会いたいのに会えない
会いたいのに会えない。
「おはよう。」
「ああ、おはようだな。」
珍しく俺よりも早おきな夏輝に月島は起こされた。今日は仕事も休みだ。もっとも事件が起きなければの話だが。起きるとテレビを見に来たのか小島と小梅が来ていた。小島はこの隣の若い男だ。いつもちゃらちゃら格好をしている。髪は染めているのか微妙に茶色いこのご時勢にそんな格好が通用するのかは疑問ではあるが事実、小島の元には女の子が耐えない。そして小梅とはまた隣に住んでいる女の子だ。年はうちの夏輝よりちょいと上ぐらいだ。聞いても教えてはくれないので月島は分かっていないが。戦後、焼け野原になったこの日本でテレビは貴重品だった。番組は出た!羽男。特集、人魚伝説だった。いくら貧困に仰いでいても番組はいつだって真面目だとは限らない。そして、それを見に二人は月島の家に来ている。それはよくある光景だった。そこに夏輝がいなければ。夏輝は上機嫌で朝ごはんの準備をしていた。いつもではありえない光景だ。月島は着替えると食卓についた。
「うまそうだねー。夏樹ちゃん。やっぱり奥さんはこうでなくちゃ。」
「そうだろ。」
小島に褒められて上機嫌の夏輝。それとは対照的にぼーっとしている小梅。そんなことはどうでもいい。月島はとりあえず誤解からとくことにした。
「奥さんじゃない。今は行く当てが無くて俺が預かってるだけだ。まあ、ご飯がうまそうなのは認めるが。」
月島は食卓を見た。ご飯とシャケとお味噌汁。料理が出来るというのは本島だったらしい。そんなことを思いながらご飯を見ていた。
「またまた、色男だねえ。月島くんも。」
「はあ、どうでもいい。俺は静かに今日は過ごしたいだけだ。」
その言葉を聞くや否やみなの顔が見るからに輝く。月島は少し気おされる。
「じゃあ、暇なんでしょ?どこかに連れて行きなさい。」
小梅が喋ったのはそんな一言だった。月島は首を振る。ただでさえ出勤が多いのだ。もうこれ以上動きたくないのが本音だった。だが有無を言わさない雰囲気だった。
「仕方ない。だが少し月さんの方によらなきゃならない。その後だ。」
「「いやったー!」」
まるで兄弟のような夏輝と小島にため息をつく月島だった。
月島は花鳥風月に歩いていく。他の人たちはまだ部屋で待たせている。今は羽男がテレビで飛んでいることだろう。
「一つ終わりましたね。」
何を言うわけでもなく月はそういった。
「ああ、だが何も終わっていないさ。見ろよ。これ。」
そこには新聞欄に書かれた新番組「鉄人28号」だった。月島はその絵を見た。大きな鉄の背中にロケットを積んだロボットが描かれている。
「原作を読んだか?」
「ええ。まったく笑えませんね。」
月は悲しそうな顔でその絵を見る。
「作者は知らないんだろうな。本当にこんなろくでもない、いや、もっと酷い存在があるということを。」
そして最後に付け加えた。
「俺は戦争に終わって欲しくなかった。」
「待たせたな。用は済んだ。どこに行くんだ?」
月島は他の三人に聞いてみる。とにかく彼らは車に乗りたいようだ。確かに月島は車を持っている。だがそれは公用車でジープのようなもので乗り心地は最悪だ。
「駄目だ。あれは仕事用だ。」
部屋では他の三人からのもう抗議が起こる。まったく。ため息をつく月島。
だが不意に扉があき管理人さんの瑠璃さんと秋月が現れた。
「貸そうじゃないか。月島警部。」
秋月はにいと笑った。
秋月はそのまま封筒を渡すとどこかにいってしまった。他の人間を追い払い月島は封筒を読んだ。
「ケース0の疑いあり。至急、朝霧に向かえ。」
秋月はこれを渡すとき気になることをいっていた。
「まあ、今回は別に気にしなくてもいいかもしれない。勝手に解決するかもな。」
言い知れぬ不安を月島は抱いた。
「ありがとう。月島君。私も誘ってくれて。」
「無理についてきたんでしょう?あなた方四人は。」
俺は秋月から貸し出された大形ジープを改造したようなものでいま走っている。かなりの人数が乗っても大丈夫なようになっている。サスペンションは流石に硬く衝撃は来るがそれでもいつものよりは静かだった。他の人間ははしゃぎまくっている。
「車だ!月島さん。俺初めて乗った!やっぱ最高。」
「そうだよね。夏輝ちゃん。僕も最高!」
小梅ちゃんは口笛を噴出す始末だった。瑠璃さんは俺の言葉に少なからずショックを受けているのかつんとそっぽを向く。
「いいじゃない。私だって出かけたいもの。月島君。それに私は許してませんよ。夏輝ちゃんのこと。」
月島は断固として反対した。多分ここから先ろくな結末は無い。それを知っていた。だから必死で他の人間が来ないようにした。だがそれでも関係なかった。強引に来たのだ。そして秋月もそれを許したのだ。その理由が月島にとっては恐かった。
「何事もなければいいが。」
