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26:秘密


 それは思いもしなかった内容だった。


「えっと……合格おめでとうございます。と共に、貴女は今回、本校主催の『海外コミュニケーション強化プロジェクト』に、その内の1人である推薦留学者に選ばれましたことをご報告いたします。日時・日程・場所は以下の通りです……って、すごいじゃん! やったな梓! 海外留学ってやつだろ? これ。……すごいなぁ。海外留学かぁ。しかもこれ、研修前に雰囲気を味うために旅行も行けるじゃん! すごいなぁ、さっすが梓」


 しっかり褒め称えたつもりだったが、梓の顔にはいつもの笑顔がない。その顔は、どこか寂しげで、こっちが心配になるほどだ。


「その次の行、読んでみて」


 梓に言われるままに、次の行を読み上げる。


「集合、二時。集合場所、紅葉国際空港Aゲート前。集合日時、三月一日。……えっ、今日!? 三月一日って、今日じゃん!」


 要するに、梓は今日の昼過ぎまでしか日本にいられないって事だ。ここから空港まで遠いこともないが、でもこれは卒業式のいろいろな行事が終わってすぐに空港に向かわないといけないくらい忙しい。俺らみたいに卒業に浸っている暇も、その後みんなでなにか食べながらああでもないこうでもないと話す暇もない。と、同時に事態を完璧に理解した。あと数時間しか、俺は梓と一緒にいられないということだ。そう思うと急に時間が流れるのが早くなってくる。ちらっと見た時計も思ったよりも先を進んでいる。いけない、これでは本当に一瞬で梓との時間が終わってしまう。でもどうすることも出来ない無力感。なんでこんなに残酷なんだ。


「で、この飛行機はどこに到着なん?」

「裏、見てみて」


 俺は急いで裏返して、到着場所と予定時間を探した。上から一文字も逃さないように探していくと、『カリフォルニア州・ロサンゼルス』と書かれていて、到着予定時刻は八時四十分と書いてある。


「な、なんで言ってくれなかったんだよ!」

「ごめん……言いづらくて。なかなか言う機会なくてさ」


 気持ちは分かるが、正直寂しい思いもする。行ってしまう寂しさもそうだが、言ってくれなかったことに対して寂しいと思ってしまった。


「いつわかったんだよ、これ」


「本当はね、ひと月前から分かってたの。合格発表のときにはもう分かってて。正直行きたいし、それに私が選ばれた事自体も嬉しいし、お母さんもお父さんもすっごく喜んでくれて。でも友達とかと離れ離れになるなって思ったらすっごく寂しくなって。本当は、いつものメンバーで一緒に通おうねって約束までしてて。だから裏切るみたいになったら嫌だなって思って、全然言い出せなかったんだ」


 そっか、としか言い返せない。

 梓も、うん、としか答えられず、少しの間が空いた。


 梓に行ってもらったら困る。

 本当はそう言いたかった。

 でも言い出せなかった。

 今言われても、きっと梓も困るだけだろう。

 

 急に体中から熱が抜けていく感覚に陥った。

 違う街に行くならまだしも、梓はこれからとんでもなく遠くに行ってしまうんだ。

 もう俺の近くにはいないっていうのはなんとなく頭では理解していたけど、これは予想外。

 留学っていう言葉は知ってはいるけど、自分とはあまりにも関係ない世界だと思っていて、実際にそんな人がいるのかっていうくらい、テレビの中の世界だと思っていた。

 でも違った。

 梓は明日から居なくなってしまう。それは存在が消滅するような、死にも似た感覚。

 明日からは遠くに居て、確かにいるだろうけど、存在はするだろうけど、それでも俺の中では消えちゃうのと同じで。

 冷え性の人ってこんな感じなのだろうかと思うくらい、指先が冷えてきたような気がした。


「なんか……すごい急だな。頑張って来いよ」


 今のはちょっぴり冷たかったかな。本当はもっとかっこいい言葉をかけるのがいいのかもしれないけど、俺の国語力ではもう後が続かなかった。


「うん……」


 やっぱりもう少し気の利いたことを言えば良かったか。少し後悔した。


「いつ帰国する予定?」


「地元に帰ってくるのは……多分、来年かな。詳しくはまだ分かんないけど、延長することもできるし本科にも入ることができるから、そうなるともっと帰ってこられなくなるね」


