戦争と立ち往生 1
ベッドにどさり、と体を落とす。
今晩寝る場所となった宿屋の一室。そこに設えられたベッドは、結構柔らかかった。その柔らかな反動を受け流しつつ、楽な姿勢をとる。
ずっと座っていたせいで、体が凝り固まっている。元々柔軟でなかった体が更に、凝ってしまった気がする。それに、とても疲れた。出来ることなら、このまま寝てしまいたい。
しかし、そうはいかない。
今後の方針を決めるとかで、また集まらなければならないのだ。
方針を決めるも何も、私に選べるものはないに等しいと思うが。
そもそも、私はそういう、物事を決めるという行為が苦手なのだ。事なかれ主義というか、重大な選択を避けてきたからだ。
ちゃんと考えれば良いものを、失敗することを避けて無難な答えを選んできた。その最たるが、「受験」というものだ。受ける試験だ。受けるなら、それなりに考えあってのことなはずだが、私は圧倒的多数から外れたくなくて受けていた節がある。
例えば、高校受験。世間では受験戦争とかなんとか言っていたが、当の本人である私は、そんなにがつがつ勉強していなかった。と言うか、全くと言っていいほど何もしていなかった。
理由は簡単だ。私にとっては、「受験する」ということにこそ意味があったから。よって私が選んだ高校は、地元で一番偏差値の低いところだった。
「試験を受ければ、誰でも入れる」
そう言われているような学校だったのだ。しかし、結果的に私はその高校へは行かなかった。他の学校を勧めてくれる友人がいたのだ。
小学校も中学校も同じだった、幼馴染の彼女は、私よりも私の進路に対して真剣だった。その友人に誘われ、彼女が受ける予定の高校にシフトチェンジした当時の私の考えはこうだ。
「特に断る理由もないし、どこでもいいか」
・・・うん、まあ、あえてコメントはしないが。
幸い、というか何と言うか・・私は、学力で困ったことはあまりなかったので、ちょっと偏差値のハードルが高くなったところで大きな問題はなかった。ということで、受験勉強らしいことをせずに試験に臨み、落ちれば良かったものを合格してしまったというわけだ。
これだけで、分かりそうなものだが、もう一つ例を挙げてみよう。
大学受験。さすがに少しは悩んだと思う。今となっては、それも何処となく嘘臭い気もするが・・。しかし、恐らく当時の私は悩んでいたはずだ・・・多分。自信がないのは、それにしてはどこの大学へ行くか決めるのが早かったからだ。
そこは、部活の先輩が行った大学。決めた理由は、家から近いから。
入試の面接では、もっともらしいことを言った気がするが、本当の理由はそれだけだった。
いや、実はもう一つある。両親を安心させるためだ。
大学で資格を取れば就職に有利だから。だから、そこにした。
嘘だ。
それなら今の私が就職を諦めるわけがない。
資格は、必要な単位さえ取って試験に合格すれば手に入る。そして、私はやっぱり、さして勉強せずに受けて、合格してしまった。つまり私は資格持ちなのだ。でも全然偉ぶれないのは何でだろうか。
高校も大学も、言ってしまえば惰性で受けたにすぎない。
「皆が受けるから、受ける」
「資格があった方が有利だから、受ける」
見栄えを気にして、嘘を重ねて、結局何も手に入れていない。
いや、友達とか、面白い知識とか、そこでしか手に入らなかったものもきっとあると思う。でも・・・、かつての考えなしの自分を殴ってやりたい。
本当に殴ったりしたら、痛いからやらないが。そもそも、過去の自分を殴ることなど出来ない。しかし今の自分を代わりに殴るのは、何か違う。
結局、何もしない自分が、一番駄目だ。
この結論に至るのは、何度目だろうか。そのたびに、
「過去は変えられない。今までが積み重なって、今の自分があるのだ」
「過去にこの道を選んだから、出会えた人がいるんだ。出会えた幸せがあるんだ」
そんな、よくある励ましの言葉が頭に浮かぶ。でも、皆はこれで納得出来るのだろうか?
