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日常

作者: 橘セロリ

 この人ははじめからあたしのことなんて好きなんかじゃなかったのだ。


 目の前で転がっている男は、微動だにもしないし、する気配もない。

男は眠るとき、いつもこうだ。死体みたいに一切の物音を立てないし、動きもしない。たまに、気持ちが悪くなって揺さぶることもあるが、もちろん起きることはない。


 あたしは眠った男を放置したまま、いつものように家事や食事をした。


 久しぶりに作ったインスタントカレーはまったく、美味しくなかった。



 彼は多分、あたしのことを好きではなかっただろう。だからと言って、あたしが彼のこと好きかと言うと、微妙なところだ。多分、好きか嫌いかで言うなら好きだけれど、とても好きかと聞かれたら全然好きではない。そんなところだ。


 もちろん、彼とあたしの間にも、かつては愛が存在していたし、今でもささやかな愛情らしき感情はあるはずだ。ないと共同生活なんて不可能だ。


 ご飯を作ったなら「ありがとう」と言ってくれるし、あたしが買い物を頼んでも、嫌な顔一つしない。理想的な旦那、と表現するのはたやすい。おそらく、傍から見たら、ただの理想的な旦那であろう。


 こんな言い方をすれば、あたしにだけ暴力や暴言をふるっていると勘違いされそうだ。彼があたしに敵意や嫌悪をむき出しにしたことは、一度たりともなかった。浮気をしたこともない。むしろ、なんでも許してくれた。


 多分、この男はこれから先も、許し続けるのだと思う。いや、男には許すとか、許さないという感情そのものが欠如しているのかもしれない。人のことを嫌いになることをしないと言っていた。


「誰かを嫌いにならないってことは、誰も好きにならないってことじゃないかな」


 付き合う前の無邪気なあたしは、何を恐れるわけでもなく、彼に尋ねた。彼は眉ひとつ動かさずに「ううん」と唸って、


「わからない。君がそういうなら、そうじゃないのかな」


 と嫌味一つない笑顔を作るだけだった。


 当時のあたしは、そんな彼のことが好きだった。いつもふわふわとしていて、優しくて、なんでも受け入れてくれる彼のことが大好きだった。


「僕は君の感情的で、自分勝手なところが好きだよ」


 と彼は言った。


 自分勝手なところが好きだなんて、おかしいんじゃないの、と言うと、


「君の欠点さえ、愛しく思えるんだ」


 そう言って、頬を染めた。


 今思うと、気持ち悪いと思う。どうして、この時点で彼のおかしさに気がつかなかったのだろう、と後悔すらする。


 彼と付き合って、結婚をしていなければ、こうなってはいなかったのに。



 インスタントカレーを食べた後、冷蔵庫を開いたら異臭が漂った。鶏肉が腐っていたようで、しかもパックも半開きだった。それらを捨てるにも、燃えるごみの日は三日後なので、そいつらをビニール袋に詰めてから、冷凍庫に放りこんだ。


 男はやっぱり動かない。


 動かないからってどうってことはない。悲しむこともないし、嬉しいなんてこともない。ただ「動かない」という事実がそこに転がっているだけだ。


 あたしは液晶テレビをつけて、男のちょうど手前あたりに座り込んだ。


 何もかも、彼とは趣味が違っていた、と今更思う。


 テレビが好きなあたしと、テレビが嫌いな彼。他にも、あたしは辛い物が好きだけど、彼は辛い食べ物が大嫌いだった。こんな二人がうまくいくわけがないよなあ。


 

 男のことを殺したいと思ったことはいくらでもある。実際に刃物を持ち出したこともあるし、流血沙汰に

なったこともある。それでも、彼はあたしのことを嫌いになりはしなかった。


「ごめんね」


 とただ、困ったような顔をして微笑むだけだ。


 それがたまらなく、気持ちが悪かった。


 見たくなかった。声を聞きたくもなかった。


 あたしは男にちゃんと拒絶されたかったのかもしれない。浮気しても、男を家に連れ込んでも何も言わないあいつのことが憎かった。


 嫌われたかったけど、それを彼に期待したのが、間違いだったのかもしれない。


 くだらないバラエティ番組を見るのをやめて、あたしは転がっている男の横に寝そべった。


 今の彼は鼻が曲がるほど臭い。多分、そろそろ限界が近づいているんだろうなと思う。


 もちろん、男の腕を触ってもひんやりと重たいだけで、ぬくもりの欠片もなかった。



 男と出会ったのがいつだったかは、定かじゃない。


 ただ、いつの間にか出会っていて、いつの間にか好きになっていた、ただそれだけ。


 意識したときにはもう遅くて、すぐに目で追い続けた。それは彼だって同じだった。


 こんな二人が恋人同士になるのは、難しいことじゃない。すぐに結ばれた。


 彼の好きが、あたしの好きと同じ重量じゃないことを知るのも、すぐだった。


 はじめは気にならなかったけど、次第に大きな問題となった。


「どれくらい好き?」


「あたしのこと、本当に好き?」


 と、聞くたびに彼はちゃんと答えてくれたけど、おそらく、あんなのは偽物で、心からの言葉じゃないんだろう。


 だから、男のことを殺すだなんて安易なことをしやしない。


 何でかな。いつか本当に、好きじゃないことに気が付かれてしまうのが、怖かっただけなのかもしれない。


 だとしたら、本当に愚かじゃないか。


 血の気のない彼の頬を撫でていたら、インターホンのチャイムが鳴った。


最近スランプ気味なのでリハビリに。

酔っ払い小説。

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