天界の常識 3
天界に来れたのだから、私のするべきことは決まっていた。でもそれは、後で考えれば良いと思っていた。
逃げていた、と言い換えても良い。
私は私の行く先を、決めあぐねていたのだ。
どうすれば良いのか。
その答えを、私はまだ持っていなかった。
ユイジィン先導の元向かったのは、一際大きな島だった。
周りの島と違い、一目ではその全貌が分からないほど大きかったのだ。目を凝らしても端が見えない。こんな大きなものが空に浮いていることに、改めて驚いた。
と言うかこれ、もし落ちたりしたらどうするんだろうか。下の方に見える小さな島々は確実に押し潰されるぞ。
ちょっと怖い想像をしてしまい、慌てて首を振る。
考えてみれば、此処は空の上なのだ。「落ちる」ということも有り得る所だ。そう思うと何だか怖くなってきた。
いや、天族は普通に此処で生活しているのだろうから、そんなに心配はいらないのかも?
いやいや、天族は空を飛べる。いざとなったら飛んで逃げられるから安心して居られるとしたら?飛べない私たちはヤバイのでは・・・。
「サエ?そろそろ着くみたいだぞ」
「え?ああ、うん、そうだね・・」
タクトに促されて窓の外を覗くが、今し方の想像はまだ脳裏に残っている。
どうか私たちが居る間は間違っても落ちませんように!と真剣に祈ったことは心の内に秘めておこう。
「・・・あれ」
「ん?どうした、ユキ」
「あれ」
反対側の窓から外を見ていたユキが声を上げた。彼が喋ったのは、馬車に乗ってから初めてのことだ。余程の何かがあったのだろう。
そう思って座席の上を移動する。ユキの正面に落ち着いて、彼の視線の先を追う。
ユキが見つけたもの、それは・・・・大きな像だった。何の素材で出来ているのかは分からないが、半透明なそれは確かな存在感を放っている。
大きな剣を片手で構え、闘うポーズを取った男の像だ。天族=美しいの法則に基づいて、その男の顔はとても美形だった。
男らしさと美が競演する見事な像である。
何だあれ、と見つめていたら、その足元に誰か居るのが見えた。像が半透明な白色なので、一目見ただけでは見つけられなかっただろう。なにせ居たのは『白』だったのだから。
ユイジィンが彼の人の元へ降り立つ。私たちを乗せた馬車もその後に続いて地へ降りた。
扉を開け、降りる。硬い地面の感触にほっとする。馬車に乗っていた時は興奮していたから気付かなかったが、どうやら緊張してたらしい。
やっぱり人間は大地の上に居る方が安心する生き物なのだろう。
いや、此処もある意味空の上なのだが。
大地の有難さを噛み締めながら、『白』のそばへと歩み寄る。
うん?なんか彼の雰囲気がさっきと違うような・・・?
内心首を傾げるが、誰も反応していないところを見ると私の気のせいかもしれない。そう思い直して、『白』の顔を見上げる。
糸目が開眼しているんですけどー。
さっきより開いているそこに、赤い輝きを見た。なんと『白』は赤い瞳の持ち主だったらしい。ギアより深みのある赤い瞳がこちらを見据えている。
いや、私の間違いでなければ、睨み据えている、の方が正しいように思う。
目の前のユイジィンが肩を揺らした。動揺したらしい。ユイジィンにとっても、彼の態度は予想外だったようだ。
「・・遅かったですね」
「はっ、申し訳御座いません」
「いいえ、貴方が謝るべきことではありませんよ」
糸目に戻ってユイジィンに慰めの言葉を掛ける『白』。って、その言い方じゃユイジィン以外は悪いみたいじゃないか。
見た目よりはるかに性格悪そうだな、この人・・・いや、この神。
しかし馬車調達のため時間が遅れたのも事実だ。これはやっぱりちゃんと謝った方が良いかな。
と私が思ったのを知ってか知らずか(神様は全員読心術を使えるだろうから、恐らく確信犯)、謝罪の言葉が出る前に『白』は動きだした。
「まあ良いです。貴方方には何も期待しておりません。さ、此処に立って下さい」
「へ?え?」
「早く。私は貴方方と違って忙しいのです。これ以上時間を無駄にしないで下さい」
「早く」とせっつかれても困る。戸惑って動かない私に業を煮やしたのか、『白』の目が再び開かれた。
無言が恐ろしい。でも状況に付いていけていないのだ。少しくらい説明があっても良いじゃないか。
不満が顔に出ていたのか、『白』の眼差しが険しくなった。
うう・・、怖いよ、その顔。
「あ、あの、そこにあるのは何ですか?」
私が動けないからか、タクトが助け船を出してくれた。タクトが指したのは、先程から『白』が私を立たせようとしている所だ。
そこには、何か変なものが書かれている。
文字だ。しかし書き方に法則性がない。縦書きだったり横書きだったり、果ては斜めに書かれている上に上から別の角度で上書きされているものもある。
どう見ても落書き。そんなものの上に私を立たせる意味が分からない。
