宣言をして、その後、国歌・校歌斉唱に移った。


 スクールカーストの頂点にいるようなチャラい奴らがふざけて絶叫に近い歌声を披露し、ざわざわの中にクスクスが入り交じる中、残りの七割の生徒の歌声と、三割の聞いていられないような音痴な歌声が混ざって、結果として不思議な国歌・校歌斉唱になった。


 それが終わると、卒業証書授与が始まった。ステージの真ん中へと続く階段を、赤嶺が登っていく。校長と一礼を交わし、卒業証書が授与された。その後も朝倉、井藤と続き、梓の番になった。


「上岡、梓」


「はい」


 ゆっくりと階段を登る梓は、もう少しで溢れだしそうなほど、下瞼に涙を浮かばせていた。卒業証書が授与されて、ステージ横の階段をゆっくりと下りて自分の席に帰ってくる頃には、もう涙はこぼれてしまっていた。

 梓ほどになると泣いても絵になる。梓の涙に誘われてか、近くに座っている女子も静かに泣き始めた。卒業にあまりそれほど関心がないせいか、俺はどうして泣くのかさっぱり分からなかったが、とにかく女子っていうのは感受性豊かで逆に羨ましいなぁとさえ思う。


 しばらく感心していると、辺りが徐々にざわめき始めた。いや、これまでもずっとざわざわしていたけど、それとはまた違うような感じ。しかも、なぜかみんな俺をちら見してくる。


「……神崎くん?」


 真ん中のレッドカーペット側の一番はしっこに座っている西岡さんが、昨日俺の肩を叩いたときのように、俺のズボンのポケット辺りを軽く叩いた。びっくりして西岡さんの方を向くと、昨日ハナケンを指さしたように、ステージの方をさした。ステージの方を見ると、校長が苦笑いで俺の方を見ていた。


「あ、やばっ」


 辺りのざわめきは、俺が名前を呼ばれているのに気付いていなかったせいだと言うのがたった今分かった。クスクス笑いが目立つ。顔を赤らめながら担任を見ると、やっぱり苦笑いをうかべながらため息を吐いていた。いやぁ、恥ずかしい。


「神崎、潤」


「はい」


 校長の前まで進むと、皆と同じように卒業証書を受け取り、皆と同じように横の階段をゆっくりと下りて、自分の席に座った。

 皆と同じ俺。ちょうどあの、あの魚のあれだ。小学校の頃、国語で習ったあれ。皆の中にいる俺は、まるでその魚。集団になって安心しているあの魚だ。特に何の変哲もない。この卒業証書だって、苦労してとったわけじゃなくて、なんとなく取れていたもの。こんなので本当に良いだろうか。


 黒い制服に包まれた魚の中にいるが、ふと梓が目に入った。

 梓はやっぱり黒の中でも紅一点で、頬も鼻頭も赤く染まっている。

 やっぱり特別なんだな、梓って。

 ていうより見過ぎかも。


 わざと目線をステージに移すと、坂木がちょうど卒業証書を受け取り終わったところだった。

 坂木が下りてくるのを見ていると、坂木と目が合った。坂木は目が合ったとたんにニヤけて、声を出さずにわざとらしく笑う仕草をした。

 それを見ていたのか、その何人か後に高橋が同じような仕草をし、ハナケンも同じような仕草をした。

 最後の最後にこんな場面でネタにされて笑われるとは思ってもみなかった。

 これは将来、同窓会でネタにされること間違いないだろう。


 最後にF組の若林くんが卒業証書を授与されて、自分の席に座るのを見計らって、岩内先生が次に移った。


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