 梓はアハッと笑って見せた。本心からの笑顔ではないことはすぐにわかった。無理して笑顔を作ってくれている。


「来年。しかも延長もあり、か……」


 留学って言っても、一週間くらいなのかと思ってた。

 いや普通高校卒業してすぐなら旅行気分でホームステイとか、そういうのじゃないのか。

 でもさすがに外国語に力を入れている大学、提携とかしているはずだから、本科への移行とかもすんなり通るのだろうか。

 短期じゃなくて、本気の長期留学。一年間だったらまだしも、それ以上になってしまったら、その間に俺の存在なんか遠い存在になってしまうじゃないか。途端に焦りを感じ、冷や汗をかいた。 


「それ、今から取り消しってできんのん?」


「だって今日出発だしね……それはなかなか難しいかもね」


「そっか。だからあの時……」


 俺の中で次々と不明だった部分が繋がった。昨日見た大量の段ボール箱も、すれ違った引っ越し屋のトラックも、梓からの「今日しかない」の一言も、全てはこの事だったんだ。俺もつくづく鈍感だったな、と気付いた。後ろめたさからか、床を見ながらチラチラと俺の方を見る梓を見ながら、後悔の念が後をたたなかった。CDも、きっと留学中寂しくないように好きな曲を買いに行きたかったに違いない。だったらあの時、CD店にいたチンピラなんか蹴り飛ばせば良かったんだ。そうだ。卒業式が終わったら、真っ先に梓のためにCDを買いに行こう。


「なぁ、昨日の夜、CD店に行った時、買いたいCDがあったんだろ? 何買おうと思ってたん?」


「ああ、えっとね、KAIの新曲が出たじゃん? あの卒業していく女の子の歌。昨日の夜に一緒にラジオ聞いた時の曲。あれが無性に聴きたくなってさ。なんか私と似てる境遇だったし。えっと……ノスタル……」


「ノスタルジック・メモリー」


「そうそれ。それの二番の歌詞も気になっちゃってね。ほら、一番しか歌わなかったじゃない? それとも、一番だけしかないのかな」


 確かにあの時、ラジオではKAIは一番しか歌わなかった。まぁ普通の音楽番組でもめったに二番を歌うことはないから、その時は不思議には思わなかった。しかし、改めてそう言われると、急に二番が聴いてみたくなった。あの純粋な気持ちを歌った一番の歌詞と比べて、二番はどんな歌詞なんだろう。そして、歌の中の世界の二人は、どうなったのだろう。超長編小説の上巻を読み終え、まだ発売していない下巻に描かれている続きの部分が無性に気になるのと同じ気持ちだった。


「じゃあ、俺が留学祝いにプレゼントするよ」

「えっ、いや、そんなつもりで言ったんじゃないから! ちょっと興味があっただけだから」

「いいの、いいの。卒業式終わったらちょっとは時間あるだろ?」

「まぁ……ちょっとなら余裕あるけど」


 梓はチラチラと窓の外を見た。


「じゃあその時に一緒に買いに行こうで! なっ?」

「でも……なんか悪いなぁ」


 またチラチラと窓の外を見た。そんなに気になるもんでもあるのか?


「気にすんなって」


 実は、正直、来年から大学生と言うことでお小遣い制が無くなり、その上バイトもしていない俺の手元には、ほとんど余裕なんてなかった。でも、なにか残しておきたかった。何か残しておかないと、きっと梓は俺の事なんて忘れてしまうだろとさえ思っていた。なんでもいい。形に残して、せめて懐かしい思い出の中の一部だけでもいいから、俺のことを覚えていて欲しい。


 でも、なんで今の俺はこんなに必死なんだ? ちょっと考えすぎたかな。と、財布の中身をチェックしながら、とっさに平静さを取り戻そうとする。


 “ノスタルジック・メモリー”……懐かしい思い出……か。

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