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ねこ日和

作者: 君影 鈴奈

 いつみても、グラウンドに沿った桜並木は見事だ。十日ほどあとに行われるはずの入学式のころには、すっかり散ってしまうだろうから、桜の季節といえばいま、離任式のときだとおれは勝手に思っている。おれにとって、桜はいわゆる別れと強く結びついているのだ。

 かくしておれは、二年ぶりに母校をおとずれている。三年のときに担任でお世話になった先生が異動になったときいたからだ。それを教えてくれた高校からの友人は、三年のときはクラスが違っていたから、今日はおれについてきてくれた形だったのだが。びっくりするほど広いその交友関係のおかげでいろんなひとに声をかけられ、すっかり疎外感を受けたおれはひとりで正門へ出てきてしまった。一応ついてきてもらったわけだし、待っていてやるかとは思ったものの、いまはもうほとんどの生徒が部活へ行ったり帰宅したり。おそらくあと少ししたら、見送られてとりあえず学校を出ていった異動の先生方も戻ってくるだろう。いつまでなにもいわずに待つか、そろそろ考えないといけない。

 腕時計をちらりとみる。あいつと別れてから三十分以上はたっているだろう。電話してみようかと思って携帯にあいつの番号を表示させたが、そこで思わず手が止まってしまった。高校のころ、生徒は校内では携帯の電源を切らなければならず、当然その使用は許されていなかったのだ。おれは一歩だけ正門を出てはいるから、いい逃れくらいできるだろうが、あいつはそうはいかないだろう。

 グラウンドの向こう、校舎をながめる。そっとため息。……ばかばかしい。建物自体はなんら変わっていないが、学校は変わった。新しく併設された中学校の一期生が今年、高校を卒業したはずだ。このあたりでは公立の中高一貫校としてすでに名高い。そうでなくても、学校にはいまもたくさんの生徒たちがいる。おれたちがいた学校は、もうない。校則は、卒業生には適用されない。それでも、携帯を使う気にはなれなかった。

「にゃぉん」

 …びっくりした。いつのまにか足元にねこがいて、おれを見上げていた。

「……おまえか」

 ほっとするあまり声に出してそういっていた。

 いわゆる近所ねこ。ただこいつは、学校を含むこのあたりがテリトリーらしい。それがどれくらいの広さなのか、おれは具体的には知らないけど、学校内なら基本的にどこでもあらわれる。そして先生方に追い出されるのがおちだった。たしかに野良だし、衛生的でないといえばそうなのだが。

 ねこはすっとおれを避けていき、少し離れたところで丸くなった。そしてとくになにをするでもなく、しっぽをゆらゆらさせながら目を閉じた。

 おれは急にいいようのない寂しさにおそわれて、静かに歩いていってねこのとなりにしゃがみこんだ。その場に座ってしまいたかったけど、いまはスーツを着ているから、そういうわけにはいかない。

「…よう、元気だったか」

 ねこは無反応だった。ただ、しっぽは、脈を打つようなゆれかたに変わっていた。

「少しはなんとかいえよ。ひとのことば、わかってるんだろ」

 これはこのねこについて定評のあることだった。呼びかけるとよく返事をするし、どんな名前で呼ばれても、それが自分に向けられたものだと、きちんとわかっているらしいと。

 本当に、たくさんの名前をもっているのだ、こいつは。近所ねこだから、いろんなひとからえさをもらう。そのひとたちから、ありとあらゆる名前で呼ばれていた。おれが実際に聞いたことがあるのは、ニャーちゃんとか、ミーちゃんとか、ねこちゃんとだけ呼ぶのもあった。学校ではというと、なぜだか「たけし」というのが一般的だった。ずっと先輩から後輩へ、受け継がれているらしい。なんだかんだでこの学校では人気者であり、ねこ嫌いのひとや先生方にいやがられつつも受け入れられている、不思議なやつだ。まあ、ねことはそういうものか。

 そっと手を伸ばして、ねこの首にふれる。結構な気分屋で、かみつくこともひっかくこともためらいなくするやつだから、さわるときには注意が必要だ。幸い、いまは機嫌がいいらしい。

「おまえは変わってないなぁ…」

 思わずそうつぶやいた。平均的なねこの体型、白に黒ぶちの毛並み。おれが高校に入学したとき、もうだいぶ長くこのあたりに住みついていたみたいだから、ご高齢なのはたしかだが、いたって健康的だ。

 耳をさわると、少しだけ目を開けた。そして耳を動かして、「そこにはさわるな」といわんばかりだ。おれはおかしくて、ねこをおこらせない程度にさわり続けた。

「そこにはさわるなと、いっておるだろうが、この阿呆」

 手が止まる。……いま、だれか、なにか、いったか?

「さっさとその手をどけろ」

 反射的に手を引っこめた。ねこは満足そうに目を閉じる。

「ちっ。このあたりの者ではないな。私の声が聞こえるのだろう」

「おまえ……やっぱりひとのことばがわかるんだな…?」

 …なにをいっているんだ、おれは? 相手は、ねこだぞ?

