# bridge – 3
# bridge – 3
愛莉達が急いで向かった先は、プロダクションビルの二階。オーディション時に控え室として使ったあの部屋だった。
その広さからオーディション時には控え室として利用されていたが、基本的にはレッスンスタジオ用に設けられた部屋なのだ、と説明会後に小暮から聞かされていた。よって、今日のレッスンはその部屋で行われるのである。
一階のロビーから全速力で階段を駆け上がり、その部屋へと向かった愛莉と紫乃。
しかし、先に到着していた実夏と悠子が、扉の前で息を潜めているのを見て足を止める。扉に片耳を当て中の音を盗み聞く実夏と、その背にぴたりと張り付く悠子。怪しさしか漂ってこない二人の様子に、愛莉と紫乃は顔を見合わせ、とりあえず忍び足で二人に近づいて行った。
二人の背後を取った愛莉は、実夏が何を聞いているのかを確かめるため、扉の向こうで鳴っている音に聞き耳を立てた。
中から聞こえてくるのは、リズミカルな音楽と、手拍子と、女性の声だ。その声は音楽に合わせてカウントを取り、手拍子も同じタイミングで鳴らされている。時たま、体育館に響く靴音のような音も混じっていた。それは、ダンスのレッスンをしている音に間違いない。
「ムムム……あたしの推理が正しければ、これは完全に遅刻ですな」
「実夏ちゃん! そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! 早く入らないと!」
「まあ、待ちたまえアイリン君。あたしとしては、まず言い訳を考えるべきだと思うのだよ」
「もう! いいから入るよ!」
扉に背を預けてポーズを取る実夏を無視して、愛莉がスタジオの扉を押し開いた。
全体重を掛けて扉に寄りかかっていた実夏は、当然のごとく背中から室内に倒れ込み、激しい音を立てながら尻もちをつく。その音で、カウントを取り続けていた女性の声と手拍子が止んだ。
「あっ……」
室内から二つの視線が愛莉達へと注がれる。その視線の主は、ロングヘアーに前髪をポンパドールでまとめた初めて見る女性と、レッスン着姿の佃葵であった。
愛莉達がレッスンを中断させてしまったせいか、スタジオ内に気まずい空気がたちこめる。
「いたたた……もう、アイリン急に開けないでよ――って、あれ?」
お尻を擦りながら立ち上がった実夏もこの妙な空気を感じ取ったのか、全員の様子を見比べて不思議そうな顔をしていた。しかし、何か変な感じになってはいるが、どうしてこうなってしまったのかわかっていない様子であった。
すると、葵の前にいたポンパドールの女性が足元にあるリモコンを拾い上げ、鳴り続けていた音楽を停止させた。室内が完全な無音になり、気まずい空気が色濃くなる。
その静寂を破るように、ポンパドールの女性が大きな声を張り上げた。
「なぁにやってんだお前ら!! とにかく全員入って来い!!」
案の定浴びせられた怒声に、愛莉達は大慌てで室内になだれ込んだ。
そして、言われてもいないのにその女性の前で横一列に整列する。その女性が放つ厳しいオーラを感じ取り、全員が本能的にそうしなければいけないと察知しての行動だった。
「まったく、いま何時だと思ってるんだ!? 夕方だぞ、夕方! 何十時間遅刻するつもりだったんだお前ら!」
「……え?」
説教を始める女性の言葉が意味不明すぎて、愛莉の頭上にハテナマークが溢れかえる。
確かに遅刻はしたが、それは集合時間から数分だけのこと。元より学校が終わってから集合する話になっていたので、夕方に来ること自体は何の問題もないはずである。
なのにその女性は、愛莉達が夕方にやって来たことに対して怒っているようだった。何十時間も、と言っていることから、それは間違いないだろう。
「……コナさん。彼女達は学校が終わってからじゃないと合流出来ないんです。小暮さんから聞いてませんか?」
戸惑う愛莉達に代わってそう言ったのは、唯一遅刻をしなかったメンバーの一人、佃葵であった。
「ん? そうだったか? と言うより、ガッコウって何だ?」
「大勢の人間が一箇所に集まって、色々なことを学ぶ場所のことです」
「ああ、そう言えばそんな所があるとは聞いたことがあったな。じゃあ、なんでお前は朝からいたんだ?」
「私はその学校に行っていないからです。ある一定の年齢になると、学校に行く行かないは選べることになってるんですよ」
「はぁ~、相変わらずメンドーなことをしてるな、人間ってのは」
「あ、あの……いったい何の話を……」
愛莉が思わず口を挟む。二人の会話に全くついて行けず、何がどうなっているのかさっぱりわからなかった。
説明を求めて二人に視線を向けると、それに気付いた葵が軽いため息を漏らす。
「……この人も、社長や小暮さんと同じよ。それでわかるでしょ?」
「えっ!? ってことは――神様ですか!?」
「当たり前だろう。このプロダクションは社長と私らムーサ女神しかいないんだから、全員神の一族だ」
「……ああ、そっか」
