# bridge – 2
# bridge – 2
何事もなく無事に一日の授業を終えた愛莉と紫乃は、予定通りにプロダクションビルへと到着した。
忘れ物は一つもなく、心も体も準備万端。アイドルとして初めて臨むレッスンに、ヤル気は十分過ぎるぐらい満ち溢れている。西日に照らされている屋上の半裸彫刻も、愛莉達の新たな門出を祝福している――ような気がした。
「ついに来たね、紫乃ちゃん」
「はい。来ましたね、愛莉ちゃん」
「いよいよ、始まるね」
「はい。始まりますね」
そう言って、二人は互いに手を取り合い、脈打つ手の平をきつく握り締めた。溢れるヤル気と少しの緊張感が、二人の体を足元から埋め尽くしていく。
そして一呼吸置いた後、愛莉が表情を引き締めながら、前だけを見据えて気合を入れた。
「よし! じゃあ、行こう! 紫乃ちゃ――ッ!?」
突然、ドスンッ、と愛莉の体に衝撃が走った。愛莉の気合を削ぐように、真横から何かがぶつかってきたのだ。
「やっほー! アイドル志望のお姉さーん!!」
腹部に突進して来た上に腰に手を回して絡みついてくるそれは、元気な声を響かせる制服姿の仲居実夏であった。愛莉の捨て去りたい恥の記憶を大声で口にしながら、駆けて来た勢いそのままに愛莉に抱きついて来たのだ。愛莉は叫びだしたい気持ちを必死で押さえ、引きつった笑いを浮かべながら、努めて大人な対応を試みる。
「な、仲居さん……?」
「お姉さんもいま来たんだ! 偶然だね! 嬉しいね!」
「そ、そうだね……その、アイドル志望のお姉さんってのを止めてくれると、もっと嬉しいんだけど……」
「ええー? じゃあ何て呼べばいいの?」
「……普通に名前でいいよ。これから一緒にアイドルをやっていく仲なんだから」
「うん、わかった! じゃあ、アイリンって呼ぶね!」
「ア、アイリン?」
「そう! 金園愛莉だから、アイリン! かわいいでしょ?」
「う、うん……じゃあ、それで……」
初めてつけられた妙なあだ名に戸惑う愛莉だったが、アイドル志望のお姉さんと呼ばれないだけまだマシかと思い、渋々それを承諾した。まあ、アイドルになれば必然的にあだ名が生まれるものだから、その内の一つと考えれば悪くはない気もする。
「ということは、仲居さんはミカリンになるのかな?」
「いやいや、アイリン。あたしには既に、“ミカン星人”というあだ名があるのですよ」
「そ、それって……あだ名って言うの?」
「イエース! アタシ、ミカン星カラヤテキタミカン星人デース! ヨロシクネー」
「……よろしくね、実夏ちゃん」
「ええー! ミカン星人って呼んでよー!」
実夏がおもちゃをねだる子供のように愛莉の体を揺する。当の愛莉は、実夏の要求を右から左へ受け流し、抵抗する気も見せずにそのまま揺らされ続けた。そんな二人の様子を後ろで見ていた紫乃が、堪え切れずにクスリと笑っていた。
「二人とも、すっかり仲良しですね」
「ソウダネー。ワタシトミカチャンハナカヨシダヨー」
「ああー! アイリンがあたしのパクったー!」
「ふふふ。愛莉ちゃんもミカン星人だったんですね」
「もー! シノッチも笑ってないで、アイリンのこと怒ってよ!」
「……私は、シノッチなんですね」
既に自分のあだ名まで決まっていたことに面を食らう紫乃。そんな紫乃のことなど意にも介さず、実夏は自分のマネをする愛莉をひたすらに揺すり続けた。
愛莉はそうやって実夏をイジるのがいたく気に入ったようで、揺すられながらも実夏のマネを止めようとはしない。もはや、本物のミカン星人に成りきったつもりで、変顔に片言の話し言葉という独自のキャラ付けを確立していた。
「――って、あれ?」
そんな揺れ動く視界の端で、妙な現象が起きていることに愛莉が気付いた。
そこは、プロダクションビルの入口。自動扉となっているその入口が、人の往来が無いにも関わらず、先程からずっと開閉を繰り返していた。センサーが壊れでもしたのか、自動扉は助けを求めるかのように、その口を引っ切り無しに開け閉めしている。