その呟きは誰にも聞き入れられなかった。
車で2時間ほどで朝霧に着いた。朝に霧がかかり町が霧の海に沈むことからこの町の地名がつけられた。昔からこの場所では物が勝手になくなるなどのことが続き、この場所ではそれを神の使いとして恐れ、敬ってきた。観光地でもなければ軍の工場も無くここは爆撃を比較的に受けなかった。被害が無かったわけではないが。
月島たちは地図を頼りにこれからお世話になる場所に向かった。山のほうにあるこの場所の中でも少し民家から離れた場所にそれはあった。
「ここか。」
水島と書かれたこの表札だ。ここがこれからお世話になる場所だった。玄関をたたくとそこから白髪の老人が現れた。
「何だ?ここに何のようだ。」
睨み付けるようなその視線は他の夏樹たちを不快にさせるには十分だった。だが月島はそのまま平然と受け止めた。
「秋月から紹介されました。私は月島 太郎。用件は分かるはずですが」
老人は月島からそれを聞いたあとぎょっとしていた。だが頭からつま先までなめるようにしてみるとそのまま扉を開け、入るように促した。
「人数が聞いていたより多いがまあいい。入れ。どうせろくなことにならん。」
ぶっきらぼうに老人はしながら奥に消えていった。夏輝と小島はその後姿に圧巻ベーをしていた。それを拳骨で月島はやめさせる。
「いっただろう。仕事だ。邪魔するなら帰ってもらうからな。」
それだけ言うと月島は先におくに入っていた。
おくには広い座敷があり、そこで月島たちは待たされた。小さな女の子がお茶を運んできてくれた。着物を着たおかっぱの女の子だった。月島は礼をいい、頭をなでると嬉しそうに奥に引っ込んでいった。それからして老人がふすまを開けてこちらにやってきた。
「私の名前は青島 弦。まあ、秋月から聞いてはいるだろうが。お前たちが泊まるのは二階の空き部屋だ。好きに使えばいい。飯は出前でも取ってくれ。」
「分かりました。おい。お前らは荷物を運んでいてくれ。これからは俺と弦さんで仕事の話だ。」
そういって月島は他の人間を追い出した。他の夏輝達はぶーぶー言いながら外に出て行く。夏輝たちがいなくなったのを確認してから青島に話しかける。
「今回は、いるんですか。兵器が。」
「あれは、確かに兵器だろうな。だが戦争が終わった今、ただあれはつらいだけだろう。」
青島は遠い目をした。そしてお茶を飲む。ズズズズズというお茶をすする音だけが聞こえる。お茶を飲み終わるまでその音は続いた。
「青島 丈。わしの息子だ。存在しながら存在していない哀れな娘だ。」
せみのうるさい音がぴたっとやんだ。
「戦時下、わし達はある研究をしていた。そう鉄の人。その計画の一端だった。当時は試行錯誤の連続だった。してはならないことの。」
青島は語り始めた。過去の出来事を。
「来る日も、来る日も、わし達は人間相手に実験を繰り返した。今でも聞こえる。あの時の悲鳴が、あの時の声が。やめてくれと、やめてくれと。」
「研究は完成したんですか。」
「ああ、わしらは取り付かれた。悪魔に。そして私たちは完成させた。鉄の人のある種の完成形を。」
三号。青島 公平。名前を聞けば分かる。これが誰なのか。そしてどういう人間なのか。青島。つまりその名前のさし閉めすところは。
「息子を殺したのはお前らしいな。」
弦は月島をみた。その目は怒りではなく憂い、悲しみ、そのどちらでもない。激しい後悔だ。
「罵ってくれてかまわない。公平を殺したのはワシだ。人間でなくしたのも。わしだ。そしてその妹も。つかった!そう、実験に。そして完成したのだ4号。完成形。ある意味での。」
激しい勢いで必死の形相で弦は詰め寄るように語った。だが月島は無表情だ。
「娘は何もしない。何も出来ない。どうすればいい? 私はどうすればいい! わしは、わしは。」
胸倉をつかみ、そして弱弱しくたたみにうなだれる弦。
「それをきめるのは俺じゃない。貴方の娘さんだ。そして、多分貴方には選択のときが来る。必ず。」
それだけいうと月島は部屋から出て行った。そこには小さな老人が泣いていた。
「おじいちゃん。大丈夫?」
ちいさな女の子が弦の頭をなでる。弦はあやまった。
「ごめん、ごめんよ。許してくれ。」
その声だけが響いた。
「月島さん。海に行こうぜ。」
「そうだよお。いこうよお。」
夏輝と小島に両方から手を取られた。今は青島の家の二階だ。話が終わり部屋に入ったらいきなりサンドイッチ状態だ。
「お前らは。まったく」
仕方ないのでみんなを海に連れて行くことになった。
外は夏の日差しが強い。じりじりと熱い。
「熱いですね。月島君。」
「そう思うなら離れてください。」
瑠璃さんの手を振りほどき、小梅のほうへ月島は歩いていく。さっきから一言も喋っていないので気になっていたのだ。
「どうしたんだ?なんだかたそがれちゃて。」
