近付くタイムリミット 5
ユイジィンの家は、最後に出た時より綺麗になっていた。どうやら近所の皆さんが掃除をしてくれたらしい。
さすが天界。隣人の質が良すぎる。
私たち人間とは違うな。
居間に入ったばかりはそんな話をしていた。
でも話題が途切れ、沈黙が場を支配し始めると、様子が変わった。
まずギアが部屋を出て行った。
元々落ち着きのない彼らしい行動だ。
次にユイジィンが出て行く。
食料を調達しに行くと言っていた。
この天界では、彼に頼りっぱなしだ。
そしてクラークが居なくなった。
特に言葉もなかったが、いつも通りだから気にはしていない。
タクトも、その後を追うように席を立った。
少し考えたいことがあるらしい。
これで居間には私とユキだけとなった。
異世界人2人。それでも、会話は起きない。
「・・・嫌?」
「・・・・・え?」
いきなりユキが何かを言った。自分の考えに没頭していた私はそれを聞き逃してしまったようだ。
いつまでも出て行かなかったユキだが、いつものように私に思考どころか興味すら向けていないと思っていた。
驚きと共に彼に目を向ける。窓際に持って行った椅子に座ったユキは、私を真っ直ぐ見ていた。
「帰るの、嫌?」
「そ、・・・それは・・」
嫌・・・なわけではない。
郷愁の念はあるのだ。
ただ・・・終わりたくないだけだ。
まだまだ、皆と旅をしていたい。
目的なんてなくて良い。ただずっと一緒に、居たいだけだ。
それだけなのだ。
「帰りたくないなら、帰らなければいい」
「そういうわけには・・・いかないよ」
「なぜ?」
「・・・・」
何故か・・・?
自問自答してみる。
だけど私には、その答えを見つけることが出来なかった。その答えを私は持っていないのだ。
答えはない。
だけど私は・・帰らなければ、と思っている。
「・・・よくわからない。帰りたくないわけじゃない。でも帰りたいわけでもない。本当の気持ちは、どっち?」
「・・・・・それは・・分からない」
「そう」
それっきりまた沈黙がやってくる。
ユキの視線は私から外れ、窓の外へと注がれている。だから、もう話は終わり。そう思った。
「俺は、帰りたくない」
思考の海に沈もうとしていた意識が、戻ってくる。
窓際の彼は、まだ外を見ている。それでも続きがくると分かった。
「あの世界に俺の居場所は、ない。居たい場所なんてない。家族?友達?そういうの、俺は大切だとは思えないから」
私に聞かせる、というより、何かの確認のようにユキは語る。
「俺は俺が居たいと思う場所に居たい。だから、別に残っていいと思う。・・此処に居たいなら」
ユキが立ち上がる。こちらを見ずに歩き出す。
きっと励ましだったんだ。そうと気付いた時には、既にユキは出て行った後だった。
居たいなら、居ても良い・・か。
魅力的な言葉だ。
でも、頷けない。
頷いたら、捨てなければならないものがあるから。
「!?」
かちゃり、と音がした。予想外だったせいか、肩が大げさに跳ね上がる。
扉から入って来たのは、ユイジィンだった。
随分と速い帰還だ。
「・・・他の皆は?」
「どっか行った」
「そうか。・・・・」
少し気まずい空気が流れる。用事がないならさっさと出て行かないかな、と思ったが何故か彼は出て行こうとしない。
どころか椅子に腰を降ろし、テーブルに視線を落とした。そのまま動かない。
自分が出ようか、と考え始める。が、ユイジィンがたまにこちらを窺うように視線を動かすので、動くに動けない。
やがて、膝の上で指を組んだり、視線を彷徨わせたり、こちらをじっと見たりし始める。こんなに落ち着きがないユイジィンは初めてだ。
しかし彼が何をしても、それが私の視界に入るものだから、次第に鬱陶しい気分になってきた。
私には考えなければならない事があるんだ。
などと心の中で文句を言う。完全に八つ当たりである。
だから私はますます口を噤んだ。
今口を開いたら、心ない言葉を吐いてしまいそうだった。
どれくらいそうしていただろうか。多分そう長くはなかった沈黙を破ったのは、ユイジィンだった。
「・・・君は・・・・いや、なんでもない」
何を言おうとしたのか。
いや、何を訊こうとしたのか。
考えなくても分かる。私の頭の中も、それで一杯だったのだから。でも答えはまだ出ていない。出したくないと思う自分が居るから。
しかし話し掛けられて黙ったまま、というのも良くないだろう。
「・・・何?」
出来るだけ穏やかに聞こえるよう気を付けたつもりだった。が、実際出たのは、やや不機嫌な声音だった。
駄目だ、八つ当たりしてるみたいに聞こえただろう。
自己嫌悪しても、時間は戻ったりしない。
ユイジィンを見ることが出来なくて俯いた。
「・・・・私は、君のことをよく知らない」
「・・・?」
何を言い出したのか?
