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訳も分からず落ちました。  作者: 滸 いろは
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【前編】

 これが夢だったらどんなに良かっただろう。

 こんな夢だったらね。


 バッチこーい!

 ファンタジーばんざーい!


 と、諸手を挙げて喜んだことだろう。

 水嶋透理は心の底から、そう思った。

 だって。

 夢でないなら、これはなんだ?

 なんで私が。

 戦争は勿論のこと、殺人さえも他人事と思っていた、基本のほほんな平和主義を掲げている日本人なのに。

 そんな血生臭い現実なんて、これっぽっちも考えたことがないのに。

 目が覚めたら、目の前で見たこともないグロテスクな生き物が斬り殺されて、頭からその血を被るとか。

 いったいどんな悪夢なのよ。

 とりあえず、目の前で生き物が血を噴いて倒れるという光景が夢でなくてなんだというんだ。

 これが夢じゃないなら、物理的かつ論理的かつ、人道的な説明を求めたい。


 水嶋透理(みずしま とおり)。

 本人がどう思っているかは別として、文句なしの美人であった。

 年齢17歳。身長157センチ。体重48キロ

 因みにスリーサイズは85、58、87。

 一度も染めたことのない黒髪は艶やかで、背の中程まで伸び、黒眼がちの大きな瞳は、切れ長の奥二重。

 日焼けとは無縁の白く、キメ細やかな肌。

 頬はうっすらと桃色で、口角の上がった、形の良い桜色の唇。

 時代によって美人の基準が変わるとはいえ、現代日本において言えば、透理は美人である。

 透理の意識はともかく、透理が目覚めた世界においても、透理が美人というのはどうやら変わりない様子だった。

 なぜかと言えば。


『僕が召喚したのは時を操る妖のはずなんだけど。んー?術式は…間違ってないし…やっぱ時空を跨ぐのは不安定ってことか。でもまあ、こんなキレイな人が召喚されたなら、これはこれで運が良いと言うことのかな?女性に興味がない僕でも、君は美しいと思えるしね』


 透理の都合なんて全く気にしていない様子で、自分の顎を摩りながらのんびりと口を聞く男に、さすがの透理も口をぱっくり開けるほかにない。


『あー。ごめんねぇ?だってまさか人間が召喚されるなんて思いもしなかったんだよねー』


 頭から血を被った透理は、その場に居た男に保護された。

 こちらはどうやら人間らしい。

 というか、透理が現実離れした状況に陥ったのは、この男が原因だった。


『まあ、衣食住の心配はしなくていいよ?僕の責任でちゃんと君の面倒は見るからさ』


 にこやかに、まるで自分は何も悪くないとでいう風情の男に、透理の理性がブチ切れたのは仕方のないことかもしれない。


「ふざけんなーーっ!ってゆーか、なんなの⁉ここはどこなのよ⁉っゆーか、私を現代日本の文明社会に戻せぇぇーーーっ‼」


 透理の思考回路は崩壊寸前だった。

 たとえ相手がこれまで見た中で1番の美形であったとしても、それが今、この状況下でいったい何の役に立つって話だ。

 何から突っ込む…いや、何から質問すればいいのだろう。

 透理は頭をフル稼働させたけれど、現状さえまともに把握できていないわけで、全く整理がつかない。

 結局、透理の質問は一つしかない。


「何がどーしてこうなるの…」


 断っておくが、透理は馬鹿ではない。これでも全国模試2桁の常連だ。

 この目の前の男に、喰ってかかるだけ無駄だということは、数度の会話で理解した。透理の直感が告げていた。


 この男は、どえすだ。なんなら鬼畜性があるかもしれない。


 反抗的になるほど、この男は愉しそうに顔を歪めるだけだ、と。

 この辺り、透理はすこぶる敏感だった。男の本質を見抜くのは、透理にとって身を護る術でもあった。

 君子危うきに近寄らず。

 透理はその言葉の意味を、身を以て、知りたくもないけれど知っていた。


 なんかもう、色々泣きたい。


 こんな訳のわからない状況に放り込んでくれた元凶に、こんな上から目線で面倒みるとか言われても、感謝の気持ちなんて髪の一筋たりとも思わない。

 がっくりと肩を落とす透理だったけれど、衣食住は保証すると言われて、それが確固たる約束として実行されるのであれば当面の現実問題の大半がクリアされるのだということだとは想像がつく。

 夢なのか現実なのかイマイチはっきりしない状況ではあるものの、現実であろうが夢あろうが、路頭に迷うのはごめんだ。

 そんな透理の願いが届いたのか、その男ははっきりと頷いた。


『この安倍清明、一度交わした約束は口約束であっても決して違えん』


 自信たっぷりに、名前に誓った男。


 …………マテ。


 今、この男、安倍清明とか言わなかったか?