と、そこでさらに愛莉が気付く。
自動扉はセンサーが壊れたのではなく、正常に動作していたからこそ開け閉めを繰り返していたのだった。人の往来を感知したのではなく、センサーが感知するギリギリのラインに、一人の女の子が立ち尽くしていたから起きていた現象だった。
そして、その女の子の後姿には見覚えがあった。
「ねえ、あれって桜井さんじゃない?」
「え!? どこどこ!? どこのこと言ってるのアイリン!?」
「ほら、あの入口に立ってる子。紫乃ちゃんも見えるでしょ?」
「ああ、本当ですね。あの綺麗なロングヘアーは、桜井さんに間違いないです」
「うお! あれかー! ヨッシャー突撃ー!」
「ちょ、ちょっと実夏ちゃん!?」
その後姿を確認するや否や、実夏が猛烈な勢いで走り出し、自動扉前で微動だにしない女の子へと飛び掛かっていった。止めようとする愛莉の言葉は届く暇もなく、実夏はその子に飛びつき後ろから羽交い絞めにする。その子も突然の襲撃に驚いたのか抵抗しているようで、二つの影は入口前でモタモタともみ合いを始めていた。
「元気と言うか、騒がしいと言うか……若いってすごいわ」
「若いっ、て……愛莉ちゃんと私も、実夏ちゃんとほとんど変わらないじゃないですか」
「……それもそうだね」
「とりあえず、私達も行きましょう。あのままにしておくと、桜井さんが大変なことになりそうですから」
「……今日のレッスン、大丈夫かな」
♪ ♪ ♪
「あの……助けて頂いて、ありがとうございました。金園さん、伊集院さん」
「そんなにかしこまらなくていいよ。私も紫乃ちゃんも、別に大したことはしてないんだから」
「そうですよ。桜井さんは何も悪いことをしていないんですから、謝る必要はありません」
「もー! 二人してあたしの腕持たないでよ! あたしも悪いことしてないのにぃー!」
開け閉めを繰り返す自動扉前にやって来た愛莉と紫乃は、とりあえず自動扉が壊れるのを防ぐため、センサーが反応しない場所へもみ合う二人を連れ出すことにした。そして、その過程でタコのように巻きついた実夏を引き剥がし拘束する。巻きつかれていた女の子は愛莉達の予想通り、トリニティトリガーズのメンバーである桜井悠子であった。
「実夏ちゃんに悪気はなくても、桜井さんがイヤがってたんだから仕方ないでしょ。元気があるのはいいけど、少しは大人しくしてよ」
「ただのスキンシップだよ! 同い年のユウコスと仲良くなりたかったの!」
「人が嫌がる行為をスキンシップとは言いません――って、桜井さんのあだ名まで決まってるんだね……」
「うん! かわいいでしょ?」
「……」
「あ、あの……もう離してあげてください。さっきはちょっとビックリしただけで、イヤがってた訳じゃないので……」
「……まあ、桜井さんがそう言うなら」
そう言って、愛莉は渋々実夏の拘束を解いた。同時に紫乃も掴んでいた腕を離し、自由の身となった実夏が喜びの声を上げながら悠子と肩を並べる。
「いやー、ユウコスは話がわかるね~。さすが、あたしのマブダチだぁ!」
「……マ、マブダチ?」
「実夏ちゃん、もう桜井さんを驚かせるようなことしちゃダメだよ」
「イエス、アイリン!」
「もう……」
右手を天高く掲げ、満面の笑みでそう答える実夏。見るからに能天気な実夏に、自分の言ったことが本当に伝わっているのか、愛莉は不安で仕方がなかった。
「……すみません、金園さん」
「いやいや、さっき紫乃ちゃんも言ったけど、桜井さんが謝ることないって。あと、私のことは愛莉でいいよ」
「えっ? でも……」
「同じアイドルグループの仲間なんだから、堅苦しいのはナシにしようよ。その代わり、私も悠子ちゃんって呼んでもいい?」
「は、はい! それは、もちろん……」
「ありがとう、悠子ちゃん。改めてよろしくね!」
「……はい。あ……愛莉、ちゃん」
悠子は、言いながら恥ずかしそうに身をよじっていた。しかし、その顔には初めて見る微笑が浮かび上がっている。控えめだが、とても可愛らしい笑顔だった。
