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緋と翠


 隠れ家に戻ってから、早一月ほどが経とうとしている。カトレアほどではなくとも、深まった冬の寒さは肌に染みた。

「よし、もう一回だ、レナード」

 そう言って訓練用の竹刀を構えるのは、ブライアン。レナードの一番と言っても良い程の友人で――この形での稽古も、もう数え切れないほど繰り返してきた。長年こうしていれば漫然ともしてきそうなものだが、互いの性格がそれを許さなかった。レジスタンスの一員として、魔導士の為に戦う。それを目的に、ただただ直向きに手合わせをし続けてきたのである。

「どこからでも来い」

 ブライアンの眉間の延長線上ぴったりの位置。正しく剣を構え、レナードは親友の攻撃を迎え撃つ。右、左、刺突。寸前まで堪え、見極め、弾く。互いの実力は拮抗している。癖も熟知している。だからこそ、基本を忘れない。先日の獣の集団を相手取ったときも、そうした鍛錬の積み重ねがレナードの身体を冷静に動かしたのだと、信じて疑わなかった。

「あら、まだやっていたの。もうお昼前よ、二人とも」

 短時間でこの生活に馴染んだフェリシアは、当番を済ませたのか盥に沢山の洗濯物を抱えている。

「もう、いつ戦闘に入ってもおかしくないんだ。手なんか抜けないさ」

 レナードの言葉に、ブライアンも当然だというように頷いた。

「フェリシアだって、毎日毎日ルイスの元で傷の手当を教わったりしてるわけだろう。俺達は俺達のできることをやるんだ」

「まあ、それは分かるんだけれど。二人とも頑張りすぎよ。少し足を止めないと、大事な物を見落としそうだわ」

 そう言って、フェリシアはこちらへ駆け寄ってくる。

「と、いうわけで……。洗濯物を干すの、手伝ってくれない。レナード」

 頼まれれば、断る理由も無い。ブライアンに軽く手で「行ってくる」と示すと、フェリシアから盥を受け取る。

「結構重いな……。これ、ずっと持ってたのか」

「まあね。だから、助けてほしかったの」

 花のような笑みを向けられて、悪い気はしない。簡単に立てた二本の棒に紐を張り、皺を伸ばしながら洗濯した服や寝具を干してゆく。白く小さな手で懸命に作業をするフェリシアをぼんやりと眺めていると、「働いて」と叱責が飛んできた。

 風に、フェリシアの髪が舞った。

「ねえ、レナード。隊長に、ちゃんとお話ししようね」

「ああ。今晩」

 ――出会ってから一月と少し。フェリシアがデイモンを「隊長」と呼ぶようになってからも、少し。

 レナードは、フェリシアを心から愛するようになった。自分でも驚く程、フェリシアに急速に吸い寄せられていった。そしてそれはフェリシアも同じことだろうと、確信をもって言える。

