# verse - 7
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受付の女性に連れられて建物の三階にやって来た愛莉と紫乃は、とある部屋の前へと案内される。木目調のしっかりとした扉で塞がれているその部屋には、第一会議室と書かれた真新しいプレートが取り付けられていた。入る前から高級感漂う扉を前にして、愛莉も紫乃も緊張で少し身構えてしまっていた。
「さあ、中にどうぞ」
女性はドアノブに手を置き、ゆっくりと扉を押し開ける。愛莉と紫乃は彼女に促されるまま、恐る恐る会議室内へと入っていった。
横長の室内には中央に楕円形の机が設置されており、見るからに座り心地の良さそうな椅子がその流れに沿って均等に並べられていた。そして、そこには妙な間隔を空けて席につく三つの人影があった。
入口から一番遠い窓際の席に一人。その逆、一番入口に近い手前側に二人が座っている。
その手前側に座る一人が、扉の開く音に気がつき振り返った。
「あれー!? あの時のお姉さんだー!」
「あっ!」
室内に元気な声を木霊させるその子に、愛莉は見覚えがあった。椅子から立ち上がり、右側に括ったサイドテールを振り乱しながら駆け寄ってくるその子は、愛莉と同じグループで面接審査を受けたあの破天荒な女の子だった。
「いやー! お姉さんも受かったんだねー! 偶然だねー! 嬉しいねー!」
あっと言う間に距離を詰めて来たその子は嬉しそうな声を上げると、愛莉の手を握り締めて激しく上下に振り回し始めた。両腕ごと持っていかれそうな凄まじい揺さぶりを受ける愛莉の目の前で、その子のサイドテールがぴょこぴょこと上下する。その勢いとテンションについて行けず、愛莉はされるがままの状態になってしまう。
「そう言えば、二人は面接審査で同じグループだったわね」
「そうそう! アイドル志望のお姉さんだよね!」
「ちょっ!?」
「……アイドル志望?」
サイドテールの女の子が快活に放った謎の言葉に、受付の女性が首を傾げる。愛莉の後ろにいた紫乃も、その子が何のことを言っているのかわからず不思議そうな顔をしていた。
「そうそう! 志望動機を聞かれて、『アイドル志望です!』って即答したんだよね!」
「……」
愛莉が顔を真っ赤にして俯く。紫乃にさえひたすらに隠し通してきた面接審査での赤っ恥を、よりにもよってこんな所でバラされるとは思っても見なかった。アイドルになりたい理由を聞かれていたのに、緊張から意味を履き違えて『アイドル志望』などと答えてしまった面接審査での出来事は、愛莉にとっては消し去りたい過去であり、その後全てのヤル気を削いだ最大の原因だったのだ。
「……愛莉ちゃん、それで落ち込んでいたんですね」
得心がいったように紫乃が呟く。受付の女性は、笑いを堪えるのに必死そうだった。
「き、緊張してたんです! そんなに笑うことないじゃないですか!」
「いや、ごめんね。想像したら、あまりにも可愛らしかったものだから」
「愛莉ちゃん、そんなに恥ずかしがることないですよ。アイドル志望なのは間違いないんですから」
「そうそう! 勘違いしてても恥ずかしくないよ! アイドル志望のお姉さん!」
「もうやめてぇぇぇ!!」
愛莉の絶叫が響く。建物全体に行き渡ったその声に、屋上の彫刻が少し傾いた。
「ま、まあまあ……落ち着いて、金園さん」
「……」
「と、とりあえず! 説明を始める前に全員を紹介しようかしら! 一緒に説明を受けるのに、名前もわからないんじゃちょっとアレだしね! おーい! 二人もこっちに来てくれるかしらー?」
ふくれっ面の愛莉を見て、受付の女性が焦り気味に話題を変えた。
椅子に座ってこちらを眺めていた残りの二人に手招きをし、集まるように声を掛ける。その声に応じ、座っていた二人が愛莉達に近づいて来た。
