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キリストの生まれ代わり18
「江戸時代の所謂敵討ちや西洋の決闘は凄惨なる殺し合いの様相を呈していますが、これも見事敵討ちや対抗心の本懐が成されていれば、所謂愛の成就にはなるのですよね?」と私は猜疑心を募らせつつ質問した。
私は益々猜疑心を募らせつつ質問を重ねる。
「江戸時代の所謂敵討ちや西洋の決闘は凄惨なる殺し合いの様相を呈していますが、これも見事敵討ちや対抗心の本懐が成されていれば、所謂愛の成就にはなるのですよね?」
キリストが答える。
「それも心の問題に帰結すると思います。その心に少しでも邪心があれば、愛の成就にはならないと思います」
ここで私は眼光鋭くキリストを睨み据え言った。
「その邪心とはなんですか?」
「敵討ちの場合、本当に殺された身内の無念を晴らす思いだけがあれば、その心は清廉潔白で美しく、それは正に救済の対象になると思います」
「何か謀り事でもあれば、それが邪心となり、救済はないわけですか?」
「広汎なる問題ですから、ケースバイケースで微妙な差異が生じると思います。心の問題は本当に繊細なものですから」