咲くやこの花1
世界にこんなに色があるなんて、知らなかったんだ。
死のうと思った。
が、両親がそんな俺を知ってか知らないのかまあどっちでもいいのだが、次の日に引っ越しをすると言い出した。
まあ、理由は単純明快なんだがな。
「別に、父さんと母さんまでくることないだろ。俺だけなんだから」
ここから出るのもいい機会かもしれない、みたいなことを言われた。
勝手にどうぞ、と言いたいがなんだか俺のせいで家族を振り回している気がしてそれはそれで心地が悪かった。別に親孝行とかするきもないし特別親に感謝などしたこともないが。所謂反抗期みたいなもんでまともに最近話してないし。それでもさ。こんな風になって思う。なんだかんだ親には敵わないんだなと。
と言うわけで俺、社匠は生まれてはじめてこの島を出た。17歳の、夏のことだった。
この島を出るとか、まるで外国に行く事のように大事だと思っていたのに。案外簡単に船にのって出られるんだなと思った。
「社、今までお疲れ様」
「…すみません、全部仕事押し付けてしまって。今までお世話になりました」
船長と父さんはそんな風に軽く言葉を交わし、船はでた。遠く遠ざかっていく島をなんとなく後ろを向いて眺めてた。
不思議と涙は出なかったし、帰りたいとは思わなかった。ただ、やけに黒ずんだ島とそこからあがる煙が、"こんなに黒かったのかよ"とかクソどうでもいい感想を漏らしただけだった。
日本の、長崎という場所が新しい住まいのある場所だという。俺がすんでた島から一番近い日本本土。独り暮らしになる予定だったが、両親がまあまあでかい一軒家を買った。写真だけ見せてもらったのだが。
「でか、うちこんな金あんのかよ」
「日本はね、ここより物価が安いのよ」
「稼ぎも違うから」
と両親が答えた。なにいってんだ、うちなんか金がないとか貧乏とか島で一番稼ぎがねぇだとか言われてたじゃん。
後ろを向いても黒色のそれはもう見えないから、今度は前の方をいく。両親は船のなかだが俺はなんとなくデッキにずっと居た。海風がこんなに心地いいと、知らなかったから。
そんなこんなで遠くに見える島。あれが日本。
「……ッ」
なんだ。
なんだあれは。
「ほんとに、"緑"だ……」
近付いてくるそれは緑だ。家の間と間に、緑があるのだ。離れてったあれはあんなに黒かったのに。緑、その色は俺が人工的に見る光と絵以外でみるのははじめてで。なんだろう、笑えてくるのだ。
「ははっ、すげぇ、ほんとに、ほんとに緑って存在するのかよ」
本でなら見たことある、緑。それはどうやら草とか木とか言うらしい。ならあの緑は草なのだろうか、木なのだろうか。残念ながら、それを聞く友人は、いない。家族も、いない。そしてこの感動を、この気持ちを伝えられる人も、いない。
「あぁあああああああああああああああああああああああ!!!」
なんか、叫びたくなってさ。俺は近づいてくる緑に向かって思いっきり叫んだ。
誰か。見てよこれ。ねえ。なんで俺たちはこんな緑を教えてもらわなかったの。
「…何やってるの匠、ついたわよ、降りなさい」
「はーい」
一歩。俺はこの日本に降り立った。日本人なのに、ここも日本なのに、なんだか異世界にたったような気がした。それほどに緑が、おかしかった。
夏休み。
これほど夏休みに感謝をしたことはないだろう。あっちからすりゃ知らない間に俺が居なくなってるだけだし、こっちからしてもきりがいいときに入ってくるのだ。
「あっち、こっち、って、あれ、なんだよ俺もうすっかり"こっち"の人間か」
案外こっちがわの人間になるのは嫌な感じはしなかった。また、あっちで落ちこぼれだの言われてたからあっちが居場所だったわけでもないけど。
それでもプライドだってあったのにな。選ばれたものだけが住める、あの島に。
「いってきまーす」
「匠、おつかいたのんでいいかしら」
「別にいいけど」
ひきこもりがちだった俺はこっちに来てからほぼ毎日外に出歩いていた。なんでって、毎日が新しいのだ。面白すぎた。
