過去と可能性 4
重たい瞼を開ける。いや、瞼だけじゃない。全身が物凄く重たい。
それでも、状況確認が先だろう。握った手の先に居る『紫』に目を向ける。
目が合うとにっこりと笑顔を向けてきた。どうやら此処には危険がないらしい。
確認の仕方があれだが、この際そんなこと構っていられない。『紫』の口癖ではないが、どうでも良いのだ。
整備された道。左右に広がるのは木々だ。どうやら森か林の中らしい。そこまで見て、安心の吐息を吐く。
もう立っているのも大変な状態である。手近な木の根元に腰を下ろす。
「大丈夫、なわけないね」
「・・・・」
声を出すのも億劫で、視線だけ動かしてその姿を捉える。
『紫』は笑っていた。とても満足そうな顔で。普段ならイラっときても良いところだが、本当に疲れていてそのぐらいで怒ってられない。
大きく息を吐き出す。森の中は静かで、呼吸するたびに気持ちが楽になっていく。
しばらくそうやって休んでから、少し離れた所に立つ『紫』に声を掛ける。
「ちょっと、訊きたいことがあるんだけど」
「何?」
「さっき居たのは、何処?」
「魔界よ。元の時間からだと・・・、250年くらい前の」
250年前?
何でそんな時間に出てしまったのだ。てっきり元の時間の、別の場所に出てしまったのだとばかり思っていた。
と言うか、私は過去に行きたいなんて少しも願っていない。それなのに何故、時間を遡ってしまったのだろうか?
焦っていたとは言え、望まぬ時間に行くような能力ではないはずだ。
「ああ、それはそうね。その通りよ。でもその前に居た場所が場所だもの。仕方ないわ」
「場所?」
戦場に出る前は、何もない荒野だったはず。それがどうしたと言うのだろうか。
上手く私に伝わっていないことは、きっと分かっているのだろう。でも、『紫』はすぐには口を開かなかった。
完全に楽しんでいる。意地の悪さは今に始まったことではないが、段々考えるのが面倒になってきてしまった。
体が重い。これは多分、能力を連発したせいだ。連続で使わざる負えない状況だったから自覚していなかったが、かなり無茶をしていたようだ。
気を抜くと、目が閉じてしまいそうになる。
「私とあなたが出会った場所。あそこは此処とはちょっと違う次元にあるの。『干渉』したせいで歪んじゃっているんだよね。そのせいであなたの能力も歪んでしまったの。時間を進むはずが逆に戻ってしまったのよ。あの荒野は・・500年くらい前の魔界ね」
そう言えば、私はあの時明確な時間の指定をしていなかった。
とにかく時間を戻そうとしていた。当面の危機さえ回避できれば良かったのだからあまり考えていなかったけれど、それがいけなかったのだろう。
帰りたい場所・時間を、もっとしっかり思い浮かべておくべきだった。
そう考えると、今も多分元の時間には戻れていないのだろうと思う。
最初は、ほんの少しだけだけど、時間旅行ができると楽しむ気持ちがあった。でも今は疲労困憊していて、そんな余裕はなくなってしまった。
ただただ、早く帰りたい。そう思っている。
「此処は180年くらい前の魔界よ。エネルギー不足で此処までしか来れなかったみたい」
さらっとそう言って、笑う。つまり私のせいですか。
いや元凶が目の前に居るのだけれどね。でも、今すぐ移動するというのは不可能だ。
もう休みたい。でも知らない世界で、しかも屋外で眠れるほど私の神経は丈夫ではない。下がりがちな瞼を根性で見開く。
『紫』はこの状況でも変わりない様子だ。まあ、焦ってもらってても困るのだが。彼女を指針にするのは若干・・、いや、かなり不安だが、そうするより他に当てがあるわけでもない。
瞼同様、言うことを聞きたがらない口を動かす。
「この辺で、休めそうな所って、ない?」
「そうだね・・・。あっちに大きなお屋敷があるけど、あとは森って感じ?」
選択する余地もない。屋外は嫌だと思ったところなのだし、その屋敷に行ってみるしかない。
長く息を吐き出して、のっそり立ち上がる。
・・ヤバイ。くらくらする。背もたれにしていた木を支えにして、眩暈が去るのを待つ。こんなんで、屋敷までもつだろうか?
