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魔導士の大地(2)

「あら、お帰りなさい」

 二人が家に入ると、コーデリアが出迎えてくれた。暖められた部屋で腰を下ろして、一息つく。

「どうだったんだい? 話し合いはさ」

 セオドアに紅茶を手渡されて、レナードはありがたく受け取った。食糧の類いは持参しているのだが、多少荷物になっても葉を持ってきたのは正解だった。

「ああ。あれは、決裂……で良いのか」

「決裂って言う割には隊長の機嫌がそこまで悪くなさそうだけどねえ」

 セオドアは、言いながらデイモンを一瞥した。カトレアに来ると大抵機嫌が頗る悪くなるのがデイモンである。故に、ひとまずレナードに結果を尋ねたのだろう。不機嫌な時のデイモンに話しかけると、非常に面倒なことになるのである。

「なんでえ。……これから先、レジスタンスは国王に宣戦布告する。お前らには未だ言ってなかったが、俺達で随分準備も進めてあるんだ」

 デイモンは、至極真面目な顔で言った。最初からそのつもりで、カトレアへ来たのか――初耳であるコーデリアやセオドアからは驚いている様子が見て取れ、二度目であるレナード自身も額から流れる汗を感じていた。その行為の重さは、十分理解しているつもりだ。

「長老共が楽観的なのか、只の阿呆なのかはしらねえ。だが――もう、魔導士には後がねえよ。国王を殺して、今の王政をぶっ壊す。これしか、方法は残っちゃいない」

「……親父、本気なんだよな。普段は慎重な親父がそんなことを考えていたとは、予想もしなかった」

 レナードは、デイモンの側でずっと育ってきた。常に仲間のことを考え、危険を伴う行動は最小限になるよう常に指揮を執ってきたデイモンが、こうも大胆な決定をするというのは。

「ああ。端から反政府勢力だからな、俺達は。……ある意味では、魔導士達にとって今回の話し合いは最良の結果かも知れねえな。作戦が失敗に終わっても、カトレアの連中は『レジスタンスが独断で起こした出来事で、大部分の魔導士は関わっていない』と言える。少なくとも、今より魔導士の現状が悪化することはねえよ」

 デイモンは、レジスタンスだけでなく――魔導士全てを守るつもりなのだ。レジスタンスにも、家族をカトレアに残して加わる者が多い。それらは偏に、魔導士全ての為。魔導士が、「人」として生きるため。

「……用は終わったからな。明日には帰るぞ。先のことは、それから隠れ家で決めような」

 それだけ言うと、話は終わりだというようにデイモンは床に肘をついて寝転がった。

「とりあえず、飯にしようや。腹減ったわ」


 保存の利く干し肉や、硬いパンだけの食事を終えると、各々が床についた。寝室には寝台が一つしか無く――デイモンと、その妻の二人用だったらしい――、それをコーデリアに譲り、レナード達は居間での雑魚寝を強いられることになった。それでも長椅子に横になれたデイモンやセオドアはまだ良いのであろう。就寝の挨拶をすると、直ぐにデイモンの鼾とセオドアの寝息が耳へ届いた。

 何かと立場の弱いレナードは一人、薄い絨毯があるだけの木の床に横になって、眠れるまでの間天井を見つめていた。底冷えする身体を暖炉に近づけて、レナードは毛布に丸まって眠ろうとする。しかしどうやっても寝付けず、深いため息をついた。

 日が明ければまた、隠れ家まで数日は歩くことになる。今寝ないと翌日以降が辛いのだが、そう思えば思うほど目は冴えてくる。

 理由は分かりきっている。国王に宣戦布告する――そのことの重大さが、レナードの心を支配していた。

 何度目か、寝られないことへため息をつく。このまま時が流れるのを待っていても無駄だと判断し、散歩でもしようと考える。レナードは起き上がると、外套を羽織った。眠る二人を起こさないよう、足音を潜めて外へ出た。