思っていたこととは違う言葉に、少しだけ頭を上げる。
勇気を出してユイジィンの顔を見る。何やら難しい顔をしている。眉間の皺がいつも以上に出来ていた。
「今まで共に行動していたが、それはごく僅かな時間だ。それだけで、分かったつもりになれるほど、私は人間の機微に敏くない。だから、言葉にして欲しい。今何を思っているのか。何を考え、何に迷い、どうしてほしいのかを」
「・・・・」
「いや、今すぐでなくても良い。私は・・、私でも話を聞くくらいは出来るぞ」
上手く言葉に出来ないのか、所々たどたどしくなりながらも言い切った。
意外な気分だった。
人間に多少は理解のあるユイジィンだったが、必要以上に深く知ろうとはしていなかったはずだ。あくまで目的達成のために必要な事柄しか話してこなかった気がする。
それに、彼は確かに気配りをする男だったが、誰か一人に対して踏み入ろうとはしなかった。
もちろん雑に扱われることはなかった。が、じゃあ大事にされていたかと問われれば、否と言わざる負えない。
ユイジィンの見方は、個人より人間そのものに主眼を置いていると思っていたのだ。
だから驚いた。ユキと話した時と同じように。彼も私を仲間だと感じてくれていたのか、と。
思えばそう考える私の方が、彼らと一線引いていたのかもしれない。
「私は天族で、君は人間だ。だから根本を理解できないこともあるだろう。だが、私は理解したいと思っている。君の・・・気持ちを」
「ユイジィン・・」
「だ、だからだな・・その・・・少しは頼れ、ということだ」
段々恥ずかしくなってきたのか、顔が赤くなっていく。最後はしどろもどろになったが、言いたいことは理解した。
口元に手をやり、真っ赤になった顔を隠すように向こうを明後日の方向を向くユイジィン。
当たり前のように仲間だ何だと思ってきたが、初めてちゃんと彼を見たような気分になる。
ユイジィンってこんな可愛い奴だったのか。
一人で抱えなくても良い。それを言うだけにどれだけ言葉を重ねたのか。
不器用というか、口下手というか。でも、その優しさは届いた。
心が少し軽くなった気がする。
ユイジィンなりの励ましが効いたのかもしれない。
お礼を言おうと口を開くが、恥ずかしさに居たたまれなくなったユイジィンが立ち上がってしまう。顔はまだ赤い。
「と、とにかく、私はもう行く」
「え、ちょっ・・」
もごもごと言って急ぎ足で出て行く。素早すぎる退却に、伸ばした手が空を切った。
唖然となった私は、しばらくその姿勢のまま思考停止する。
何なのだ、一体。話を聞くのではなかったのか。
そんなことが浮かんだが、自分で分かるほど口元が緩んでいく。
先程のユイジィンを思い出して、一人でにやにや笑ってしまった。
と、ユイジィンが出て行ったばかりの扉が勢いよく開け放たれた。
「!!?」
ばんっという大きな音が出る。弾みで、込み上げていた笑いが吹き飛び、代わりに心臓が大きく跳ねた。
誰だ、こんな心臓に悪いことをするのは・・・ってギアしかいないか。
案の定入ってきたのはギアだった。苦情の一つも言ってやろうと彼の顔を見上げる。が、そこで言おうとした言葉は消えた。
無表情に近い冷たい顔。沈んだ空気。見ているこっちまで気分が沈んできてしまう。考えなければならないことが再び私の脳裏にちらつき始める気がして、慌てて首を振る。
今は様子のおかしいギアのことを考えるべきだ。
部屋に入ってきたギアは、冷たい表情のままこちらへと寄ってくる。
一度も足を止めることなく、部屋の中央、私の目の前に置かれたテーブルに近寄り・・・土足のまま乗り上げた。
それを見て私は、「はあ?」と眉を寄せる。今更のことだが、彼の行儀の悪さはどうにかならないものか。
「お前以外誰も居ねぇの?」
「・・・見ての通りだよ。まあ、家の中には居るとは思うけど」
室内には居ない。そんなの入ったときから分かるだろう。