 安倍清明って、あの安倍清明か?

 日本史が得意ではない透理でさえ、聞いたことのある名前だ。

 歴史小説やら怪奇小説やらで良く題材に取り上げられてる名前。


「は?……ホンモノ……?」


 透理は呆気にとられたまま呟いた。その言葉はしっかり届いていたらしく。

 彼は言った。


『いかにも。僕の名前は安倍清明。まあこれでも陰陽頭だし、自分で言うのも何だけど、今上帝からもそれなりに信頼されてるから、安心していいよ」


 彼はニコニコとしていたけれど、透理にしてみればその言葉の内容はともかく、その笑顔は胡散臭いとしか思えなかった。

 ってゆーか。


「問題はそこじゃないわーっ!あんたが呼び出したんでしょ⁉だったら帰す方法だって知ってるんでしょ⁉衣食住どーこーの前に、帰る方法を教えるのが先でしょ!」


 普段、冷静沈着と評価される透理も、こんな事態で冷静さを保てるわけがない。

 いや、冷静さを保てる人間がいたら、それはもう正気をどこぞの彼方に投げ捨てた人間だと思う。

 これまでの人生でここまで必死になったことがあるだろうか?

 透理は半ばパニックに陥った頭の隅で、ぼんやりとそんなことを思う。

 なのに。


『あー……』


 安倍なんたらと名乗る男の目が遠くなる。

 嫌な予感というのは、得てして外れないものだ。

 ひくり、と口元が引き攣る透理と対象的に、清明はあっけらかんと笑った。


『この召喚術式、試作なんだよねぇ。上手く呼び出せたら式神にするつもりだったから、返還術式まで研究してないんだ。あははは〜』


 あはは、じゃねぇっ‼

 おまえ、マヂいっぺんあの世逝ってこいよ!

 清明の着物の襟首を掴んで、容赦無く前後に揺すった透理の行動を一体誰が責められるのだろうか。


『まぁまぁ。落ち着いてよ?これでも悪いと思ってるんだから。ところで君、名前は?随分と変わった格好だけど…』


 ガクガクと揺さぶる透理の手をなんなく抑え込んで、清明は首を傾げて透理を見下ろしていた。

 ち……近いっ!

 いや、自分で近づいておいてなんだけど、至近距離で見ると清明という男は、実に美男子で。

 首を傾げて見下ろす姿に、思わず胸がきゅんとしちゃったよ、あはは。

 なんて呑気に思ってしまったあたり、透理の正気も大概怪しくなっているのかもしれない。


『ここじゃゆっくり話もできないから、とりあえず僕の邸に行こうか。その格好もどうにかしないとねぇ…目立つのは嫌いじゃないけど、変な目立ち方はしたくないし』


 あぁ。なんかもう、日本語が通じてる気がしない。

 これがマイペースという人種なんだろうか。


『そんな血塗れの女の子連れてたら、僕が検非違使に捕まっちゃうし』


 あ。

 そうだった…頭からよくわからない生き物の血をどっぷり被ってたんだっけ。

 ダメだ。

 透理は、確実に自分の感覚が麻痺し始めていることに気付いて、ふらりと気が遠くなった。

 世界が暗転していくのを、他人事のように眺めていた。


 ####



 目が覚めたら、全部夢でした。

 夢落ちかよっ!って突っ込みたくなるくらいファンタジーな夢は嫌いじゃない。

 それはあくまでも夢で、現実の面倒なことからの一時的な逃避だとわかっているから残念だと感じるわけで。

 目が覚めたときに、目の前に映る光景がどう考えても物理的に、いや、この場合は科学的に?もーどっちでもいーよ。とにかく理解不能だった場合、これが夢落ちだったら、今後ファンタジーな夢に喜んで、それが夢落ちでも残念だなどとは二度と思わない。