 高く上がる月は真円。闇の中で瞬く星が美しく、レナードは空を見ながら当てもなく歩いた。さくさくと小気味良い、雪を踏みしめる音だけが耳に届く。

 不意に目の端に何かが映った気がして、レナードは視線をそちらへ投げた。

 大きな塀がある。その奥にある建物は屋敷と言うに相応しい大きさで、レナードの前に立ち塞がっていた。あまりに上ばかりを見ていたため、こんな場所まで歩いてきてしまっていたことに気がつかなかったのだ。大方、直系一族の何処かの屋敷であろう――引き返そう、と思ったとき、何かが動いた。

 人だ。それも女性だと気がついて、レナードは面食らった。塀の横に、建物の壁付近まで伸びる大きな木があるのだ。その枝の上を巧みに平衡を掴みながら、歩いてくるのは――()()銀髪の女性だ。つまり此処は。そう考えたとき、塀の上から女性が()()()()()

 尻から着地した女性は、照れるようにレナードに笑う。深く考えずに近寄ると、レナードは女性の手を引いて起こしてやった。

「見られちゃった。……ありがとう、レナード」

 尻についた雪を払うと、女性は服の裾を持ち上げ小さく礼をする。雪明かりに照らされる女性は、雪の精のように――美しかった。鏡のように煌めく銀の髪、そして、月の光を浴びて浮かび上がる碧眼。

 見つめながら、握り続けていた手に気付いて、レナードは慌てて離した。

「あ、ああ。怪我は無いか」

「ええ。雪が緩衝材になるからね、そんなに痛くないわ」

 何でも無い風に言う女性に、レナードはふと先程の女性の発言を思い出した。

 ――何故、この女性はレナードの名前を知っているのだろう。そう思考を巡らすレナードを見透かすように、女性はまたその形の良い唇で弧を描いた。

「一応、初めましてなのかな。フェリシア・スピカ・リブラといいます。……ああ、貴方の自己紹介は要らないわ。貴方の名前はレナード。レナード・エンケラドス」

 まくし立てるように、フェリシアは話す。

「ああ、なんで知ってるのかって顔してる。それはもう、本当は『初めまして』じゃないからよ」

「……? すまないが、思い出せないな」

 これ程印象的な人を忘れることがあるだろうか。内心で首を傾げていると、フェリシアの悪戯っぽい笑い声が聞こえてくる。

「まあ、それは良いのよ。場所を変えましょう。ここだと、お爺様に見つかってしまう」

 フェリシアはレナードの手首をぐっと遠慮無く掴むと、威勢良く歩き始めた。

「ほら、家の中って退屈じゃない。だから抜け出してきたのよ。貴方もそうでしょう?」

「いや?」

 退屈だからという理由で外に出てきたわけではない。否定すると、フェリシアは「ふぅん」と少々不満げな顔になった。

「お爺様ったらね、あんまりお外に出してくれないのよ。だから私、深夜に窓からこっそり外に出るのが密かな楽しみなの」

 レナードは、後ろを振り返って屋敷の方を見た。開け放たれた窓からは窓掛けが垂れていて、その下に丁度太い木の枝があるのだ。まさか、窓掛けを伝ったのか……とレナードは苦笑いした。

