過去と可能性 1
「さて、そろそろ起こしても良いかな?」
「ん・・・?」
軽やかな声が耳に届く。
ゆっくりと瞼を開ける。いつの間にか寝てしまったらしい。
・・いや、違う。寝ていたのではない。気絶したのだ。その記憶はないが、意識を失って倒れたのは確かなはずだ。
光の爆発。そう言うしかないあの現象。そして、此処は・・・。此処は何処だ?
ようやく周りへと目を向ける。
我ながら遅いと言わなくもない。が、仕方ない。誰もがそんな早く、正確な行動が取れるわけではないのだ。
自己弁護しつつも状況を確認する。大きな像と綺麗なステンドグラスが目に入る。雰囲気も静謐で、どう見ても教会の中だった。
私は、礼拝に来た人が座る長椅子に横たわっていたようだ。だが、場所こそ同じ教会でもあのような寂れた所はない。広いが、掃除の行き届いた清潔な空間のようだ。
一通り礼拝堂内を見渡して気が付く。誰も居ない。目の前に、女の子が一人居るだけだ。
信じられない現象には慣れっこだ。とりあえず、目の前の少女を観察することにした。
彼女は美少女だった。誰に訊いてもそう答えるだろう。それぐらい整った容姿をしている。
年齢は、高校生ぐらいだろうか。とは言ってもこの世界の人は西洋人っぽいから、見た目通りの年齢ではないのだろうが。
幼さの残った顔には、素直な笑顔が浮かんでいる。その顔を縁取るのは、紫色の髪だ。頭の後ろで結んであるので、正確な長さは分からないがそれなりに長そうだ。
髪の色より濃い紫の瞳が、私を見ている。
着ている服は私と大して差がないのに、何処か上品な印象を受けた。
良家のお嬢様っぽい。上から下まで無遠慮に観察した結果、そんな感想を抱いた。
それが分かったわけではないと思うが、観察の終わった私に彼女はにっこりと笑みを向けてきた。
「おはよう、サエ」
当たり前に言うのでスルーしかかったが、何故この子は私の名前を知っているのだ。
そもそもこの子は一体誰だ?そして此処は何処だ?私はいつの間に移動してきたのだろうか?
疑問が幾つも浮かんできて、上手く言葉が出ない。
とりあえず、一番最初に浮かんだ問いに答えて欲しいところではある。
最後に記憶のあるあの場に、彼女は居なかった。居たら気付くはずだから、これは確実だ。それに、それ以前にも会ったことはない。そんな記憶はないから、これも確実。
確実・・・なはずだけど、何故か初めて会った気がしない。・・・・・いや、でもやっぱり記憶にない。初めての人だ、うん。
「それがそうでもないんだけどね」
「え?」
「まあ、どうでも良いか」
いや、どうでも良くないです。私、口に出してたのかな?と言うか会ったこと、あったっけ?覚えてないけど・・・。
空気を呼んでくれるかと思って、首を傾げたまま待つ私に、彼女はにこにこと笑い掛ける。
「説明は?」と待つ私を無視して、少女は自分の言いたいことだけを言った。
「さあ、まずはどうする?何処に行く?何をする?あなたを待つ間、私、楽しみで楽しみで仕方なかったのよ!」
彼女の笑顔が眩しい。一瞬とは言え、疑問や不満が吹っ飛ぶほど輝いていた。
屈託のない笑顔が魅力的に見えた。女である私ですらドキッとした笑顔だ。男相手なら破壊力抜群だろうな、とか馬鹿な考えが頭をよぎる。
いやいや、見惚れている場合ではない。可愛い女の子は得だよなー、とか思っている時でもない。
ぶんぶん首を振って、冷静さを取り戻す。一つ息を吐いて、改めて彼女と目を合わす。
「どうしたの?まだ寝惚けてるの?」
「ううん・・・、えっと、あなたは誰?あと、此処は何処?」
「私?私は『紫』だよ。此処は教会。えーっと、聖プリシパリティ教会・・だったかな?」
ストレートに訊いたのは、何も考えていなかったからだ。でもまさか、向こうもそのまま返してくるとは思わなかった。
いやそのことに驚いているわけではない。私の耳が正常に働いているのなら、彼女は『紫』と答えたはずだ。色は神様の名前・・、じゃなかったっけ?