 透理はもう一回布団…というよりなんか大きな布を頭から被った。

 もう一回寝て起きたら、見慣れた自分の部屋の天井が映るはずなんだ。

 間違っても、天井にふわふわと白くて長い尻尾の生き物が浮いてるわけがない。

 ペットを飼った覚えなんてない。

 ましてやそんな、空中にふわふわしちゃえるよーなファンタジーなペットを飼った覚えは、一ミクロンだってない。

 そんな非常識なペットがいたら、今頃テレビで取材でもされて、がっぽりギャラもらって、うはうは言ってるわ。

 夢の中なのに寝起きができるなんて、私って結構器用だったんだな、あっはっはっは。


「寝ながら笑うとは、なかなか器用な特技を持った娘だな」


 どこか呆れた声と共に、被っていた布地をばっさり取り払われた。

 なにするのよー。私まだ眠いんだけどー。

 安眠妨害はんたーい。


「いい加減に起きないか。もう日が中天にあるんだぞ?」


 中天なんて知らん。

 そう透理がぼやこうとした瞬間だった。


「何するのよっ!」


 上半身を水浸しにされて、透理はガバリと身を起こした。

 目の前にある、微笑みを浮かべた見覚えのある顔に、透理の理性は直感的に告げた。

 起きないと殺されるーーー‼︎

 透理は自分の直感を疑わない。


「オハヨウゴザイマス…」


 ずぶ濡れの状況で、このひと言が言えた自分を褒めたい。


「うん。おはよう」


 人を水浸しにしておいて、その原因たる男はにっこりと挨拶を返していて。


「もっとマシな起こし方があるでしょーーーっ‼」


 寝起き一発、怒鳴り散らした透理は自身の声に頭を押さえることになる。

 透理は自他共に認める、超低血圧だった。

 夢じゃなかったってことなんですね。

 ふわぁぁぁっと欠伸を一つ。

 よく見たら、ふわふわしてる白くて長い尻尾の生き物は一匹だけじゃなかった。

 ええ。

 そりゃもう、部屋のあっちこっちに居ますよ。浮いてるのから二本足で歩いてるのまで。

 あぁ。

 でもこれがごく普通の生き物なら、ふさふさした気持ち良さそな白い毛をぱたぱたさせて、ちまちまと動く姿は、可愛いと思う。

 少しはこのささくれた心の癒しになる…


「みょっ‼」

「ぎゃぁっ」


 ……わけなかった。

 いきなり頭の上に落ちてくるなぁぁぁ‼

 べしゃり、と潰れた透理をみて、白くて長い尻尾の生き物はけたけたと腹を抱えて転げまわる。

 妙に人間臭い仕草が様になっていて、なんなら二足歩行してる時点で普通の生き物とはかなり違うんだろーなとか、この生き物の骨格や筋肉ってどんな構造なんだろう?とか考えて、現実的な疑問に思い至ってみたら、それって現実逃避デスよね、ハイ。

 ……ってなった。

 なんでもいいけど、いつまで人の背中の上で転げ回る気だ。

 

「こらこら。あまり客人をからかってはいけないよ?」


 ひょい、と清明はその生き物を摘み上げて、何やらぶつくさ言うと、それはポン!と小気味良い音と共に紙になった。


「さて。君の名前を教えて貰えるかな」


 目を丸くする透理の前で、彼は何事もなかったかのように話を続け、釣られた。


「透理。水嶋透理」

「とおり、ね。改めて、僕は安倍清明。よろしく」

「はぁ……って、そーじゃなくて、今の何っ⁉」


 いかん。この男のペースに完全に巻き込まれるとこだった。

 なんだかなー。

 どうにもこの安倍清明という人は独特の空気があって接しにくい。


「何って?あ、あぁ…これは式だよ。人型や形代ともいうけど、人間に見立てるより狐の方が見ていて和むだろ?」


 ねぇ?と清明が近くにいた子狐を手招きすると、その小狐はちょこちょこと二本足で立って寄ってくる。

 二本足で歩いてる時点で、それはもう狐とは言わないんじゃないだろうか。

 可愛いのは認めるけど。


「そうそう。君の着替えはこの子達がやったから安心していいよ」


 はぅっ!