私は・・・出来ない。
納得、してはいけない気がする。しかし、ではこの後悔、というか何というか形容し難いこの気持ちは、どうやって晴らしたらいいのだろうか?という考えが出てくる訳で・・・。
いかん。
わけの分からない感傷に、思考を乗っ取られている場合ではない。
そろそろ、タクトとクラークの部屋へ行かなくてはいけない。
随分と長い間考えていたような気がする。相変わらず時間を示すものがない部屋を見渡して、立ち上がる。
タクトとクラークは、階段を挟んだ反対側の部屋を取っていた。私を避けているわけではなく、部屋が私の寝る部屋とそこしか空いていなかったのだ。どうやら、戦争が始まる話が既に広まっているらしく、向こうの国に渡ろうとしていた人たちが、足止めを余儀なくされたようなのだ。
廊下ですれ違う他の客も、少し不安そうな顔でひそひそと話している。
何と言うか、決して明るくない空気が、嫌だ。この空気のせいで、さっきは考えなくても良いことまで考えてしまったのではないだろうか。
責任転嫁も甚だしいのは分かっているが、そう考えると幾らか気持ちは落ち着いた。
「怒り」は実は、気持ちを落ち着かせる効果があると思う。例え見当違いでも、一度頭に血が上れば後は下がるだけだからだ。
2人が居るはずの扉をノックしようと手を挙げる。が、
「ねぇ、邪魔なんだけど」
という声が背後から聞こえた。振り返って、ちょっと視線を落とす。
子供だ。身長が、私の胸元ぐらいの男の子が、私を冷めた目で見ている。
邪魔だと言ったのは、多分この子だろう。反射的にノックしようとした扉に身を寄せるが、よく考えてみればおかしい。
彼は私の背後に立っている。つまり、私が通行の邪魔になっているはずがないのだ。奥の部屋に用があるなら、そのまま通り抜ければいい。と、いうことは・・・?
「・・ここ?」
身を寄せた扉を指差して訊いてみる。
彼は、呆れたように溜息を吐いた。
「そこ以外に選択肢はないでしょ。良いから退いてよ」
動かない私に業を煮やしたのか、押しのけてドアノブを掴む。ノックも無しにそのまま這入っていく。閉まりかかった扉に手をかけて、私もその後に続いた。
部屋の中には、タクトとクラーク、そして先ほどの男の子がいた。
「ああ、ちょうど良かった。そろそろ呼びに行こうかと思ってたんだ」
タクトが明るい顔で私に笑いかける。自分が場違いな気がしていただけに、ちょっとほっとした。
手招きするタクトのそばへ行くと、男の子が胡散臭げな顔で私をじろじろ見てきた。
何か変な所でもあるのだろうか。さっと自分の全身を確認するが、これと言っておかしな所は見られない。と、彼がタクトに向かって口を開いた。
「・・・君、しばらく会わないうちに趣味が悪くなったね」
失礼な。というか、何だそれは。子供言うセリフじゃないと思うが。
妙に達観した顔をしているのが、余計にムカつく。
いや、駄目だ。此処で怒ってはいけない。年上の余裕というのを見せつけてやるべきだ。そう、余裕を持つんだ、私!
表情を崩さないですました顔をして見せる。しかし、言われた当のタクトは、
「えっ?ええ?!・・ち、違う!違うよ!サエはそういうのじゃなくって・・!!」
とか、顔を真っ赤にしてあたふたしていた。
いや、そこで意識されても対応に困るんだけど・・。まあ、いいや。放っとこう。
話を出した男の子本人も、その様子に溜息を吐くだけでそれ以上は何も言わない。タクトが落ち着くまで、しばらく皆口を開かなかった。
「・・で、僕を呼んだ用件は何?僕は、君みたいな流れと違って忙しいから、手短に頼むよ」
「え?・・・ああ、えっと、そうそう・・。いやいや、そう言うなよ。久しぶりなんだし、あっ、そうだ。まずは紹介しないとな」
ようやく普通に戻ったタクトは、いつもの笑顔で、迷惑そうにする男の子の肩に手を置いた。そのまま彼を私の前に立たせる。
「サエ、こいつ、魔法使い仲間のレイルって言うんだ。この国で働いているんだ。レイル、こっちはサエ、今俺たちと一緒に旅をしている仲間だよ」
「勝手に仲間認定するなよ。僕はまだ君を認めたわけじゃないんだからな!」
肩に置かれたタクトの手を振り払って、びしっと指差す。いつの間にか残った手は腰に当てられている。
指差されたタクトは、きょとんと首を傾げている。何を言われているか分からないようだ。
「?えっと、ごめん?」
「意味も分からず謝るなよ。相変わらずだな」
呆れつつも、怒った顔を引っ込めて改めてタクトに目を向ける。
感情の起伏が激しいのは、子供だからだろうか。自分の子供の頃は、もう少し大人しかった気がするが。というか、タクトは何でレイルを呼んだんだろうか?
そして、部屋の隅で空気と化しているクラークは放っておいて良いのか?
