キリストの生まれ代わり75
「サルトルがものした実存主義など単なる机上の空論に過ぎないではありませんか。あるという言葉はあるという概念が支えているなどという一元論は正に唯物論者の陥穽であり、神を無きものにしようとする詭弁にしか過ぎません」と大学生は言った。
私達の討論をほほ笑ましく聞いているキリストに向かって、私は何とか用件を切り出そうとするのだが、討論に遮れて、出来ない。
大学生が言った。
「サルトルがものした実存主義など単なる机上の空論に過ぎないではありませんか。あるという言葉はあるという概念が支えているなどという一元論は正に唯物論者の陥穽であり、神を無きものにしようとする詭弁にしか過ぎません」
私は否定した。
「いや、サルトル哲学ははあるという言葉は無いという言葉が支えていると言っているのです。それは一元論には非ず、立派な二元論だと思いますが?」
大学生が反論を重ねる。
「いずれにしろ、あるが無いなどと宣わっている矛盾哲学は唯物論者のものでしかないと思います」
私は脂汗を滲ませつつ言った。
「いや、あるが無いと言った語句は自分の造語であり、サルトルはものしていません」
「何故そんな造語をものしたのですか?」
私は苦し紛れに答えた。
「便宜上そうなってしまったのです…」