 そーだよ。なんか色々ぶっとんでいて頭から抜けてたけど、頭から血を被ったはずなのに、全部綺麗に落ちてるし、服もなんか着物になってるし。

 なんかスッキリしたなぁ。とか思ってたけど、そこまで思い至らなかったわ。

 なんだ、私って結構ヌケサクなんじゃん。

 透理は生まれて初めてそう思った。


「あー。うん。どうもありがとうございました」


 狐に着替えさせてもらったとか、なんだか情けない……。


「だって。良かったね。護狐その3」


 ぽんぽんと清明に頭を撫でられた子狐は、実に気持ち良さそうに目を細めた。

 その3って……

 番号で呼んでるとか、なんかこの男らしくて納得。

 透理はこの理解し難い状況を受け入れつつある自分に少し自分驚く。

 だって、ねぇ?

 これが夢であれ現状であれ、自分という人間の本質は何も変わらないんですよ。

 そこに新しい自分を発見したとしても、それは今まで表に出てこなかっただけで、やっぱり水嶋透理という人間であることに変わりない。

 自身が知らない自身を発見できたというのは、なかなかに貴重だろう。

 目の前で起きた様々な受け入れ難いことも、あるがまま受け入れてしまえば何てことはない。

 結局大事なのは、自身がその環境でどう生きるかであって、そこに他者の意識が介在する余地はないのだ。


 ……あ。ダメだ。


 哲学者ぶってみたけど、よくよく考えてみたら、若干論理破綻してるわ。

 こんな無理矢理な論理展開で、自分を納得させようとか考えた私が馬鹿でした。

 なんかすいません。

 今まで自分は馬鹿じゃないと思っていたけど、こうなってみると案外馬鹿なんだな、とヌケサクっぷりに引き続いて発見してしまう。

 透理に出来ることは目の前の男にとりあえずお任せするしかないらしい。

 むしろ元凶たる男が私の面倒を見るのは至極当然のことじゃないか!

 こういう時は開き直って上から目線に限る。


「ね?君、大丈夫?僕の話聞いてる?」


 ぽむ、と頭に手が置かれたーーと思ったら、次の瞬間。


「いだだだだっ⁉」


 清明に頭を力一杯鷲掴みにされた。


「あ、良かった。ちゃんと意識あった」


 笑顔の清明からは、何ひとつとして悪気は見当たらない。……のだが。


「良かった、じゃないっ!こちとら繊細かつか弱い乙女なんだから少しは丁寧に扱いなさいよっ」


 さっきからこの男ーーーっ‼


 人を起こすのに問答無用に頭から水をぶっ掛けるわ、人外生物嗾けるわ(清明の所為ではないが、雇用主なので責任はあるはずだ)、頭鷲掴みにするわ…


「女の子の扱い方も知らないの⁉」


 透理がぐわっと目を見開いて、右手の人差し指でビシィィィっと指してやれば、清明は首をこてん、と傾げた。

 ………う。

 今の、ちょっと可愛いじゃないか。うっかりときめいちゃったじゃん。


「君、透理って未婚だよね?」

「は?」

「だから、結婚してないよね?」


 斜め上の質問が返ってきた。

 うおーい?


「結婚してないよね?」


 駄目押しとばかりに聞いてくる清明に、透理は白旗を掲げた。


「してないわよ…当たり前じゃないの…」


 こちとらまた花の17歳だぅつの!


「……もしかして、嫁き遅れ?」


 とっても、とーーっても言い難くそうに、小さくぼそりと呟いた清明。


「誰が嫁き遅れだーーーーっ!」

「うみょっ⁉」


 透理は自分の横に転がっていた何かを、はしっと掴んで、清明の顔面に投げ付けた。

 なんか鳴き声がした気がしたけど、気にしないことにする。

 けれど、その投げたモノが清明の顔面に辿りつく前に、それはぽん!と音を立てて床に落ちた。


「ちょっと。いくら護狐が形代だからって乱暴に扱わないで欲しいな。術を解かない限り死にはしないけど怪我はするんだから」


 その護狐に向ける愛情をこっちに向けて欲しいんですけど。

 清明はぴぎゃーと泣きつく護狐をよしよし、と宥めていた。


「それで?未婚かどうかがなんの関係があるのよ?」


 気を取り直そう。

 ここで怒っていてもなんの解決にもならないわけで。まずは現状把握が大事だ。

 透理はぐつぐつと煮え立つ胸の裡を抑えて、清明に訊ねた。


「結婚してる女性を屋敷に住まわせるわけにはいかないから。特に人間は低俗な噂話が大好きな生き物だからね」


 ……至極、ごもっともです。


「未婚なら血縁者ってことで屋敷に住まわせても問題ないし。できれば僕の婚約者として居てもらえると助かるかな」

「婚約者ぁ?」


 いやだ。嫌に決まってる。

 こんな意味不明な男の婚約者なんて御免だ。


「もちろん、名目上だよ。ただ透理は目立つから、そうでもしないとそこらの助平な公達にちょっかい出されそうだし」


 まてまてまてー!


