10:ラジオ
再び携帯に目を向ける。もう既に梓から返信が届いており、俺は急いでメールを打った。今ちょっとまずいことが起こって……と急いで打って、急いで全文字消した。今この状況でこんなことを本人に教えてしまえば、ますます状況が悪くなる。俺はどうかしていた。焦って真逆の行動をとろうとしていた。早くこれを自分の中でなかったコトにしないといけない。
『ごめんごめん。ちょっと寝そうになってて』
本当は目が冴えている。不安で夜も眠れないっていうのを経験したことがなかったが、今日はもしかしたら経験できるかもしれない。
その十秒後には梓からすぐさま返信が来た。どんどん続いていくメッセージ。
『そっか。そろそろ寝る?』
『うん。もう寝ようかな。梓も寝るん?』
『いや、ちょっと今からラジオ聴いてから、ていうか聴きながら寝ようかなと思ってて』
『えっ、ラジオ? へぇ〜なんか意外だな』
『そう? 面白いよ。クラシックとか聴いて寝たらよく眠れるし』
クラシック。流行りのポップミュージックくらいしか聴かない俺には全く無縁の世界だ。でも梓が聴いてるなら、同い年の俺にも分かるかもしれない。幼なじみなんだし、頭の良さは違っても、成長してきた環境は同じわけだし。
『へぇ〜聴いてみようかな』
『潤くんがクラシック……似合わない』
『うるさいなぁ。試しに聴いてみます』
携帯のラジオ機能を使って聴いてみた。周波数を合わせて、イヤホンを耳にはめて、音量を調節し、クリアな音でクラシックを聴いてみる。……分からん。全く分からん。やっぱり梓と俺とは育ち方が違っていたらしい。俺は諦めて、別のラジオ番組に切り替えた。
『――……いやぁ今の曲、良かったですね。なんか……どっきゅんてしましたね。どっきゅんて。えぇ。さてさて次のゲストは、巷ではあまり話題ではないですが……あ、失礼でしたかね。はい、失礼しました。KAIさんに来ていただいております。――』
わぁ、なんか、テキトーだなぁ。
しかしさっきのクラシックよりはマシかと思い、そのまま聴いてみる事にした。路上アーティストを紹介する番組だろうか、街なかで工事している音や歩く音がよく聞こえてきて臨場感がある。出てくるゲストの方もみんな知らない名前の人ばかり。でもなかなか新鮮な感じでライブ感があって、気がついたら時間が経っていた。これはもしかするとハマってしまうかもしれない。
『と言う事で、今日はこのへんで! シィーユーネクストターイム! バイバーイ!』
終わってみると、なかなか面白かった。ゲストのKAIさんの曲も良かったし、このまま番組ごとCDにしたいくらい面白かった。これは、梓に報告するしかないな。早速俺はイヤホンを外して、またメッセージの画面に戻った。『聞いてみて!』とだけ書かれたメッセージが梓から届いていた以外は誰からも特に連絡はない。ふと気づくと、さっきまであんなに盛り上がっていたのに、七人の男たちはいびきをかいて眠りについていた。俺が時間を忘れてラジオを聞いている間に、みんな寝静まってしまったらしい。やっと他の人の目を気にせずにメッセージのやり取りができそうだ。
俺は掛け布団の中から頭を出して、ひんやりとした空気を肌に取り込んだ。鼻の上にかいていた汗が、冷やされて空気と一緒に溶け込んでいく。ちょうど顔の真上に携帯電話が来るように腕を軽く伸ばし、もう片方の空いている手でその腕を支えた。いびき防止に何も音楽を流していないイヤホンを耳にはめた。
『クラシックは全然面白くなかったからすぐに聴くのやめちゃった。けど、他に面白いラジオ番組みつけた!』
そう返信すると、すぐさまメールが返ってきた。相変わらず返信が早い。
『やっぱりね。聴きながら寝てたかなとは思ったけど、やっぱ似合わなかったのね。で、なんて番組?』
しまった。そう言えば、全く番組名を聞いてなかった。肝心なときにこんな初歩的な失敗をしてしまうとは。せっかく興味を持ってくれたのに、どうしよう。
しばらく返信に迷った挙げ句、大して良い案が浮かばなかったので、また後日調べてみることにした。仕方がない。これで呆れられなければいいけど。
『ごめん、覚えてない! また分かったら連絡するわ!』
『……だめじゃん』
修学旅行が終わった後、次の放送で同じ時間に同じ周波数に合わせてみると、『塩谷美咲の気まぐれライブ中継!!』だと言う事が分かった。早速梓にも教えて、それから二人で聴き続けるようになっていった。このラジオ番組が、なんとなく気まずかった俺と梓をつなぐ唯一の架け橋となっていった。放送の次の日には学校で必ずこの番組の内容をおしゃべりするようになり、この頃から、俺と梓の距離感が小さい頃のように徐々に近づいていった。
もしも、この番組を見つけられなかったら。
今、俺は梓と普通に会話できていただろうか。メールと実際に会話するのはやはりぜんぜん違う。そう考えると、あのとき偶然にも番組に巡り会えたのは、もしかして偶然ではなくて運命だったのかもしれない。
俺にとっての修学旅行の唯一の思い出は、この梓との時間だったことを、梓がいない真っ暗な窓を見て思い出した。