# bridge – 7
# bridge – 7
イベントを終えた翌日の月曜日。アイドルとしてデビューを果たした愛莉と紫乃は、朝から予想外の反響に驚かされることとなった。
先週までとは明らかに違う、多くの視線を感じる朝の通学路。他クラスや他学年の話したこともない生徒達から何度も声を掛けられ、時には写真撮影を求められたりもした。学校に到着するとその頻度はさらに増し、それぞれのクラスに人だかりができて大騒ぎになってしまうほどだ。どうやら二人に内緒でクラスメイトがイベントに来ていたらしく、そこから情報が一気に拡散し、校内で知らぬものはいない超有名人となっていたのだった。
結果、朝から放課後まで各所に引っ張りだことなり、ようやく解放されたのは放課後から二時間後。大幅な遅刻に焦りながら、二人は大急ぎでプロダクションビルへとやって来たのであった。
「ああ、上映会終わってたらどうしよう! 楽しみにしてたのに!」
「大丈夫ですよ、愛莉ちゃん。皆、待っていてくれると思いますから」
「小暮さんのケーキだけは何があっても食べたかったのに! こんなことになるなら先に予約しとくんだった!」
「……」
愛莉は後悔に苛まれながら階段を駆け上がっていく。既に、頭の中はケーキでいっぱいだった。
♪ ♪ ♪
「遅れてすみません!!」
ノックもせずにレッスンスタジオの扉を開けると、愛莉はそのままの勢いで室内に駆け込む。息を切らしながらも声を上げ、お茶とケーキを求めてスタジオ内を舐めるように見渡した。
しかし、そんな愛莉を迎えたのは、がらんどうのレッスンスタジオだった。薄暗いスタジオ内にはお茶もケーキも見当たらず、人影すらもそこには存在しなかったのだった。
「そんなぁ……わたしのけーきがぁ……」
最も危惧していた不安が的中したことで、愛莉の体から力が抜けていく。ヘナヘナと崩れ落ち、その場に座り込んでしまった。
「愛莉ちゃん……」
愛莉に続いてスタジオに入ってきた紫乃が、その愛莉を見て切なそうな顔をする。皆が待っていてくれなかったことよりもケーキのない現状を嘆く愛莉に、少し複雑な心境の紫乃であった。
「あら? あれは……」
そんな中、紫乃が改めてスタジオ内に視線を戻すと、奥の隅っこで何かが点滅していることに気がついた。照明が半分しか灯っていない薄暗い室内で、そこだけが賑やかに光り輝いている。
そしてよく見ると、その光の前に誰かが座り込んでいた。
「……葵、ちゃん?」
それは、床に置いたテレビ画面にかじり付く葵の後姿だった。
スタジオに入ってきた愛莉と紫乃に気付いていないのか、葵は画面に映し出されている映像に釘付けで微動だにしない。膝を抱えて塞ぎこむようにしながらテレビ画面と相対するその姿は、まるで魂のない人形のように見えた。映像を見ているのではなく、ただそこに置かれているモノのようで、覇気や生気がほとんど感じられない。
その時、今度は背後の廊下からばたばたと走る二つの音が聞こえてきた。
それは雄叫びと悲鳴を交えながらあっという間にレッスンスタジオの入口に到達すると、紫乃の背後で鳴りを潜める。振り返ってみると、元気な笑顔を浮かべる実夏と息を切らして膝に手をつく悠子の姿があった。
「やっほーシノッチ! 遅れてすんまそーん! あたしもユウコスも、色々あって遅刻しちった――って、アイリン何やってんの?」
「あ、大丈夫ですから心配しないで下さい。ちょっと疲れてるだけみたいなので。それよりも、二人も遅れて来たと言うことは、上映会はまだやっていないのですか?」
「うん。さっきグレさんに電話したけど、全員来るまで待ってるって言ってたよ」
「そうですか。では、お茶とケーキはなくなった訳じゃないんですね」