「じゃあ、まず後から来た二人に紹介するわね。こちら仲居実夏さん、桜井悠子さん、佃葵さんです」
紹介された残りの二人を見て、愛莉の顔からふくれっ面が消える。あまりの驚きに、そんな顔などしていられなかった。
愛莉は、紹介された残りの二人にも見覚えがあった。控えめに会釈して見せるロングヘアーの“桜井悠子”は、オーディションの時に紫乃の視線で脅えていたあの女の子であり、もう一人の巻き髪ツインテールは、控え室で衝突した冷たい瞳の持ち主“佃葵”だったのだ。
「そして、後から来た二人が金園愛莉さんと伊集院紫乃さんです。以上の五名が、オーディションの合格者となります。では、金園さんと伊集院さんから順に、改めて自己紹介と一言頂こうかしら」
「……あっ、はい! ええっと、金園愛莉です。どうぞよろしくお願いします」
「伊集院紫乃と申します。今日は、とりあえずお話を聞きに来ました。少しの間ですが、どうぞよろしくお願いします」
「はい、ありがとう。じゃあ、続いて仲居さんから順番に自己紹介してくれるかしら?」
「はいはーい! あたし、仲居実夏、十五歳っでーす! みんなよろしくぅ!」
「えっと……桜井悠子、です。よろしく、お願いします……」
「……」
そこで、一旦自己紹介の流れが途切れる。悠子の後に続くはずの声が聞こえず、室内に妙な間が生まれた。
見ると、最後に自己紹介をするはずの佃葵が、全員を睨むようにして固く口を閉ざしていた。
「……つ、佃さん? どうしたのかなー?」
「……佃葵」
それだけ言って、葵は再び口を閉ざす。冷たいオーラを放ちながら、もうこれ以上話しかけて来るなという意思をあからさまに示していた。
完全に壁を作る葵の様子に受付の女性は苦笑いを浮かべ、それで話を区切ることしかできないようだった。
「あははは……そ、そう言えば私の自己紹介がまだだったわね! 私は小暮イオ、と言います。プロダクションでは色んな雑務を担当しているんだけど、今日は説明会の進行係なので、みんなよろしくね」
小暮の自己紹介に挨拶を返す愛莉達だったが、やはり葵だけが無反応だった。もう誰かを睨むことすらせず、そっぽを向いて苛立ちの表情を見せている。
「じ、じゃあ自己紹介も終わったことだし、説明会を始めましょうか。みんな、窓際の真ん中辺りに詰めて座ってくれるかしら」
その指示に従い、五人はぞろぞろと動き始める。窓際の席に移動し、悠子、実夏、葵、紫乃、愛莉の順で並んでいる椅子に腰を下ろした。
小暮は全員が席に着いたのを確認すると、それぞれの前に一枚の用紙を置いていく。その用紙には、びっしりと書き込まれた文章が契約書という冠を被ってどっしりと構えていた。
小暮はその用紙を配り終えると、机を挟んで愛莉達と相対する。
「では準備が整いましたので、これより説明会を始めたいと思います。皆さんの目の前に置いた契約書については最後に説明しますので、そのままの状態にしておいて下さい。まずは、当プロダクションの社長から皆さんにご挨拶をさせて頂きます」
と、小暮の言葉を合図とするかのように窓のカーテンが自動で動き始め、合わせて室内の照明が音もなく消えた。
完璧な暗闇と化した会議室内に愛莉達が戸惑っていると、今度は天井の両際に設置されていた小さなスポットライトが点灯する。そしてその光が、暗闇を切り抜いて小暮の真横を照らしだした。
「おはよう、諸君!」
室内に、芝居がかった大声が響く。いつの間にか、見知らぬ女性がスポットライトの光を浴びてそこにたたずんでいた。
二メートルにも届きそうな長身に、その半分以上を占める長い足。パンツスタイルのブラックスーツでその体を包み、大胆にはだけたブラウスからは大きな胸の谷間が覗く。まるでハリウッド女優のような美貌を持つその女性は、腰まである外ハネの長髪をゆさりと払って、堂々と愛莉達を見下ろしていた。
