4 ぜんぶうそだから
「ぺ、ペンネームですか」
「芸名かな。私、ある種の芸能人だから」
「ああ、あるよね、そういうの。わかるわかる」
まったく何もわかっていないのだが、私は引きつった愛想笑いを浮かべて平静を装った。
「本当の名前はね」
彼女はハンドルを握る私の手に手を重ね、澄んだ瞳で私の目を覗き込みながら、
「エルレイシア・ルミナシオン・ヨグ=ソトースⅦ世」
真顔で言った。
これは、そっち方面の人だったか。
ねっとりとした汗が脇の下に浮かんでくる。
「驚くのも無理はないわ。もう、四千年も昔のことだもの。でも、きっと思い出すわ。私がアトランティスで神官をしていたころ、あなたも兵士としていつもそばにいたのよ」
そっち方面の人には申し訳ないが、私はこういう会話が苦手だ。私はこうみえてちっとも豪胆なほうではなく、特に、北海道の山奥で車の中で二人っきりでこの世のものとも思えない美少女に真剣な顔で前世の話を聞かされるのは、正直気持ち悪くてたまらない。
思考というか欲求というか、消防車のサイレンのような金切り声が頭の中を飛び交っているのだが、具体的に何をすればいいのかまったく思いつかない。
彼女の澄んだ瞳から目が離せないまま、これという考えもないまま、右手だけが別な生き物のように、ドアハンドルを探しさまよっていた。指先がドアを掻くカリカリという音は、今でもはっきりと耳に残っている。
その右手を彼女は掴んだ。私は両手を拘束されるかたちだ。三十キロの荷物を片手で持ち上げられるはずの私は、その細腕に逆らうことができない。彼女は妖しい力を放ちながら私にぴったりと身を寄せ、恋人どうしが口づけするように顔を寄せてくる。私の視界に映るのは、星のない夜空のような黒い瞳だけ。
「怯えているのね」
黒い瞳、底なしの闇。彼女の吐息が私の頬を撫ぜる。
「恐がらないで、大丈夫……」
彼女の腕が蛇のように首にからみついてくる。耳元に口を寄せ、彼女はそっとささやく。
「ぜ・ん・ぶ・う・そ・だ・か・ら」