月島は軽く冗談めかして言った。小梅は軽く笑いながらこちらを見た。
「故郷ににていたからよ。それだけ」
「そうか。俺には無いな。そんな場所」
道路を歩いていくと大きく道路が曲がり、がけになったところから海が見えてきた。真っ青な海だ。
「私の水着楽しみ?」
「いってろ」
小梅の言葉を軽くあしらった。
「俺、海初めてだぜ!」
「どきどきの初体験!いえー。」
ため息をついてから月島はお調子者の二人に拳骨を浴びせた。
「少しはおとなしくしろ!」
二名ほど痛む頭をさすりつつ海に到着した。夏なのにもともと住んでいる人が少ないのかほとんど人はいない。てりつける灼熱の太陽が砂浜をかんかんに照っている。
「熱、熱いよ」
砂浜を小島がはだしで飛び跳ねている。一目散に走っていきこれだ。まったく子供だ。女性陣は更衣室に入っていく。空を見上げれば大きな雲が泳いでいる。ふと、月島にある光景が蘇る。大きな雲。一瞬で消えうせる人。陰になる人。汚れた太陽。黒い雨。ああ、夏が来る。灼熱の夏が。光った瞬間に一瞬だけ現れたあの夏。すべてが燃えた夏。だが、自分は生きている。あんな目にあったのに。
「おい!こっち向けよ!」
いきなり声かけられはっとした月島は言われるままに後ろを向いた。いつの間に着替えたのか水着の夏輝がいた。そういえば月さんが選んだとかいっていたのを月島は思い出していた。胸をはりこちらを見る夏輝。
「ああ。似合ってるんじゃないか。」
不意をつかれて動揺しながら答える月島。その様子ににやにやする小島と夏輝。
「兄さん。だめですねえ。こんな子に見とれて。」
「いやいや、なかなか見る目があるんじゃないかい?」
おどけてそんなやり取りをする小島たちを微笑むように月島はみた。予想外の反応に少し困惑する小島たち。
「あら、夏輝ちゃんは似合うわねぇ。」
「そうね。可愛いわね。」
そういって現れたのは瑠璃と小梅だった。見事なプロポーションだった。造形美ともとっていい。夏樹が可愛いならこちらは美しいだった。夏輝は自分と相手をみて憮然となる。
「似合うよねぇ。月島君。」
「私は?」
「二人ともよく似合ってるよ。」
月島は女性二人の感想を求める声に素直に感想を喋った。
「なぁ。月島さんなんであんな遠い目をしてるんだ?」
夏輝の質問に小島は答えた。
「ここにいないのかもしれないなあ。」
「どういう意味だよ。それ。」
小島は夏樹をみて、また月島をみた。その顔はやはり月島のそれと似ていた。困惑する夏輝に小島はやさしく頭をなでた。
「人間はね。あまりに大きなものを抱えるとそれ以外居場所がなくなるんだよ。僕も、月島さんも、戦争であまりに大きなものを失い、大きなものを得た。それが何なのかは分からない。だけどそこから離れるなんて出来ないんだよ。」
頭をなでているのを振り払いなつきは立ち上がった。
「そんなのやってみなきゃわからないぜ。俺はなんたって、」
そこまで言いかけて夏輝は顔が真っ赤になった。それを黙ってまた小島は頭をなで続けた。いつの間にか月島はいなくなっていた。
波打ち際の切り立ったがけに誰か立っていた。服は夏なのに長袖で顔は包帯、手袋までしている。目には眼鏡をかけている。真っ黒で瞳の色は分からない。月島はその誰かの肩をたたいた。驚いてこちらを見る奇妙な人間。
「貴方ですね。青島 由紀子さん。鉄の人で聴きたいことがあってきました」
「私を殺すの?」
抑揚の無い声で由紀子が答えた。帽子はもかぶり肌の出ている場所は何一つ無い。それが振り返りもせずそう答える。
「別に貴方は何もしていない。俺はただの調査できただけです。貴方を死んだことにも出来る。」
月島がそういったときだった。由紀子は突然笑い出した。甲高い声で。壊れてしまったかのごとく笑い出した。
「死んだことにする?アハハハ。私はもう死んでいる。自分の子供や親、いや、誰からも私をいたことになんか出来ない。私は存在していないんだから。」
由紀子の笑い声の後には重々しい沈黙が訪れる。だが意を決したように月島は口を開いた。
「貴方を存在させることが出来るようにする方法が一つだけある。どうしますか?ただし蝉の一生よりも短い終わりが来ます。」
その言葉を聞いて突然、振り向き月島に詰め寄る由紀子。
「出来るの?あの子に会えるの?ならなんだっていい!私はこのまま誰にも見えないまま終わりたくない!」
そういった由紀子は帽子を取った。そこにあるはずの頭は無くただ風景が広がるだけだった。
四号。そう名づけられた青島 由紀子。鉄の人計画においてある意味の完成形だった。三号や、以下他の計画で作られたものに比べ再生能力、強度、身体能力ははるかに劣っている。だがそれを補って余りある能力が四号にはあった。そう、見えないのである。簡単に言えば透明人間。当たらなければいい。当たらないにはどうすればいいか。それに至極簡単な答えとして出されたのが見えなければいいということである。だが、欠点はある。四号は誰からも見ることが出来ない。そう、姿を現すことができないのだ。どんな顔で、どんな姿をしているのかも誰も知らないのだ。怪我をしてもどこを怪我したのかもわからない。そして戦争の終わった今、見えない彼女は生きているということさえも見られないのだ。
