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布の裏方

作者: みつ

 その男が持つテーブルかけは白地に赤の糸で刺繍がしてあった。

 布は縁を赤糸で刺繍し、透かし模様をいくつも組み合わせて複雑な模様に飾り立て、中央は図形化した花のパターンが刺繍されている。

 人々が見守る中、男は布を卓の上に広げて口の中で呪文をつぶやいた。すると瞬きを一回するあいだにたくさんの料理が布の上に並んだ。鶏を丸ごと焼いた大皿が中央を陣取り、青菜とナッツを炒めた物や山のように盛りつけられた揚げ物、孵化直前のアヒルの卵を調理した物、魚介と果物を和えた物、色とりどりの具材を包んで蒸した料理、龍を形作る野菜、ヒスイ色の野菜を透かし彫りにして作った器に入った湯 (スープ)、果物の盛り合わせ等々、布の上を所狭しと彩る。料理の乗った皿は飾り花が美しく縁取り、見るものの食欲をそそっている。どの料理もたった今出来あがったばかりのように湯気が上がっていた。

 男は得意げな顔で、人々に料理をすすめた。


 広げるとたちまち料理が現れる不思議な布。

 布は貴重であるが、唯一ではない。秘術を心得る者たちなら誰もがもつ。

 だが、世の理に通じ、秘術を会得したものたちでさえこの料理がどこから現れるのか知らないのだった。


 ***


 その厨房の天井は高く、雲になり切れなかった白いもやが漂っていた。厨房で料理をすると、水分をたっぷり含んだ熱い空気が天井までのぼってもやとなるのだ。霧が雲に成長する前に、壁に空けられた換気窓から抜けて行った。

 もやにかすむ天井は発光して厨房を明るく照らす。切り出した石を組んで作られた壁は石本来の灰色を保って、天井の灯りを反射させた。煮炊きを行う場所にしては油汚れも煤汚れも付着していない。まるで、もやが汚れを洗い流しているようだと、厨房で働くシュアンは思っていた。


 深夜の厨房はめまぐるしく動いていた。

 厨房で働くのはシュアンのほかに四人。昔はもっといたらしいが、今はこの人数でなんとか回るため人を増やしてはもらえない。この五人で近隣数か国の料理を大量に作って行くのだ。


 広い厨房は中央に大きな卓が据え置かれ、壁側はかまどがぎっしりと並んでいる。

 南の壁沿いにならぶかまどは五十口あり、すべて大きな鉄の鍋が置かれていた。鉄鍋を取り仕切るのは頭にタオルを巻いた中年男性のトゥアンだ。頭のタオルは彼の薄くなり始めた頭部を隠すためではない。

 トゥアンの左腕は、大きな鉄鍋を振り続けたせいで上腕が異様に太くなっていた。

 今もその剛腕で勢いよく振られた大きな鉄の鍋から大量の炒飯が高く踊りあがる。縦に長い楕円の軌道を描いて一粒残らず鍋に戻った。黒光りする鉄鍋の内側は五十枚すべて銀色に光り、この鉄鍋が徹底的に使いこまれていることを示す。

 隣の鍋は青菜と鳥肉の炒め物が、その隣では彩りよい野菜と揚げた豚肉が混ぜられている。残りのかまどの上もやはり黒光りする大きな鉄鍋がひしめき合って、大量の食材に火を通している最中だ。

 トゥアンが玉のような汗をかきながらかまどの前を行ったり来たりして鍋を振り、鋼包 (レードル)と鉄鍋ががちがちと激しく音を立てた。たまに昇る火柱はご愛嬌だ。

 間違って揚げ物をしている鍋を炒め料理と勘違いして振ってしまったこともしばしばだが、跳ねあげた高温の油を残らず鍋に収めるだけの技量を持っていた。


 東の壁沿いは巨大な寸胴が林立している。

 人が落ちたら出て来られないと思わせるような高さと太さを持つ巨大な寸胴たちの中にはたっぷりの湯 (スープ)が煮立っている。湯は何種類も作られて温度が下がらないよう火力を調整されていた。近隣数か国分の料理の違いは湯に如実に表れる。辛いにおい、酸っぱいにおい、魚介のにおい、それらが混然一体となって湯のかまど周辺はとてつもない異臭を放っていた。