坂をくだると大通り。そこには車が行き来し、やたらとでかい箱と、導線につながれて走ってる箱が行き来している。なんだありゃ。ずっと思ってるけど俺には聞く友達がいない。それでいい。俺のこと誰も知らないんだから。
いつものスーパーマーケットへつく。おつかいにいくようになって、前に両親が言ってたことがようやくわかった。
「げっ、100円かよ、やっす」
「安すぎて不安なんだけど」
ものが、当たり前のように安いのである。なにかのセールかと思ったが毎日。
はじめてここにきたとき、"最近野菜が値上がったわね"とか話してるおばさんを見たので野菜の値段を見たが、あっちにいたときよりはるかに安く、"まじかよ"と呟いたものだ。
スーパーマーケットをでて、ゆっくり坂をのぼってく。道端に見つけた黄色いお花が目にはいった。しゃがんでその花に手を伸ばす。
「わっ」「あっ…」
気づけば女の子が居た。
「すみません」
「あっいえ」
女の子はそういうと坂をたたたっとおりていった。
まわりがみえないほどに夢中になってた。ぶちっと引き抜く。よくみると、小さくほそい黄色いやつが無数についていた。
「すげぇ綺麗」
俺はそれをポケットにいれると、小走りで家へと帰った。
……あ、はじめてここの人と会話したんじゃね?ほら、レジとかのぞいて。
今日はいい日かもしれない。
そんなこんなで迎えた夏休み明け。
無理である。
学校がやたらと大きいのである。
マジで?俺、1、2階が小学校で3、4階が中学で5、6階が高校とかいうそんな世界で生きてたんだけど?マジでこの建物と校庭全部この高校だけなわけ?は?
「…でかすぎだろ」
「おい社、大丈夫か」
「あっ、はい」
このやたらとでかい男が担任らしい。"西郷ドンって生徒から言われてるからそう呼んでくれ"と馬鹿みたいな自己紹介をされたせいで本名を忘れた。
2年F組というのが俺の新しいクラスらしい。Fってなに、そんなあんのかよすげぇな。
「じゃあ、いくぞ」
「はい」
まあ所詮は日本本土である。なにも怖がることはない。俺は島の住人"だった"人間だ。過去形だけど。過去形だけど。過去形だけど…
ガラガラッ
「ヒッ」
教室に人が密集している。
「みんな夏休みはたのしかったかー?あ、そうそう、今日から新たにこのクラスに仲間が増える。…はい、自己紹介よろしく」
前ふり短ェなおい。なにが"あ、そうそう"だよ。俺が島の人間だったことくらい話してくれてもいいだろ。
とまあ、回りを見渡す。馬鹿みたいな面、馬面だ。
「社匠です」
ざわざわ。みんな聞いてない感じ。
「この夏に、未島より引っ越してきました」
その瞬間。
教室が静まり返った。わかりやすいくらいに。と、その次。
ざわざわ、と。
"未島って、あの未島?""軍艦島?マジかよ…""うそ、軍艦島って完全封鎖なんじゃないの?""行き来できないんじゃないの?""なんでいるの?""嘘なんじゃないの?""あいつ、なんなの""何者なの?""でもほんとならすごくね?"
声が重なって、なにも聞き取れないけどみんなが俺を一気に警戒したのはよくわかった。
「どうぞよろしくお願いします」
「あ、じゃあとりあえずあそこの席座ってくれ」
「はい」
俺が座る場所は窓際の一番端の席だった。緑が、見える。
ホームルームが終わると、視線を感じた。みんな、俺を遠目に見ていた。なに、俺って怖いの?
"いけ、いけって""話しかけてみろって"
という声が聞こえたので見てみると遠くで男子が行けと腕を振り回していた。
「普通に話しかけりゃいいだろ…俺は外国人かっての」
「や、やしろくん」
「あ?」
ふと、横を見る。どうやら隣は女子だったようだ。下の方で二つ結びにしたおさげスタイルの清楚な雰囲気の子だ。
「やしろ、ってどう書くの?」
「へ?」
「わ、わわっごめん、変なこと聞いてごめんね!」
"かわいいー""鶴ちゃんファイト!"
