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# bridge – 9

# bridge – 9

「――それじゃ、母さんは夜勤だからもう出るけど、体調がすこぶる悪い訳じゃないってことでいいわね?」

「……とりあえず」

「とりあえず、ね……ま、話したくないならそれでもいいし、何があったか知らないけど、風邪を引いた訳じゃないんだから明日はちゃんと学校行くこと。大目に見るのは今日だけだからね?」

「……」

「まったく……その性格は誰譲りなんだか。親の顔が見てみたいわ」

「……もう、うるさいなぁ。早く行かないと遅刻するよ」

「はいはい、もう行きますよ。んじゃ、後はよろしく~」

「……」


 愛莉の苛立つ声を軽くかわし、ひらひらと手を振りながら母スミレが部屋を出て行った。体調が悪くないことを見抜いているのに、わざわざ出勤前に顔を出して確認してくるのは、やはり看護師としての習慣故なのだろう。

 ならば、去り際に患者の精神を逆なでするようなことは言わないで欲しい、とため息混じりに思う愛莉であった。


「言える訳ないじゃん……言ったって、お母さんにはわかんないよ……」


 ベッドに身を投げ出し、枕を抱きかかえながら独り言を呟く。何気なく見上げた窓の中には、愛莉の心象を表すかのような灰色が一面を覆っていた。

 どこもかしこも重苦しい。

 そんな風に思えるぐらい、今日の愛莉は荒んでいた。何故なら、昨日の夜から愛莉の心と体を支配する重くて暗いモヤモヤが、今日の夕方を過ぎても愛莉の中に居座り続けていたからだ。学校になど行く気になれず、動く気力すらも沸かない愛莉は、一日中部屋の天井を見つめながらぼんやりするしかなかった。昼頃に心配した紫乃から携帯に連絡が入ったが、素っ気ない返事をしたきりそれも途絶えている。


「……葵ちゃんの気持ち、か」


 モヤモヤの原因はわかっている。『自分にはよくわからない』と投げ出していた考えが、朝からずっと頭の中を往来しているからだ。一晩明けて冷静になれたからか、紫乃と悠子の言葉を思い出して以来、そのことがずっと頭から離れなくなっていた。

 離れないから心がモヤモヤし、そのモヤモヤがあるから何もする気になれず、することがないから余計考えにふける、という悪循環に陥っていたのだ。

 しかし、状況に何の変化も見られない以上答えなど出るはずもなく、愛莉の迷い込んだ思考の迷路に出口が現れる様子は一向にみられなかった。


「はぁ……」


 晴れない気持ちが喉下からせり上がり、空っぽな空気となって口から漏れ出した。収まりきらないどんよりを吐き出そうと、体が勝手にため息を強要してくる。その所為で一瞬心は軽くなるが、すぐに重さを取り戻してしまう。どうにもならないもどかしさに、寝返りを繰り返しては幾度となくため息を吐き出し続けることしかできなかった。

