# verse - 5
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面接審査から数週間後。
今日も空には澄み渡る青が広がり、眠気を誘う暖かな空気が校舎全体を包み込んでいる。教室にはまだ新学期の匂いが残っており、生徒達は毎日のように訪れる新鮮な日々を謳歌していた。
そんな中、一人煮え切らない表情で机に突っ伏しているのは、他でもない金園愛莉その人であった。あの日以来、勉強も遊びも全くヤル気が起きないでいる愛莉は、冴えない表情でただ過ぎ行く時間に身を任せていた。放課後になってもすぐに立ち上がる気力が出ず、ここ最近はずっと紫乃が迎えに来るのを机で待ち続けている。
今日も今日とてそれは変わらず、紫乃が来てようやく机から顔を引き剥がした。だが、立ち上がるまでにはもう少し時間が掛かりそうだ。
「愛莉ちゃん……そろそろ元気をだしてください。オーディションだって、まだ一つしか受けていないじゃないですか」
「うん……それは、わかってるんだけどさぁ……」
「では、どうしてですか? こんなの、愛莉ちゃんらしくありませんよ」
「……」
紫乃の言うことはもっともであった。
初めて受けるオーディションでデビュー出来る程、アイドルの世界は甘いものじゃない。中にはそんなアイドルもいるのだろうが、今現在活躍しているアイドルは、皆血の滲むような努力をしてデビューを掴み取り、それを休むことなく続けているのだ。それは、長年アイドルを追い続け、アイドルを夢見てきた愛莉もわかっているつもりだ。
ただ、今回のオーディションには愛莉なりに特別な想いがあった。
何故だかはわからないが、あのオーディションの広告を見た時、どうしても受けなければいけない気がしたのだ。『ビビッと来た』と言ったのは例えではなく、本当に奇妙な衝撃を感じたから出た言葉だった。今までの人生でそんな経験がなかった愛莉は、その不思議な感覚が所謂“運命”だと信じて疑わなかった。だからこそ、あんな結果に終わったオーディションに、悔やんでも悔やみきれない想いがあるのだった。
「……でも、そうだよね。いつまでも後悔してちゃ、一歩も前に進めないもんね」
「そうですよ。一つの所にこだわっていないで、もっと色んなオーディションに挑戦してみましょう。きっと、愛莉ちゃんのことをわかってくれる所があるはずですから」
「そうだね……うん、そうする! やっぱり、アイドルになる夢は諦めきれないよ!」
「はい! その意気です!」
「ありがとう、紫乃ちゃん! 私、やるよ! 絶対にアイドルになってみせる!」
ようやくいつもの勢いを取り戻した愛莉を見て、紫乃が優しく微笑んだ。そんな紫乃の穏やかな眼差しに、愛莉は決意に滾る瞳で応える。愛莉の顔を覆っていた淀んだ雲は、もうどこにもない。あるのは、ただ晴れ渡る笑顔だけだった。
「よし! そうと決まれば行動あるのみ! 紫乃ちゃん、景気づけに甘いものでも食べに行こうよ!」
「えっ……」
「目指すはケーキバイキング! 面舵いっぱいヨーソロー!」
「ま、またですかぁ!?」
♪ ♪ ♪
「ただいまぁ」
紫乃とケーキバイキングを思う存分堪能した愛莉は、幸せでいっぱいになったお腹を満足気に擦りながら帰宅した。玄関で乱雑に靴を脱ぎ捨て、肩からずり落ちる鞄を押さえることなく、そのまま居間へと入っていく。
「あら、お帰り。今日はちょっと遅かったのね」
居間に上がると、食卓では母親である金園すみれが夕食を取っている最中だった。愛莉は持っていた鞄を近くのソファに投げ出して、重力に引かれるまますみれの隣に腰を下ろす。
「ちょっと、椅子壊れるわよ」
「そんなに重くないもーん」
「何を言ってんだか。ケーキの食べすぎで重くなってるでしょ?」
「なっ!? どうして知ってるの!?」
「何あんた! もしかして、今日も食べてきたの!?」
「……」
「呆れた……そんなことしてたら、いつか脳みそまでケーキになるよ」
「なる訳ないじゃん! いいの! 食べないと逆にストレスになって体に良くないんだから!」
「ほぉ……現役看護師に向かって健康を語るとは、いい度胸じゃない」
「うっ……そ、そんなことより、今日も夜勤なの?」
「そうよ。晩御飯は全部用意してあるから、おかずは温めて、残ったらラップして冷蔵庫ね。ちゃんと使った食器は洗うこと」
「……は~い」
「あと、洗濯もしといてね」
「えぇ~? 何でそこまでぇ?」
「はい! うちの家訓は!?」
「……か、家族は協力し合うもの」
「よかった、覚えてたのね。一瞬、脳みそがケーキになったのかと思って心配したわ」
「……」
愛莉は釈然としない様子だったが、反論出来ずにそのまま口を噤んだ。我が家の家訓を出されてしまっては、どうあっても歯向かうことが出来ない。生まれた時から骨身に染みるほど叩き込まれてきたこの家訓は、愛莉に家事を手伝わせる魔法の呪文として機能しているのだ。そして、すみれとのやり取りはいつもこんな感じで終わる。愛莉は、絶対に口では勝てないのであった。
「あっ! そう言えば、あんたに何か届いてたわよ」
「ん? 何かってなに?」
「なんか大きな封筒だったわ。部屋に置いといたけど、確か封筒にラーディアンとか書いてた――」
すみれの言葉を最後まで待たずに、愛莉は二階の自室に向かって走り出していた。
さっきまでだらしなく足を投げ出し座っていたのに、どこからそんな力が出てくるのか。陸上選手にも負けない瞬発力でドタドタと階段を駆け上がっていく。
そして、部屋の机に恭しく置かれているA4サイズの封筒を目にした途端、心臓が高鳴り手足が震えだした。純白に輝く封筒が神々し過ぎて、まともに直視できない。手に取った瞬間、その手が溶け出してしまうのではないだろうか。
「……」
ごくり、と大きく喉を鳴らし、恐る恐る封筒を持ち上げた。震える手で糊付けされた口を開け、ぐしゃぐしゃになった切り口から中身を取り出す。一枚の紙が、するすると姿を現した。
「うそ……うそでしょ……」
その紙にはたくさんの文字が並び、何やら色々と記されていた。しかし、今の愛莉にその内容などわかるはずがない。そんなことはどうでも良かった。
ただ、“合格”の二文字だけが、愛莉の総身に稲妻を走らせていた。
「やった……わたし――!?」
そこで突然、スカートのポケットに入れていた愛莉の携帯が鳴る。
愛莉は驚き飛び跳ねながらも、震える手で携帯を取り出した。画面を見ると、紫乃からの着信を示す表示が映っている。愛莉は一度深呼吸し、焦る気持ちを抑えて電話に出た。
「……もしもし、紫乃ちゃん?」
「あっ! 愛莉ちゃん! ど、ど、どうしよう!」
「え?」
電話の向こうから聞こえてくる紫乃の声は、いつもの落ち着き払ったものとは違っていた。珍しく、紫乃が動揺している。それだけで、何か大変なことが起きているのが理解できた。
「お、落ち着いて紫乃ちゃん! 何があったの!?」
「来たんです! 何でかわからないけど、来ちゃったんです! 私の所に!」
「何!? 何が来たの!?」
「オーディションの合格通知が来たんです! どうして!? 何でですか!?」
「えっ……えぇぇぇ!?」