『楽園』と神様 4
大変お待たせしました。
元の世界に帰りたいか?
そりゃあ、もちろん。・・・と言いたいところだが、どうなんだろうか?真剣に帰りたいかと問われれば、悩んでしまう。
帰りたくないわけじゃない。でも、どうしても帰りたいわけでもない。
以前も考えたが、結局私は答えが出ないまま此処まで来た。まあ、元々差し迫った事態にならない限り深く考えたりしない性質だから、仕方ない。
いきなり考え出したって答えなんて出ないのに。
いや、とにかく考えてみよう。彼女が神様でも、そうでなくても、いつか答えは出さなければならないのだから。
「ああ、ちょっと待ってくれ」
「えっ?」
「さあ、考えるぞ!」と意気込んだところで水を差された。答えを求めておいて待ってくれとは、どういうことだ。
問い掛けてみようにも、彼女はもう動き出していた。向かう先は、ギアとユイジィンの所である。
彼らの決着は既についていた。
地面に膝を突き、苦しそうに息をするユイジィン。その前でギアが槍を振りかぶった。何をするつもりなのかは、一目瞭然だ。
「キミ、それはちょっと困る」
思考が停止していたように思う。気が付いたら、ギアとユイジィンの間に『黄』が立っていた。
此処からではギアの背中しか見えないが、戸惑っているようである。それもそうだろう。私も驚いている。
思考は停止していたが、目はしっかりと彼らを見ていたのだ。それなのに、彼女がどうやってそこまで行ったのかはっきりとは分からなかった。
歩いて行ったように見えたけど、それで間に合うわけがない。自分で自分の頭を疑ってしまった。
「お前、何者だ?」
「ワタシ?ワタシは『神様』さ」
「面白いだろ?」と笑う『黄』。本気かどうか、判断できない笑顔だ。
ギアも胡散臭さを感じたのか、大きく距離を取った。その横に、クラークが立った。見ると、もう一つの闘いも終わっていたようだ。
2人から少し離れた所に、タクトが居る。何かあったら、魔法で手助けするつもりなのだろう。
「まあまあ、待ち給え。ユイジィンはつまらない男だが、喪うわけにはいかない」
「『黄』様・・!」
「キミが居ないと、ワタシの仕事が増えて面倒だからね」
感動したようなユイジィンにそんな言葉を掛けて、改めてこちらに向き直る。
笑顔はそのままで、でも何か威圧感のようなものを発している。
無意識に唾を飲み込む。前の3人も緊張感を保ったままだ。
「ふむ、では少し遊んでみようか」
それが合図だった。
ギアと『黄』が、同時に地を蹴る。凄い速さで槍が動く。しかしそれは、避けられた。それもかなりゆっくりした動作で。
驚く間もなく、クラークが前に出た。剣を振るったのだと思う。でも私には見えなかった。それぐらい速かったのだ。でもそれも避けられた、と思う。『黄』が何事もないように立っているところを見ると、避けられたのだろう。
避けた動作が見えなかったわけではない。ゆっくり体を回していたのが、はっきりと見えた。でも、それでクラークの攻撃を避けられたことがおかしい。
速い攻撃を、遅い動作で、どうやって避けられると言うのか。
いや、実際には当たっていないのだから、どうにかして避けているのだろう。そうとしか思えない。
『黄』との戦いはそれからも同じことの繰り返しだった。ギアとクラークの素早い攻撃を緩慢な動作で避ける『黄』。
戸惑っているのは私だけではない。ギアもクラークもタクトも、更に『黄』の味方である天族たちも、同じように驚いていた。
笑っているのは『黄』だけだ。
「ほらほら、どうした?どんな攻撃も、当たらなければ意味はないんだぞ?」
「くっそ・・!んなこと分かってんだよっ!」
とは言っても、彼らの攻撃は全く当たらないままだ。
そこで、今まで剣を振っていたクラークが一歩下がった。ギアは構わず『黄』に突っ込んでいく。
クラークは何をするつもりなのか?その疑問はすぐに解消された。
『黄』に向かって手を伸ばすクラーク。その手から光が生まれる。時を待たずにその光は放たれ、真っ直ぐ『黄』の足元に着弾した。大きな爆発。
離れた私のところまで、強い爆風が届いた。もうもうと煙が上がる。
「『黄』様!」
「おっしゃ!これで・・」
天族たちの悲鳴とギアの歓声が同時に上がった。