「……? だと思うけど――」
「ケーキ!?」
「うわぁ!?」
落ち込んでいた愛莉が急に立ち上がる。紫乃と実夏の会話が聞こえたのか、ケーキの無事を知り全身に活力が戻ってきたようだった。
「紫乃ちゃん! それってまだ誰もケーキ食べてないってこと!? 私の分もちゃんとあるってこと!?」
「そうみたいですね」
「よ、よかった〜」
そうして、また床に沈んでいく。今度は、安心し過ぎて足に力が入らなくなってしまったようだ。
「ですが、実夏ちゃんも悠子ちゃんもどうして遅れたのですか?」
「いやぁ、あたしはお母さんに捕まっちゃってさぁ。やっとの思いで抜け出してきたら、電車でユウコスと一緒になったんだよね。ユウコスは?」
「わ、私は……急に三者面談があって……」
「ふーん。なんか大変そうだねユウコス。シノッチ達は何で遅刻したの?」
「私達は、昨日のことで学校が大騒ぎになってしまって。お友達がなかなか帰してくれず、遅れてしまいました」
「へぇ~。うちの学校はなんもなかったのにすごいな~」
「ちょっと大変でしたけどね。でも、これで全員揃ったので上映会も始められますね」
「全員? ダニーは?」
「葵ちゃんでしたら、あそこに……」
「あそこ? あそこってどこ――ああっ!」
実夏が葵の姿を見つけた途端、一気に加速し葵の下へとダッシュしていった。葵の背後から顔を出し、その前にある画面を見て驚きの声を上げる。
「これ昨日のじゃん! 何で先に見てんの!?」
「えっ!?」
その声に愛莉達も葵の下へ駆けつけ、葵の背中越しに画面を覗き込む。
画面に映っていたのは、実夏の言う通り昨日行ったイベントの様子であった。映像はちょうどミニライブの模様を映し出しており、ステージ上でトリニティトリガーズの五人が歌って踊っている。初めて見る自分達のステージに、四人は画面から視線を外せなくなってしまった。
「すごい……昨日のステージって、こんなだったんだ……」
「そう言えば、愛莉ちゃん覚えていないんでしたね」
「……うん」
「見て見てユウコス! あたし歌って踊ってるよ!」
「ホントだ……本物のアイドルみたい……」
「ユウコスもちゃんと出来てるね! あんなに下手だったのに!」
「そ、そうかな……?」
「そうだよ! シノッチとアイリンもそう思うよね!?」
「はい。悠子ちゃんはいつも一生懸命練習していましたから、それがしっかり身についているんですね」
「確かに……私よりうまいかも」
「そ、そんな! 愛莉ちゃんの方がうまいよ!」
「ふふっ、二人とも上手ですよ」
「シノッチの声すごい聞こえる! ダニーのダンスもカッコイイ! やっぱ歌の一番はシノッチでダンスの一番はダニーだね!」
「ありがとうございます、実夏ちゃん。実夏ちゃんの歌声も、とっても素敵ですよ」
「……」
四人の会話が弾む中、葵は相変わらず無言でテレビを眺めていた。
しかし、突然近くにあったリモコンを手にすると、ボタンを押して映像を一時停止させてしまった。最後のサビに向かう終盤手前、歌もダンスも大いに盛り上がる部分で映像が停止し、四人の会話も一斉に止まる。
「ちょっとダニー! 何で止めたの!? 続き見せてよ!」
実夏が文句を言って葵に抗議するも、葵の手は動かない。何も聞こえていないかのように、ただ前だけを見つめ続けていた。
その様子を見て、愛莉はハタとあることに気が付く。
先ほどから、実夏が三度も葵のことを“ダニー”と呼んでいた。葵が忌み嫌い禁止しているあだ名を、実夏は何の迷いもなく解き放っていたのだ。昨日から連続している上に、今日で三度もそのあだ名を呼んだとなれば、葵が怒らない訳がない。今黙っているのも、爆発の前触れのようなものかもしれない。