「私、あなたの目が好き。あなたのその、澄んだ緋色の瞳が大好き」

「そういうこと、直接言うのは恥ずかしくないか」

 まじまじと見つめられて、レナードは目を逸らした。

「あら、じゃあレナードは私の事が好きじゃないの?」

「いや。……その、そういうわけじゃ」

「じゃあ、言って。ちゃんと言って」

 敵わないな、とレナードは思った。翠玉の双眸で見つめられて、どうしようもなく胸が締め付けられる気分だ。

「愛してる」

「ふふ。……うふふ」

 頬を染めてはにかむフェリシアは、

「乙女としては、やっぱりこういう場面に憧れるものなのよね」

「ふん。乙女なんて歳でもあるまいに」

「……言ったわね!」

 フェリシアの両腕が伸びてくる。細長い指がレナードの頬を掴むと、一通り顔を揉みくちゃにされる。

「おい、お前さん達」

 唯一自由の利く視線が、声のする方を捉えた。――ブライアンだ。彼を待たせていることを忘れていたのに気がついて、すかさず謝罪した。

「仲が良いのは結構だが、そういうのは夜にやれ」

「……検討するわ」

 大真面目にフェリシアが言うので、何とも言えない恥ずかしい気持ちになる。

「別に、邪魔しに来た訳じゃないんだ。隊長が呼んでる」

 レナードを見て、ブライアンが言った。

「俺か? 何も用事が思いつかないが」

「……そろそろ、決行するのかもしれんな。少なくとも、ここのところ隊長たちがぴりぴりしてるのは事実だろう」

 ブライアンの言葉に、思い当たる所はある。遂に始まるのか、と身体が硬くなるのを感じた。

「とにかく、行ってくる」

 無意識に声まで引き締まる。デイモンの待つ隠れ家まで、早足で引き返した。


「親父、戻ったぞ」

 扉を乱暴に叩くと、いつも通りの返事が届いた。部屋に入ると、蝋燭の煙が充満している。重苦しい空気に、相当長時間この男が部屋に籠もっていることが分かる。部屋の一番奥で机に肘を突き、何か書き物をしていたらしい。レナードの来訪に、デイモンは筆記具を投げ置いた。

「やっと来たか、レナード。お前に二つばかし、話があってな」

 デイモンの顔には、酷い疲れが浮かんでいる。くっきりと刻まれた目元の皺が、普段の様子とは大きく違う。

「ああ。……根を詰めすぎじゃないか、親父」

 それを無視して、デイモンは話し始める。

「全体には、今晩説明する予定だが。お前には、先に全部話しとく」

 そう言って、デイモンは机の端に手を伸ばす。手に取ったのは、紙の束だった。何度も折りたたまれたのか、折り目が擦り切れている紙を雑に開くと、机に叩きつけた。

「レナード。俺は、かなりお前を買ってるつもりだ。息子の贔屓目を抜きにしても」

 デイモンは、何時になく真剣な目で言う。自惚れではなく、そのデイモンの期待に応えるように、頷いた。

「王都周りの地形図だ。かなり古いが、大まかな部分は同じ筈だ。新しい橋なんかは書き加えてある」

 地図は、容易に入手できる物では無い。レジスタンスのような反逆者集団の手に渡らぬよう、騎士団が厳重に管理している。密偵によって主要路などは網羅してはあるが、詳細な地図などは得る手段が無いのだ。

「耳、()穿(ぽじ)って聞けよ。魔導士の……レジスタンスの人数で正面突破は無理だ。だから、必然的に奇襲を狙うことになる。魔導士の能力を最大限に生かすにはこれしかない」

 現在のレジスタンスの人数は、大凡五十。国王が擁するブルーメ騎士団の兵力は――聞き及ぶ限りでは、その百倍は下らない。

 人智を超える力を持つといっても、その差は余りに大きい。それを、どう埋めるというのか。

「実行はもう少し先になる。具体的には、今から二月と三日後だ」

「何か良い案があるのか?」

 本来であれば、一刻も早く行動に移したいのが心情だ。こうしている間にも、カトレアの魔導士達の立場は苦しいものになっているはずだった。――あれ以降、二回ほどレジスタンスからも人を送り、その度にこちら側に立場を移す魔導士が増えた。それほど、現状は深刻だった。元は三十程だった組織が、瞬く間にここまで膨らんだのだ。