まあ、話を振っても返事は返ってこないとは思うけど。
「じゃあ、本題に入るぞ。レイルを呼んだのは、ちょっと頼みたいことがあるからなんだけど、良いか?」
「・・・優秀な魔法使いは、優先的に国からお声がかかるもの。だから僕は国仕える魔法使いに、君は何処の国とも繋がりのない流れになっている。本来なら、僕が君の頼みを聞く必要はないんだよ。まあ・・どうしても、って言うなら考えてあげても良いけどね」
得意げに胸を張るレイル君。どう見ても子供の自慢だが、つまり、「自分はタクトより優秀だ!」と言いたいのか。目線は低いくせに、随分と上からな物言いだ。
何だか面倒くさい奴だな。こういう奴は、適当に持ち上げて良い気分にさせておくのが良いだろう。
「そうだな。レイルは昔から努力家だし、その年で魔法使いとして働けるなんて、凄いよな。俺も見習わないとなぁ」
私のような打算ではないだろうが、タクトは笑顔でレイルを褒めちぎっている。素でこういう風に、他人を褒められる奴は羨ましいな、と思わなくもない。
話を聞いていると、タクトとレイルはかつて同じ立場に居たような印象を受ける。そこから一方は成功し、もう一方はうだつが上がらない。となると、うだつの上がらない方がもう一方を褒められというのは、凄いことだと思う。
褒められたレイルは、鼻高々状態だ。タクトがどんな頼み事をするのかは知らないが、これなら難なく聞いてもらえそうだ。
レイルがやる気になってくれたところで、私たちは椅子やベッドに腰掛け、ゆっくり話ができる体勢ととった。
クラークだけは、部屋の壁に体を預けたまま動かなかったが、それはいつものことらしく、タクトもレイルも気にしていない。多少申し訳ない気がするが、座りたかったら自主的に座るだろう。
私はベッドに腰掛け、正面のレイル、斜め左に居るタクト、そして入口脇の壁に立つクラーク、の全員が視界に入るようにした。これで誰が喋ってもすぐに見れる。
「さて、じゃあ、頼みたいこと、の前に今の国境の状況が知りたいんだけど、言える範囲で良いから教えて欲しい」
「国境の状況?君、国外に用でもあるの?」
「ああ、ちょっとな。戦争が始まるって話は聞いた。そうすると、俺はこの国を出られない」
「ふうん、そういうこと。なんとなく、頼み事の内容も察しがついたけど、まずは国境の状況だね。と言っても、現状じゃ伝えられることはあまりないかな」
あまりないって・・。普通もっと、いろいろあるもんじゃないのか?それとも、機密事項でもあるんだろうか。
いや、ないわけないが、それにしたってもっといろいろあるもんだろう。
「どういうことだ?」
「うーん・・、ま、調べればすぐ分かることなんだけど、この戦争は、所謂普通の戦争じゃないんだ。さっきは偉そうなこと言ったけど、実際のところ僕たちは今混乱している」
「混乱?何でだ?」
「・・・上手く説明できない。とにかく、混乱している。それが一つ。あと、多分向こう、敵国の奴らも混乱している」
「はあ?」
「分からないでしょ?僕もだよ。それぐらい、お互いに混乱しているんだ。でも、戦争は始まろうとしている。分かる?普通じゃないんだよ。何もかもが」
正直レイルが何を言っているのか、さっぱり分からない。
お互いが混乱しているなら、戦争なんてしている場合じゃないだろうし、戦争するつもりなら、明らかになっていることぐらいあるだろう。でも、レイルは「分からない」の一点張り。
一体どうなっているのか。
分からないのは、こっちの方だ。
「でも、混乱している今が好機なんじゃない?」
「うん?何が?」
「鈍いな。君たち、国外に出たいんだろ?今なら、混乱に乗じて出られるんじゃないかって言っているんだよ」
「あ・・」
盲点だった。というか、戦争をどうにかしないと先に進めないと思い込んでいた。
その通りだ。出るだけなら、今の状況はむしろ望むところだ。何だ、楽勝じゃないか。悩んで損した。そこまで悩んでもいなかったけど。
「一応、国を出られるように許可証も書いてあげるよ」
「ありがとう、レイル。やっぱり持つべきものは、優秀な友達だよな!」
「だから、いつ僕と君は友達になったのさ」
とかなんとか、レイルとタクトは積もる話もあるのか、2人で出かけてしまった。残された私とクラークはというと、場所を移して私の部屋に来ていた。
甘い展開とかではなく、足を見てもらうためだ。しかし、結構酷い靴ずれだったとはいえ、今日はほとんど歩いていない。もう凄く痛むということもないから、放っといても良かったのだ。が、クラークは意外に律義な性格なのか、足を見せるまで私の部屋から出て行ってくれなかった。
やっと彼が出て行って、鍵を閉めたらどっと疲れがぶり返してきた。
先に進めることも分かったし、今日はもう寝よう。そうしよう。
安心に包まれて、私は目を閉じた。