そう思った途端、葵の後姿から怒りのオーラが漂っているように感じられた。
「……なんで」
葵が口を開く。妙に静かなその声に、愛莉の焦りが急加速する。
だが、その後に続いた言葉は、愛莉の覚悟していたものとはまるで違っていた。
「なんで……そんなに楽しそうなの?」
「……え?」
愛莉には、葵が何を言っているのかよくわからなかった。それが何に対してのことなのか、一体誰に向けられたものなのか、最終的に何を言おうとしているのか、葵の一言からそれらを汲み取ることが出来なかった。
それは愛莉だけでなく、紫乃や実夏、悠子も同じであった。全員が返答に困り、そのまま口をつぐんでしまう。
すると葵は、リモコンを操作して映像を早戻しし始めた。
そして、ミニライブの冒頭まで来ると早戻しを止め、再生ボタンを押し映像を流し始める。
ステージ上にトリニティトリガーズのデビュー曲が流れ、イントロの出だしと同時に五人が動き出した。
そこで、またしても葵が一時停止ボタンを押した。
「……ここ。全員動き出しのタイミングがバラバラ。愛莉と実夏は早すぎ。紫乃と悠子は遅すぎる」
そう言うと、葵はまた再生ボタンを押す。
全員同じステップからポジション移動をするイントロが過ぎ、歌の始まるAメロに差し掛かると、また一時停止ボタンが押された。
「……ここ。愛莉と実夏と紫乃、ポジションがズレてる。愛莉と悠子は歌い出しで音を外してる」
「……」
その後も、葵の指摘は続いた。
「愛莉が何箇所も歌詞を間違えてる」
「紫乃のステップが半テンポ遅い」
「実夏が前に出すぎ。全体のバランスを崩してる」
「悠子の声が小さすぎて何も聞こえない。動きも小さいし踊ってるように見えない」
「全部のコンビネーションがバラバラ。合っている所が一つもない」
「ソロパートの完成度が低すぎる。練習の成果が何も出ていない」
四分程度の映像に対しての指摘が、倍以上の時間を費やし行われた。指摘の回数に至っては、数え始めたらキリがない程である。
全員の気分が地の底に沈み、重い空気だけがその場を支配する。それでも葵は、最後の最後まで指摘を止めようとしなかった。
「流れに任せて動いているだけでメリハリがない。音をなぞっているだけで強弱も表現力もない。決めるべき所のタイミングは全部ズレてるし、最後まで笑顔を維持できていない」
「……」
「ねえ……これでも、楽しかったの? 今でも、楽しかったって言えるの? 教えてよ、愛莉」
「そ、それは……」
「見てて楽しかった? 聞いてて楽しかった? どこをどう楽しんだの?」
「だ、だって! みんな一生懸命努力してきたし! 一ヶ月の間ずっと頑張ってきたし――!」
「どんなに練習を頑張っても! 本番でこれじゃあ意味がないのよ!!」
「!?」
葵の怒声が、愛莉の言葉を遮った。立ち上がり、愛莉を睨みつけながら、全てを張り裂かんばかりにその声をスタジオ内に轟かせていた。
その怒りと迫力に、愛莉は気圧され思わず謝ってしまいそうになる。しかし、その言葉をすんでの所で抑えつけた。言っていることが正しくても、皆で頑張ってきた一ヶ月の努力まで否定されては、さすがの愛莉も平静ではいられない。自分も立ち上がり、葵を真っ直ぐに見て反論せずにはいられなかった。
「でも! 小暮さんはあんなに褒めてくれたじゃない! お客さんからもラディアンスが生まれてたって言ってた!」
「それとこれとは話が別でしょ!? それに、小暮さんは褒めることで人間にやる気を出させる女神なのよ! 歌もダンスも教えてない人の言うことを鵜呑みにするんじゃないわよ!」
