日常って実は大切 4
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此処は一体、何処だ。
そんなセリフをよく聞くが、私はそんなにも忘れっぽくはない。此処が何処かも、自分がどういう状況にあるのかも、わかっている。さすがに寝起きで、頭の回転は鈍っているが、前後不覚に陥るほどじゃない。
と、そんなことを考えて、未練がましくシーツに包まっていたが、溜息とともに起き上がる。
これは夢ではない。
それに気付いたのは、昨日歩いている最中だ。足の痛みがリアルすぎた。もしこれが夢だったら・・・なんて考えられないくらい辛かったのだ。
よく言う「夢かどうかは、頬を抓って見ればわかる」というやつだ。痛みが現実であることを教えてくれた。そんな戯言を言ってしまうほど、痛感したのだ。
まさに、痛感、だ。
気付いてみてからは、速い。急速に不安が胸の内に湧いてきた。自分では、そこまで執着していたわけではなかったはずの生活が、恋しくなってくる。無駄に携帯電話を開けたりしている自分が、滑稽だった。
今も、いつもの癖で携帯電話で時間を確認している。しかし、この時間とこの世界の時間が一緒であるかどうか、確認する術がないので、無意味だ。
もぞもぞと、ベッドの上で衣服を整え、降りようと足を降ろしたところで、思い出した。靴も靴下も、昨日クラークが持って行ってしまったのだ。裸足で歩くのは嫌だ。
どうしようかと、悩んでいたら昨晩のように部屋をノックする音がした。もしかして、と思ったら案の定断りもなく扉が開けられた。
入ってきたのは、クラークだった。デジャヴかと疑ってしまうほど、同じ動作で扉を閉めた。しかし、彼の手にあるのは包帯ではなく、靴と靴下だった。
「・・・・」
入ってきたクラークは、ベッドに腰かける私の前に膝をついた。そして、何も言わずにいきなり左足を掴んできた。
「っ!?ちょっ・・!」
驚いて、とっさに引こうとするが強い力がそれを阻止する。
何をするつもりかと思っていたら、包帯を解いて、傷を確認し始めた。言ってくれれば普通に見せたのに、本当に言葉が圧倒的に足りない人だ。そう考えている間に、右足も見終わり、彼は立ち上がった。
そして、やはり無言のままこちらを見もせずに部屋を出て行った。
彼が放置していった靴と靴下を見る。置いて行ったということは、使って良いってことだよね。と、勝手に判断してまず靴下を手に取る。
私が普段履いているものより編み目が荒くて、手作りっぽい。特に柄はなく、白なんだか灰色なんだか分からない色合いをしている。履き心地は・・・悪くないけど。
次に、靴。茶色いショートブーツだが、材質は何だろうか。とりあえず履いてみる。うん、何だかしっくりくる。
ちょっと歩いてみようかな。そう思って立ち上がる。
足はまだ痛いが、歩けないほどじゃない。新しい靴の履き心地を堪能していると、再びノックする音がした。またクラークかと思って待ってみるが、一向に開かない。
仕方ないので、自分で開けた。
「うわっ!?」
「・・!」
危うくタクトに小突かれるところだった。ノックをしようと上げた手を、頭に持っていくタクト。
「ごめんよ。聞こえなかったのかと思って」
「あ、うん、いいよ」
苦笑いをしていたタクトが、急に真剣な顔になった。一体どうしたのか。何か問題でもあったのだろうか。昨日の不安とは、別の種類の不安が首をもたげる。
「足、大丈夫?クラークが、君が怪我をしてたって言ってたからさ」
「ああ・・、大丈夫だよ」
何度も思うが、タクトはどうやってクラークと会話をしているんだろうか?想像することが出来ない。かと言って、全く話が通じていないかというと、そうではないし。本当に不思議だ。
「良かった・・・。でも、痛かったり、辛かったりしたら、遠慮なく言ってくれよ」
「う、うん。・・ありがとう」
「どういたしまして。あ、そうだ。今日は馬車で移動するから、あまり歩かなくて済むよ」
「馬車?」
「ああ。クラークが、どっかから連れて来たんだ」