私たちの疑問に、どうやら『白』もようやく気付いてくれたらしい。見えていた赤眼は消え、その顔が落書きの方へ向く。
つられて私もそっちを向く。
「これは『帰還の陣』です。正確には、在るべきものを在るべき場所へと戻す効果がある魔法陣ですが。これで貴方を元の世界へ帰します」
「え・・」
「それが望みでしょう?何のためにこの世界に来たのかは知りませんが、貴方は招かれざる者。ならばこれで在るべき世界へ戻れるはずです」
元の世界へ帰る。
そうだ。それが私たちの旅の目的であり、この天界へ、『白』に会いに来た理由でもある。
あるのだが・・。
「いや、ちょっと待って・・・」
帰りたくない。なんて考えてしまった。
いや、帰りたくないわけじゃない。でもこんな急には嫌だ。そう思ったのだ。
「急?そんなはずはないでしょう。貴方方がわざわざ、この天界までやってきたのはそのためでしょう?」
それは、その通りだ。
その通りだけど・・・、心の準備が出来ていない。
いや、この期に及んで私は迷っているのだ。
何にかは分からないが、とにかく迷っている。前へ進むことに恐れを抱いている。だから嫌なのだ。
取り返しのつかない選択をしたくない。だってまだ迷っているから。
まだ帰りたくない。だってまだ何も見つけていないから。
しかしそれは私の都合だった。
私はこの世界に来てから甘えっぱなしだった。タクトに、クラークに、どうしようもない状況に。だから今も甘えていた。もう少し猶予が貰えるって信じていた。
それを斟酌する必要が『白』にはないことを、考えてすらいなかった。
人の心を読める神々に、言葉は不要だった。
私の迷いも、甘えも、余さず『白』には伝わってしまった。
「・・・・そうですか、そうですか。まだ帰りたくない、と。そんな我儘を言われるわけですね。ほう・・・」
口調は穏やかで、まるで理解を示しているかのようだったが、その目はばっちり見開かれていた。そして怒気に溢れていた。
悪いことをした。そういう気持ちはあった。でもまだ謝罪すれば大丈夫だ。とか思った自分は、やっぱり甘ったれだった。
「そういうことでしたら、良いです。私も暇ではありませんし。ええ、自由にしたら良いのではないですか?」
そう言って彼は背を向けた。
白い翼が大きく広がる。それは少し前に見た動作だ。
ふわりと背の高い体が浮く。
「『白』様!?ど、どちらにっ?」
「仕事です。ユイジィン、貴方も知っているでしょう?私は忙しいのです。どうでもいい小娘の我儘に付き合う暇はないのです。・・貴方も『楽園』へ帰りなさい。『黄』は放置すると何をするか分かりませんよ」
言うだけ言って飛び去る。さっきと比じゃない速さだ。あっという間に見えなくなってしまった。
「・・・・」
沈黙が苦しい。
私の心の声が聞こえているわけがないが、彼らにも伝わるものが何かあったのだろう。下手な慰めは誰も口にしなかった。
恥ずかしさとか、至らなさとか、自覚した気持ちのせいで、今は皆の顔が見れない。
何も考えずに此処まで来たのがいけなかったのだろうか。
それとも、これはなるべくしてなったことなのか?
分かっていることは、私のせいだということだけだ。
いつか答えが出れば良いって思っていた。考えなければ答えなんて出ないに決まっていたのに。
まあ、いつまでも後悔していても仕方ない。これからのことを考えよう。なんとか気持ちを前に向けたところで、ようやく皆の様子が見れるようになった。
皆は私ほどダメージを受けていないようだった。当たり前と言えば当たり前だが。
特にタクトは私を帰すこと、それのみを目的に此処まで来たのだから、立ち直りも早かった。既にユイジィンと今後のことを相談している。
まだ諦めていないその様子で、私は自分のやるべきことを知った。やっぱり先に自分の気持ちをしっかり見つけないといけない、と。
迷ったままでは、もう一度『白』と会えないし、会ったところで同じ結果にしかならない。
皆が放っておいてくれている良いことに、自分の考えに没頭することにした。
私が迷う理由。それは行くべき道を決めていないから。
そこまでは考えるまでもなく分かっている。何と言っても自分のことだし。ただそこから先は結局分からないままだ。
その理由も、単純である。
怖いのだ。何も決めないまま先に進むことは出来ない。決定的な出来事を起こしたくない。ならこれからどうするか、決めれば良い。
でもじゃあどうしようか?
同じようなことをぐるぐると捏ねくり回す。
帰らないといけない。でも帰りたくない。
完全な我儘。だけど納得できないのに帰るなんて、絶対に後悔するに決まっている。
つまり、帰る理由が必要・・・?元の場所に戻るのに理由が必要と言うのもおかしな話だけど。じゃあ、どんな理由をつけたら帰る気になるのだろうか。帰っても良いと思えるのだろうか。
と言うかそもそも、何で帰ること前提で考えているのだろうか?
