第三話 メイド長の必要性
ぱちっ。
私はいつも通りの時間にいつも通りに目を覚ました。時計を確認する。うん、寸分の狂いもない。いつも通りだ。
今日から現場復帰だと、少し緊張して寝られなかったりしたのだが、起床時間に支障が生じなくてよかった。
「ん~~~ッあ!」
伸びをする。さぁ、着替えよう。この部屋を出れば、その瞬間から紅魔館メイド長十六夜咲夜だ。
お嬢様の部屋の前。久しぶりのモーニングコール。少し緊張する。
軽く身だしなみを整えてから、ノックする。
「咲夜でございます」
『あ~、いいわよ~』
扉越しにお嬢様のくぐもった声が聞こえた。
あら、起きているなんて珍しい。
明日はグングニルでも降るのかしら。私はちょっとした笑いを堪えながら、扉を開けた。
「……え」
扉を開けて目の前に飛び込んできた光景、それに思わず声を漏らしてしまった。
私を驚かせたもの。それは――
「遅かったわね咲夜。早く朝食に向かいましょ。
ほら、せっちゃんも」
「は、はい……!」
お嬢様が着替え終わっていた、ということだ。
お嬢様の寝起きは基本悪い。起こしてから動き出されるまでブランクがある。
そして動き出されて着替え終わってからが、長い。それからしばらくの間ボーっとされるのだ。それが長ければ一時間ほど。常ならば、私はその間に朝食をご用意していた。
それなのに、すでに起きている。しかも朝食に向かう準備まで……。
これは、マズイ! まだ朝食の準備を――
「あの、咲夜さん。朝食ならもんばんが作ってるから大丈夫ですよ」
「ほぇ?」
しまったしまった。変な言葉が出てしまった。
私は咳払いをしてから、せっちゃんに尋ねる。
「それは、どういう意味かしら?」
「え? あの、どういうって。その、あの、もんばんがお嬢様の朝食を用意してるから……だ、大丈夫です」
私はその言葉に、御柱で顔面を打たれたような衝撃を受けた。
……三ヶ月。そう、三ヶ月だ。私がこの現場を退いて三ヶ月経った。
それだけあれば、朝の流れなど新しく決まっているに決まっている。もう、その流れの中に私は存在していない。限りないショックを受ける。
それだけ私はお嬢様の元を離れていたというのか……。
「ほら咲夜、どうしたってのよ。いっちゃうわよ~」
いっちゃういっちゃう~、そう口遊みながら、お嬢様はせっちゃんを連れて食堂へ向かっていく。
置いて行かれては堪らない。私は慌てて二人について行く。
「お嬢様、はしたないですよ」
「えぇ~、いいじゃないせっちゃん。いっちゃういっちゃう~」
「もう……」
お嬢様とせっちゃんは適当な話題で談笑している。会話に入る隙間がない。正直、疎外感がハンパない。
しかしながら、このまま腐る私ではない。その場に仕事がなければ、自分に出来る仕事を探すのみ。
私は口を開いた。
「申し訳ありませんお嬢様。私、朝食の確認をして参りますわ」
「んぇ? あぁそう?」
「はい、では」
返事をお返してから、私は時を止めて食堂まで一気に走り出した。お嬢様と別のメイドが並ぶ姿。それを見ているのが辛くなったのだ。
……別に泣いてないし。
仕事を求めて食堂に着くと、朝食の準備は既に終わっているようだった。後はお嬢様方々が到着するのみ、そんな完璧な状態であった。
……やるじゃない。
だけど、味はわかんないわ。私は毎日最高級のものを用意してきた。それに敵うっていうなら認めてあげないでもないけど、ダメなら作り直すしかないわね。別に仕事が欲しいとか、そんなんじゃない。
私は料理長のもんばんの前まで移動して、時を動かした。
「わわっ! 咲夜ちゃん!?」
「もう、その呼び方やめてって言ってるじゃない」
もんばんは私が幼い頃ここに来てからずっと親しくしてくれている妖精メイドだ。だからなのか、この人は私を“咲夜ちゃん”と呼ぶ。もう私は子どもじゃないっていうのに。
「そんな事より、お嬢様への料理、出来てるの?」
私はすぐさま本題に入った。もし手を抜いているようなものであったならば、即刻私が作り直すつもりだ。
親しいもんばんと言えども、そこらへんは容赦しない。別に仕事がしたいとか、そんなんじゃない。マジで。
「もっちろん! 最高級のものを毎日用意してるわよ!」
「そ、そう……」
ま、まぁ? そんなんはお嬢様に仕えるメイドなら? 当たり前だし?