「秋月にとってはどうでもよかった。見えない。そう見えないだけだ。何をやろうともその存在すら見られない。だけど俺は出来ないみたいだな。知らない振りは。」
一人、月島はごちた。そばには由紀子がいるはずだ。姿は見えない。服を脱いだのだ。服が無くなりそこにはただ虚空があるだけだ。着替えを渡し、もう一度月島は彼女に言った。
「確かにこの薬を打てば君は一時的に姿を見せることが出来る。だが確実に死ぬ。それでもいいのか?」
「貴方が、そう、そうなのね。これは鉄の人を殺せるものなのね。私はそろそろ死ぬ。だけどこのまま短い人生ならせめて最後だけはあの子と一緒に。」
彼女の声はしっかりしていた。しっかりと力強いものだった。
「俺は君の兄さんを殺したんだ。その男を信用するのか?」
「ごめんなさい。貴方だけにこんな辛いことをさせて。」
「畜生。」
そしてぶすっという音がして彼女の苦痛が聞こえた。だけど本当に苦しそうだったのはその声を聞いていた月島だった。ひたすらに畜生と繰り返していた。
そして少ししてそこには着物を着た女性ががけに立っていた。夕日に照らされてだけど確かにそこにいた。
「綺麗だな。本当に。」
そこには綺麗な女の人がたっていた。
青島邸にはもう月島以外が勢ぞろいしていた。もう時刻は夕暮れだ。突然ふらっと消えた月島以外は皆青島邸に帰ったのだ。特に女性陣のとりわけ夏輝の機嫌は悪かった。
「どうして月島さんいないんだよ!まったく!」
「まあ、怒っちゃ駄目だよお。仕事忙しいみたいだし。」
小島が夏樹をなだめている。そこに小さな女の子が来た。この子はこの青島家の一人娘らしい。名前は由紀。どうやら母親の名前からとったらしいが母親と父親は行方不明だ。その子は夏輝をちっちゃな顔で睨みつけた。
「怒っちゃ駄目。駄目だよ。」
さしもの夏輝もこれには目が点になった。それをみて瑠璃と小梅が爆笑した。
「ハハハ。怒られちゃったねぇ。夏輝ちゃん。」
「そうだわね。どっちが年上かしら。」
「う、うるさい!」
顔を真っ赤にさせて反論する夏輝。それをみて丈が微笑んだときだった。
「悪い。遅れてすまん。仕事が長引いてね。」
そういいながら手を振りながらこちらに来る月島。皆が待ってましたといわんばかりだったがそばにいる誰かを見つけたとき丈の顔が凍った。
「ま、まさか、いや、そんな筈は無い。そんな筈は。」
丈が何か呟いているのを誰も気にしなかった。だが由紀はそのすがたを見かけは知っていく。
「お母さん?」
「会いたかったよ。由紀。」
がっしりと抱き合う光景に驚く夏輝たち。だが一人だけ、丈だけが恐怖で顔を歪ませていた。
「この人は青島 由紀子さん。行方不明だった由紀ちゃんのお母さんだ。」
そして由紀子と丈の目が合った。その間に何があるのかは誰にも分からない。
「どういうことだ!どうして由紀子の姿が見えている!あれの姿が見えるのは死んだときだけだぞ!」
「そうだ。その通りだ。もう、彼女はしにかけている。」
その言葉に丈は少し考えはっとなる。そして月島の胸倉をつかむ。
その顔は怒りに満ちている。
「どうしてあれをつかったのか!崩壊薬を!どうしてだ!」
だがその声はどんどん弱弱しくなっていくそしてその場に丈は崩れ落ちた。そして弱弱しい目でこちらを見た。
「由紀子が選んだのか?」
月島はその胸倉を逆につかみ無理やり立たせた。そして真正面から丈をにらみつけた。
「由紀子さんは選んだんだ!なら今度はお前が選らばなければならない!」
その手に無理やり銃を握らせた。そしてひとつの弾丸を渡す。そう、あの弾丸にあの銃だ。三号を殺したあの銃。
「ワシが、ワシが、あああああああ。」
丈は絶叫した。だが、そのすぐ隣では由紀子と由紀が楽しそうに喋っている。蝉が鳴いている。ジジジジという音がよく響いた。
今、私はこの子のそばにいる。私は手のひらをかざした。そこは透けていない。部屋の電灯の光が手に陰を作る。あのひと、月島さんは私をこの姿に戻してくれた。私はいま見えている。存在している。あの人は蝉の一生だといった。だけど私はカゲロウだ。もっと短いかげろうだ。あと何日生きられるだろう。急に背筋が寒くなった。私は由紀を抱きしめた。スースーという声が聞こえ、体温が伝わってくる。その子の頭をなでようとしたときだった。一瞬、また手が消える。ああ、いやだ。もう消えたくない。まだ、まだ、消えたくない。私はあと何日、このこと一緒に居られるだろうか?あと何日居られるだろうか?