「それ、なんの話よ?」

「うん。だから透理に懸想して、夜這いでもされたら困るってこと」

「よばっ……」


 絶句。

 そうか……ここは本当に平安時代なんだ…。


「この屋敷には結界があるから、僕が許可しない人間は入って来れないけど、一度許可しちゃうと次からは自由に出入り出来るからねぇ…道長様辺りに目を付けられると厄介だし」


 ミチナガ……って、まさかあの藤原道長か⁉


「清明。そのミチナガ様って、もしかして藤原道長?」


 一応聞いてみると、清明が頷いた。


「透理。道長様を知ってるんだ?」

「名前だけは…」

「そっか。あの人本当に女癖悪くてさぁ。まぁ、道長様でも僕の婚約者に手を出すようなことはしないでしょ」


 諸事情全部すっ飛ばして、透理は清明の婚約者として屋敷に住むことになった。



 ####



「ちょっと!透理!いい加減に起きなさいっ」


 べりっと掛布を剥ぎ取られ、身体を無理矢理起こされる。


「うえー。玉ちゃん、眠いよー」

「だまらっしゃい。清明の婚約者ならしゃんとしなさい」

「名目上だけだもん」

「やかましい。さっさと起きろ」


 日が登るのとほぼ同じ時刻に透理は叩き起こされた。

 起こしたのは、清明が透理に付けてくれた世話係兼護衛。

 妖狐の玉若(たまも)。

 護狐だと話相手にならないだろうと、清明が呼んでくれた。なんでも清明の母とは従姉妹だとか。

 安倍清明の母が妖狐だって、本当だったんかい。

 なかなか豪快かつ男前の玉若さん。

 美人なのに……。

 ああ。でもそのふさふさした耳と尻尾は癒される…。


「ぎゃあ!」


 思わずその尻尾に縋り付いて頬ずりすれば、玉若に蹴り飛ばされた。


「人間ごときが妾に触るでないっ」


 ぶわっと逆立った尻尾。

 ああ。可愛い…。


「朝餉の準備をする。さっさと来い」

「はぁーい」


 もそもそと起きあがると、すかさず護狐達が着物を持ってきてくれた。

 平安の朝は早い。

 そして面倒くさい。

 まず着物。それ自体着付けが面倒なのに、裳と呼ばれるそれがとにかく動きにくい。

 そして、食事。


「なんで炊飯器も電子レンジもないのよ…」


 竈で御飯を炊くとかね…ハイテク機器に慣れた現代人に、そんな知識があるわけがない。


「あ、こら!寝るでない!御釜が吹いてるではないか!ちゃんと見なさい」

「はいはい…」


 玉ちゃんの鋭い声に、うとうとしていた意識が引き戻される。

 こっちに来て一週間。

 慣れないとこばかりで、さすがに疲れが出てきた気がする。

 いつになったら帰れるんだろう…。

 朝餉が終われば、透理にはすることがない。

 本を読みたくても、透理にはこの時代の書物を読むためにも必要な知識がない。

 清明の持っている本はいわゆる古文にあたるもので。

 辞書片手に現代語訳付きしか読んでこなかった透理にはさっぱりで。

 そもそも字が読めない。

 漢文は無理でもかな文字なら…と思って借りてみた本は、まるでミミズが手繰ったようで。

 達筆すぎるのも問題じゃないか、と本気で思った。

 ーー となると。

 透理にできることと言えば、与えられた部屋の中でゴロゴロ転がっているか、庭先を眺めて、まあなんてきれい!とのほほんするくらいであった。

 見兼ねた玉ちゃんが、針仕事でもやんなさいと仕事をくれた。

 暇を持て余していた透理は、少しでも時間が潰せるなら、と喜んで飛び付いたのだか。


 着物なんか縫えるかぁぁっー!!