「国王……ロナルドの野郎が、王都の中央通りに姿を現す。即位三十周年の祭事らしい」

 城は当然、簡単に侵入を許すような構造では無い。だが、国王がのこのことやってくるというのなら、確かに幾分か叩きやすくなる。

「大まかには、班を二つに分ける。一方は国王を斃し、もう一方が城を占拠する。詳細はこれから話し合いで詰めるつもりだが、お前にも指揮を執ってもらいたい」

「俺が? 適任者は、他にもいるだろう」

 何しろ、レナード自身にこういった作戦への参加経験が無い。大多数がレナードよりも圧倒的に経験を積んだ者達だ、余程安心感があるだろう。

「ああ。どちらに配属するにしろ、全体の指揮は俺が執るつもりだ。お前に任せたいのは、精々数人組の……騎士団風に言うと『小隊』みたいなものだな。

 必要な知識も、戦術も、全部教える。この少人数で国相手におっぱじめようってんだ、使えるもんは全部使う。だから――先に、()()は済ませてもらいたくてな」

 覚悟。レナードは、無意識に唾を飲み込んだ。

「まあ、なんだ……。お前、昔からどっか頼りねえからよ。父親としては、色々心配なんだわ」

 少し表情を緩めたデイモンに、レナードも苦い笑みを浮かべた。

「何時まで俺を子供扱いするつもりだ。最近に限れば、稽古でも親父相手に二本に一本は取ってる」

「馬鹿言え。手加減してるんだよ、手加減。……まあ、そうだよな。お前ももう、ぴいぴい泣き喚く餓鬼じゃねえんだよな」

 デイモンの目が、宙を泳ぐ。男は何かを迷うように、小さく唇を噛んだ。

「何だよ、親父……」

 カトレアに行く前に、デイモンが同じような表情を見せたことを思い出した。歯切れの悪い様子が、あのとき同様……彼らしくない。

「……先に、謝っとく。お前を傷つけるつもりじゃなかった」

 レナードは、デイモンの言葉に、何故かこみ上がるものを感じた。未だ何も語られてはいないにもかかわらず、とても不穏で――不思議な感覚だった。

「なあ、ずっと立ち聞きしてたんだろ。入ってこい」

 デイモンが不意に、レナードの背後へ声を投げる。思わず振り返ると、そこにはフェリシアが立っていた。

「…………お前ら、恋人同士なんだってな」

 予想外のデイモンの問いに戸惑いながら、レナードは頷いた。

「結ばれたいとも、思ってる」

「本気よ。二人で決めたの」

 静かに歩みを進めたフェリシアは、レナードの横で立ち止まる。伸ばされたフェリシアの細長い指先は、そっとレナードの節くれだった手に絡められる。

「……駄目だ。そればかりは、許せない」

 デイモンは、表情の無い顔で言った。

 拒絶されると思わず、レナードは声を失った。

「嬢ちゃんも、わかってんだろ。もう少し自分の置かれた立場を認識しろ」

 フェリシアの横顔に、一瞬陰りが見えた。長い睫毛が伏せられて、瞳の色を隠してしまう。

「何でなんだ、親父!」

 湧き上がる感情が、手に力を込めさせる。フェリシアの細い指を感じると、僅かに握り返されたのがわかった。

 長い時間部屋を照らし続けた蝋燭が一本、燃え尽きた。独特の煙の匂いと共に、部屋が少し暗さを増す。

「…………お前に」

 僅かな沈黙の後、デイモンは重い口を開く。

「お前に、ずっと黙っていたことがある」

 デイモンの顔が、歪む。

 なぜだか、それを聞くのがどうしようもなく恐ろしいことに感じた。だが、デイモンは意を決したようにレナードの瞳を見た。

「……お前は、俺の実の子供じゃないんだ」

 ()()()()()()()()()()。耳から入ってくる情報が、頭の中で処理されずに抜けていくように、あまりに空虚だった。

「お前は、その……赤ん坊の頃に山に捨てられてたところをな、拾った」

「冗談はよせよ。全然、面白く……ないぞ」

 努めて明るく言ったつもりだった。だが、自分でも認識できるほど、喉を抜ける声は震えていた。

「……冗談だったら、良かったと思うぜ」

「俺は、なら、一体誰なんだよ」

「魔導士の子ではないのは、確かだ」

 夢を見ているのかと、疑った。だが、背中に回されたフェリシアの腕が、残酷なほど現実に感じられる。

「身体に聖痕だって、あるじゃないか」

 魔導士の証だと、信じて疑わなかった謎の紋。魔導士でないのなら、この呪いのような痣は何だというのだ。

「……そればかりは、俺にもわからねえ。だが、お前は――人間だ」

 ざあっと血の気が引く音が聞こえた気がした。いつの間にか指先が冷え切っていて、ひどく寒い。

 追い打ちを掛けるように、デイモンは言った。

「知ってるよな。()()()()()()()()()()()()()()()()()。フェリシアは、風の一族・リブラの末裔。魔導士にとって重要な血を――()()わけには、いかねえんだよ」