いやだから遠回しに見てくるならこっちこいよってな。
「あー…別にいいけど。社会の社でやしろ、はこがまえの中が1"斤"とかのあれで匠」
「へぇ~…」
「……あんたは?」
「へっ!?」
するとまわりの取り巻きに助けを求めるように回りを見た。なんかこの女子おもしろいな。
「あんたの名前」
「わ、私は田村鶴子。田んぼの田に市町村の村、折り鶴の鶴に、子供の子、だよ」
「田村な、りょーかい。よろしくな」
「う、うんっ」
こくこくっと頷いてはまた回りを見た。
「社、くんっ」
「はい」
「や、社くんって、あの、本当に、軍艦島…じゃなくて、えっと、未島のッ出身なんでしょうか…」
ふらふらと泳ぐ視線は俺を見てない。まわりの取り巻きもみていない。
「…そうだけど?嘘ついたってすぐバレるでしょ」
またちらり、田村はまわりをみた。
「…あのさ、田村介するくらいなら直接聞きたいこと聞けば?嘘だと思うんなら聞けよ、島のことならなんでも答えてやるから」
顔をそちらに向けて言葉を放てばまた静まり返る。一人の男子が口を開いた。
「…軍艦島って毎日3食、ステーキみたいな高級料理が無料配給されるってまじ?」
は???
え、なにそれ。
「ぶっ」
「な、なにがおかしいんだよ社」
「ああいや、お前らが島にどんなイメージをだいてんのかと思えば…ははっ、そんなのねぇよ。普通にスーパーがあってそこで買ったりさ。島に四つだけレストランもあるし」
その瞬間、教室じゅうがざわめいた。そしてみんな俺の席へと集まってきた。
「まじ!?」「これ迷信?」「スーパーって普通の?」「フォアグラとか神戸和牛とかしか売ってないんじゃないの?」
「売ってねぇし!普通の、ここと同じようなスーパーだって」
全然値段ちげぇけど。
「すげえなあほんとに軍艦島の人間なんだ!」
…日本本土の人間は教えられたようにバカみたいだ。
ああでも。
「…楽しいじゃん、学校」
放課後、俺は一人で裏庭に来ていた。そう、ぽつりとつぶやいた。
学校がこんなに楽しいなんて俺は知らなかった。
…緑。ピンク。黄色。
どうして世の中はこんなに色とりどりなのだろう。こんなに世界がきれいなら、なんでもっと早く教えてくれなかったんだろう。
「あ。この花こないだも見た。綺麗だ」
黄色く細いものが無数についたそれ。
ぶちっとまた、引き抜いた。2本、3本。
「…!ちょっと社くん!なにやってるの!」
「田村?」
階段を降りて裏庭へと来る少女は今日はじめてしゃべった隣の女子だった。
「綺麗なたんぽぽ、そんなに抜かないでよ…」
「…たんぽぽ?」
「え?」
田村はきょとんと首をかしげた。
「たんぽぽ、って、この黄色い花の名前?」
田村はゆっくりと首を縦に振る。
「たんぽぽ、知らないの?」
「…ああ、そうだな、たんぽぽ。俺が知らないわけないだろ。軍艦島から来たって忘れたのかよ」
「そ、そうだよね。ごめん…」
そう俯く田村はなんだか面倒くさい女に見えた。
学校が楽しいのも当たり前だなって、今思う。そりゃあ、俺の方が優れてるんだから。ここじゃ。島では落ちこぼれでもここじゃあ上流、だろ。
「んじゃ、俺帰るわ。また明日な」
「社くん!」
「なに?」
「…引っ越してきて、どう?」
俺はあいつに背を向けたまま、答えた。
「別に。ふつー」
「ただいま」
「おかえりなさい匠、遅かったわね。…ってなにその雑草たち」
「雑草?なにいってんだ綺麗だろ?」
学校から家に帰る道だけでもいろんな草と木と花がある。だからいっぱい、いっぱい持ってきてしまった。ただそれだけ。
「もう…早く着替えてらっしゃい。夕飯にするわよ」
「ん」
なんだかんだと、両親とまた話をするようになった。それはきっと、やはりあれの呵責があるから。
夕飯の食卓についても、あの花を手放すことができなかった。
「匠、なにずっと手に持っているの」
「たんぽぽ、だってさ。花の名前」
「へえ。汚いから机の上に置かないでちょうだい」
…汚いのか。
こんなに綺麗なのに。なあ母さん。あの島にこんなきれいな黄色があった?なかったよ。それでもなんとも思わねえの?
やっぱり俺は、俺の居場所は、ない。
やっぱり俺は、誰にも話せない。この感動を。この気持ちを。
そうしてちやほやされ続けた2週間があっという間に過ぎたある朝。
その日も綺麗に晴れていて。
“3組の社って、軍艦島から追い出されたんだって”“なにそれ?”“職員室行ったら西郷どんの机になんか紙がおいてあってさー”“え、なになに社の話?”“社のプロフィールみたいなやつ見ちゃった”“なんだって?”“確かに軍艦島出身なんだけどね”
「社って、バットでクラスメート殴って殺したんだって」