5 たどり着いた場所
「……は?」
「びっくりした? びっくりした? 楽しー、あー、すっごい楽しい」
別人のような表情と声で、彼女はニャハハハと笑った。
私は笑えなかった。冷たい汗で背中がぐっしょりと濡れたままだった。彼女の豹変は、演技にしては激しすぎた。
「あんた、初対面の人間にいつもこんなことしてんの」
「そんなわけないじゃない、しずくちゃんだからだよ」
いきなり「しずくちゃん」はないだろう。
「……初対面、だよね」
「そうだよ」彼女は真顔に戻り、
「前世は別だけどね 」
そう言って一人爆笑した。
「で、今現在の戸籍上の本当の正式な名前はなんていうんだ」
「あ、次の分岐で右」
「じゃなくて……カムイコタン?」
道なりに進めば湖の畔、温泉の湧く地域にホテル・旅館が立ち並ぶ観光スポットへと続く。彼女が示したのは「アイヌ民族資料館 約一〇km」という標識の二車線道だ。
「ああ、そうか」
ふと言いかけて、私は口をつぐんだ。
この娘はアイヌか。
彫りの深い顔立ち、白い肌、大きな瞳。そういう血が混じっているのだと思えば納得がいった。
「なにが」
「民族舞踊とかやってるわけだ。それで芸能人か」
アイヌという言葉を口にするのはなんだかためらわれて、私はそういう言い方をした。
「うん、だからプロだよ、一応」
「そうか、プロか」
ふと我が身を振り返ってしまった。美術の世界ではプロの概念は曖昧だ。ギャラリーで個展を開くだけのことなら誰にでもできるが、作品を売るだけで食べていけるのはほんの一握りでしかない。私は美術の最高学府を出たが、それが何かの保証や後ろ盾になるわけではない。今の私は、ただの無職の放浪者だ。
上り坂になる。あたりの森がだんだん深くなっていく。不意に視界が開けるとそこにはタイムスリップしたみたいな光景が広がっていて、私は息を呑んだ。
神殿を思わせる、巨大なかやぶき屋根の伝統家屋。そのまわりに小さな小屋が七つ、八つ。どれも真新しいかやぶき屋根で、夕暮れ時の日差しをあびて金色に輝いている。その姿がそのまま逆さに、あちこちにまだ氷が浮かぶ湖面に映っている。遠くの山の端はもう茜色で、そして湖の対岸には……ピンクやグリーンに輝く色とりどりのネオンサイン。
「だいなしだな」
リゾートホテル、温泉旅館、お土産センター、大衆居酒屋、ローソンにセブンイレブン、そういったものが湖の半周を取り巻いてびっしりと並んでいる。向こう側はまったくの現代都市だ。
「いいのか、これ」
「いいの、大事なのは向こうから見える景色なんだから」それが充分にファンタジーであればいい。
「リゾートってそういうものよ」と、この小娘は言ったのだった。