いや、もたせる。根性で。
私が顔を上げたのを合図に、『紫』が歩き始める。彼女の案内でお屋敷を目指す。
意外に近かった。と言うか、多分この森、屋敷の一部だったんじゃないだろうか?
何と言っても、城かと見紛う程の大きい屋敷に塀とか柵とかない方がおかしいのだろうから。門番とか普通に居そうだもん。そんな人たちには会ってないけど。
さて、そこで一つ問題が。
いや問題は一つどころではないかもしれないが・・・。とにかく、とある問題を見つけてしまった。
勝手に敷地に潜入してしまった。その事実をどうするべきか。
休ませてほしいが、さすがに不法侵入者を休ませてもらえるほど寛大な(考えの足りない)家主は居ないだろう。
さてさて、どうしよう・・・。
疲れの混じった溜息が長々と零れる。疲れているのに、と言ったところでそれは私の問題だ。他人には関係のないこと。言い訳にもならないだろう。
「あ!」
「・・・?」
不意に隣の『紫』が声を上げた。何か、しかも面白そうなものを発見した!というような、喜色に満ちた声だった。
頭上げるのも疲れるんだけど・・・、と思いながらも彼女の視線を追う。
見て、「あーあ・・・」と思った。
見つかった。
いや、屋敷の目も前に居るのだ。見つからない方がおかしい。唯一の救い、と言って良いのか、は私たちを見て目を丸くしているの人物が、まだ幼さを残した少年だったことだろう。
人の年齢を推測するのは得意ではないが、見た目は『紫』より下に見える。燃えるように紅い髪と透明感のある紅い瞳。誰かを彷彿とさせる色彩だ。
しかし此処は180年前の世界らしいし、さすがに有り得ない。が、レオンハルトと名乗った彼を思い出した。本当に、彼があのレオンハルトだったとしたら・・?
私は魔族の生態に詳しいわけではない。むしろ知らないことだらけだ。ひょっとして、ひょっとしたらこの少年は・・・。
「おい、お前ら!」
驚きから立ち直った少年が、私たちに走り寄ってくる。手には何も持っていない。服装も、泥だらけだという点を除けば普通だ。なのに、体が一瞬逃げようとした。
彼が走り寄っていく相手は、大概攻撃されるからだ。それ以外の展開を見たことがないほどに。
警戒する私の数歩前で少年は立ち止まる。近くなった紅い瞳に、好奇心が宿っているのが見えた。あれ?と思っている間に、少年の方は私たちの観察を始めていた。
それはもう露骨にじろじろと見る様が、私の知ってる紅い人と重なる。
「お前ら、新しい使用人か?」
「違うわよ」
「じゃあ、客か?」
「さあ、どうかしら?」
「・・・で、結局何なんだ?」
「この子を休ませてほしいなって思って来たの」
疲れて、反応が鈍っている私の代わりに『紫』が受け答えをしている。
ちょっとおかしな会話をして、少年が腕組みをした。「うんうん」と頷いている。私が疲れ切っているのは見れば分かるだろう。
だからか、すぐに少年は身を翻して、屋敷の玄関扉を開けて私たちを招き入れてくれた。
玄関ホールは屋敷の大きさに相応しく、広くて豪奢だった。が、今の私に驚く余裕はない。少年の後について行くので精一杯だった。
やがて辿り着いた客室と思わしき部屋のベッドに入ったところで、私は力尽きた。
***********
意識が浮上する。夢も見ないくらいに深く眠っていたようだ。寝起きのだるさが残る体を動かして、起き上がる。
窓から入る日の光が、まだ昼間であることを教えてくれる。