次の日。由紀と由紀子は山に行くことになった。行き、帰りの運転手を月島は買って出た。夏輝たちも当然、ついてこようとした。だがその前に月島は由紀に聞いた。
「お母さんと二人きりがいいかい?」
「うん。お母さんとでーとするの。」
多分、言葉の意味などわかってはいないだろう。その舌足らずな声が弾んでいた。久しぶりに会えた自分のお母さん。独り占めしたいのだろう。甘えたいのだろう。少し微笑むと月島は由紀の頭をなでた。そして夏輝たちのほうを向いた。
「悪いがそういうことだ。お前たちを連れてはいけないんだ。丈さん。あんたは別だ。すまない由紀子さん。俺たち二人はどうしてもいることになる。」
由紀子さんは長い黒髪をたなびかせてゆっくりと首を振った。
「いえ、いいんですよ。あの子といられるなら。」
その顔はとても和やかだった。月島はようようしくお辞儀をして、二人を車の前までエスコートする。そしてドアを開ける。
「お二人様。どうぞこちらに。」
「うん!」
由紀のとても楽しそうな声が響いた。
車は発進した。おいてかれた夏輝たちは車をみたあといったん家にもどった。そして、夏輝は案の定、愚痴り始めた。
「ったく、何で俺も連れてってくれないんだよ。」
口はアヒルのようになっている。その顔はいかにも不満がありますよといった感じだ。それを笑いながら瑠璃は見ている。
「しょうがないわよ。衝撃の再会、感動の再会なんだから。ね、小梅ちゃん。」
小梅はほとんど喋っていなかった。今の話もほとんど聞いてなかったのか突然話をふられて呆然としていた。
「どうしたの?いつもより元気ないじゃない。」
「いえ、大したことじゃないの。月島君はまたなの?小島くん。」
いつもよりか細い声だった。本当に弱弱しい声だった。さっきまでふざけていた小島が真剣な顔をした。いつもは見せない顔だ。
「そうだねぇ。その通りだろうね。」
それだけ聞いた小梅はまた喋らなくなった。夏輝は分からなくて困惑し、瑠璃さんも首をひねっている。
「月島さんがどうかしたのか?ねえ教えろよ。」
そう夏輝が聞いて返ってきた答えはにべも無いものだった。
「嫌よ。」
その一言だけだった。小島も全く喋ろうとしなかった。夏輝はだだ困惑するだけだった。瑠璃は諦めたのかもうそのことにふれる気はないようだった。
「みて、お母さん。かにさんだよ。」
そういって由紀は川辺で捕まえたかにを自慢げに見せる。由紀子はそれに答えるように頭をなでている。
「すごいね。由紀ちゃん。けどかにさんかわいそうだから元のおうちに返してあげなきゃだめだよ。」
「うん。お母さん。」
また、はしゃいで川辺のほうで遊びだす由紀。それを見て微笑む由紀子。だが丈はそれをみて、また自分の手にある重い鉄の塊をみた。自分が選ばなければならない。
「いつまで持つ?」
丈はポツリと横に居る月島に聞いた。月島は由紀と由紀子を見た。笑顔で由紀が手を振る。それに振り返す。そしてまたポツリと返す。
「明日の花火大会。早ければその日に。だから準備をしておいてくれ。最後でけりをつけるのはあんただ。あんたで無ければならない。」
蝉はまだ鳴いている。ジジジジとそれはもう激しく。短い一生などなりふり構わずその音は川辺を駆け抜けた。ジジジジ。夏は終わらない。
そういえば俺にも母親はいた。どんな奴だったかは忘れた。ただろくでもない奴だったのは覚えている。姉と一緒に家を出たのは覚えている。家を着の身着のままでて三年たったあとだった。母親はアルコールによる心臓麻痺で死んじまってた。その葬式のとき、あんなろくでもない奴だったのに俺は泣いていた。どうしてだろうな。どうしてなんだろうな。
疲れたのか由紀は由紀子におぶわれて寝てしまっていた。だけど、笑顔のまま寝ていた。本当に愛らしい姿だった。夕日が山の中を照らす。茜色に染まる道と由紀子と由紀。丈と月島はそれをまぶしそうに見ている。
「あとどれくらいですか?」
「明日。最悪なら明日だ。」
「うまいんですね。最高でもじゃないですか?」
朗らかに聞いてくる由紀子。だが由紀をおぶっていた手に力が入った。それなのに小刻みに揺れている。よく見ればその笑顔がこわばっていた。
「さあな。こればっかりは神様ぐらいしか分からないからな。だけど覚悟はしておいてくれ。あんたもだ。丈さん。」
月島は後ろを歩いている丈にも聞こえるように言った。丈の白いひげはいつにもまして白く見え、ふけて見えた。
「ならこの子にとって最高の一日にしなくてはいけませんね。」
「ああ。」