「だったら、葵ちゃんにだってそんなことを言う権利ないでしょ!? 私達に歌とダンスを教えてくれてるのは、照臥さんと堀さんじゃない!」
「指導者から指摘されるの待っていたって何も進歩しないわ! 自分達で間違いを正していかなきゃ、いつまで経っても前には進めない!」
「だからってそんな風に言わなくてもいいでしょ!? 皆、自分達に出来ることを頑張ってやってきたのに!」
「頑張ってきた!? あんな酷いステージを大勢の人に見せ付けて、それで楽しかったなんてヘラヘラしてる人が何を頑張ってきたって言うの!?」
「――ッ!?」
その言葉が、最後の枷を打ち砕く引き金となった。
胸の内で水かさを増していた感情が遂に氾濫し、荒れ狂う濁流となって愛莉の全てを飲み込み、そして――溢れた。
「葵ちゃんに私の何がわかるって言うの!? 初めてアイドルになった私の気持ちなんて、葵ちゃんにわかる訳ないじゃん!! 知ったようなこと言わないで!!」
「――ッ! 愛莉、あんた――!!」
「そこまでです」
泣き叫ぶ愛莉に向かって葵が一歩踏み出したその時、二人の間に紫乃が割って入った。
流れるような動きで葵の前に立ち塞がり、手の平をかざして葵を制止させる。そのあまりにも自然で落ち着いた紫乃の行動に、葵は意表を突かれて足を止めた。
しかし、すぐに煮えたぎる怒りを取り戻し、目の前の邪魔者に向かって言葉を投げつける。
「邪魔しないで!」
「いいえ、邪魔します。これ以上は、ただ感情をぶつけ合うだけの喧嘩にしかなりません。葵ちゃんも、そんなことをするためにここへ来た訳ではないでしょう」
「……愛莉の肩を持つのね。さすがは親友、大した友情だわ」
「……」
憎しみをも含んでいそうな葵の鋭い視線が、紫乃に向かって注がれる。紫乃はそれを正面から受け止め、黙って葵を見据えていた。
スタジオ内に静寂が訪れる。
だが、紫乃と葵の間には緊迫した空気が流れていた。言い合いが一旦落ち着いたとは言え、いつまた爆発が起きてもおかしくない雰囲気が五人を取り囲んでいる。
と、その時、スタジオの扉が開き賑やかな声が室内に入ってきた。ティーセットの乗ったトレーを持つ小暮を先頭に、宗光と照臥、堀の四人が世間話に花を咲かせながらやって来たのだ。
「あら、いつの間にか全員揃って――」
小暮が五人の姿を見つけて声を掛けるが、そこまで言って様子がいつもと違うことに気が付く。
肩を震わせて俯く愛莉の前で、言葉も交わさず睨み合っている紫乃と葵。その三人を、不安げな表情で見つめる実夏と悠子。
メンバー同士でトラブルが起きていることを把握するのに、それほど時間は掛からない状況であった。
「ど、どうしたのみんな? 一体何が……?」
動揺しつつ、小暮が五人に事情を問う。
五人は、黙ったまま答えない。
だが、その声をきっかけに、葵が出口に向かって歩き出した。
「待て、佃! どこに行くつもりだ!?」
照臥が、スタジオを出て行こうとする葵の肩を咄嗟に掴んで引き止めた。
しかし、葵はその手を全力で振り払う。
「……」
「どうしたんだ。何があったのか教えろ」
葵は、一瞬歯を食いしばり、擦れた声で呟く。
「今度こそ、うまくいくと思ったのに……このメンバーなら、もっと出来ると思ったのに……結局――ッ!」
「おい待て! 佃!」
照臥の制止を振り切り、葵がスタジオを飛び出して行く。
悔しそうに吐き出した言葉を残し、目元から雫をこぼし、全てに背を向けて走り出していた。
照臥が伸ばした手は届かず、掴んだのは空気だけ。四人の女神達は、消え行くその後姿をただ見送ることしかできなかった。
誰もが言葉を失い、ただ立ち尽くす。
再び静まり返るレッスンスタジオには、葵が廊下を駆けて行く音だけが響き渡っていた