私の知識が正しければ、彼女は・・・。
「そう、私は『神』だよ。そんなことより、もう休憩は良いでしょう?出掛けましょう」
「は?いや、出掛けるって・・・何処へ?」
「何処でもいいわ。さ、行くわよ!」
今にも駆けだしそうな自称神様をぽかんと見つめる。
重要なことをあっさり言われて、頭の中の処理が追い付かなかったのだ。そんなわけで、呆然とする私は彼女、『紫』に導かれるままに教会から外へと出てしまった。
教会の入口にある立派な門に、『聖ブリシパリティ教会』と彫られているのを横目で見る。実際にそう書いてあるのだから、彼女が言っていることは正しかったのだろう。少なくとも教会の名前は偽っていなかった。
とは言え、私が知りたかったのは、あの後何があってどうなったかと言うことなのだが。
それを訊こうにも彼女は、私の手を引いてあっちへこっちへと街中を歩き回っている。タイミングが悪いのか、彼女がそのように操作しているのかは分からないけれど、上手く尋ねることができない。
ようやく落ち着けたのは、通りに面した軽食屋に入った時だった。
既に日は高く、お昼を少し過ぎていた。お腹が空いて、考えがまとまらなくなってきた。歩き通しで疲れたのもある。
席に着いてほっと一息吐く。
「好きな物、食べて良いよ」
上機嫌な神様の好意に甘えて食べることにした。警戒しててもお腹は膨れない。
ハンバーグ(商品名は違ったけど)を食べる。正面の席では、『紫』がにこにこと私を見ている。彼女は何も食べないのだろうか?
一人で食べていると何だか居心地が悪く感じてしまう。
「あ、私は食べる必要ないから、気にしないで」
「はあ・・」
普通に心を読まれている。『黄』もそうだったけど、神様って言うのはやっぱり得体の知れない感じがする。
見た目はただの美少女だが、時々大人っぽいような、底が見えないような表情をするのだ。それを見るたびに、油断できないと気を引き締め直す。
疲れるが、今頼れるのは自分だけだ。とにかく状況確認。それを最優先にしていこう。
食べながら方針を決め、何と切り出すか考える。しかし神様相手にそれは悠長だったとしか言いようがなかった。
「私はね、あなたに忠告しに来たんだ」
「忠告・・・?」
「そう。でもね、本当は期待してたんだ」
「忠告しに来た」。そう言った端から「期待していた」とはこれ如何に?
肉の最後の一切れを食べ終えて、フォークを置く。
『紫』は面白そうな笑みを浮かべていた。こういう表情は、『黄』も浮かべていた。楽しくて仕方ないという顔だ。
「あなたは私の期待通り、面白いことをしてくれた。だから感謝しているの」
「何を、言っているのか分からない・・・です」
「そうね・・、じゃあ、順を追って話しましょう。まずは・・此処が何処なのか」
「・・・・」
ごくりと喉が鳴る。無意識に唾を飲み込んだのだ。
まるでこの雰囲気を楽しむように焦らす『紫』。息を飲んで待つ私。
何の遊びだ、と頭の隅で呟いた。それでも彼女の話を聞かなければ、何も分からないままだ。手のひらの上で踊らされている感覚を不快に思いながらも、彼女の話に注目した。
「此処は、過去の世界。いえ、世界の記憶の中、と言った方が正しいかしら。あなたが居た時代から約50年前に当たるわ。思ったより飛ばなかったのは、明確なイメージがなかったからね。目的さえしっかりしていれば、百年単位での移動も可能なはずよ」
はい?何ですって?
急によく分からないことを言われた。
いや、そのまま言葉通りに受け取るなら理解できるはず・・・。頑張れ私!
とりあえず、過去の世界とか言ってるけど、これは確認できるまでは保留にしておこう。いくら突拍子もないことには慣れっこだとしても、時間を遡ったりは次元が違いすぎる。
まだ彼女が嘘を吐いていると言う可能性が残っているのだから、驚いたりは後回しにしておこう。
・・・・嘘を吐いているようには見えないけど。
しかし、口振りからしてこの事態の原因は彼女なのだろう。目的は不明だけど、私を騙して何かさせようとしているのかも・・?