 湯担当のホアは長い黒髪を後ろで一つに縛った中年の女性だ。彼女は脚立にのぼって、すべてを超越した表情で湯をかき混ぜ育てる。

 湯は煮込んでいる最中ならば手が空くので、食材の準備や雑用を行う。今は北に設置された洗い場に立っていた。山ほども積み上げられた汚れた食器、調理道具をすさまじい勢いでさばいている。


 中央の大きな卓の上で、クォックがすさまじい勢いで食材を刻んでいる。今は目にもとまらぬ速さで青椒 (ピーマン)が均一の太さに刻まれ、緑の山を築いていた。

 野菜の山が築かれている隣ではディエンがもくもくと細かく刻んだ肉や野菜を、小麦粉を練って伸ばした薄い皮で包んでいる。クォックとディエンはそれぞれ煮込みと蒸し物担当であった。煮込みと蒸し物担当の二人は煮込み、蒸しているあいだに自分たちの担当用のみならずあらゆる食材を刻み、小麦粉を捏ね、具を包んでゆく。包み上がった側から竹製の巨大な蒸篭 (せいろ)に投げ入れる。適当に投げ入れているように見えて、包んだ皮がほどけて中身が飛び出すことも無く、蒸篭の中で整然と並んだ。

 蒸篭いっぱいになるとふたをして西の壁沿いに居並ぶ大鍋の上に放る。包まねばならない具はまだまだあり、蒸篭を手に持って運ぶ時間すら惜しいのだ。蒸篭は盛んに湯気を出す大鍋の上にぴたりと収まった。ディエンもクォックもひょろりとした体形の若い男性である。どこにそんな力があるのか分からない細身で二人とも巨大な蒸篭をいとも簡単に投げるのだ。


 そしてこの中で一番若い娘、シュアンは中央の卓の前に立って長い箸を両手に持ち、火の通された野菜で竜を描いていた。目にもとまらぬ速さで皿に竜が顕現する。盛り付け、飾り切りがシュアンの領分である。

 厨房の熱気で食材が傷まないように、中央の卓は中から冷やされてひんやりとしている。蒸し物担当の二人は気にならないらしいが、ときには氷の彫刻もするシュアンは寒さ対策で厚手のズボンが手放せなかった。


 シュアンはこの仕事を祖母から紹介された。ここの厨房の仕事をするうえで最低基準である仙骨を持っているというのが紹介の理由だったそうだ。料理が得意でないシュアンは不安もあったが、祖母もやっていた仕事であることだし、まずはなんでもやってみようと厨房の扉を叩いたのだった。


 焼き物担当のトゥアンは近隣で一番大きな国の首都近くに住んでいると言っていた。ディックは国の北端、クォックは別の国の首都付近、ホアは南国から通っていると言う。みんな住んでいるところは国レベルで離れているのにもかかわらず、全員が厨房へはドア・トゥ・ドアで数十分なのだから厨房は異次元にあるのかもしれない。言葉だって、本当ならば出身国が違う者同士は通じないはずだ。だがみんな支障なく話せるのだから不思議は尽きない。

 他の国にも同じような厨房があるらしいが、詳しいことは知らなかった。ただシュアンは自分の仕事を全うするだけだ。


 出入り口の戸が開いて、山盛りの鶏肉を積んだ手押し車が入ってきた。手押し車の陰から小太りのおじさんがいかつい顔をのぞかせる。


「おーい、追加の鶏肉を持ってきたぞー」


「そこに置いておいてくれ!」


 忙しさのあまり怒鳴り声になったクォックがおじさんに応えた。おじさんは気を悪くすることなく、おうよと返事をして中央の卓の、南側に手押し車を付けた。鶏肉は血抜きなどの下処理が済んでいる。下味をつけたり適度な大きさに切り分けたりという作業は厨房で行う。