 と庭先で盛大に叫んだのは、つい昨日のこと。

 ボタン付けや、裾上げ、ほつれ直し程度だと思ったのだ。

 文明の利器の恩恵を受けまくって育った透理にそんな技術があるはずがない。

 それでも、玉ちゃんに罵倒されながらも挑戦したことを褒めて欲しい。

 結果として、ものの五分程で玉ちゃんに匙を投げられた訳だが。

 そんなわけで、今日も透理は暇を持て余していた。


「あぁ…女性がそんな格好をするものじゃないよ」


 床で大の字になって転がっていた透理に声を掛けたのは、墨染の狩衣を着て、烏帽子を被った清明だった。


「ぅーむ。清明。一大事なんだよ」

「ほう?一大事とは?」


 興味深そうに口元に笑みを浮かべて部屋に入ってくる清明に、透理は身体を起こすと、ちょっとここ座れや、と床を示す。

 相手は帝の信も篤い希代の陰陽師なのだが、透理にとっては諸悪の根源であり、当然敬う気持ちなんて毛頭ない。


「一大事とはどういうこと?」

「うん。実は……暇なんだよ。このままじゃ暇過ぎてミイラになってしまう」

「………」


 腕を組んで、深刻そうに一人頷く透理。


「そういうわけで、外に出たいんだけど、せめてご近所のお散歩くらい……って、なんで無反応?」

「みいら、とはなんだ?」

「気になるのソコなわけ?」

「他に何がある?」


 透理ちゃん、がっくり。


「で、みいらとはなんだ?」


 ここ数日で清明について、幾つかの注意事項に気付いた透理は、自らその注意事項に触れたことに気付く。

 非常に向学心旺盛な清明は、透理が不意に口にする言葉にやたらと興味を持っていて、納得するまで説明を求められる。

 まるで言葉を覚えたばかりの幼児。

 そうか。ミイラって、現代になってからの言葉なんだ…。


「ミイラっていうのは、日本でいうとこの即身仏よ」


 あれ?この時代って即身仏っていう概念…でいいのか?観念?信仰心?まあいい…あるのかな?


「そくしんぶつ……」

「もっと言えば、魚の干物があるでしょ?あれを人間で実践したようなものよ」


 実際には魚を干物にするよりも色々細かい条件があるんだろうけど、透理だってそこまで詳しい訳じゃない。

 詳しく知りたきゃ中国の書物でも漁ってみれば?

 透理がそう答えると、清明はふむ、と首を傾げた。


「つまり、透理は暇過ぎて干からびる、と言いたい訳かい?」


 あ、そこで話が戻るわけですか。


「そゆこと。だから外を散歩するくらいいいでしょ」

「ダメ」

「なんで」

「外は危険だから。外には雑鬼がうようよしてるんだよ?霊力が高いくせに護身の出来ない君が外を歩いてごらん?奴らに喰われて終わりだよ?」


 ……霊力って?

 はてさて、と今度は透理が首を傾げる。

 だって、産まれてこの方、霊感なんてものとは全く無縁に生きてきた。

 幽霊はおろか、金縛りすらなったこともない。

 そんな自分が霊力が高いって?

 それこそどんなファンタジー?


「まっさかぁー!」


 透理はきゃらきゃらと笑い飛ばした。


「そんなものあったらとっくに自分で元の世界に戻れるでしょーよ」

「やれやれ。無自覚とは困ったものだね」


 透理が肩を竦めて笑えば、清明が呆れたように溜息をつくから、透理は少しむっとする。

 なんか今、馬鹿にされた気がする。

 むぅ。


「無自覚って何よ?私はちゃんと私を自覚してますけど」

「そうじゃなくて。多分、世界を跨いだ時の空間の歪みが影響したんだろうね。もとの世界じゃどうか知らないけど、今ここにいる君は間違いなく高い霊力を持ってるんだけどね」

「へぇ?それじゃあ私にも清明みたいなことができるってこと?」


 ちょっと興味が湧いてきた透理は、自分に霊力云々はさておき、とりあえず詳しく聞いてみることにした。

 知らないことばかりの世界なんだから、知っていることは一つでも多い方がいい。


「ちゃんと訓練すればね。とりあえず外出は駄目。どうしても暇なら蹴鞠でもやってなよ。護狐に相手させたらいいよ」


 この話はおしまいね、と清明は部屋を出て行ってしまった。

 結局、今日もやることがない透理。

 ああ、現代社会って暇潰しできるものが沢山あったんだな、と今更ながらに現代社会の恩恵をありがたく思う透理だった。

















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