月島は答えた。そう、この子にとって最高の一日だ。そして他の人間にとってはただの悲劇だ。親が娘を殺す。そう、明日はそれが起こる日だ。
次の日はまぶしいほどの日の光が辺りを照らしていた。うだるような暑さだ。今日はお祭りだ。この町の。この町で今日の夜に大きな霧がかかり朝になるとその日差しがキリを照らし幻想的な雰囲気をかもし出す。今日は昔からの言い伝えでもっともその霧がかかるひだといわれている。だがそんなことなど関係ないように今日はまぶしいほどに日の光が辺りを支配している。辺りには太鼓の音が鳴り響き、お囃子が聞こえる。朝からにぎわっている。
「おかあさん。早く、早く。」
由紀がはしゃいでお母さんのすそを引っ張っている。それに困ったような嬉しいような顔で由紀子さんが由紀を見ている。
「ねぇ、いこうよ。月島さん。ね?行こうよ!」
忘れていた。自分にも娘がいたのを朝から浴衣を由紀子さんに着せてもらい上機嫌の夏だった。俺は由紀子さんにお礼をいうと自分の娘が引っ張っているすそを払った。
「うるさいなあ。少しは落ち着けよ。」
正直な話、月島はついてきて欲しくなかった。自分は見届けなければいけないからだった。今日が最後の刻限だった。由紀子さんにうった崩壊薬。それによって最後、由紀子さんは死ぬだろう。だが、崩壊薬は最後に撃った人間に恐ろしいほどの肉体的変異を遂げさせ暴走することがある。つまりは化物になる可能性がある。そして、それに終わりをもたらすのは自分ではない。その役目は違う。だが、もし躊躇したり止めを刺しきれなかったときには月島が終わらせるしかなかった。
「いいですよ。こちらは。この子をお願いするときまでは。」
由紀子さんは答えた。月島は無言でうなずいた。
「少しの間だけだ。俺には仕事があるからな。」
「やったぜー!」
はしゃぐ夏輝をみて肩をすくめる月島だった。
「で?何で?」
なぜか全員ついてきた。月島に。やめて欲しい。皆を夏輝が睨んだ。
「何が不満だ?夏輝。まあ、瑠璃さんと小梅さんがついてこないとは思わなかったけどな。」
もはや初めから諦めていたのか月島はため息をついただけだった。
「お前らどっかいけよ!今日は月島さんと二人っきりがいいんだ!デートがいいんだ!」
「ハイカラな言葉知ってんだな。まあ、俺にその気はまるで無いが。」
娘といるような感じだという前に思い切り足を踏まれた。涙目な月島に腕をとって引っ付く夏輝にさらにため息をつく月島。
「離れなさい!いい月島君はね。夏輝ちゃんの彼氏じゃありません!年上が好みなんです。」
その論法でいくと俺の好みの範囲に瑠璃さんは入らないわけだが面倒なのでほっておいた。小梅がこちらを向いた。その顔は酷く真剣だった。
「大丈夫?」
「何のことだ?大丈夫に決まってるだろう?似合うぜ。その着物。」
「馬鹿。」
俺は本当に馬鹿だな。本当に。
月島はそんなことをぼんやりと考えていた。あれほどうるさかった蝉が今日は元気が無かった。弱弱しくそれでも泣いている。
夏祭りが始まった。俺たちは始めに射的をした。夏輝がやりたがったのでお金を渡した。銃を手に取り子供のようにはしゃぐ夏輝。
「えい!」
けれど弾はどれにも当たらない。あらぬ方向に飛んでいくだけだ。夏輝は何度も繰り返したが結果も何度も繰り返した。
「お金!」
「やめとけ。お前才能ないぞ。貸してみろ。」
夏輝から銃を取り上げた。お金を店主に渡すと俺は何が欲しいか夏輝に聞いた。
「あの指輪!」
「あんな安物か?まあ欲しいならいいけどな。」
月島は適当に返事をしつつ指輪を狙った。どうやら銃の弾は斜めに飛んでいくようだ。それを計算に入れて銃を撃った。そして指輪は転がり落ちた。
「ほらよ。」
「やったー!」
じぶんがとったわけでないのに喜びまくる夏輝にため息を月島はついた。見ると瑠璃さんがこちらを見ていた。いきなり指を指した。
「あの人形とってください。」
そこには巨大すぎる人形がおいてあった。流石の月島も言葉を失った。そしてそこ視してから瑠璃さんの方を向いた。
「流石にそれは。」
「とれますよね?」
月島は風車に立ち向かうドンキホーテの気分になった。ため息をまたついた。
結局とれずに同じような指輪が取れただけだった。微妙に不機嫌な瑠璃さんだったがこれはどうしようもない。月島はまっていた小梅にりんご飴を渡した。
「好きだっただろ?」
「そうね。そうだったわね。」
小梅は懐かしそうにりんご飴を受け取った。
「月島さんは変わらないわね。いつまでも。」
