13:花菱草
それはまるでスローモーションだった。大の手がリュックサックからゆっくりと出てくると同時に、頭を左右に動かしながら辺りを見渡す。かなり警戒しているようだ。梓は一体どんな気持ちでこれを見ているんだろう。全く警戒する様子はない。大は大事そうに物を出し、梓にそれを渡した。
あれ?
月光で輝く銀色のナイフを予想していた俺は、マンガみたいに口をポカーンと開けて立ちすくんでいただろう。梓に向かって差し出した物は、想像していたどれでもなく、極めて意外なものだった。
「これ……何? どうゆうこと?」
「これ? 花菱草。別名、カリフォルニア・ポピー。えっと、花言葉は、『和解』『成功』『希望』『富』、それに、『私を拒絶しないで』『私の願いを叶えて』『消えることのない愛』。分かるよね? 僕が言いたい意味。うちの庭に植えていた花なんだ。僕の誕生花でもある。梓がいつか遊びに来たら見せてあげようと思ってた。この花を見ながら一緒にお茶でも飲んで、一緒に将来のことを話したいと思ってた。梓に会いたくて、話がしたくてたまらなかった。僕の願いを叶えてほしかった。僕の願いは、梓と一緒にいつまでも幸せでいられることなんだ。高校を卒業してもずっと前みたいに一緒にいてずっと僕を幸せにしてほしい、僕も梓のことを幸せにしたいと思ってる。僕と一緒にいてください。僕の願いを叶えてください」
それは大きなオレンジ色の花束だった。わざわざ自分の家の庭に植えてある花で花束を作って渡すなんて、気持ちの入りようが普通ではない。花言葉もメッセージ性が強くて、重たい。ここまでするなんて、正直、怖い。
「そっか。ぁ、ありがとう……」
梓は、そのオレンジの小さな花弁を不思議そうに見ながら、大を心配そうに見つめる。梓も引いているのだろうか。大はそんな梓の様子を見て、大きな動きはない。
「僕の気持ち、伝わったかな?」
「うん、言いたいことは分かるよ。でもね……」
大は梓に向かって強引に花束を押しつけ、それと同時にポケットに手を突っ込んで、うつむきながら梓の言葉を待っている。梓も相当困っているようだ。だったら俺がここで登場して助けてあげないといけない。そして大を成敗した後に俺が告白するんだ。なぜか頭の隅の方で、本能的なヒーローぶったもう一人の俺がじわじわと闘志を燃やし始めている。でもそれはダメだ、そんなことをしたら余計にトラブルになりかねない。梓ももっと困るだけだ。でもどうすれば良いのか分からない。
「僕の何がダメなんだ?」
「ダメっていうか……」
「はっきり聞かせてよ! せっかくここまで来たんだから! 駅前で人が多いから話せないって言ったのは梓だろう! 僕は何でも梓の言うことを聞いてるだ、なんでいつもいつも僕ばっかりこんな目に合わなければいけないんだ!」
どんどん大が壊れていっているような気がする。こんな感じだったのか。さすがにこんな感じの彼氏だとは思わなかった。梓が勢いに負けてしまったというのも納得ができるくらい、とにかく一直線に梓に向かっている。それはきっと梓を彼女にしている自分が可愛いから、とにかく梓を彼女にしているというステータスを失いたくないということなのだろう。俺が他の誰かを好きになる人候補に入れていたのと同じように、女子を自分のためのなにかだと勘違いしているんだ。直感的にそう感じた俺は、いてもたってもいられなくなり、歩を進めた。
公園の砂地に響く俺の足音。それに気付いたか、同時に振り返る大とその奥の梓。別に何の作戦もない。俺は今、自分の部屋で寝る支度をしている設定だ。あの後ずっと家にいて、いつものラジオを聞きながらダラダラして、適当に寝ているはずなんだ。何かの理由をつけなければならない。ここにいる理由を、なんとか見つけなければならない。
そのときに梓のご両親を思い出した。そうだ、ただ探しに来たと言うだけでしっかりした理由になるじゃないか。元々そのつもりで来てるんじゃないか。だったら梓のご両親に頼まれて探しに来たということにすれば良い。なんだ、簡単なことだった。俺は演技モードに入り、自分自身を演じることにした。
「あ、いたいた! 梓だ! 探したよぉ。どこにいたんだよお、もおぉ」
ちょっとわざとらしかったかな?
ま、いっか。俳優でもないのに演技しようとしたのがそもそも間違いなのだ。
「えっ……潤!? なんでいるの?」
梓の顔は、絵文字で表しやすいくらい分かりやすい表情だ。大はなにがなんだかわからない様子であたふたしている。
「なんでって、梓のお母さんに頼まれたんだよ。あれからどうせ後は寝るだけだったから、家でラジオ聴きながらくつろいでたら急に梓のお母さんが訪ねてきて『うちの梓がお邪魔していませんか?』って。ラジオの時間に家に帰ってないなんてそこまで遅いとは思っていなかったからみんなで心配してさ。それで探しに来たんだ。近所にいるだろうと思ったから、公園まで来て。そしたら梓がここにいたってわけ」
「そんな……ごめん」
「いいからいいから。ほれ、帰るよ。もう卒業式の日になっちゃったよ」
俺は携帯電話を差し出して、梓に向かって時間を確認させた。もうとっくに1時を過ぎている。
「な? もう帰らないと」
梓は『信じられない!』と言う表情を浮かべながら、苦笑いした。
「彼氏さんもさ、こんな時間まで女の子を外に連れ出すのはダメだよ。明日卒業式なんだから、風邪引かせて休ませたらかわいそうだし。ね。あとは大丈夫だから。早く帰んな」
俺は梓の荷物を持って、ついでにさっきの花菱草の花束も持って、梓を無理やり引っ張った。梓も何の抵抗もなく俺の後ろにくっついた。
「ていうかお前誰だよ? 僕は梓の彼氏だぞ? 急に来て二人のことに首を突っ込むのはやめてもらえないかな? 迷惑なんだよ。本当、お前誰だよ? 何の権限があって言ってんだよ偉そうに」
「俺は……ただの幼なじみだよ」
そう言い捨てて、全力で自転車まで走った。もちろん梓を引っ張りながら。梓も一緒に走ってくれた。それはまるで小さい頃に梓が俺を引っ張っていじめっ子から引き剥がしてくれたような感じで、なんだか自分でも不思議な気分になる。
「乗って!」
俺はカバンと花束を雑に自転車のかごに入れて、ペダルに足をおいた。