23:呼び出し
遠くの方から近づいてくる真っ黒の塊。みんなの制服が重なって、ひとつの大きな塊のように見える。そういえばそんな感じの話を小学生の時に聞いたことがあるような。何だったかは忘れたが。
靴箱でクラスメイトを出迎えるようにして待っていると、昨日の前夜プチパーティにいた何人かの姿があった。最後だし明るく迎えようとしたが、どうやらグッタリと疲れ切っているようで、なんだか肩も前側に曲がっていて人類と言うより類人猿のようだ。まさかあの前夜プチパーティ、朝までやってたんじゃないだろうな。ぐったりした様子からそこまで想像を膨らませた。
「あ、潤おはよう」
近い距離まで詰めてくるとよくわかるが、そいつら全員明らかに隈ができている。徹夜でもしたか。まるでゾンビ映画をみているような気分になる。のそのそと体を重たそうにしているクラスメイト。なんだか異様な光景だった。
「おう、なんか元気ないなぁ」
「うん……疲れた」
はしゃぎすぎだろう。きっとまた調子に乗って、酔っぱらいみたいに騒いでいたのだろう。この学校が住宅街の中に無くてよかった。もしあったら絶対にバレて迷惑行為で事件になっていたかもしれない。卒業式前に無茶するなんて馬鹿だなぁと思いつつ、それが今しかできないことなんだろうなぁとも思った。体力が有り余っている今だからこそ、心に決めたことはすぐに行動に移せる。それが若さ。
どんなにヘロヘロでも教室へ向かう階段は登れる。教室に行けばいつものメンバーがいて、いつものようにワイワイ騒げるから。しかも今日は最後の日。教室で集まれる最後の日ならば、早く教室まで行ってみんなと話したい。そういうこともあって、階段は意外とすんなり登っていけた。上も下も右も左も白く塗られている校舎の内装、壁に貼られた標語や、その隣に今まで習字作品があったのか半紙の形にくっきりとホコリが被っていない掲示板。今日くらいは良いだろうといつも締め切っているはずの教室と廊下に挟まれている教室廊下側の窓。身を乗り出して他クラスの同じようなやつと騒ぐやつもいる。これだけ大騒ぎしていても、今現在進行中の卒業式前の職員会議のおかげで、誰も怒りに来る人がいない。そのため、いつもの声、いつものメンバー、いつものにぎやかさが、だんだんエスカレートしてもう何がなんだかわからなくなってきている。
教室には入る直前に窓から身を乗り出していているやつになぜかハイタッチを求められ、なんだかよくわからないノリでハイタッチしてから教室に入ると、まばらではあるがクラスの3分の1程度の人数が揃っていた。
この小さい教室に閉じ込められて毎日疑うこともなく出入りしていたなんて、今思うと何だったんだろうなと思う。いつもの声、いつものにぎやかさ、ざわざわした教室。明日からはそれがなくなってしまうんだ。じゃあ明日からは何を聞いて何を見て、何を感じながら大学までの準備をすれば良いんだろう。もっとクラスみんなで大学への準備を進められると思っていたのに、急に個人プレーになってしまうのかなと思った瞬間から、もやもやした実態のない不安が襲ってきた。
自分の割り当てられた席があり、座っていればどうにかなっていた高校生活。大学に入っても同じような感じなのだろうか、それとも。窓際の自分の席に座ってカバンを机の横にかけた瞬間、後ろから肩を誰かに押さえつけられた。何も準備していなかった俺はそのまま背もたれを伝って、背中からズルズルと床に滑り落ちた。それと同時に、椅子の脚で頭を軽く打った。
「いったぁ……誰だよ」
「よっ! おはよっ!」
ハナケンだ。昨夜に続いて、やけに絡んでくる、あのハナケンが俺の背中側に立っていた。ハナケンもそれなりに隈ができて顔がむくんで体が重たそうだが、相変わらずテンションだけは高い。そういうところだけは見習いたいほど羨ましい。
「あれ? 今日は奥さんとは一緒じゃないのか?」
いつものニヤニヤ顔でハナケンが話しかけてきた。数日前の大掃除でかなり綺麗でツルツルになったワックスがけした床にあぐらをかきながら答えた。
「奥さんて。梓はそう言うのじゃないんだってば」
たしかにそう言われて嬉しくないことはないが。
「誰が上岡って言った? うわっ、もしかして? そういうこと? うわぁ、そうだったのかぁ。へぇ」
「あ、いや、ぅ……うるさいなぁ!」
しまった。脳内で勝手に妄想を膨らませてしまい、なんでもないこんな簡単な罠にかかってしまった。これが梓には伝わらないでほしいが……ハナケンのネットワークほどコワイものはない。噂話にされてしまうとまたたく間に学校中に知れ渡ってしまう。そうすれば梓だって嫌な気分になってしまうことだろう。それだけは避けたい。
「まっ、こうしてふざけ合えるのも今日限りだな」
ハナケンが久々にニヤニヤを戻した。確かに、こういう絡みも今日限りだ。噂話も知れ渡らなくなるだろう。そう考えるとほっとするが、どこか物寂しく感じる。安心するけど残念。なんだか複雑な気分だ。
「そうだな。今まで楽しかったよな」
「だな。大学も別々だしな。もうこの教室でこの制服で騒げることもないんだろうなぁ」
そう言うと、ハナケンは自分の席に座って、カバンを開いた。カバンを開けて取り出した物、それは……カメラだった。しかもそこら辺のコンビニで売っているようなインスタントカメラではなく、学生が持っていてもいいのかと思うくらい高そうな代物。しっかりとしたそのフォルムはダンベルのように重たそうに見えた。
「なぁなぁ、みんなで写真撮ろうで!」
ハナケンはそう言うと、教室の一番後ろまで走っていってカメラを撮るポーズをした。一瞬教室内のざわざわが消え、みんながハナケンに注目する。最後の最後までクラスのムードメーカーらしいハナケンである。その姿にクラスメイトがどんどんついていき、ノリですぐに一つの方向に向かう。いつものノリは最後に日でも健在だ。
「ほら、潤じゅんも!」
「いいよオレは。写真撮られるの、あんまり好きじゃないからさ。なんなら、オレが撮ろうか?」
クラスメイトからの急なお誘いに、拒絶した。俺は昔から写真に撮られるのが本当に嫌いだった。そもそも、自分の顔を見るのがあまり好きではなかった。鼻がそんなに高いわけでもなく、むしろ低い方だったからだ。瞼は腫れぼったいし、なんだかバランスが悪いから。それらが昔からコンプレックスで、自分の顔を鏡で見るたびにため息をつくほど。
「なんだよ、いいじゃんよぉ、最後なんだしさ」
「いいから、いいから。なっ? しかもさ、まだ全員揃ってないし。なっ?」
「まぁそれもそうだけど」
そんなやりとりを繰り返していると、突然、校内放送がかかった。
「……え〜、生徒の呼び出しをします。三年A組、花田。三年A組、花田。大至急、第一会議室に来なさい。繰り返します……」
生徒指導で三年A組の副担任の声だった。この声によって、あんなににぎやかだった教室が、一瞬凍った。それと同時に、女子生徒の間ではひそひそ話が始まった。このタイミングでこの放送はタイミングが悪すぎるだろう。雰囲気が一気に冷めたのが手に取るようにわかった。