うん、全然。……当たり前だし?
「そ、それなら料理を味見させてくれるかしら? 久しぶりに味を確認したいわ」
「あぁ! いいわよ~」
そう、そこが大切だ。どんなに当人が全力で作ったとしても、結果に繋がらなければ意味がない。料理は、残酷だが、美味いか否かなのだ。
私はまずスープを少しすくって口に運ぶ。
「どう? 咲夜ちゃん?」
「……いいわね」
おいしい。全然お嬢様にお出しできる。普通においしい。だけど、お嬢様の好みはこれではない。
私の方がもっとおいしく――ッ!?
「な、なに?」
このスープが喉を通るのを感じてしばらく、なぜか、力が湧いてくるような感覚に陥った。
な、なんだろうこれ……。身体がほのかに暖くなって――元気がでる。不思議な感じ。
「これ……」
「うん? どうしたの咲夜ちゃん」
「ほ、他の料理も見せてちょうだい!」
私は慌ててもんばんに他のものを要求した。
もし、他の料理もこんな風に不思議な風味を帯びているというのならば……。
「じゃ、じゃあ、ここは頼んだわね」
私はもんばんにそう告げてから、食堂を去った。
先ほどの料理。私の惨敗だ。
どの料理もおいしく出来ていたのはもちろん。しかしながら、そのどれもが私が作るものに一歩及ばず、と言えるようなものであった。そのはずだったのだが……。
その料理のどれもが、食べると元気が湧いてくる、そんな気持ちにさせてくれるものだったのだ。食べると元気が溢れる料理。そんなものに何が勝てると言うのか。
もんばんの料理レベルはこの三ヶ月でここまで上がっていたのね……。完敗、完敗よ。食堂を管理するのはあなたの方が相応しいわ。
でも、でもね! 何も紅魔館の仕事は食事を作ることだけではないのよ! 他にも色々あるんだから!
私は掃除隊長であるすいーぱっちの前で立ち止り、時止めを解除した。
「わ!? 咲夜さん!」
「精が出るわね。どう?」
箒を取り落しそうになったすいーぱっちは、慌てて箒を持ち直す。
この子はよくドジを踏んでいたのがまだ記憶に残っている。よくこの役職まで上り詰めたものだ。そして、それがこの子の努力の結果だっていうのも私はしっかり分かっている。
それでも未だ不安なところだってある。ドジなこの子のことだから、何か指示を忘れているのではないだろうか。
そうだったら、私がその分をやらなくちゃ。別に仕事が欲しいとか、そんなんじゃない。切実に。
「あ、大丈夫です!」
「ほんと? 確認してもいい?」
「はい!」
すいーぱっちは掃除班の配置表を取り出した。
掃除班は全てで一から七班まである。掃除隊長は、それ(班員も含め)と紅魔館の全てを記憶しなければならないのだ。妖精には只ならぬことである。
しかも、一日で全部掃除はできないので、日によって掃除する場所が異なってくる。それら全てを把握した上で指定の位置に班を配置しなければならない。私だって時々ミスるこの作業。果たしてこの子はこなせているのだろうか。
私は口元の笑みを押さえながら今日の配置表をチェックする。
そして、その笑みは最後に近づくにつれて消えていった。
「――こことここは、OKね。ここも……うん」
「どうですか!?」
「え!?
……い、いいんじゃない? うん、いいと思うよ?」
「良かったぁ」
すいーぱっちは息を吐く。
ま、まぁ、ここは部下の成長を存分に喜ぶべきなんじゃありませんこと? うふ、うふふ……。
「あ、見回りしないと」
すいーぱっちのその言葉で私は我に返った。
そう! 見回りよ! 指示出すだけじゃダメなのよ! しっかり仕事やってるか見て行かないといけないんだから!
見回りに入ろうとしたすいーぱっちを慌てて引き留める。
「ちょ、ちょっと待ちなさい! 見回りなら! 私に! 私に任せときなさい!」
「え……、は、はい!」
うん、いい返事ね! それでこそ信頼する部下よ!