それを聞いて眉をひそめる月島。
「当然だろう。そんなこと。」
「僕にもかってくれよおー。」
「わかったよ。」
小島の催促にイラついた声を出しながら月島は小島の元に向かった。たこ焼きを買えというので買ってやった。ため息をつく月島だがその顔はそれほど困ってはいないようだった。時間は過ぎていくのが早かった。あっという間に夕暮れになりあたりは暗くなる。そして盆踊りが始まった。月島は始まる少し前に由紀子さんと会っていた。
「大丈夫ですか?」
「ええ、まだ、あの娘とまだ花火を見ていませんから。」
その顔は笑顔だった。だが顔からは汗が出ていた。熱いだけではないだろう。そして小刻みに震えている。
「お母さん、行くよ!」
由紀が母親の手を引いていく。笑顔で手を振った。だけど見えなくなってから月島はその手をぎゅっと握った。しばらくの間ぎゅっと。
月島は盆踊りの会場を見ていた。いや、見ていたのは由紀子と雪だけだ。それ以外は見ていない。月島には分からなかった。どうしてあそこまで笑顔でいられるのかが自分が死ぬのは恐くないのだろうか?そんなことを考えていた。丈はその二人を沈痛な面持ちで見ている。そうやって眺めていたときだった。
「おい!なあにしてんだよ!踊ろうぜ月島さん。」
そこには笑顔でこちらの手を取る夏輝がいた。その笑顔を見ていたら少しだけ、ほんの少しだけ気持ちが分かったような気がした。そして、月島は夏輝手を握り返した。
「ああ、少しだけな。」
二人は踊り始めた。全く月島は踊れなかった。そして夏輝も。けれども夏輝はずっと笑顔だった。不思議な顔で夏輝を月島は見ていた。
「どうしたんだ?」
「いや?楽しいか?踊れなくても?」
「楽しくないのか?」
不安そうな顔で夏輝が聞いてきた。さっきまでの笑顔が無性に月島は見ていたくなった。それに、さきほどまで下手であることが苦痛でなかった。月島は少し笑った。
「いや、そうだな。楽しいな。」
二人は踊った。知らない歌で知らない踊りで踊れなくても。
蝉の声はいつの間にか小さくなっていた。
花火は始まった。空につぎつぎと光の花が咲いていく。ぽっぼっと辺りが花火が上がるたびに照らされる。由紀子と由紀はずっと話をしていた。
「月島君?どうしてさっきから由紀子さんのほうばかり見るのかな?」
突然話をふられ驚く月島。その弾みでさっきまで繋いでいた夏輝の手を離す。それに不服そうな顔をする夏輝。
「いや、そうか?」
「そうです!夏輝ちゃんとばかり喋るし!えい!」
いきなり瑠璃さんに手を肩を組まされた。手も強く握られた。いきなりのことだった。そして少しだけ昔を思い出した。そうだ俺の妹もこんなことを。月島が少しぼーっとしていたらさらに強く握られた。正気にもどる月島。
「話してくれ!瑠璃さん。」
「いいじゃないですか。ねぇ瑠璃ちゃん?」
その顔は笑っていたがちっとも友好的でなかった。その証拠にいきなり夏輝の顔が真っ赤になる。月島はあたふたしている。だがそれでも手は取れない。
「離れろ!年増管理人。」
「何ですって!」
そんなことを言い合っていたがこの花火で一番の大きな花火が上がる。辺りに花火の爆発の音が響く。その大きな花は一瞬だったがとても綺麗な赤色をしていた。とても綺麗な。
皆が言葉をやめてその光景に囚われていた。
私は今にも倒れそうだった。けれどもとても楽しかった。とても幸せだった。この娘と手を繋いでいたから。いられたから。
「お母さん?どうしたの泣いて?」
「あんまり楽しいから涙が出てきちゃったの由紀ちゃん。」
「泣いちゃ駄目だよ。楽しいときは笑わなきゃ。」
「そうね。」
私は笑った。とにかく笑った。そして花火がつぎつぎと上がる。そして一番の花火が上がった。とても綺麗だった。とても大きくてとても鮮やかな赤色だった。
花火大会が終わった。月島は仕事があるからといって皆を先に返した。丈が寝た由紀ちゃんを負ぶっている。おんぶされている由紀は寝息を立てて幸せそうな顔で寝ている。
丈は先に由紀子さんのほうへ向かった。月島はとぼとぼと暗闇の中を歩いている。
「結局、誰にも話さないんだね。月島さん。」
「小島、まだいたのか?もう帰れよ。ここから後は気持ちのいいもんじゃない。」
いつもの軽薄そうな顔ではなかった。もっと真剣でもっと他の何かだった。小島はこちらを真っ直ぐ見ている。
「僕は嫌だよ。」
「大丈夫だ。多分一番残酷なことになる。」
「あんたは、、、、」
