〝糾弾と誤解〟
Day 5
その日は珍しく天気が悪かった。朝からずっと部屋全体が暗かったのを覚えている。梅雨前線は過ぎ去り、秋雨前線が到来するのもまだ早いというのに、窓の外から雨音が聞こえてくる。
この日俺は寝坊という失態を犯してしまい、三十分ほど遅刻してしてしまった。扉を開けた時には誰の姿もなく、そういや技術棟で何かあると聞いた覚えがあった。などと思いだし、俺は生徒会室から出ようとしたが、身体が言うことを聞かない。
どうやら疲れがたまっていたようで、俺は椅子を引くと、机に突っ伏した。技術棟のことは、知らなかったことにしよう。
ふと、脳裏に浮かぶ。
俺は、ジョーカーが何者なのか気づいているのかもしれない。
小山香は技術棟で衣装の写真を撮っていた。夏休み明けにある、総合文化祭に向けての準備だ。三年生は毎年クラスで演劇をする。その際使用する衣装に関して、すべて生徒会の仕事なのだ。
技術室にいるのは一人ではない。香の他にも何名かが作業している。もっとも、都合などにより参加している人数の絶対数が少ないのだが……。
「小山、今日も香坂来てないのか?」
ズボンを畳んでいた陸人が尋ねる。彼はここ数日、急に旅行に行った彩夏を気に掛けていた。
「彩夏ちゃん今日もきてないね……」
「小山なら知ってると思ってた」
「え?」
「じゃあ、私と海人は先生に報告してくるから」
そう言って真紀と海人は技術室を出た。
残ったのは香と陸人のみである。
「……香坂ってさ、殺されたんだよな」
香は戸惑うが、
陸人は色々知っているのだと思い、頷いた。
「誰に殺されたんやろうな」
「さ、さぁ……私分からへんわぁ……」
「ほんまに?」
陸人の目つきが変わるのと同時に、香も少しずつ分かってきていた。陸人は知っている人間ではないということを。ならば優奈のことは言ってはいけない。
―――私も少しくらい、二人の役に立ちたいな。
心の中でそう呟く。
「殺されたって決まっているわけじゃないと思うけど」
「いや、この状況おかしいって。だってみんなおらんくなってるやろ」
陸人は明らかに香を疑っていた。それは彼が独自に導き出した推理によるものであり、彼の引っかかっていたことを解決してくれていた。
「まぁ、そうやけど……」
香が曖昧に返していると、陸人は決心したように口調を変える。それはどこかで聞いたような、探偵が犯人を追いつめるそれに似ていた。
「俺が思うに、殺したのは女子やと思う」
「え……?」
陸人の推理劇が始まった。
「何でかっていうとな、彩夏は、男子と女子と話す時でキャラが違うねん。俺が見てきた中やけど、女子の方が優しく接してる気がする」
「隙があるってこと?」
「あまり言いたくないけど、誰かを殺すとしたら、男は男の方が殺しやすいのかもしれん」
このあたりで、香は察したかもしれない。陸人はさらりと自分を疑っているということを伝えているのだと。
彼女は考えた。ここで下手なことを言えば、自分は殺されてしまうかもしれない、と。そう思ったのは確かだったが、それよりもひとつ。結城真紀と朝霧優奈に迷惑がかかるかもしれないと考えたのだ。
この状況下において、誰かの心配をするということは、おそらく生徒会の中で彼女以外に思いつくものはおるまい。
そんな彼女の葛藤とは裏腹に、陸人はよく分からない推理を続けていた。
「彩夏は結構行動的なタイプやから、そういう人の方が普通殺人をしそうって思うよな。でもさ、逆にいつもおとなしい人の方が野心を持ってるって思わへん?」
陸人の口調にだんだんと強みが増してきた。感情が言葉に流れ込んでいる。
人は感情的になると、理性を失うという。
物事を単一でしかとらえられなくなり、多くの場合全体を把握することが出来なくなる。代表的な例が「怒り」だ。
冷静さを失うほど怖いものはない。危険、いや、自分自身に降りかかる不幸を回避する能力が低下すると言っていいだろう。
ミステリーの世界でたまに見かける「ついかっとなって殺してしまった」というフレーズもそれにあたるだろう。いかにも単細胞な犯人だが、実際考えてみると恐ろしい。
ほんの一瞬理性を失っただけで、意識がはっきりしたときには殺人者になっているのだから。
瞬間的人生の逆転ともいうべき事態である。
現在、宮沢陸人はそう言った状況にある。
込み入った何かを抱えて、彼はこの場にいたのだが、いざ対峙すると、どこからやってきたのか、自身の理性を失う感情が訪れる。
「まぁ、彩夏ちゃんに不満ってよくありそうやけどさ……」
「そう思ってるん?」
「え、あ、ちゃうよ……」
「さっきから思ってたけど、小山何か知ってるよな?」
小山香は、非常に優しい人物だ。その優しさは、すべての人に平等だ。しかし、彼女は嘘をつけない。真に心がきれいな人間は、簡単に汚されてしまう。
純白の色紙の些細な汚れが目立つように。
限りなく白に近いほど、微かな汚れでも目についてしまうというものだ。
「え、えっと」
「その様子じゃ知ってそうやな、けど、言われへんってやつやろ」
その時、少し遠くから足音が聞こえる。音の出どころとは距離があるみたいだが、陸人に少し焦りが見える。
「ごめん、どうしても、何があっても、さ……」
彼はライトを手にしていた。香が声を上げるより前に、《何者かがドアを開けて飛び込んでくる》その瞬間に、彼はスイッチを押していた。
「俺の中で……区切りを……あれはあいつを……」
香が倒れる瞬間を陸人は見ていたが、その命の時は止まることになった。
彼がスイッチを押した瞬間、技術室の扉が勢いよく開かれた。
何者かが飛び込み、殺人者となって二秒と経たない陸人へ向けてスイッチを押したのだ。
「悪いな、陸人。探偵が犯人なんてミステリはつまらねえよ」
三人目の声が薄く響いた。
少し無理があるような気もしますね。間違った推理というのも……。