# bridge – 8
# bridge – 8
日が傾き始め、点々と並ぶ街路灯にも明かりが灯りだした頃。愛莉と紫乃と悠子の三人は、沈鬱な面持ちで闇夜が迫る住宅街を歩いていた。宗光達との話し合いの末、しばらくレッスンの休みが決定されたその帰りである。お互い冷静になるため一旦日を置き、その後どうするかは宗光達に任せる、と言うことでとりあえず話がまとまったのだった。
しかし結局のところ、問題は何も解決していない。葵との間に生まれた歪みは深く、各々の心に大きな爪痕を残したままだ。
紫乃も悠子もずっと浮かない顔で、実夏に至っては思い詰めた様子で一人プロダクションビルに居残った。愛莉もとりあえず落ち着きはしたが、胸の内では葵に対する不信感が、時間の経過と共に肥大していく一方であった。
「……あんな言い方しなくたって」
愛莉が、ポツリと呟く。心の声が、自然と口から漏れ出ていた。
『あんな酷いステージを大勢の人に見せ付けて、それで楽しかったなんてヘラヘラしてる人が何を頑張ってきたって言うの!?』
頭の中の葵が、何度もその言葉を口にする。
それを聞くたびに、愛莉の胸はきつく締め上げられた。
確かに、話し合い後に改めて見直したトリニティトリガーズのステージは、惨憺たるものであった。葵の指摘は的確で、自分の歌と踊りのチグハグさが際立って目に付いた。何度も歌詞を間違え、合わせるべきタイミングも外し、暴走に近い状態であったのは認めざるを得ない。葵の言っていたことが間違いでないのは十分理解できたし、それを直さなければアイドルとしての未来がないのもよくわかった。
だが愛莉には、厳しい時間制限の中で本当に一生懸命やってきたという自覚があった。
愛莉だけではない。紫乃も、実夏も、悠子も――葵だって、この一ヶ月、死に物狂いで努力してきたはずなのだ。
くる日もくる日も同じ歌と踊りを練習し続け、休みの日も暇さえあれば練習をして、毎日がそのことで頭がいっぱいだった。筋肉痛に耐え、厳しい指導に耐え、気持ちを奮い立たせながら前に進んできた。それは、決して一人では為し得なかった努力。五人が互いに認め合い、一つの目的に向かって協力し合ったからこそ為し得た努力なのだ。
だが葵は、その努力すら否定した。
意味がない。
そのたった五文字で、何日もかけて築き上げてきた努力を一蹴したのだ。
それだけは、絶対に許せなかった。許してはならなかった。
自分のことだけならまだしも、五人の想いや絆まで否定する言葉を許して良いはずがない。
愛莉はそう思ったからこそ、葵に向かって初めて怒りをぶつけたのだった。
「信じてたのに……酷いよ。葵ちゃんは、私達の努力なんてどうでもいいと思ってるんだ」
「……本当に、そうなのでしょうか?」
「えっ……?」
愛莉の横を黙って歩いていた紫乃が、おもむろに口を開く。
しかし、そこから発せられたのは、愛莉の意見に対して否定的なものであった。
「葵ちゃんは、そんなこと思っていない気がするんです」
「……どうして? だって、私達の練習には意味がないって言ったんだよ?」
「はい。そう言っていました」
「……じゃあ何で? どうしてそう思うの?」
「……実は、はっきりした理由はありません。ただ、何となくそう思っただけなので」
「なら、それは紫乃ちゃんの勘違いだよ」
「はい、そうかもしれません。ですが、例えそれが私の勘違いだったとしても、私達は葵ちゃんの気持ちも考えた方が良いと思うんです」
「……葵ちゃんの、気持ち?」
「はい。私も、葵ちゃんのやり方や言い方は良くなかった所があったと思います。ですが、あんなことをしたのも、あんなに怒ったのも、ちゃんとした理由があると思うんです」
「それは、私達の歌と踊りが全然ダメだったからじゃないの?」
「はい、それもあると思います。ただ、それだけが原因じゃない気もするんです。ごめんなさい、何だか気がするばかりで具体的な理由がなくて」
「……」
申し訳なさそうな微笑みを向けてくる紫乃に、愛莉は言葉を止めて思考を巡らせる。紫乃の言う“葵が怒った別の原因”が何なのか、愛莉なりに状況を振り返りながら考えてみた。
しかし、愛莉にはそれが何なのか全く見当もつかない。全員の歌と踊りに散々ダメ出しをして、愛莉と口論を始める葵が記憶の中で再現されるだけであった。
「あ、あのね……」
すると、二人の会話をじっと聞いていた悠子が、恐る恐る声を掛けてきた。
「私、ずっと気になってることがあるんだけど……葵ちゃんが、最後に言ってたことで……」
「……最後に? それって、私達がヘラヘラしてて頑張ってないってやつ?」
「ううん。そのもっと後。いなくなっちゃう前に『今度こそ、うまくいくと思った』って言ってたことなんだけど……」
「そう言えば――」
愛莉が、もう一度記憶を呼び起こす。
場面は、葵がレッスンスタジオを飛び出していく直前。照臥の手を思いっきり振り払い、消え入るような声で、葵は確かにそう口にしていた。
「――でも、それのどこが気になるの?」
「あ、あのね……葵ちゃん、今度こそって言ってたでしょ? それって、前にも何かあったからなんじゃないのかな、って思ったんだけど……」
「前にも?」
「う、うん。あっ、でも、私が勝手にそう思っただけで、歌とダンスのことかもしれないから、そうとは限らないけど……」
「……」
そう言って伏し目がちになる悠子だったが、言われてみれば気になる発言なのは確かだった。
今度こそ、うまくいくと思った。
それは、初めての出来事に対して使うような言葉ではない。ただ、これも悠子の言う通り、その発言が何に対してのものなのかで意味合いが変わってくる。そして、それを知る術が今の愛莉達にはない。
「……やっぱり、私にはわかんないよ。葵ちゃんの気持ちは、私にはよくわかんない」
そう言って、愛莉はまた黙り込む。紫乃も悠子も、それきり話を続けようとしなかった。
すっかり日も落ちて暗くなった住宅街の道を、三人は重い足取りで歩いて行くだけであった。