 おじさんは食材を運び入れる職人の一人だ。本日の分はすでに運び入れていたが、今夜は鶏肉の揚げ物の減りが早く、いつもの量では足りなかったのだった。

 すばやく食材の確認をしたシュアンはおじさんに注文をいれた。


「おじさん、飾り花が足りないから、赤を多めで持ってきて」


「シュアン! 炒飯!」


 言い終わるや否や、トゥアンが鋼包 (レードル)を使って次々に炒飯を投げた。すばやく皿をつかんだシュアンが両手をふるって、炒飯の盛られた皿を卓へと置いてゆく。流れるような動きは跡に像を残し、シュアンは千の腕を持って舞っているかのようだった。受け止めた炒飯は皿の中央になだらかな半円を描き、一粒の乱れなく美しく盛られていた。宙空を飛んだことで炒飯の山は適度に空気を含み、口に入れたとき丁度良い具合にほろりと崩れる。


 鉄鍋三つ分の炒飯が一粒残らず投げられ、シュアンが最後の皿を置いた。

 これで終わりではない。シュアンは気息を正し、いつでも動ける体勢を保つ。と、別の鉄鍋から今度はとろみのついた海鮮あんが飛んできた。丸い山に盛られた炒飯の皿を片手に二枚ずつ、両手で計四枚を持つと、よどみない動きで宙に円を描く。すると勢いよく放たれるあんが炒飯の山を崩さない絶妙な角度で炒飯の上に命中していった。受け止めた端から卓へ置き、炒飯の皿を交換して行く。

 もし目標を誤って肌に掛かれば大火傷をするほど熱いあんは、一滴も零れることなく完璧に盛られた海鮮あんかけ炒飯がいくつもできあがっていった。


 トゥアンはどんなに急いでいるときでさえも必ず一人分ずつしか放ってこない。これが忙しいときのクォックになると、巨大蒸篭の中身を一度に放ってくる。もちろんシュアンの技量を信頼してのことだ。放ってこられたシュアンは、長箸を両手に宙を舞う蒸し春巻きやらバロット (卵料理の一つ)やら蒸し雷魚をつまんでは皿に乗せなければならない。崩れやすいそれらをつまむ作業は結構な集中力を必要とするので、緊急時のみの技ではある。


 出来た二種類の炒飯は持ち手の付いた棚に入れて、シュアンとホアが厨房の隣の部屋に運んだ。隣の部屋は背の高い棚がいくつもそびえる。様々な料理の乗った皿と飲み物が所狭しと棚板の上に並んでいた。棚に置けば料理の時は止まる。出来たての湯気さえ閉じ込めて、料理たちは誰かに食べられる瞬間を待つのだ。

 米料理ばかりを置いた棚の一部がぽっかりと空いており、そのスペースに出来たての炒飯を並べた。

 置いたばかりの炒飯が、他の料理と一緒に数皿消えた。また誰かが布に料理を並べたのだ。


「こんな時間でもお構いなしね」


 険しい表情でつぶやいたシュアンにホアがうなずいて同意を示した。

 こんな時間、深夜をとうに過ぎてもうすぐ夜明けだ。夜が明けると今働いている料理人は休息の時間を迎え、次の料理人に交代する。めまぐるしい時間が終わるのが待ち遠しい。

 大きく息を吸って気持ちを引き締め、二人は早足で厨房へ戻った。いそいで戻らないとホアは湯 (スープ)の仕上がりが気になるし、トゥアンの料理が焦げてしまう。シュアンが受け止めなければ、鉄鍋の中の料理はいつまでも鉄鍋の中なのだから。


 広げると料理が現れる不思議な布。不思議を支えるのは厨房の料理人たちだと知る者は少ない。

 三交代制で料理人が働く厨房はかまどの火が消える暇なく、日々大量の料理を作っていた。



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 中華鍋の数え方。一枚、一本、一口。

 元ネタ。北風のくれたテーブルかけ(ノルウェーの昔話)

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