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キリストの生まれ代わり66
「そういった思いが込められた拝みは確かに安直ではないと思いますが、偶像崇拝に対する拝みは殆どが安直なものばかりで、特に現世御利益をおもんばかるだけの拝みには全く深みが無いわけです」とキリストは言った。
私は尋ねた。
「そういった人生そのものの修業が祈りとなるならば、その祈りの連鎖を込めた仕種としての形が拝みとして捉らえられるならば、拝みも安直の一言では捉らえられないのではありませんか?」
キリストが答える。
「そういった思いが込められた拝みは確かに安直ではないと思いますが、偶像崇拝に対する拝みは殆どが安直なものばかりで、特に現世御利益をおもんばかるだけの拝みには全く深みが無いわけです」
ドラマーが言った。
「深い神仏の領域にまで届いている拝みと、そうでない拝みがあるのですね。しかし拝みという語句よりも祈りの方がニュアンス的に深みは感じられそうな気がしますね…」
キリストが言った。
「つまり愛の成就のその深さというか、その深度だと思います」
ドラマーが頷き答える。
「成る程…」