まさか爆発させるとは思わなかった。これはさすがにダメージがあるんじゃないだろうか。いやむしろ、これでノーダメージだった方が恐ろしい。
段々と晴れる砂煙を全員が見つめていた。
「ああ、流石に驚いた。でもこれはこれで面白いな」
「・・・おいおい、マジかよ・・」
晴れた視界に無傷の『黄』が映る。風が吹いて残りの砂を運ぶ。『黄』はさっきの場所で立っていた。動きもせずにどう回避したのか。
改めて怖くなった。勝てる気がしない。
同じことを思ったのか、ギアたちも攻撃をせず様子を窺うに留めている。
「ん?どうした。もう止めるのか?それはちょっとつまらないな。・・・・では、こちらから行くとしようか」
そう言って、無造作に一番近くに居たギアへ近寄っていく。ギアは迎え撃つ構えを取った。
散歩しているような足取りでギアの目の前まで来た『黄』は、気安く真っ赤な槍の柄を掴んだ。振り払われると思った。武器を握られて取り返そうとしない奴はいないだろう。
しかし、逆のことが起こった。
振り払う側のギアが、槍を支点に振り回され、挙げ句に放り出されたのだ。
「うお!?」
そんな間抜けな声と共にあっさり地面を転がるギア。『黄』はそのまま次の標的、つまり次に近いクラークへと向かっていく。自分で転がしといて、ギアの方は一瞥もしなかった。
クラークはギアの失敗を元に、近寄ってくるのを待たずに攻撃に出た。
「危ない。こんなものを振り回すべきじゃないぞ」
「・・・!」
キレの良い攻撃を簡単に捕まえて、ギアと同じように投げ飛ばす。クラークが地面を転がる様なんて初めて見た。
クラークは負けたりしない。無条件に、そんな根拠のないことを信じていた自分に今、気が付いた。
そして自覚と同時に焦りが生まれる。これは拙いんじゃないか、と。
視界の隅でタクトが動いた。魔法を発動させる。その行動は俊敏で、失礼だが普段のタクトからは考えられないほどだった。
とにかく、魔法は発動したはずだ。でもそれが効果を発揮する頃には、タクトも地面に転がっていた。そうして、戦える者を全員転がした『黄』が私を見て、にやりと笑った。
いや、元々笑っていたから、笑みを深めたと言うべきだ。
「いやあ、久々だね、こういうことは。うん、なかなか楽しめた。でも、これ以上をワタシは望んでいるんだよ」
大きな独り言である。事実、彼女は誰を見るともなく呟くように言っていた。呟いている割に大声だったけど。
まあそんな戯言を言いながら、私に近寄ってくるのがとても嫌だ。嫌な予感どころでなく嫌だ。
逃げるべきか。一瞬よぎった考えをすぐさま打ち消す。仲間を置いて逃げるなんて言語道断・・・という考えより先に、多分逃げられないだろうという限りない自分本位が頭に浮かんだからだ。
それに、ギアたちは転がされただけで、誰も痛い思いをしていない。だから私も大丈夫。そんな打算もあったかもしれない。
どんな理由にせよ、私は逃げなかった。目の前までやってきた『黄』が意地悪く笑うまで。
「キミは、なかなか冷静だね。馬鹿ではないかもしれないけど、賢しいとも言えない。人間だね。どうしようもないくらい普通の、人間だ」
私に言っているのか、それともまた独り言なのか、判別が付かない。返事を期待しているようには見えないから、独り言の意味合いが強いかもしれない。
どうでもいいが、私の前で言うのは止めてほしい。なんだか嫌な予感がどんどん強くなっている気がするから。
「さて、面白いことをしようか」
にっこりと笑った。と思ったら、その顔がどんどん離れていく。
いや、離れて行っているのは、私の方だ。それも上へと移動している。
どうやら・・、いや確実に、私は空を飛んでいる。足元に地面がない。そして、上から何かに吊るされている感覚もない。完全な空中浮遊である。
悲鳴は出ない。怖くはないから。でも、何処にも支えるものがない状況に不安を掻きたてられる。
十中八九、『黄』の力で飛んでいる。と言うことは、彼女の意思一つで、私が地面に叩きつけられることもある。
それは困る。困ると言うか・・・、困るよ。脳内がプチパニックになっているようだ。困る以外の単語が出てこない。
わたわたと手足を動かす。何の抵抗もなく動かせるところを見ると、彼女は私を浮かせているだけのようだ。だからなんだって感じだけど。