油断は禁物。この世界で学んだ素敵な言葉だ。
「うーん、原因は私。それは間違ってないんだけど・・・、やったのはサエ、あなただよ?」
「いや、私は何もやってませんよ」
「嘘吐いちゃダメだよ。ほら、思い出して。あの時あなたは、彼女の力に引きずられて自分の能力を使っちゃったでしょ?」
あの時?・・・ああ、あの稲を復活させるってパフォーマンスの時のことかな?
確かにあの時、フードの女性から何かエネルギー的なものが私の中に入って来たけど。と言うか、待って。その後何か弾けるような感覚があったあれが、私の能力だって?
そもそも召喚されたモノに付与される能力は、正式に召喚されなければないのではなかったか。確かそんな話だったはず。だから私自身には何の力もない、という結論に達したのだ。
「あなたに能力がないなんて、誰が言ったの?ただ単純に、使い方が分からなかったから使えなかっただけだよ」
「え、じゃ、じゃあ私の能力って・・?」
「一つは順応性。この世界の言葉や文字を理解できるようになる。おかしいと思わなかった?異世界から来たのに何で言葉が通じて、文字も読めるんだろうって」
思った。最初の最初にそう思った。でも召喚されたのだから、そういった・・言葉は悪いが、作り替えのようなことが行われたのだろうと解釈したのだ。
「間違ってないけどね。でもあなたは特別。だって古代語だって分かっちゃうんだから」
「古代語?」
「例えば・・・、魔法に使用する言葉とか、魔法陣の文言とか、あと私たちの名前とか」
「名前?それと古代語とどう関係あるの・・ですか?」
「無理に敬語使わなくても良いよ。・・・私たち『神』の名は、古代語だからね。音は伝わっているけど、文字としての意味とかはもう失われているはずなの。でも、あなたは音を聴けば自然と意味が頭に浮かぶでしょ?」
『プルプラ』と聞こえたら『紫』と頭に浮かぶってことだろうか?
普通のことだと思っていた。意識してみれば確かにおかしなことではあった。普通音だけで意味が分かるはずがない。漢字ならいざ知らず、明らかに聴いたことない言葉なのに、とっさに意味が出てくるわけがないのだ。
今まで意識していなかったが、指摘されれば頷ける。彼女の言うことが、俄然真実味を帯びてきた気がする。
「まあ、上手く機能するようになったのは、『黒』たちと会ったからだと思うけどね」
「『黒』・・・」
それは、ギアがクラークを呼ぶときに使っていたものだ。が、なんとなく彼女が言っているのは違う人のことだと思った。
誰かは思い出せないが、誰か・・・本来『黒』と呼ばれる人と、出会ったことがあったような気がする。
いや、気がするだけなのだけれどね。会った記憶ないし。
「その辺は・・まだ分からないか。分からなくても良いんだけど。それで、大事なのはもう一つの能力だよ」
「まだあるの?」
「むしろそっちが本命。今言ったのは、余計な苦労をしないようにって処置だから」
何でもないことのように言うが、私にとっては衝撃の連続だ。
決して馬鹿ではないつもりだけど、頭の回転自体はそんなに早くない自覚があるので、あまりぽんぽん重要なことを言わないでほしい。
遅れ気味の思考をなんとか加速させて、彼女の言葉を咀嚼する。
なんかいろいろ問い詰めたい数々を言っていたけど、それらは後でまとめて追求しよう。先に大きなことから聞こう。
どれも大切なような気もするが、話の本筋を見失ってしまいそうだから。それに、後でまとめて聞いた方が手間も一度で済む。
うむうむと自分の思考に頷き、姿勢を正す。
さあ、どんとこいだ。
待ち構える私に、正面の彼女は静かに微笑み口を開いた。
お待たせしました。
サエが『紫』に対して敬語なのは、一応神様相手だからです。混乱しているので時々素が出ています。
対する『紫』は、サエの反応を見て楽しんでいます。