それが一般常識だとでも言いたげな女性の言葉を、愛莉はあっさり受け入れる。昨日の時点で疑いの気持ち等どこかに捨て去ってはいるのだが、自然な流れで堂々と“自分が神である”と語る女性の姿には、妙な説得力があった。
「ちなみにだが、私の名前はテルプシコラー。ムーサ女神の一人、乱舞のテルプシコラーだ。人間界では照臥コナと名乗っている。お前達のレッスンコーチ兼ダンスの振り付け担当だ。厳しくいくから覚悟しとけよ」
照臥の鋭い眼光がギラリと光る。その圧倒的な迫力に、四人はえも言われぬ恐怖を覚えた。
「特に、金園、仲居、桜井。お前らは基礎からみっちり叩き込んでやるからな」
「えー!? あたしはスグに踊れるよー!?」
「黙れ、仲居。基礎も習得していない奴に私の振り付けが踊れると思うな」
「えー! じゃあ、なんでそこにシノッチとダニーは入ってないの!?」
「……シノッチ? ダニー? 何のことだ?」
「あっ、シノッチは私のこと――みたいです」
「なんだ、伊集院のことか。じゃあダニーは誰なんだ?」
そこで、実夏以外の全員が首を傾げる。誰のものかもわからない、初めて聞くあだ名だった。
愛莉もそのあだ名が誰を指しているのかわからず、答を求めて今までに登場したあだ名を振り返ってみる。
今までに実夏が付けたあだ名は、愛莉がアイリン、紫乃がシノッチ、悠子がユウコス、である。会話の流れ的に照臥のあだ名でないことは確かだから、残りは……。
「わ、私!?」
全員の視線が同じ人物を捉えていた。佃葵である。
「イエース! ダニーとはユーのことだに!」
「はぁ!? なによそれ!?」
「なによって、あだ名だよ」
「そんなことわかってるわよ! 何でダニーなのかって聞いてるの!」
「佃煮!」
「……は?」
「佃と言えば佃煮っしょ!? だから、ダニー!」
「……」
その瞬間、葵の顔にあの凍てつくような冷たい瞳が現れていた。その視線だけで実夏を氷漬けにせんとする冷酷な眼が、レッスンスタジオ内の空気を一変させる。
しかし、実夏はその瞳や空気に全く動じることなく、その場で思いついたであろう佃煮のテーマを鼻歌で歌っている始末である。それが葵の怒りを増幅させるものとは知らず、焦りを浮かべるのは傍から見ている愛莉達だけであった。
「……あなた、確か実夏って言ったわね。今度私をそう呼んだらただじゃおかないから、よく覚えておくことね」
「えー? じゃあ何て呼べばいいのー?」
「下の名前で呼びなさい。それ以外の呼び方は一切許さないわ」
「ええー? それじゃあつまんない!」
「実夏だけじゃないわ。全員、私のことは下の名前で呼ぶこと。私も全員にそうさせてもらうから。アイドルグループのメンバーが苗字で呼び合うなんて、カッコ悪くて見れたものじゃないからね」
「もぉー! せっかくカッコカワイイあだ名だったのにぃー!」
実夏はあだ名を却下されたことに納得がいかないのか、頬を膨らませてふくれていた。
しかし、葵はそんな実夏の言葉を鼻であしらい、完全拒絶の姿勢を崩さない。腕を組み堂々としたたたずまいで、冷淡な眼差しを実夏に送り続けるだけであった。
「はいはい、もうわかったから大人しくしろ仲居。とにかく、話を戻すが基礎がないのはお前ら三人だけなんだよ。佃は以前ダンスを習っていたと言うし、その実力はもう確認済みだ。伊集院も、ジャンルは違えど何かしらの舞を習っていたと見えるしな」
「えー!? シノッチ、ダンス習ってたの!?」
「昔、クラシックバレエを少しだけ習っていました。でも、何故わかったんですか? プロダクションの方に、そのお話をしたことはないはずなんですけが……」
「私は舞踏を司る女神だ。見ただけで、その人間に経験があるかないかぐらいはわかるんだよ」
「そうなんですか。やはり、神様ってすごいんですね」
「まあな――って、私のことはどうでもいいんだよ。とにかく、お前らはさっさと隣の部屋で着替えて来い。レッスンの時間がどんどんなくなるぞ」
「うお、そりゃマズイ! 急いで準備しなきゃ! 行くよ、ユウコス!」
「ひぇ!? だ、だからひっぱりゃないでぇぇぇぇ……!」
悠子の腕をがっちりと掴んだ実夏が、雄叫びを上げながらレッスンスタジオを飛び出していく。悠子の上げる悲鳴もそれと共に遠ざかって行き、そのまま廊下を経由して隣の部屋まで吸い込まれていった。
「全く、騒がしいな。あいつはいつもああなのか、金園?」
「あはは……どうでしょう……」
「……まあ、いい。とにかく、お前達も早く行って来い。四人まとめて基本のステップから始めるからな」
「は、はい! すぐ着替えてきます!」
「佃はその間に、さっき教えた所を復習しておけ。最後に通しでチェックするぞ」
「……わかりました」
『――さて、初日でどう料理してやろうか……フフフ……』
背後から、怪しげな呟きが聞こえた気がした。
生暖かい空気が背筋をゾワリとなぞるような、何ともいえない恐怖を感じる。
愛莉はその恐怖をなるべく意識しないようにしながら、紫乃と足早にレッスンスタジオを後にしたのだった。