 すると、ベッドを共にしていた愛莉の携帯が唐突に光り輝き、音楽を奏で始めた。聞こえてくるその賑やかなメロディーは、電話の着信を知らせるものである。

 その楽しげな音楽がなんだか耳障りで、まずはその音を消してやろうと愛莉は勢いよく携帯を手に取った。

 しかし、画面に表示されていた名前を見て手が止まる。


「……悠子、ちゃん?」


 番号を交換したきり一度も連絡を取ったことのなかった悠子の名前が、受話器のマークと共に画面に映し出されていた。

 電話の相手が誰なのか全く気にせず手に取ったため、想定外の相手に思わず応答を躊躇ってしまう。

 しかし、昨日のことを考えるとそうもしていられない。悠子が自ら電話を掛けてきたと言うことは、きっと何かがあったのだろう。


「……もしもし?」


 応答ボタンを押して携帯を耳に押し当てる。すると、ややあってから悠子のか細い声が携帯の向こうから流れ出てきた。


『も、もしもし? 愛莉、ちゃん?』

「……うん」

『ご、ごめんね、急に電話しちゃって……今、お話しても大丈夫かな?』

「うん。どうしたの?」

『あ、あのね……昨日のこと、葵ちゃんの話なんだけど……』

「……」


 やはりそうだ。愛莉の予想通り、昨日のことで何かあったらしい。


『じ、実はね……私、どうしても気になって、昨日家に着いてからネットで色々調べてみたの』

「調べてみたって……葵ちゃんのことを?」

『うん。こんなことをするのはよくないとは思ったんだけど……やっぱり、葵ちゃんは過去に何かあったから、あんなことを言ったんじゃないかと思って……』

「……それで、何かわかったの?」

『う、うん。あのね……葵ちゃん、私達とグループを組む前に、別のプロダクションでアイドルを目指していたみたいなの』

「……それって――」


 愛莉の脳裏に、突然記憶の波が押し寄せる。

 それは、今まで忘れていた記憶。

 オーディションの日、初めて葵と会った時に聞いた、あの噂話。


『大野企画ってプロダクションらしいんだけど、そこで五人組のアイドルグループとしてデビューする予定だったんだって』

「……」

『あ、愛莉ちゃん? どうしたの?』

「あっ……ご、ごめん、何でもないの。それで?」

『……うん。それでね、そのアイドルグループなんだけど、デビュー直前にトラブルがあって、結局グループ自体がなくなっちゃったんだって。ただ……』

「……ただ?」

『……そのトラブルの原因がね、全部葵ちゃんの所為だって噂になってたの。葵ちゃんが問題を起こして全部ダメにしたから、そのグループはデビュー出来なかったって』

「……そう、なんだ」


 特に、驚きは感じなかった。

 その噂自体は聞いたことがあったし、葵ならばやりかねないと思わされるだけであった。


『でもね……私、それが信じられなくて、他にも情報がないか調べてみたの。そしたらね、ブログを見つけたの』

「ブログ? もしかして、葵ちゃんの?」

『ううん。葵ちゃんと同じグループでデビューするはずだった人のブログ』

「よ、よく見つけたね……」

『ブログを書いてる人の名前と同じメンバーがグループにいたし、書いている内容も関係者じゃないとわからないようなことばかりだったから。たぶん、間違いないと思う』

「へ、へえ……」


 淡々と分析結果を話す悠子に、愛莉は若干の戸惑いを見せる。

 いつも控えめで、実夏に振り回されてばかりいる悠子が、ここまでのリサーチ能力を持っていたとは正直思わなかった。電話越しに明かされる新たな一面が意外すぎて、話している相手が本当に悠子なのか少し不安になってしまうほどであった。

 そんな愛莉の気持ちなど露知らず、悠子は引き続き話を進める。


『でね、そのブログ、名前とかは一切出さずに、レッスンのこととかプロダクションのこととか、メンバーのこととかをずっと書いてるんだけど、ある日から悪口しか書かなくなってるの』

「悪口って……どう言うこと?」

『プロダクションの人の対応が悪いとか、レッスンの先生の指導が下手だとか、色々書いてあるんだけど、一番多いのがメンバーの、しかも特定のメンバーについての悪口なの』

「……」

『“歌も踊りも下手で使えない”とか、“リーダーでもないのにでしゃばり過ぎ”とか、“やる気だけが空回っててウザい”とか……とにかく、すごい酷いことばかり書いてあって……』

「……でも、それだけじゃ誰のことを言っているのかわからないよ」

『うん。私も、最初は誰のことを言っているのかわからなかったの。でもね、デビュー出来ないことが確定して、グループ自体もなくなることが決まった次の日のブログにね、書いてあったの』

「……何て?」


『“全部あいつのせいだ。絶対に許さない。このことを業界に広めて、二度とアイドルを目指せないようにしてやる”って』


「……」


 悠子の弱弱しい声で聞いているにも関わらず、その言葉からはドス黒く煮え滾った憎しみが溢れてくるようだった。人間の持つ醜さの全てを詰め込んだような宣言を、誰もが閲覧可能なネット上に書き残すという行為に、愛莉は悪寒を感じずにはいられなかった。


『……私ね、この人の言っていることが信用できないの。ネットにこんな悪口を書く人だし、悪口の内容も自己中心的だし。でも、この人がこんなに怒ってるってことは、やっぱり葵ちゃんも何かしたのかなって思えてきて……実際にグループはなくなってるから、トラブルがあったのは間違いなさそうだし。でも、この悪口を書いている人がトラブルの原因で、葵ちゃんは巻き込まれただけなのかもしれないし……もう、考えれば考えるほどよくわからなくなって……』

「……」

『……ねえ、愛莉ちゃん。愛莉ちゃんはどう思う?』

「ど、どう思うって……」


 愛莉にだって、真実はわからない。「どう思う?」と聞かれた所で、悠子と同じ程度の情報しかない愛莉に、どちらが正しいか等わかるはずがなかった。

 ただ悠子の言う通り、葵が“今度こそうまくいくと思った”と言い放ったのは、この出来事があったからなのだろう。それだけじゃなく、デビューイベントを終えてからの言動や、あの時の怒りも、この件が少なからず影響している気がしてならない。紫乃の言っていた“葵が怒った別の原因”もここにあるのではないだろうか。

 そんな考えが愛莉の中に芽生え、そして、愛莉は一つの結論に至った。


「――やっぱりわからない。だから、直接聞いてみるよ」

『……え?』

「わからないから、全部葵ちゃんに聞いてくる。もう、モヤモヤして悩むのはイヤだから」

『き、聞くって、どうやって!?』

「もちろん、直接会って話を聞くよ。電話で済ませていいようなことじゃないから」

『で、でも! どうやって会うの!?』

「一回プロダクションに行って、小暮さんから葵ちゃん家の住所を聞いてくるよ。どこかに出かけていたとしても、家に行けばいつかは会えると思うから」

『で、でも!』

「じゃあ、私早速プロダクションに行くから、もう切るね」

『ま、待って愛莉ちゃ――』


 愛莉は焦る悠子の声もほとんど聞かずに電話を切ると、ベッドに携帯を放り投げて部屋を飛び出した。

 あっという間にシャワーを浴び、ものの数分で身支度を整えると、決意に満ちた表情で玄関の扉を押し開ける。

 最初の目的地はプロダクションビル。

 例え何があったとしても、葵の口から話を聞くまでは帰らぬつもりで、その一歩を踏み出した。

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