「帰りはどうするんだ? 木から塀ごと飛び降りることはできても、外からは手が木に届かないだろう?」

「そんなの、塀に足を掛けて、頑張って登るに決まってるじゃない」

 何でも無いように言うフェリシアに、レナードは、

「た、達者だな……」

 と言うことしか出来なかった。

 何処に連れて行かれるのだろう、と思いながらついて行くレナードに、不意にフェリシアが口を開いた。

「ふふ。あなたのその緋色の瞳、とってもきれいだなって思ってたの。小さい頃から、変わってない」

 その言葉に、レナードは眉を顰めた。

「幼い頃に、会ったことがあるのか?」

「ええ。レナードが、こんなのときに」

 フェリシアは、両手で赤ん坊を抱えるような仕草をした。

「…………年上?」

 自分でも間抜けな声が出たように思う。可笑しそうに笑うフェリシアは、人差し指をレナードの唇にそっと押し当てた。

「二十八だよ、私」

「て、てっきり年下かと……」

 レナードより、四つも上ではないか。屋敷を抜け出すなどと言う大胆な――否、子供じみた行動をとっても、にわかには信じがたい。

「お屋敷に閉じ籠もる生活をしてるとね、全然年をとらないのよ。良いことじゃないわ」

 少し寂しげな顔をしたフェリシアに、レナードは何とはなしに尋ねる。

「出たいと思わないのか?」

「思うよ、いつでも。外の世界のことを知りたい。カトレアよりももっと外のこと」

 誘導されるままに足を前へと運ぶうち、とうとうカトレアの端――外壁付近までたどり着いてしまった。僅かに数本立ち並んだ木々の中に迷わず入ると、一本だけ縄が垂れている木があった。

「登って。先に」

 フェリシアの服装では、下着が見えてしまいかねないのだろう。言われたとおりに登って下を覗くと、フェリシアが縄を握って中々豪快に登る姿が見える。少し考えたが、縄を上から引き上げて手伝ってやった。

「ほらここ、枝の二股になってるところ。ここに立つとね……壁の外が、ちょっとだけ見えるのよ」

 確かに、フェリシアの身長ではそれが限界なのかもしれない。レナードの身長なら、それなりに外が見えるのだが。この先に広がっているという海も、昼間なら見えるかもしれない。

「私の秘密基地なの、ここ」

 月明かりに照らされたフェリシアの鼻筋。瞳には、外の世界への憧憬が見え隠れしている。

「俺に教えても良かったのか?」

「うん。でも、その代わりに教えてよ。私は貴方の生活が聞きたいわ。外で、どんな風に暮らしているのか。外には、どんな世界が広がっているのか」

 問われて、レナードは少し考え込む。当たり前の生活を、どう話せば良いというのだろう。

「何でも良いのよ。貴方は何を考えて生きてる? きっと、その中に世界はあるの」

 それから、随分話し込んだ。いや、一方的に、レナードは話した。レジスタンスの活動のこと、先日の子供を送り届けた日のこと――そこで受けた扱いのこと。綺麗なことばかりを並べはしなかった。取り繕うことも飾り立てることもせず、ありのままを。なぜだか、そうすべきだと思わされたのだった。

 彼女はただ黙って聞いていた。時折頷きながら、ただ楽しそうな笑みを顔に浮かべながら。

「……レナードは、お父様のこと、大好きなのねえ」

 フェリシアが唯一口を挟んだのは、デイモンとの記憶をぽつりと漏らしたときだった。

「別に、好きってわけじゃ……。昨日、あんたも見たろう? 言葉遣いは汚い、乱暴、おまけに食べ方も――いや、いい。……尊敬はしてるんだ。俺はずっと親父の側で見てきた。親父は誰よりも魔導士のことを考えて、誰よりも仲間想いで、優しい。それに強い」

 にやにや、としか表現のしようのない顔でフェリシアに見つめられて、レナードは口を噤んだ。これでは、フェリシアの言葉を肯定したも同然ではないか。

「……もう亡くなって随分経つのだけれど、私も私のお父様が大好きだったわ。小さい頃から外の世界に連れ出してくれて――その度に、お爺様とは大喧嘩だったけれど。貴方に会ったのも、実はそのときなのよ。レジスタンスができて暫くして、お父様が様子を見るついでに私も連れて行ってくれて」

 堰が切れたように、フェリシアが言葉を紡ぎ始めた。

「ここは窮屈なのよ。リブラ家の血を引く者として、自覚を持ちなさい。魔導士としての伝統に従いなさい。こんなことばかりで、私を私として見てくれる人なんて、もうここには居ない」

 何かを言わなければ。そう思ったとき、風が不意に吹き抜ける。見上げれば、頭上を照らしていた月がその役割を太陽に譲ろうとしていた。

「……かなり長いこと話し込んじゃったね。私、もう帰ろうかな」

「送っていくぞ」

 流石にこの狭い魔導士の社会で邪な目を向ける者も居ないだろうが、一人で帰すのも気が引けた。

「ううん。もうじき明るくなってしまうし、運が悪いとお爺様に見つかっちゃうかも。レナードが一緒だったら、大変なことになるわ。私が先に出るから、レナードは時間を置いてから出てほしいな」

