近付くタイムリミット 6
「・・・・」
庭のど真ん中に黒い人が居た。
言わずもがな、クラークである。
庭に入ってきた私に気付いてはいるだろうが、一瞥もしなかった。ただ普通の顔で立っているだけだ。
一体何をしているのか。いや、何をしたいのか。訳の分からないのは、もうお腹一杯だ!
八つ当たりを通り越して癇癪を起す脳内。それに気付かないクラーク。
いやいや、気付いた方が怖いけどね。
落ち着きのない思考を持て余しつつ、どうしようか考える。
中に戻るか?
いや、出てきたばかりでそれはない。気分転換できてないのだから。
じゃあ場所を変える?だが何処へ?
庭以外となると、敷地から出るしかない。あの視線と戦うことになる。・・・それは嫌だ。
というか、クラークは無口且つ動かないのだから、彼が視界に入らないようにすれば落ち着けるのではないか?
うん、そうだ。それでいこう。
自分の考えに満足のいく回答を得て、止めていた足を進めた。だがすぐに立ち止まった。
クラークは庭の真ん中に居る。と言うことは、その姿が視界に入らない場所って・・・なくない?
しまったー、と思うこと数秒。
いや、壁に向かえば・・・。
と閃いて、彼に背を向ける。木製の塀が眼前を塞ぐ。
うわぁ、木目がとってもキレイだなー。
「・・・・」
「・・・・」
どういう状況だよ!!
いや、空気が悪いとかじゃないんだから、贅沢を言ってはいけない。早く気分転換して戻ろう。
そう言い聞かせるが、そんな状態で落ち着けるわけがない。
どうするかと悩んだところ、庭の一角を占める小屋に目が行った。
天馬の飼育小屋だ。
なんとなく小屋を覗いてみる。
べ、別に、気を紛らわしたいとか現実逃避したいとか、思ったわけじゃないから!
全力で言い訳しながらも、期待に胸がドキドキしてくる。
あの美しい姿をまた見れるのだ。誰だってそうなるだろう。しかし・・私の期待は裏切られた。
小屋の中には何も居なかったのだ。
何故だ。ぱっと浮かんだ問いに答える者はない。
がっかりと肩が落ちる。が、居ないのならしょうがない。
溜息と共にくるりと振り向く。
背後に黒い壁が!
気配!気配を何処かに置き忘れてるよ、クラーク!
「・・・天馬か」
「え?は?・・・あ、うん」
いきなりそれだけ言われても何と言えば良いのか分からないよ。驚いているときに言われたら特に。突然過ぎて間抜けな顔を晒してしまったじゃないか。
まあそれはさておき、クラークから話しかけられるなんて珍しいな。とっても、と付けても良いぐらいだ。
今まで全くなかったわけではないが、やはり少し意外な気がする。
加えて今日は、皆からいろいろ言われているから、反射的に鬱な気分にもなった。
その結果ちょっと不機嫌そうな表情になってしまったと思うが・・うん、仕方のないことだろう。
「・・・・」
「・・・・」
ちょっと沈黙。
おいおい、そっちから話し掛けてきたんだから何か言おうよ。心地よい会話のキャッチボールをしようよ。
・・なんてクラークに求めても無駄だ。「いつものこと、いつものこと」と考えて、沈黙をやり過ごす。
クラークとの会話は、とにかく忍耐が重要なのだ。
「ユイジィンは『楽園』に帰る。だからまた預けたそうだ」
「そ、そうなんだ」
と頷きながらも、ユイジィンの名にどきりとした。
まだ驚きが尾を引いているのだ。きっとそうに違いない。ユイジィンとその後に来たギアとの話を思い出したわけではない・・・と思い込む。
黙った私の前で、すっと自然な動作でクラークの手が上がる。
ぼんやり見上げていたら、頭にその手が乗った。そのまま左右に動く。なでなでと動くそれは、いつもと違って優しかった。
撫でられただけ。
なのに・・、なんだか無性に泣きたくなった。
言葉にならない気持ちが胸に沁み入り、俯けた顔を上げることが出来ない。
クラークは、そんな私が頭を上げられるようになるまでずっと撫でてくれた。
「・・・ありがとう」
「・・・・」
いつも通りの無言。
だけどその表情は違った。
安心させるような、優しい笑み。
一瞬浮かんだそれに、釘づけになった。
言葉がないまま、クラークは私の頭をぽんぽん、と叩いて後ろを向いた。
そのまま振り向きもせずに彼は去っていく。
私はぽかんとしてその背を見送った。頭の中では、さっきの笑顔がリフレインされている。
彼が見えなくなるまで口を開け放っていた私だったが、入れ替わるように現れた人物を目にして、我に返った。
クラークが去り、私だけになった庭。やって来たのは、タクトだった。
タイミングの良さが神掛っている。
いや、ひょっとしたらクラークの方が気を利かせたのかもしれない。
どちらにせよ、私に逃げることは出来なかった。
近付くタクトに、先に声を掛けるべきか迷い、しかし何も言い出せなかった。
彼のあまりに真剣な表情に、言うべき言葉が見つからなかったのだ。
適度な距離を保って立ち止まる。
「サエ」
タクトが静かに私の名を呼ぶ。
私をこの世界に間違って召喚してしまった人。
此処まで一緒に旅をして来た仲間。
彼の目的は、私を元の世界に返すこと。
だけどタクトは一度も、私に「帰れ」とは言わなかった。私の意思を尊重し、選ばせてくれていた。その彼が、今私に何を言おうとしているのは何なのか。