上半身を起こした状態で、きょろきょろと辺りを見渡す。広い室内には誰も居ない。ついで自分の格好に気付く。
寝ている間に着替えさせられていた。私の体は、淡いピンク色のネグリジェを着ている。着心地はかなり良い。さぞや良い生地を使っているのだろう。
とりあえず着替え。それから現状確認。
やることを頭に浮かべてベッドから出る。部屋中見渡すが、私が着ていた服は見当たらない。仕方なく部屋の一面を占めている、無駄に大きなクローゼットを覗く。
あった。私の服だ。レースとかフリルとかが目立つ服の中で、とっても異彩を放っていた。街中では目立つことのない無難なデザインのはずだが、この中では目立つこと目立つこと。おかげで迷うことなく着替えることができた。
「あら、元の服にしたの?」
「『紫』」
いつの間に部屋の中に入ったのだろうか?そんな疑問を、「この人は普通じゃないから」という理由で片付け、向き直る。
部屋に唯一のドアを背に、にっこり笑う彼女は何気ない足取りで近寄ってきた。そのまま私の横を通って、クローゼットを開け放つ。
「こんなにたくさんあるんだから、たまには別のを着ればいいのに」
「他人様の服を、勝手に着るわけにはいかないでしょ」
「ギアは別にいいって言ってたわよ」
さらっと、本当にさらっと言ったな。私としては、何でもないことのように言わないでほしかったのだが。反応し損ねてしまったじゃないか。
やっぱりあの少年はギアか。そうかそうか。うん、予想通り。驚かない。
いや、本当だ。驚きなら、レオンハルト(昔)に会った時に済ませたから。内心動揺なんてしてないよ。だって予想してたもん。
「へ、へえー、そうなんだ」
「してるしてる。動揺してるよ、充分」
そんなツッコミは聞こえない。
息を吸って吐く。仕切り直して、『紫』の顔を見る。笑う彼女の顔から、もっと面白い反応を期待していることを知る。が、これ以上はない。絶対だ。
意識して強く睨む。にっこり笑ってクローゼットを閉めた彼女が、口を開こうとした。その時部屋のドアが勢いよく吹っ飛んだ。
いや、大げさな表現ではない。ばーっん!!という大きな音を立てて開けられたそのドアは、勢いが良すぎて蝶番が外れてしまったのだ。
結果、ドアだったそれは室内に飛び込むことになった。
私たちの足元にまで飛んできたそれを見て、こんな蛮行をしでかした人物を見るため顔を上げる。正直見たくはなかったが、ある種反射のようなものだった。本当に見たくなかったのだけど。
目を引く紅さが、ドアのあったところに佇んでいる。キラキラと輝いている彼の瞳を見返す勇気が出ない。
微妙に視線を外している私に、気付いているのか、いないのか。いやきっと気付いていない。気にしてすらいないだろう彼は、私が何か言う前に大声言った。
「今すぐ森へ行くぞ!」
もちろん無視した。武器を持たない彼に脅威は感じなかった。
『紫』に顔を向ける。めちゃくちゃ嬉しそうに笑っていた。嫌な予感がひしひしと湧き上がってくる。
これは、このまま2人に押し切られて結局お供をする羽目になるフラグだ。全力でこのフラグを叩き折らなければ、私の今後に大きく影響しそうだ。
「目覚めたばかりで、体が本調子でない」と言えば穏便に断れないだろうか?
無理だ。このギアが何処まで未来のギアと一緒かは分からないが、この様子では真っ当な理由で退くとは思えない。
「嫌だ」とはっきり断ったらどうだろうか?