「阿呆が。同族のことばしか解さぬのは、人間くらいだ」

 しれっとねこがいう。たぶんだけど、口を動かしているわけではないらしい。

「ずっと前から、しゃべれたのか」

「見知ったような口をきく。貴様、このあたりの人間ではないだろう」

 ……どういう意味だ? たしかに、この地域には高校へしか用がなく、その三年間しかかかわっていなかったといえばそうだが、……こいつは本当にねこなのか?

「いまはそうだけど、二年前まではここの生徒だったんだ。あんたのことは、一応知ってるよ。しゃべれるなんて、思ってなかったけど」

ねこが片目を開いた。しっぽの、脈打つゆれが止まる。

「ちっ。それまでは聞こえていなかったのに、急に聞こえただと。これだから人間は、妙なところで余計な能力を萌芽させるから面倒なのだ」

 …おれはいま、けなされているのか、ねこに? ねこは、ため息のひとつでもつきそうな雰囲気だ。

「あんた、何者なんだ」

 直球勝負。さて、どんな答えが返ってくるのか。

「どうみようとも、私は私だ。いまの貴様には、いわゆるねこにみえるのではないか」

 …まさかの答えだ。てっきり、「ねこだ」といい張るか、「実は…」で正体をあらわすかと。

「そうだな。おまえはたしかに、このあたりのアイドルねこ、学校ではたけしだ。そうだろう」

 少しはふざける余裕が、おれにとり戻されたようだ。つい口のはしがもち上がる。

「ふん。本当に、その名で私を呼ぶのはここの人間だけだ。ここへ来てから、ずっとだ」

 ねこは目を閉じて、またしっぽをゆらゆらさせはじめた。

「あんた、いつからこのあたりに住んでるんだ」

 ゆれるしっぽにひきつけられる。催眠術にでもかかりそうだ。

「さあ…。ずっと前からここにいるような気もするが、ついこの間ここへ来たばかりかもしれん」

 しっぽのゆれは一定で、よどみなく流れる。ゆらゆら、ゆらゆらと。

「曖昧だな。覚えてないのか」

「その必要がないからな。……人間の命は短い。阿呆みたいに、生まれてから何度目の春だ、あと何回桜を見られるなどと、どうでもよいことに気を遣う」

 ねこは、目を細めて桜をながめているらしい。おれはというと、ゆれるしっぽから目を離せない。

「あんたは、人間より長く生きているのか」

 ねこの寿命は、せいぜい二十年。そんなわけないかと、口に出してから思ったそのとき、

「しっぽが……」

おれはみた。たしかに。小さいころにどこかで聞いた話を、ふいに思い出した。思わずねこの顔をのぞきこむ。

「あんた、まさか…」

 ねこは、意味ありげな目でおれをみた。しっぽのゆれは止まっている。

「さあな」

 ねこはすっと立ち上がり、体を震わせた。

「さて、ここは居心地がよかったから、少々長くいすぎたかもしれん。ちょうどよい頃合いだな」

 ねこはゆったりと歩き出す。

「どこに行くんだ」

 つい声をかけてしまった。ねこは振り返る。

「どこか、私も知らん。適当な町にたどり着くだろう。そこでまた、あやしまれぬ程度に住みつくのさ」

 ねこの表情なんてわからない。ただ、寂しさや悲しさではないような気がした。

「もうここへは、帰ってこないのか」

 ねこが、ふんと鼻をならした。おれを、人間のこの感情を、ばかにしているみたいだ。

「くだらん。いつ、どこで、なにが、どうなるのか、すべてはすでに決められている。貴様がいまここでなにかをしたところで、私はこれを機にこの町を去る。それはおそらく、決められていたことなのだ。そうせねばならぬと、そうせずにはおれぬとな」

 ひとつあくび。そしてねこは、まっすぐにおれをみた。

「季節とて、来ては去り、同じものなど二度と来ぬ。同じではないか。命は生まれ、出会い、別れ、そして消えゆく。なにを憂うことがあるか。……もっとも、人間は、そのひとつひとつを後生大事に抱えていくものらしいがな」

 ……たけしは、どれくらいの数の人間をここでみてきたんだろうか。生徒、先生方、地域のひとたち。人間がひとつひとつ抱えていくものを、いったいいくつみてきたんだろう。

「私は、いまこのときを生きているだけだ。人間が抱えていくものなど、私にはあずかり知らぬところだ」

 視線をそらすねこ。たけしにとって、ここは生きづらい場所だったんだろうか。

「問いに答えていなかったか。もうここへは来ないだろう。……だが、ここでは、私の声が聞こえる者とは会わぬと思っていた」

 ねこが、ふっと笑ったような気がした。くるりと背を向けて、ねこは歩き出す。

「じゃあな、たけし」

 角を曲がってみえなくなるまで、おれはねこの後ろ姿をながめていた。

 立ち上がって学校を振り返る。しかたがない。そういうことなのかもしない。

 おれはため息をひとつ、携帯を取りだした。


【Cat’s days】


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