 フェリシアは少しの躊躇もなく木から飛び降りると、どうにか無事に着地してみせる。

()()()、レナード」

 それだけ言うと、フェリシアは振り返りもせずに来た道を戻り始めたのだった。


 ただの散歩のつもりが、随分話し込んでしまった。もう寝る時間も無いな、とレナードは苦笑した。だが、それでも――楽しい時間だった。そこに後悔はない。

 数刻ぶりに戻ってきた家の中へと入ろうと扉に手を掛けたとき、背後から突然声がした。

「あら、レニーちゃん。一体何処に行ってたのよ」

 声、そしてその非常に不名誉な呼び名。振り返るまでもなく、そこに居るのはコーデリアだった。

「散歩だ、コーデリア。寝付けなくてな」

 会話に夢中で気にも留めていなかったが、部屋に入った瞬間冷え切った身体に意識が向く。フェリシアもきっと同じく身体の芯まで冷えているに違いない。大丈夫だろうか、とぼんやり思った。

「ふぅん。言えないことなのね」

 若干不満げな様子の幼馴染に肩を竦めると、レナードは未だ夢の世界にいる二人を一瞥して、床に座り込んだ。

「……良いわ。私はもう十分休んだし、このまま起きてるから、レナードあなた寝室で寝てきなさいよ。あとで起こしてあげる」

 コーデリアの言葉に甘えて、レナードは寝台に滑り込んだ。

 忽ち降りてくる瞼の裏には、寒空の下、外壁の奥を必死に覗き込むフェリシアの姿があった。


 レナードが起きたときには、既に朝食の準備がされていた。少々寝坊したようで、既に三人は身支度も済ませていた。

「起こしてくれるって言ったじゃないか」

 レナードは、コーデリアに非難の目を向ける。

「あら、私に文句を言おうなんて百年早いわよ。折角ゆっくり寝かせてあげたのだから、感謝してほしいくらいだわ」

 あっさりと自身の言葉を躱してみせるコーデリアに、肩を落とす。数日間変わり映えのしない、保存食だけの朝食を胃に流し込みながら、デイモンが言った。

「しっかし、昨日の晩は何してたんだか。このくそ寒いのによ」

 せめて口の内容物を飲み込んでから話せと思うが、この男に何を言っても無駄なことはこの二十四年の生活でよく分かっている。

「だから、散歩だと言っているだろう」

 この会話も何度目か分からない。何度否定しても()()なのだ。と、そのやり取りを見ていたセオドアが不意に口を開いた。

「あのね、レナード。一つ良いことを教えてあげよう」

 半ば笑いながら、セオドアは続ける。

「レナードの嘘はわかりやすい」

「全くよ」

 即座に差し込まれるコーデリアの同意に、レナードは項垂れた。意地の悪い笑みを浮かべるデイモンは、無精髭の伸びた顎をざりざりと撫でながら言う。

「こんだけ言いやがらないとなると~……やっぱりあれかねえ。女か。女なのか」

「そんなわけがあるか!」

 すぐさま言い返したが、逆効果だったらしい。セオドアは、今まで見たことのないほどの満面の笑みではやし立てる。

「うわ、えっ、レナード君ってば本当に女の人と会ってたんだ!? はあ~……流石の僕もこれは驚いたよ」

 間違いなく、何かを誤解されている。レナードは、頭を抱えてセオドアの目を見た。

「い、いや……話を聞け……」

「うちのお坊ちゃんにも、ようやく春が来たのかねえ。しかし……はあ~……」

 嫌らしい笑みを浮かべるデイモンは、レナードの肩をばしばしと叩く。

「話を……」

 徐々に声が小さくなってゆくのが、自分でも分かる。恐ろしい形相をしたコーデリアが、レナードに詰め寄る。

「何よ、どういうことよ、誰なのよ、教えなさいよ」

「話……」

「ねえったら」

 レナードは、これ以上何も言うまいと固く心に決めたのだった。

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