クラークについての謎が増えた。しかも今回は、タクトも詳細を知らないらしい。得体が知れないのに、タクトは「クラークって行動早いんだよな」って笑っている。
大丈夫なんだろうか、この人たちに付いて行って。
その後、食事をするために一階へと降りた。酒場らしく、朝の店には人がいなかった。タクトと同じテーブルにつくと、食事が運ばれてくる。
焼きたてのパンと湯気の立ったシチューがおいしそうだ。しゃきしゃきのレタスが、たっぷり盛られたサラダにフォークを突き刺す。
「サエは、嫌いな食べ物ってある?」
「特にはないよ。不味くなければ大概のものは食べられる」
「へぇ、そうなんだ。俺も何でも食べれるんだ。美味しければそっちの方がいいけど、旅をしてるとどうしても味は二の次になっちゃうんからね。」
良く喋るタクトは、食事をしながらも会話をしようとする。私としては、食事の時は食事に、会話する時は会話に、集中したいのだが。
彼はそんなことお構いなしに話している。私がほとんど相槌しか打ってなくても、めげることがない。いや、多分あのクラークと一緒に居るせいで、相手の反応が薄くても気にしなくなってしまったのだろう。迷惑な話だ。
いい加減鬱陶しくなってきた頃、外からクラークが戻ってきた。どうやら彼は外へ出ていたようだ。今知った。しかし、彼がテーブルにつけば、少しは私の負担が減るだろう。期待して待っていたら、クラークは私たちの方をちらりと見て、足早に階段の方へ向かった。
まるで、関わるのはごめんだ、という態度だった。
「おい、クラーク。お前、朝食まだだろ?一緒に食おうぜ」
通り過ぎようとしたクラークの足を、タクトが止める。その顔は無邪気そのもので、悪気がないのはよく分かった。分かったけど、それはそれで迷惑だ。自分が如何に五月蝿いか知ってほしい。
ともかく、足を止めたクラークがこちらを振り返った。その目をタクトが真っ直ぐ見る。
数秒見つめあって、クラークが諦めたように空いた椅子に座った。無言の応酬に勝ったタクトは眩しい笑顔で、食事を再開した。ついでに会話も再開した。
馬車、というものを私は初めて見たが、何というか・・・。車という便利なものを知る私からすると、快適さなんてこれっぽっちも考慮されていない乗り物だと思った。
馬車自体は結構大きかった。荷台は、水の入った樽や食料が入った木箱を数個入れても、まだ5,6人は入れる広さがあった。
2頭の馬が引く馬車は、ゆっくり進み、道が荒れていないこともあり、揺れはさして気にならない。しかし、板張りの床に直接座るしかないので、とにかくお尻が痛い。短い間に何度も座り直してみるが、痛いものは痛かった。
「もうすぐ分かれ道で、そこを右に行くと川が見えるはずだ。そこで休憩しよう」
御者台からタクトが言う。馬車の運転は、タクトとクラークが交代でしている。クラークは、もう何が出来ても驚かないが、タクトがちゃんと運転できていることが意外だった。
イメージの問題だが、タクトは、「とりあえず」でやってみて失敗するタイプだと思っていた。
幌の切れ間から、外の景色を見てみる。長閑な平原を、馬車は進んでいる。今通ってきた道を、眺める。見た目は西洋の田舎、といった感じだ。そういうところは、元の世界と何も変わらない。
と、視界の前を何かが通り過ぎた。目で追うと、狼のような生き物が道を横切って、走っていくのが見える。なんとなく見ていると、それがUターンしてこちらに顔を向けた。その顔は、狼のものではない。目が大きく迫り出し、口が耳まで裂けているその姿は、醜悪だ。
目が合った気がして、慌てて身を引く。後ろでクラークが動く音がした。
「・・・・」
私の肩を引いて退がらせたクラークが、幌を大きく開ける。走る馬車の後ろを、先ほどの奇怪な生物が追っかけてきている。
「どうした?」
「・・・・」
「変な生き物が・・!」
暢気なタクトに、何も言わないクラーク。危機感が一気に高まる。急いで、前に移動してタクトに事を知らせようとした。
「ぎゃうっ!!」