緊張した顔のタクトが、再び私の名前を呼んだ。
「サエ、話があるんだ」
「・・・うん」
聞きたくない。
急にそう思ったが、聞かねばならないのだ。
きっと大事なことだから。
「俺、ずっと考えてた。君を元の世界に還すことは、俺の責任だって。君を召喚してしまったのは、俺だから。だから俺は、此処まで来た。思えば、そのことについて・・・君がどうしたいのか、訊かずに来てしまったな」
タクトが話すのは、今までのこと。タクトの考え。でも私はタクトの言いたいことがまだ掴めていなかった。
タクトは優しかった。
私に強制することは一度もなかった。だから、この旅が続いたのは、それは私が望んだからだ。
だけど私は何も言わなかった。
彼の話を全部聞こう。そう思ったから。
「・・・俺、勝手だったよね?いつも君は黙ってついてきてくれたけど、もしかしたら嫌だった時もあったんじゃないかと思うんだ」
「そんなことは・・・」
ない、と言う前に、タクトに表情が目に入った。穏やかな笑みで、やんわりと首を振るのだ。
思わず出ただけに、その仕草一つで先を言うことが出来なくなった。
微笑んだまま、タクトは言葉を続ける。
「でもね、俺はそれを後悔してないんだ。悪かったかもって思っても、謝りたくない。だって俺、サエと・・皆と旅が出来て、楽しかったから」
それは、私も同じだ。もしタクトがそのことを謝ろうとしたら、きっと止めただろう。
「悪いことなんて一つもなかったよ」って。
「俺の言いたかったこと、一つは・・・君にお礼を言いたかったんだ」
「お礼・・?」
「そう、お礼。君を元の世界に還すって目的のために旅をして来た。普通に旅をしていたら出会えなかった人たち、見ることのなかった景色。この旅で手に入れたものは、全部君が居たから得られたんだって思ったんだ。だから・・・ありがとう」
清々しい笑顔が広がる。
「ありがとう、此処まで一緒に来てくれて。・・・この世界に来てくれて、出会えて、良かった」
それはもう、嬉しそうで・・・なのに、何故だろうか。タクトは泣き出しそうな瞳をしていた。
まるで悲しいことがあるみたいで、私まで泣きたくなってくる。
「君が居てくれて良かった。そう思うから、俺は何も訊かなかったんだと思う。君の考えを聞いたら、別れが来るような気がしたから。会えたから、これからも一緒に居たいって思ったんだ」
それは・・・それは私も同じだ。
言いたくても、口を挟めない。
「でもそれは俺の我儘だった。君のことを考えるなら、ちゃんと訊かなきゃいけなかった。それに、俺の気持ちも伝えなきゃいけなかったと思う。
何も言わずに、君に決断を迫るのは、良くない。それは分かってた。でも俺の我儘のせいで、君が本当のことを言えなくなったら・・・とか考えて、結局黙ってた」
「笑っちゃうよね」と自嘲を含んだ笑みが浮かぶ。
確かに一人で考え過ぎだと言える。でも私も似たようなものだ。
頭の中でいろいろ考えて、自分で自分を縛り付ける。
多分タクトなら、私が「この世界に残りたい」って言ったら協力してくれる。とか勝手に思ったり、でももしかしたら怒るかも、とか帰りたくないのは我儘だ、とか。
そんなこと考えてるから、進めなくなるのだ。
分かってる。私もタクトも。
「俺は逃げたんだ。責任を取るために旅をしていたのに。君に全て放り出そうとしてた。・・・でも、もう逃げない」
同じだったはずのタクトは、とっくに覚悟を決めていた。
そんなことは真剣なあの瞳で分かっていた。理解していた。だから聞きたくなかった。
でも・・・私も逃げるのを止めるべきなのだ。
何より退路は既にない。時間がないのだ。
「サエは、元の世界に還るべきだ。・・・俺は、そう思う」
私は、多分・・タクトに期待していた。例え皆が「帰れ」って言っても、きっとタクトだけは「此処に居て良い」と言ってくれるって。
酷い勘違いだ。
タクトは優しい。だけどそれは、甘いのとは違う。
彼は私を甘やかしたりはしない。
私は、私自身で決定することを放棄したかったのだ。
彼の優しさを利用して。
でもそれは出来なくなった。
タクトはタクトで、いろいろ考えた末に言ったことだ。だから文句は言わない。言えない。だけど・・、私は彼の言葉を受け入れられそうにない。
逃げ場は無くした。だけど、帰りたくない、という気持ちは消えない。
見えない未来が怖い。
暖かなこの場所に居たい。
しかし元の世界を捨ててまで居たいかと問われれば、頷けない。
家族、友達、バイト仲間、私の居場所。
捨てられない。
捨てられるわけがない。
帰れないことは怖い。
恐怖ばかりがせり上がり、私の中を矛盾した想いで一杯にする。
私は・・・どうしたら良いのだろう?
「・・・サエ、実はもう一つ、君に話したいことがあるんだ」
「・・・?」
「君の役に立つかは分からない。でも、少しでも力になれたらって思うんだ」
「うん」
こくんと頷くと、優しい笑みを向けてくれた。そして、思い出すように遠い目になる。
「昔々、と言っても、俺が子供の頃の話なんだけど・・・」
そうしてタクトは、静かに話し始めた。
次はタクトの話から始まります。
終わりが近づいてます。最後までお付き合いください。