「じゃあ私は見回り行ってくるから! ここ、お願いね」
「はい!」
私はすいーぱっちに任せてからその場を後にする。もちろん、廊下に埃なんかが落ちていないか念入りに確認しながら。
「……ない、ない。どこにも、ない」
私は、一人廊下をフラフラと歩いていた。
そう、どこにも、ないのだ。埃が、汚れが。
「ど、どうして……?」
これは、ありえないだろう。だって、私が今いるのは今日指定されている掃除の範囲外なのよ?
なんで、なんでこんなに完璧なのよ。私だってここまで完璧に掃除することが叶わないというのに。どういうことなの……。
他だって完璧だった。洗濯、お庭の手入れ、新人教育、その他諸々。
食事も、掃除も、洗濯も、お嬢様の世話でさえ、ここのメイド達は完璧にこなす。いや、こなすようになってしまった。
わ、私、もしかして、いらない――
「いえ! 違う!」
私はいらない子なんかじゃない! 出来る子だ! まだ出来ることだってたくさんある! 例えば、例えば――。
……。
出てこない。
「うぇ……」
思わず泣きそうになった。
私は最早いらない子なんだろうか。私の全てを妖精メイド達は上回っている。個々では私に敵わなくても、それぞれが長所を生かして紅魔館に貢献している。
それに比べ、私は――
――――!
瞬間、紅魔館に張り巡らせている結界に反応があった。
一人ではない大量だ。一人で侵入してくる魔理沙に慣れていたため、この反応が何なのか一瞬わからなかったが、これは間違いない。敵だ。
その正体は分からないが、数から見て雑多妖怪だろう。しかし、あまりにも多い。これは美鈴や戦闘班のみでは対応しきれない。
フッ、と私は自然に笑みが出た。
「……まだ、あったわね」
私にも出来る事!
私は高揚した気分をそのままに、紅魔館の門へと急行した。
現場に着いた私は、唖然といていた。唖然、今の私ほどその言葉が当てはまるものは他にないだろう。
現場に着いた時、敵の数は既に半数に減っていた。私が呆然と見守る中、我が頼もしき軍隊は敵を抹消していく。
「いっくぞー! えいや!」
一人の妖精メイドが、えいと軽く手を振った。すると、次の瞬間敵が爆発。塵も残らない。まるで妹様の能力でも使ったかのようだ。
「んじゃあわったしもー! えい!」
「とう!」
「えーい!」
その可愛らしい掛け声とともに、敵がどんどん減っていく。
それから一分も経たないうちに、大量に攻め込んできていた敵は全滅していた。
「な、なんなのよこれ……」
手を振るだけで対象を四散させる。なんと恐ろしい力。何時の間にここの妖精メイドはここまでの力を手に入れたのか。数でかかってこられては、私でも勝てないかもしれない。
いや、賞賛すべきは別にある。
それは対応の早さだ。私は敵を感知してからすぐにここに向かった。出来るだけ力を温存しておきたかったので時を止めることはなかったが、一分もかからなかっただろう。
にもかかわらず、敵は半減。後に全滅。まるで敵がいつ来るのか分かっていたかのような対応速度だ。
これほどの対処を行うには常に気を抜かない警戒が必要だ。しかしながら、幻想郷のような平和な土地でそんなことを継続するなんて不可能に近い。私だって無理だ。
……それを、戦闘班のものは実現している。
「はは……敵わないわね」
私は諦めた様に呟いた。
もうこの子達に私が教える事なんて何もない。この子達は紅魔館に必要なこと全てを行える。皮肉にも、必死に紅魔館を改善しようとすることで、私は自分自身の居場所を排他してしまったらしい。
……私は、もう紅魔館に必要ない。
その後、私は自室に引き籠っていた。
今日の出来事、その全てが脳裏に焼き付いている。
私が厨房に立つ必要もなくなった食堂、私が掃除をする必要もなくなった紅魔館、私が指揮する必要もなくなった妖精メイド達、そして、私がお世話する必要もなくなったお嬢様。
「私、いらないんだろうか……」
だって、私の存在理由は必要とされることにあった。
お嬢様のお世話も、料理も、掃除も、メイドの指揮も全て私は必要とされていた。
それが、無くなった。
それなら、私の存在理由はなんだろう。
「もう、ないじゃん」
私は紅魔館に必要ない存在だ。ここにいる意味なんてない。
一度転がり落ち始めた思考は、留まる事を知らなかった――。