キリストの生まれ代わり92
「だから、キリストは汝敵を愛せよの習いに従い、救済の為にはりつけになりましたが、そこには救済する慶びしかなく、一連の出来事は全て必然であり、宿命でしか無かったと考えれば、そこには天の恵しかなく、敵に対する憎悪や恨みも全くなく、あるのは祝福された救済のみがあり、従ってキリストを殺した側にも大いなる祝福がなされたと思うわけです」と私は言った。
私は言った。
「例えば、ゴルゴダの丘で十字架にはりつけられたキリストが、既に霊的な存在であった場合、厳密なる意味での死は無かったと思います」
キリストが頷き答える。
「成る程。復活を準備するための霊的な存在ならば、人間的と言うか即物的な肉体側に近寄れば、そこには残忍に血と肉が切られ、痛みや苦痛しかありませんが、霊的存在になればなるほど、例え血や肉が切れても、その苦痛は軽減され、心頭滅却すれば火もまた涼しいではありませんが、復活を準備している肉体に取っては全く苦痛は無かったのかもしれませんね」
私は頷き言った。
「だから、キリストは汝敵を愛せよの習いに従い、救済の為にはりつけになりましたが、そこには救済する慶びしかなく、一連の出来事は全て必然であり、宿命でしか無かったと考えれば、そこには天の恵しかなく、敵に対する憎悪や恨みも全くなく、あるのは祝福された救済のみがあり、従ってキリストを殺した側にも大いなる祝福がなされたと思うわけです」