いやしかし、自分にできることを確認することは大事なことだ。何が役に立つかは分からないのだし。
ポジティブだ。何でも前向きに考えるべきだ。でないと、不安に呑みこまれそうになる。
かなりの高度になった。下に居るはずの皆が木々に埋もれてしまっている。
前向きを意識して、遠くに目を向けてみた。
『楽園』は広大な森に覆われているようだ。遠くに空を映した泉や草原が見えるのだが、それ以外ほとんどが森となっている。
そして、精霊もたくさん居るらしい。私の周りを色取り取りの精霊が舞っている。
笑ってないで助けて欲しいのだが。そんな私の願いも知らず、ただ見ているだけの精霊から下に意識を戻す。
一体『黄』はどういうつもりなのか。
ようやく彼女の目的を考えられる程度の平静が戻ってきたところで、体が落ちた。
文字通り、空中浮遊から一転して自由落下へ移行する。
「・・・っ!!?」
声にならない悲鳴が出る。風の音がうるさい。冷たい空気の中を一気に落ちていく。全身がひやりとする。
いつの間にか、頭から真っ逆さまになっていた。さっきまで遠かった眼下の木々が急速に大きくなっていく。
このスピードで落ちたら、樹の枝に刺さってグロッキーなことになるのでは・・?と無駄に冷静な頭の一部分が言っている。
そうこうしている間に、樹の枝が目の前に・・・。
もう駄目だ・・!
「・・・・・?」
恐怖に身を固くしたが、一向に想像していたような衝撃は来ない。
恐る恐る目を開ける。落下が止まっている?どころかまた浮いて行っているような・・・。
何が起こったのかは分からないが、私はまた空へと上がって行っているのは確かだ。下を見ると、枝の間から『黄』の笑みが見えた。
背筋に冷気が走る。理解した。彼女は私で遊んでいるのだ。本当に落とす気はないようだが、こんなことを続けていては、いずれ私の心臓が破裂する。
地面が恋しい。
空に居たのはほんの数分だが、もう嫌になっていた。何より、他人に良いように遊ばれているというのが、とても嫌だった。
気持ち悪い。怖い。そんな感情が私の中で急速に膨れ上がっていく。『黄』の目的とかもうどうでもいいから、早く解放してほしい。
泣きそうになる。でも今の私にできることは、手足をばたばたさせることくらいだ。そんなんで助かるなら幾らでもやるけど、それじゃ無理だろう。
また落とされるのかと今から恐怖を感じていたら突然、緩やかな上昇がつんのめるように止まった。
私の肩を誰かが押さえた。
首を捻って後ろを確認する。すぐ近くに銀髪に縁取られた綺麗な顔があった。
びっくりして声も出ない。だが目で確認したところ、彼、ユイジィンが私の両肩に手を添え、上昇を止めてくれているらしい。その目は眼下に向いている。
私も同じく下に目をやる。
「もう良いのではないですか、『黄』様」
「うん?そうだねぇ・・」
静かな声が後ろから、対するのんびりとした声は下から聞こえる。
「この者に戦意はありません。それに、貴方の御力は既に充分伝わっています。これ以上は必要ありません」
「おかしなことを言うね、キミは。彼らは排除しなければならないのだろう?キミが止める理由が分からない」
「・・・闘う術もない者をこのように甚振るのは、どうかと思っただけです」
「ふむふむ・・・。分かった。まあ、どのみちこれ以上は出来なかったよ。キミより速く、止めた者がいたからね」
笑いを含んだ声がそう言う。ユイジィンより速く、と言うことは、私の上昇を止めてくれたのは彼ではなかったのか。では、一体誰が・・・?
そんなことを片隅で考えつつ、ユイジィンの手によりゆっくりと地面の上に帰ってきた。
「サエ・・!良かった、無事で」
タクトの、「心配」と書いてある顔を見た瞬間、腰から下の力が抜けた。
へたり込んだ私の前に、タクトが膝をつく。
「だ、大丈夫?怪我とかした?」
「う、ううん・・。ほっとしたら、力が・・・」
抜けただけです。本当に。
地面って素敵。前は「空とか一度飛んでみたいなぁ」とか思ってたけど、やっぱり良いです。人間は地べたを這いずっているのがお似合いだと思うよ。本気で。
分不相応を願ってはいけない。ありきたりな言葉を実感した。