訝しむ私にお構いなく、ギアは冷たい視線で私を見下ろす。
「あっそ。じゃあ、ちょうどいいな」
「何が?」なんて聞くことは出来なかった。
テーブルに仁王立ちしたギアの手に、真っ赤な槍が現れる。それが、いやにゆっくりと持ちあがり、私の喉元に突きつけれらる。
殺気はない。
でも冗談ではない雰囲気だ。
動けない。
唾を飲み込むことさえ難しい。
「お前、どうすんだ?」
「・・・何が」
「行くのか残るのか、どっちだ」
「・・・・」
ユキとの会話を思い出す。
ユイジィンのお陰で心は軽くなったけど、でも答えは見つかっていない。
故に答えられない。
そんな私の心中など、当然ギアが察するわけがない。
「行けよ。お前の世界に。じゃなきゃ俺は・・・」
槍を握る手に力がこもる。幸い、槍の先端は少しも動かなかったが、緊張感で胃が縮みあがりそうだった。
余計なことをしたら、その槍は容易く私の喉を貫くだろう。
黙らざる負えない状況で、ギアの言葉の続きを待つ。
「俺は、お前を、殺さなきゃいけなくなる」
「・・・!」
「でも俺は、お前を殺したくない。だから、還れ」
何故だ。
私を殺す理由、それをギアがする理由、様々な意味で訊きたい。
知らないままで死ぬわけにはいかない。それこそ何故と問いたいほどの強さでそう思い、気をしっかり持ってギアを見返す。
「何で、ギアが、私を殺さなきゃいけないの?」
「・・・・」
一瞬戸惑うようにギアが視線を外す。
だがすぐに真っ直ぐに私を捉える。
「命令だから」
「命令?・・誰の」
「魔王の。俺はあれに勝てない。だから従うしかない」
初めて見た。ギアの瞳に、暗い色が浮かんでいる。
自分勝手で、自由な彼には不似合いな色だ。鮮やかなはずの紅が、暗く沈んで見える。
冷たさを内包するその視線を受け止めるのは、とても精神力を要した。
長いような、短いような時間見つめ合い、先にギアが目を逸らした。
「・・・還れよ」
放り投げられた言葉が私に届くより速く、彼は荒々しく部屋を飛び出して行った。
喉元の槍は当然ない。だがまだ何かが突きつけられているような気がした。
帰らねば命はない。それならば・・・仕方ない。
帰らなければ。
命は惜しい。
生き物として正しい選択。そのはずなのに、間違っていると感じてしまうのは何故だ。
飲み込めない塊があるみたいで、上手く息が出来ない。
間違っていると感じるのは、心が納得していないから。
例え最終的に帰ることを選んだとしても、その理由に納得していなかったら後悔する。
分かっている。分かっているのだ、帰らなければいけないことなんて。
しかし魔王から帰れと言われるとは・・・。
神々にはとことん嫌われているらしい。まるでこの世界に私の居場所はないと言わんばかりだ。
いや、実際そうか。
異世界人なのだから、ないに決まっている。居心地が良いから、ずっと居たくなるだけ。居て良いわけではないんだ。
大きな溜息が洩れた。
私は・・、どうしたいんだろう?どうすれば良いんだろう?
最早自分の望みすら分からなくなってきた。
頭を抱えて唸ってみたが、考えは纏まらない。
また溜息が出る。
椅子に背を預けて、窓の外へ視線を飛ばす。
「・・・・ちょっと外に出てみようかな・・」
気分を変えるため、何より頭をすっきりさせるために、家の周りを歩いてみようと思い至った。
早速外へ出る。だがそこで気付いた。
天族の人たちの視線に。
今あの視線に晒されたら、精神的に死ぬ。半分本気でそう思う。
少し迷い、家の裏手に回ることにした。裏は塀に囲まれているから、余所様の視線は届かないはずだ。
家の壁に沿って移動し、裏庭に入る。
出来ればしばらく、一人でゆっくり考えられると良いな。
「・・・・・」
庭のど真ん中に黒い人が立っていた。
一人でゆっくり、なんてきっと無理だ。
諦めの溜息が口から零れ出た。