それを見て、愛莉の顔にも自然と笑みがこぼれる。まだお互いぎこちなさがあるし、下の名前で呼び合っただけだけれど、愛莉は悠子との距離が少し縮んだ気がして嬉しかった。
「じゃあ私も、愛莉ちゃんと同じように悠子ちゃんって呼んでいいですか? 私のことは紫乃でいいので」
「は、はい。えっと……紫乃、ちゃん?」
「はい。これからよろしくお願いしますね、悠子ちゃん」
「あたしはユウコスって呼ぶからね! 誰が何と言おうと、ユウコスはユウコスだから!」
「は、はぁ……」
「ちなみに、あたしのことはミカエルって呼んでね!」
「ミ……ミカエル?」
「あれ? さっき、私にはミカン星人って呼ぶように言ってなかったっけ?」
「ふふふ……アイリン、それは表向きのあだ名さ。あたしぐらいの人物になると、色んな名前と顔を持たなきゃ生きていけないのだよ」
「……じゃあ、他にどんな名前があるの?」
「タケミカヅチ、とか!」
「……」
「わあ、なんかスゴイですね!」
「でしょ、シノッチ! いや~、やっぱりわかる人にはわかるんだね~」
「意味はわからないですけど、雷みたいでカッコイイと思います」
「そうそう! 意味わかんなくても、カッコ良ければいいよね!」
紫乃と実夏が繰り広げる謎の会話に、愛莉と悠子は苦笑いを浮かべて傍観する他なかった。
一応会話になってはいるが、方向性がお互いに明後日を指している気がしてならない。それでも通じ合っていると言うことは、根っこの部分で共通しているものがあるのだろう。それを考えると、この二人が完全に意気投合した場合は面倒なことになるのかもしれない、と少し不安になる愛莉であった。
「ところで、悠子ちゃん。さっき何をしていたの?」
「……え? さっき?」
「ほら、実夏ちゃんが飛んで来るまで扉の前にずっと立ってたでしょ? あれ、何してたのかなって思って」
「あ……それは、その……」
悠子がまた、恥ずかしそうに身をよじりながら言葉を濁した。チラチラと愛莉の顔色を窺いながら、何か言いかけてはそれを飲み込んでしまう。
そんなことを何度か繰り返した後、結局はしゅんとして俯いてしまった。
「あ……ご、ごめんね! 別に言いたくないなら良いんだ! ちょっと気になっただけだから!」
愛莉が焦ってその場を取り繕う。単なる世間話の一つとして気軽に聞いてみただけであったが、悠子にとってはあまり触れてほしくなかった話題だったのかもしれない。
何とか雰囲気を変えるため、別の話題を探して愛莉が脳内探索に駆け巡る。何か共通の話題でも、と少ない情報を頼りにあれこれ考えていると、悠子の隣にいた実夏が突然声を上げた。
「あっ! そう言えば、いま何時!?」
その声に、全員が各々の時計を確認する。見ると、時計の長針が集合時間の五分前を通過し、尚も先に進もうとしている所だった。
愛莉が戦慄する。紫乃と二人で余裕を持ってやって来たつもりが、実夏のお転婆に巻き込まれている内に時間がなくなっていたのだった。いくら入口前にいるとは言え、走って向かわなければギリギリ間に合わなくなってしまう。
「い、急ごうみんな! 初日から遅刻なんてことになったら、アイドル失格だよ!」
「うへぇ! そりゃマズイや! よし、行くぞユウコス! あたしと風になろうぜ!」
「えっ!? ま、待って! ひ、ひぃっぱりゃないでぇぇぇぇ……!」
実夏は悠子の腕をがっちり掴むと、そのまま一気にスピードを上げて駆けて出して行った。悲鳴にも近い声を上げる悠子のことなど気にもせず、あっという間に二人の姿は建物内へと消える。
「わあ! 実夏ちゃんって足が速いんですね!」
「紫乃ちゃん! 感心してないで、私達も急がないと!」
「あ、そうですね。行きましょう、愛莉ちゃん」
その後を追うように、愛莉と紫乃も走り出す。
初日から落ち着きのない四人の新米アイドルが、ドタバタと道を駆けて行く。その慌てぶりは、今後の波乱を予感させるものであった。