それっきり小島は喋らなくなった。そのまま月島は前に進んでいく。小島の背中はうな垂れていた。そして唇をかみ締めた。暗闇で顔は分からなかったが口からは血が一筋流れた。
「いつまでついて来るんだ?小梅さん。」
背後でがさっという音がする。だが出てくる気配は無い。月島は後ろ越しに拳銃をかめた。普通の拳銃だった。だが後ろは月島は見なかった。
「これ以上関わるなら容赦はしない。ここからは俺たちだけの問題だ。」
それだけをしっかりと告げた。後ろは分からない。だけど月島は何度も謝った。何度も謝りながら前に進んだ。
「すまない。」
そのとき夏輝は月島たちが来ないのをおかしく思った。そして月島を探しにまた会場にもどっていく。
「なにやってんだよ。月島さんは。」
そうやって夏輝は暗闇を走った。恐くなかった。だって月島がいると思うと楽しくてしょうがなかったからだ。
「父さん。お願いします。」
そこには二人いた。親子がいた。だけど娘は父親の顔を見ようともしなかった。ただうつむいている。丈は銃を構えた。銃を由紀子の頭のうなじの部分に向ける。そして薬品の入ったカートリッジをこめる。がちゃっという鈍い音がする。引き金に力をこめる。その手は震えている。力をありったけ丈はこめた。だけど引き金が引けなかった。
「出来ない。わしには。」
「ふざけるな!今更、親ぶるな!兄さんは死にました。貴方のせいで。月島さんは殺さなければならなかった。貴方のせいで。」
いきなり由紀子は前を見た。丈の顔を真っ直ぐとみつめた。その瞳にあるのは怒りだった。そのまま銃を見ながら見続ける。
「すまなかった!すまなかった!」
必死に謝る丈。手からは銃が落ち、そして土下座する。何度も頭を地面にたたきつけた。額からは血が流れ出る。だがそれでも由紀子は丈に銃を無理やり握らせ立たせた。
「本当にすまないと思うなら、本当に反省しているなら引き金を引けよ!私はあんたに、あんたは自分が出来るだけ痛くなりたくないだけよ。私からこれ以上何を奪うの!」
絶叫だった。そう、彼女にはもうそれが父親なのかさえ分からなくなっていた。ただ、もう意識を失いそうで本当に辛かった。
「があああああああああ。」
彼女はいつの間にか叫んでいた。体が少しずつ透けて、さらに彼女から髪の毛が抜けていった。そして腕が皮膚を引きちぎる音を立てながら伸びていく。
その光景にただ呆然となる丈。後ろから月島が現れて思い切り丈を殴る。
その痛みで反射的に月島を丈は睨んだ。
「もう、時間が無い!せめて人間のまま終わらせてやれ!これ以上彼女から何を奪う毛だ!」
「お前さえいなければ!」
思い切り胸倉をつかんだ。そして月島は思い切り殴った。そして由紀子さんの方を向かせる。その姿はさらに酷くなっていく。辺りには血だまりが出来ている。血で真っ赤な顔をして由紀子がこっちを向いた。
「いいか!あれを作ったんだお前は!娘をあんなものにしたんだお前は!息子は自分の最愛の人を殺した。それでもアイツは死ねなかった!だからお前がやらなきゃいけないんだ!」
「うああああああ。」
丈は引き金を引いた。引き金は由紀子の体を貫いた。体の変化が収まる。そして伸びていた片方の手がぼろぼろと崩れた。それでも由紀子は歩いていく。足が崩れた。それでも歩いていく。その目指す先には由紀がいた。寝ている。一心不乱に。そして片方の腕が由紀に触れた。そして崩れた。
「死にたくない!死にたくないよ!ねぇ。死にたくないよ!」
由紀子は泣き出した。恥も外聞も無くただ泣き出した。足も無い。手も無い。それでもはって顔を由紀の顔に近づけ頬ずりをした。なんども、なんども。
丈は放心状態でその光景を見ている。そして月島は銃を胸から取り出し、二人の元に歩いていく。
「すまない。だが、」
「いいんです。それでもそれでも、私は、私は生きていたかった。」
泣きながらなんども何度も顔をこすり付ける。それでも由紀は目覚める気配は無い。すやすやと寝ている。ただ女の泣き声が聞こえていた。男のざんげの声が聞こえた。
そしてタン、タンという音がなった。
蝉はジジジと泣いていたがそのまま崩れ落ちた。
雨が降ってきた。
「なんだよ!なんだよ!これ!」
いつの間にか夏輝が来ていた。そしてこの光景を見ていた。あたりには雨が降ってきた。それでも月島は泣いていなかった。泣けなかったのかもしれない。
ただ夏輝の声がなんども何度も響いた。
「なんでこんなにも冷たいんだ。」
月島は呟いた。
もう、蝉は一匹も泣いていない。
暇つぶしにでもしてもらえれば幸いです
台詞等 参考鉄人28号




