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私のカタチ 2 彼女に関するすべてのことを  作者: tetsuya
第1章 彼女は確かに此処にいた
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7 ただ、それだけのもの

 四月だというのに窓の外にはまだ雪が残っていた。家の中にはまるで生活の気配がないものだから、寒々しさがつのった。

 店と倉庫と仕事場のスペースを除いても、二世帯同居が楽にできそうな部屋数があるのだ。そこに、誰もいない。一日中寝ていても誰も帰ってこない。

 そういえば彼女も、「私の家」とは言わなかった。


 観光客は遊覧船で湖を渡ってくる。

 湖の氷が融けきるまではオフシーズンだ。

 土産物屋が並ぶ通りに出ても人気はない。店のいくつかは除雪もされないままで放置されて、出入りができないほどの雪に埋もれている。

 くるみがいるという民族資料館のほうに向かった。

 私が神殿のようだと思った大きなかやぶき家屋、それがオンネチセだった。

 とぅるるるるー。とぅーるるるるるー。

 丹頂鶴の鳴きかわす恋の歌をまねたのだという、銀色の月光が天の高くで転がるような、人間の喉から出たものとは思えない澄み切った声。

 それは歌声ではないし、叫びでもない。ひたすら透明で、どんな感情も意味も含まれていないように聞こえる。だから直に耳に触れ、脳を通り抜けて体全体を揺らす。

 とぅるるるるー。とぅーるるるるるー。

 そんな声が、オンネチセから漏れ聞こえてくる。

 フントゥリー、フンチィカップ。

 という単調な囃子歌も聞こえてくる。

 休館日の看板が下がった入り口越しに、私は中を覗いた。

 舞台にいたのは妙に馴れ馴れしい、病的なまでに嘘つきの、あの電波少女だった。

 彼女のもうひとつの顔を、私はそこで知った。


 彼女の舞を、私は忘れない。 

 それはサロルンチカプリムセ、鶴の舞の名で各地に伝承されているものだ。複数の女性が対になって踊ることが多いが、正式な型があるわけではない。

 このとき、舞台には彼女一人きりだった。

 フットライトもスポットライトもない、ただ窓から差す光で明るくなっているだけのステージ。踊りは派手な動きがあるわけでもない、鳥のはばたきを真似るような単純な繰り返しで、腰を曲げ、目を伏せ、うつ向き気味に歩を刻む。

 羽を広げ背伸びをするような、あるいは向き合って交互にジャンプを繰り返すような、本物の丹頂鶴のダンスとは少しも似ていない。

 フントゥリー、フンチィカップ。

 テープに録音された囃子歌にあわせて、彼女は袖を動かし足を踏む。どこまでも静かで単調なくりかえしだ。

 それはエネルギーを発散し、会衆を興奮の渦に巻き込む類のダンスではなかった。

 すべての情念と期待は内側へと折り込まれ、らせん状の回路を作り出し演者を、見るものを引き込んでいく。最初円を描いていた彼女の足跡は、存在しないもう一人の演者と重なり合い、∞、無限の記号をたどりはじめる。

 フントゥリー、フンチィカップ。

繰り返す歌のリズムが、時間さえも反復の中に取り込む。彼女の舞は時空を幾重にも回折させて、渦を、メールシュトロームのような内向きの渦を作り出す。

 その中心、そのさらに先、砂時計の向こう側に、無限に対して開かれたこの世ならぬ何かがある。その存在を、私ははっきりと感じた。 

  

「こらこら、まだ歩いていい状態じゃないぞ」

 一曲踊り終えたあとで、私に気づいた彼女がステージを降りてきた。

「冷すとよくないんだよ、おとなしく寝てなさい」

「ちょっとさ、お礼くらい言っておこうかと思っただけ」

「いいよー、そんなの。あとで身体で払ってもらうんだから」

 このせりふを聞き流したことを、後に私は後悔することになる。

「踊り、見てたよ」

「そ?」

 私の感想には興味がないという様子で、彼女はベンチの上のペットボトルを取り上げ、喉を潤す。

「本物だな。ああいうものについては何も知らないけど、圧倒された」

「本物もなにも」

 そのとき彼女が見せた醒めきった表情は演技だったのだろうか、本心だったのだろうか。彼女はこう言った。

「ただのショーだよ。一公演八〇〇円のなかの、六つある演目のひとつ。ただ、それだけのものだよ」

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