「我が召喚に応じ、よくぞ集まってくれた。我こそは統べる者、宗光モネである。此度の試練、誠に大義であった。今、こうして諸君等と出会えたことを、我も嬉しく思っている。諸君等は、運命という名の奇跡によって導かれた“選ばれしアイドル”である。即ち、その内なる輝きを持ってして、世に巣くう邪悪を打ち払う力となる者達だ。
我と共に立て! 我と共に進め! 世界は、諸君等の輝きを待ち望んでいる!」
握り締めた拳を突き上げ、芸能プロダクションラーディアンの社長“宗光モネ”は声高にそう言い放った。そして、突き上げたその手を勢い良く振り下ろし、愛莉達を見渡しながら満足気な笑みを溢す。
その不敵な笑みを向けられた愛莉達はと言うと、それぞれが異なった反応を見せていた。
紫乃は困ったように首を傾げ、実夏は好奇心のままに宗光を眺め、悠子は脅えて目が泳ぎ、葵は眉をひそめて不快感を露にしていた。そして愛莉は、驚きと混乱で開いた口が塞がらない状態となっていた。
その様子が自分の思っていた反応と違ったのか、宗光が不満そうに小暮へと問いかける。
「……イオ、私の話は彼女達に通じていないのか?」
「そ、そうですね……ちょっと、今時の子には難しかったんじゃないかと……」
「そうか。威厳と壮大さを出すために、寝る間も惜しんで考えた力作だったんだが……」
「……と、とりあえず、部屋の中を明るくしますね」
小暮が手にしていたリモコンを操作すると、カーテンが開き太陽の光が室内に差し込む。同時に、消えていた照明も一斉に灯り、室内に数分前の明るさが舞い戻ってきた。
しかし、各々の状況は相変わらずだった。
「あ、改めて紹介しまーす! こちらが当プロダクションの社長、宗光モネでーす!」
「宗光だ。よろしく頼むぞ、私のアイドル達よ」
「みんな面接審査で会っているはずだから、社長とは久しぶりの再会ってことになるかしらね! あはははは!」
「待て、イオ。久しぶり、とはどう言うことだ? まだ半日と経っていないではないか」
「……」
場の空気を何とかしようとする小暮に、宗光が水を刺す。さすがの小暮も、これには閉口せざるを得なかった。
「……帰ります」
眉間に皺を寄せた葵が、立ち上がりながら冷たく言った。静かに溜め込んでいた怒りを、冷静な口調で吐き出し始める。
「鳴り物入りで業界に参入してきたプロダクションだと聞いて期待していたのに、その社長がただの変人だったとはね。やり手の女社長だなんて謳ってはいたけど、お飾りのトップだったなんて。聞いて呆れるわ」
「ま、待って佃さん! これには深い事情が――」
「またそれですか? それさっきも言ってましたけど、そんなに深刻な事情を抱えているのなら、まずはその説明から入るのが筋じゃないんですか? その言葉が、どれだけ私達を不安にさせているかわからないんですか?」
口調を少し荒げながらも、葵は冷静な指摘を小暮にぶつけた。それが正論であるが故に、小暮も言いかけていた言葉を飲み込む他なかった。
「……そうね。ごめんなさい佃さん、あなたの言う通りよ。今からその事情を説明するわ。社長、よろしいですか?」
「うむ、お前に任せる」
「はい。では――」
そう言った小暮の体が、突然強い光に包まれた。同時に、横に並んでいた宗光の姿も真っ白な光の中に消え、愛莉達はあまりの眩しさに二人から顔を逸らす。
室内を丸ごと飲み込んだ謎の強い光は、数秒も経たぬうちに消えた。愛莉達は逸らしていた顔を元に戻し、小暮と宗光の姿を探す。
二人は、光が現れる前と変わらぬ場所に立っていた。だが、その姿は、現実ではあり得ないモノを携えていた。
二人の背中に、真っ白な翼が生えていた。
絵画に見る天使のような姿となった小暮と宗光が、愛莉達五人の目の前に立っていたのだった。
「私達の深い事情。それは――私達が人間ではない、ということです」