タクトが諦めていないから?それが目的で、それだけのために此処まで来たから?でも残るという選択肢もないわけじゃないだろう。決めるのは自分なのだから。
でも帰りたくないなんて、逃げ以外の何物でもないし・・・・。
「あー・・分からんっ」
思わず口から零れたのは、弱音と言うより苛立ちだった。決められない自分に対してもそうだが、決めなくてはいけないこの状況にもイライラする。
自分のペースで考えることの何がいけないのだ。と思う一方で、何が何でもすぐに決めなければいけない時もある、ということも理解していた。
いや、そこまで切羽詰まっては居ないのだけど。
思考が逸れた。とにかく、私が決めないと『白』は協力してくれないだろう。それはつまり皆にも迷惑が掛るってことで・・・。
そうなるとちゃんと考えて、しっかり答えを見つけないといけないわけだ。
なのに具体的には全く考えられていない。
事実を確認して、がっくりしてしまった。焦りとか、申し訳なさとか、そういう感情ばかり先行している気がする。
考えれば考えるほど迷いが浮き彫りになって、結局何処にも辿り着けないままになる。
駄目だ。完全に思考の迷路に嵌まっている。
「なんで迷ってる?」
「え・・」
いきなり横から声を掛けられて、意識が急浮上する。見事に思考のループからは抜け出したけど、急過ぎて混乱した。
今声を掛けてきたのは・・・ユキ?
いつの間に近寄って来たのか、猫背を更に丸めて私の顔を覗き込んでいる。
「ね、なんで?」
「えっと・・、なんでって、何が?」
「どうして迷うのかなって。だってここ、面白いでしょ?あんな世界よりずっといい」
「それは、まあ・・・」
「だからさ、迷う必要ない。居ればいい。ずっと、ここに」
思えば、ユキがこんなに話すことってなかったように思う。短い言葉をぽつぽつ言うことはあっても、こうして意味ある文章を言ったのは初めてだ。
しかも内容が内容だ。他人を気にするようなことを言うのも、やっぱり初めてじゃなかろうか。
意外な人物が普段と違うことをするものだから、言われた内容より何よりそんなどうでも良い考えが頭に浮かんだ。
いや、今は言われたことを吟味すべきだろう。
いやいや、吟味するまでもなく言っていることはただ一つだ。
「此処に?この世界に、居て良いって・・、そう言ってるの?」
「うん」
それは・・・、それはどうなのだろうか。
もちろんさっき考えたことではあるが、改めて他人から言われると、なんだかそれはおかしなことのように感じてしまった。
魅力的な選択ではあるのだ。だが同時に、「それはない」と思ってしまった。
何故かは分からない。でも私の感覚に沿うなら、この世界に残る選択は「間違っている」のだ。理屈抜きで、そう直感してしまった。
それは少し寂しかったが、選択肢の一つが消えて安心もした。
私は元の世界に帰るべきだ。それはもう迷うべきことではない。
でもなあ・・・。帰るべきだって分かったはずなのに、何故こうもすっきりしない。
再び悩み始めた私を見て、ユキが首を傾げた。
「帰る?」
「え?うん、そうだね・・。帰る、帰るよ」
「ふうん」
また何か私の思考を促すようなことを言うのではないか。私の期待は残念ながら叶わなかった。
気のない相槌を最後に、ユキは離れて行ってしまう。一体何が言いたかったのか。彼の意図は全く分からなかった。が、一応おかげで少し方針は固まったのだから、後でお礼くらいは言うべきだろうか。
暢気に考えてから、「いやいや、今はそれどころじゃない」と気持ちを切り替える。
帰ることを決めたなら、後は『白』に頼むだけだ。彼が機嫌を直してくれるかはまた別問題になるが。しかし、じゃあ早速『白』を捜しに行こうとは思えない。
まだ何か引っ掛かっている。しかしそれが何かは分からない。正体不明の圧迫感が胸に残っていた。
圧迫感というか、恐怖心というか・・・先行きの不安というか、とにかくまだ考えるべきことがあると言っているようなのだ。
いや、実際ある。そもそも帰ることに懐疑的だったのは、帰ってからのことを何も考えていなかったからじゃないか?
もっと言うなら、・・・「帰ってどうするのだ」ということに悩んでいたのではなかったか。
「サエ、ちょっと良いか?」
「・・っ!う、うん。何?」
「此処でこうしていてもしょうがないから、とりあえず移動しようって話になって・・。ユイジィンが泊れる場所に案内してくれるって。・・・大丈夫?」
「うん、大丈夫・・・」
タクトが何を心配して、私は何が大丈夫なのか、それがよく分かっていないまま頷く。別のことに気を取られていたからだ。
「帰ってどうする」。
私の頭を支配していたのは、その言葉だけだった。
サエの悩みは続きます。が、それを放っておいてくれないのがこの世界です。