駄目だ。ギアはともかく、『紫』が屁理屈上等!みたいな理屈を駆使してきそうな気配がする。
「今すぐにやることがあるから」とかどうだろうか?元の時間に帰らなければならないのだし、間違いではない。『紫』の反論は予想範疇内だ。いつまでも過去に居るわけにはいかないし、彼に付き合うよりも優先度は高いはずだ。
よし、これでいこう。
我ながら、一瞬の間によくこれだけのことを考えた。しかし、そんなことする余裕があったら、とりあえず断るべきだったのだ。
それに気付いたのは、『紫』がギアに答えた時だった。私は口を開く途中で、間に合わなかった。
「もちろん、いいよ!」
お前が答えるなよ!と言いたかった。でも言えなかった。とんでもなく良い笑顔の彼女が「ね!」と同意を求めてきたからだ。
代わりに放った「私は行かなくても良いですか?」と言う質問は、無言のうちに却下された。
そういうわけで、私は幼ギアについて森へ行くことになった。なったのはもう良いのだが・・・
「何処行く気?」
「え?うーん・・、ちょっとお花を摘みに?」
私を問答無用でお供に仕立て上げた彼女が、あろうことか逃げようとしていた。
当然止める。そして逃げられないように腕を掴んだ。
「ちょっとした冗談だよ」と笑う彼女を横目で睨み、先行するギアの小さな背中を追う。
屋敷は広くて、彼の案内なしでは確実に迷う。見失わないように歩く。最早自分が歩いているのがどの辺りかすら分からない。
まあ、分からなくても良いんだけど。
「そう言えば、体調は良いの?」
「だるい」
「そうだろうねー、あなた丸一日眠ってたから」
「え!?」
思わず隣の彼女を凝視する。でも、そんなことで嘘を吐くような性格ではないはずだ。
私、そんなに眠ってたのか・・。だからこんなに体がだるいのだろう。
歩くのに支障はない。が、出来ることならゆっくりしていたい。そう思う程度には違和感が残っていた。
て、そんな私を何の躊躇いもなく外へ誘うとは・・。ギアは小さくてもギアだった。
今のうちに矯正すれば、初めて出会ったあの破天荒な行動もなくなるだろうか?
ふとよぎった考えは、隣を歩く神様に筒抜けだった。
「それは止めた方がいいよ」
「・・・何で?」
「未来が変わったら、今居るあなたも影響を受ける。影響を受けたあなたがどうなるか・・・それは私にも分からないからね。ただ、不確定な未来を、更に引っかき回すことになる。それはお勧めできないな」
言われたことは、考えれば分かるような内容だった。しかし私は、そんなことを考える余裕がなかった。
影響を受けた私がどうなるか「分からない」と言った彼女。その時私は、理由もなく背筋が震えたのだ。
彼女が人外なのはとうに分かっているが、その時、その瞬間、感じたものは形容し難い。単純な恐怖とは違う。が、良い感覚ではなかった。
何故私は、彼女を無害だと判じていたのだろう?そんな不安が唐突に湧く。
私は彼女と共に居て大丈夫なのだろうか?
言われた内容よりも、感じた不安の方が気になって仕方ない。
気付けば震えていた私の手から、『紫』の腕が離れる。
彼女の顔を見る。
微笑みを浮かべている。綺麗で、妖しい微笑みを。
「・・別に何もしないわ。ただ私は、あなたに期待しているだけ」
「・・・・期待?」
「そう、期待。・・・さ、早く行きましょう。ギアが待っているわ」
今度は普通の笑みだ。にっこり笑って先を歩き出す。
向かう先は、裏口と思われる場所だ。外へ続く扉の前を開けて、ギアが待っている。
私も行こう。そう思ったけど、実際に前に踏み出すことができない。
体が動いたのは、得体の知れない同行者がギアのそばまで行ってからだった。
この時代のギアは、まだ紅いことに拘ってはいません。髪と瞳の色は自前ですが、服の色は普通です。
但し、空気の読めなさはこの頃から定評があります。