獣の叫び声を聞いて、振り返る。そこには、剣を片手に立つクラークが居た。その向こうの景色では、ちょうど地面に落ちた獣が見えた。状況から判断するに、あの獣が飛びかかってきたかどうかして、近寄ってきたところを、クラークが斬りつけたのだろう。
差し迫った危機が去り、冷静な頭が帰ってくる。馬車の上からあの獣を見ていると、やがて消えた。遠ざかって消えたのではない。空気に溶け込むように消えたのだ。
思わず振り返って、剣を収めるクラークに疑問の視線を送った。しかし、答えてくれるわけもなく、元通りの場所に座ってしまった。
「魔物か?」
「・・・・」
「ああ、大丈夫。お前の心配なんか、全っ然してないから」
笑い混じりにそういうタクトは、首だけこちらを振り返った。
「サエは・・・大丈夫だな?」
「う、ん・・・。あの、あれって・・?」
「ん?魔物のこと?・・・そうか、ひょっとして、サエの世界には居ないのか?」
居ないと言えば居ない。ゲームとか漫画とかの世界には居るけど。それはカウントされないか、さすがに。
私が肯定すると、タクトは頷いて説明しようと口を開いた。そんなタクトの頭に、黒い鞘が振り下ろされる。
「痛てっ!!」
「・・・・」
頭を押さえるタクトに向かって、クラークが指差す。言葉で伝えるということを知らないのか、この人は。頑ななまでに無言を貫いている。
「何だよっ・・。あ、そうか」
慌てて前に向き直るタクトに習って、私も進行方向へ目を向けた。少し先で道が二股に分かれている。ついさっきタクトが言っていた分かれ道とは、あれのことだろう。クラークは、分かれ道が近いことを教えたかったようだ。・・・やっぱり口で言った方が早かったように思うのは、私だけだろうか。
どっちが良かったのか、考える私を置いて、馬車は休憩に適した場所を目指して進む。しばらく道なりに進んでいたが、急に馬車の揺れが激しくなった。
今度は何だと顔を上げて外を確認する。馬車は、道を外れて草むらに突っ込んでいた。完全に止まった馬車の中で、御者をしていたタクトを見る。
「ちょっと、待っててくれ」
御者台からタクトが降りる。一体どうしたのかと、彼の行く先に目を走らせる。私たちの行くはずだった道の向こうに、テントの群れが見えた。まるで遊牧民の村みたいだが、それにしては、家畜が見当たらない。それどころか、物々しい装備をした人たちがたくさん居る。
タクトは、そのうちの一人と話している。少しして、タクトは戻ってきた。
「まいったな。この先はいけないらしい」
「何で?」
「此処から少し西に行くと、隣国、俺たちが行きたい国とは違う別の国だが、それとの境があるんだ。そこで戦が始まるんだと」
戦。戦争。だから、あんなフル装備した人たちがうじゃうじゃいるのか。困ったように腕を組むタクトに、クラークが無言の視線を向ける。
「うん、どうしようか」
「別の道を行けば良いんじゃないの?」
「それがなぁ・・。俺って魔法使いだろ?魔法使いっていうのは、何処の国も貴重で、俺みたいな流れの魔法使いでも雇いたいって奴がたくさんいるんだよ。戦時中とかは特にな」
「?うん」
「でな、今から戦が始まるって時に、そんな貴重な戦力である魔法使いが国から出て行こうとしてたら、どうする?」
「それは・・・、止める」
「だろ?国と国との境には、検問があるんだ。そこで身分証を見せるんだが、俺は確実にそこで引っかかる」
そうなれば、私が還れるのは戦争が終わった後、ということになるのではないか?
さすがに、それは困る。この世界の戦争がどのようなものでも、そう簡単に終わったりはしないだろう。さっさと終わるようなら、始まることすらないと思う。
還るときにはお婆さんになってました、とか嫌過ぎる。
「とにかく、一度何処か腰を落ち着けて考えよう」
タクトの言葉に反論する理由もなく、再び馬車は走り出した。来た道を戻り、もう一方の道へ入る。
しかし、戦争とはまた非日常な単語が出てきたな。
いや、元の世界でも戦争はしている。ただ単に、私が関わったことがないだけで、日常的に戦争や内乱といった争いは起こっているのだ。
それでも、思ってしまう。
戦争なんて、非日常だ、と。