「汚す、だと! まるで俺が……ッ」

 感情を抑えられない。空いた手が、無意識に拳を作っている。食い込んだ爪が、掌を傷つけた。

「わかれ、レナード。俺だってこんなことを言いたくはねえよ。でもよ、こればかりは駄目なんだ」

 何も見えなかった。フェリシアの指がそっと離れたと思うと、次の瞬間には細腕が二本、しっかりと背中に回されていた。

「……ごめんなさい、レナード。私、知っていたの」

「な、ぜ」

「あなたが捨てられているのを見つけたの、私だったから。……お父様に、連れてきてもらったとき」

 耐えきれなくなって、フェリシアの腕を振りほどいた。フェリシアの顔に、驚きが張り付いている。

「じゃあ、あんたは何で俺に……! 俺だけか、本気だったのは!」

 八つ当たりなのは理解していた。だが、責める言葉が口をついて――止まらない。

「あんたは何がしたかったんだ! 俺は、本気で!」

 フェリシアの瞳が揺れた。傷ついた目だった。感情を、腹で必死に堪えた。

「違うよ。それでも、レナードが好きなんだよ。痛いくらい、苦しいくらい、本気なの!」

 絶叫するように言ったフェリシアの双眸から、涙がこぼれ落ちた。――目頭が熱くなる。どうして良いか分からず、レナードは身体ごと目を逸らした。

「……頭を、冷やしてくる」

 とにかく、この場から逃げたかった。



 受け容れがたかった。受け容れたくなかった。聖痕だと信じ込んでいた、胸に浮かぶ黒い痣を、掻きむしった。

 龍の半身のように見えるそれは、確かにデイモンの聖痕とは似ても似つかぬものだった。顔も知らぬ母親のものだと思い込んだ。全て、自身に都合の良い妄想だったのだ。

 何よりも、運命とやらの残酷さに絶望していた。一人になりたくて選んだ場所は、雪の積もる切り立った崖。手頃な木に体重を預けて、黄昏れる空を眺めていた。気がつけば西日は地平線の向こうへ消え、月の光が頭上を照らすほどの時間が経っていた。

「もう、頭どころか身体まで冷え切ってるんじゃない?」

 そっと後ろから声を掛けられる。誰かは見ないでも分かった。返事をするのも億劫でいると、腕を引っ張られてしまう。平衡を崩して、雪の中に尻餅をつく。顔を上げると、フェリシアの悪戯っぽい笑顔が正面にあった。

「はい、どうぞ。やっぱり、身体がとっても冷たいわ。風邪を引いてしまう」

 手渡されたのは、フェリシアの外套だった。

「馬鹿は風邪を引かないっていうからな。あんたが着ておけよ」

 どうにも気まずく、自分でも意地になっているとわかりながら、そう言った。

「本当に馬鹿みたいね。……良いの、馬鹿でも。大好き」

 後ろから抱き締められて、自身の頭の横から美しい翠玉が現れる。フェリシアの身体は、温かかった。

「ねえレナード。私、とっても身勝手なの。家の役割とか、血がどうだとか? そんなの、至極どうでもいいことだわ。私は思うままに生きる。私は、あなたと生きるわ」

 身体を僅かに捩ると、行動の意図を察したように、フェリシアが腕をそのままに正面に滑り込んだ。座ったまま、レナードも力強く腕を回す。

「つらいね。レナードがつらいから、私もつらい」

「フェリシア。愛している、愛して……」

 譫言のように繰り返すレナードに、フェリシアはじっと耳を傾けていた。

 不意に、フェリシアの唇がレナードの耳に寄せられた。

「ね。一緒に、逃げちゃおっか」

 囁かれて、レナードは息を飲んだ。

 とても、フェリシアらしい提案だった。そして、その思いつきが心躍るものであることは間違いなかった。

 ――できない。何故だろう。そうしたいと心から思う自分がいるのに、何故迷わず選べないのだろう。

「できないでしょう。知ってるわ。レナードは優しいもの。周りの皆を傷つけてまで、それを選べないのね。でも、それがレナードなのよね」

 レナードは、首をゆっくりと振った。首を傾げたフェリシアに、唇の端を小さく持ち上げて見せた。

「わからせてやろう。魔導士も人間も関係ないと。理解し合える。愛し合えるのだと。()()()()()()、わからせてやるんだ」

 フェリシアの目が丸くなる。目尻に力が籠もると同時に、艶やかな薄桃色の唇が大きな弧を描いた。

「それはきっと、とても痛快なことだわね」

 ――どちらともなく、互いの瞳を見つめ合った。沈黙。周囲の時が止まってしまったかのように、静かで、穏やかな闇だった。期待するように目を閉じたフェリシアが、小さくはにかむ。レナードは片手で髪を撫でると、ゆっくり、ゆっくりと唇を重ねた。

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