サエ、絶賛誘拐され中 1
起きた。というか、転寝していたらしい。寝れないと思っていたのに、意外と自分の神経は図太いことに気が付いてしまった。
いや、きっと疲れていたのだろう。レイルに会ったり、誘拐されたり、いろいろあったから。
巻きつけた毛布から体を出す。夜気が冷たいが、長時間座っていたのでいい加減体勢を変えたい。少し動いただけで痛む体を伸ばす。
立ちあがって周囲を見回す。彼は、今は近くに居ないらしい。狭い部屋を少し歩く。こうしてうろうろしていると、少し前のことを思い出す。
囚われていたあの部屋の中でも、眠れなかった私は、うろうろと歩いていた。
数時間前のこと。
私は、部屋をぶらぶと歩きながら、この世界に来る前のことを思い出していた。
*********
あの時は、まさか自分が異世界に行ってしまうなんて、考えもしなかった。・・現実逃避は、よくしていたけど。
懐かしいな。あの頃に・・・別に戻りたくもないな。
子供の頃を思い出す。と言っても、そこまで鮮明に、何もかもを覚えてはいないが。
それでも思い出す。そこでよくある、「あの頃は良かった」とか「あの頃に戻りたい」とか、そう思わないのが私だ。
いや、思わなかったことがないわけでもないのだが。
大学生になった、初めの一年はよく思っていた気がする。後、高校生の時も、中学時代を懐かしんだ覚えはある。
とは言うものの、本気で「戻りたい」などと思ったことはない。
思い出すことは有れども、戻るなど考えるのも馬鹿らしい。時間は戻らない、なんて当たり前のことを考えてのことではない。
私は、戻ったところで何も変わらないだろうことを、知っているからだ。
今までの人生、何処に戻っても、選択する未来はほとんど同じだ。今までの選択は、その時の自分にとって最良、あるいは、納得いくものだったからだ。
それを今更変更するということは、その先歩んだ道全てを無に帰すということ。
嫌なことばかりではなかったし、何より、今の自分を否定する行為に他ならない。
今の自分があるのは、過去の自分が居たからだ。
それを否定したがるのは、子供ゆえ、だと思う。つまり、自己否定は青臭い、と私は思っている。だから私は、私を否定したりしない。
社会不適合者であろうと、就職難民になるかもしれなくても、いっそニートであっても、それが自分の決めたことであるなら、私は受け入れる。
そう思っていれば今の状況だって、自分の選択の結果だと思えば苦でもない。
いや、寒いし眠いし、不安で神経が尖っていて、「苦」どころではないが。
「仕方ない」と諦めている、と言えばそれまでな話である。
そう、人間諦めが肝心だ。できることとできないことは、誰にだってあるのだから。
だからと言って、努力をしない言い訳にはできないが。それも「仕方ない」。私はそういう人間だ。
さて、どうでも良いことを考えて、暇を潰してみたが、状況は一向に変わらないな。変わる予兆があったわけでもないが。それにしても、暇だ。
退屈で人は殺せる。
と、私は本気で信じているんだけど、これでは本当に死んでしまいそうだ。
唯一外の様子が分かる穴を見上げてみるが、暗い空が見えるだけだった。まだまだ夜、なのだろう。
つまらない。誰か私の気を紛らわしてほしい。
そう思って、木の扉を叩いてみた。
「・・・・」
返事無し。
というか、この向こうに人は居るのか?見張りぐらい居るだろうと思ってのことだったけど、もしかして、誰も居ないというのも考えられないか・・?
冷たい扉に、耳を押し当ててみる。
微かに通る、風の音。遠くでざわめく、木々の葉音。
聞こえたのはそれだけだ。
息遣い、もしくは衣擦れの音といったものは、一切聞こえない。
もう一度、強めにノックしてみる。
やっぱり何も音がしない。
誰も居ないこと決定。
本気か。本気なのか。
仮にも捕えた相手を見張ったりしないのか。この世界の住人は。
それとも、見張る価値もないとか思ってるのか。だったら、何で攫ったりした。
とか一気に考えて、はたと気が付いた。
何てことはない。簡単な理由があるではないか。
この扉の先は、階段だ。そして多分、それを上った先に部屋か、それに類するものがあるのだろう。わざわざ寒い階段下で見張らずとも、上でのんびりしていればいい。どうせ、出入り口は一つしかないのだから。
ああ、しかし、ということは、だ。私がこの扉をノックしたところで、彼らが降りてくる確率は低いんじゃないか?
聞こえないだろうし、聞こえたとしても、降りる理由にはならないだろう。
煩くすればそうでもないだろうが、流石にそこまでして暇を潰したいとは思わない。
同じ手で、隙を見て逃げる、という選択も却下だ。
私にそんな技術はないし、彼らもそれは想定しているに違いないだろう。
つまり、私は暇を潰せないし、逃げられない。ということを再確認しただけだった。
「・・・ん?」
ぼんやりすること数分。何か、今まで聞こえていたものとは違う音がした。
耳に神経を集中させると、誰かが階段を降りてきていることが分かった。
急に不安が大きくなってきた。理由は分からないが、誰かが私に会いに来たのだ。そう思うと、のんびり構えていることができなくなった。
立ち上がって、扉から一番遠い壁まで下がる。
やがて、鍵を外す音がし、扉が開かれた。そこに居たのは・・・。
*********
「よく眠れたか?」
ついさっきのことを思い出していた私に、戻ってきた彼が声をかけた。
彼、ジンと名乗った男は、私の顔を見てにやりと笑った。
私が、余り眠れなかったことが分かったのだろう。存外意地の悪い奴である。
ジン。
会うのはこれで三回目。
最初は、とてつもなく臭くて汚かった、怪しい男。二回目は、身綺麗になっていたけど、不法侵入してきた怪しい男。三回目は、私を助け出してくれて、でも、タクトたちの所には連れて行ってくれない、やっぱり怪しい男だ。
どうやら、私に用があるらしい。でも詳しい話は、まだ何もしてくれていない。
助け出しはしたけれど、安全な所に行くまではお預けらしい。
いや、タクトとクラークの所に連れてってくれれば、それで良いんだけどね。
しかしいつの間に私は、こんな重要人物になったのだ。いろんな人に求められているんだが・・・。
言っとくけど、私は何もできないよ?人に誇れる特技とかないからね。あえて言うなら、漫画とかで培った妄想力ぐらいだよ。私にあるのは。
「ねえ、タクトとクラークは?」
「さあな。でも、あいつらは別に誰かに追われてるわけでもないから、大丈夫だろ」
連れて行く気なし、と。
いい加減、あの2人の所に帰りたい。何だか随分と、依存してしまっていたようだ。一緒に居ないとやたらと不安になる。
そういう思いが顔に出ていたのだろう。ジンが真剣な顔を向けてきた。
「不安か?」
「・・・うん、まあ・・」
「それは、当然だな。召喚主と長い間離れると、俺らはそういう風に感じるようになる。少なくとも、俺も定期的に主に会わないと、不安って言うか、情緒不安定になるからな」
「・・・。よく、分からないんだけど」
「そうか?・・まあ、どっちでもいい。そのうち嫌でも分かるようになる。そんなことより、」
と、ジンが肩に担いでいた布袋から、長いローブを出した。それを私に押し付けてくる。「着ろ」ということらしい。
疲れからか、抵抗する気が湧かない。大人しくローブを着たら、フードを目深に被らされた。
「奴ら、諦める気がねぇみたいだ。もっと先に行くぞ。付いて来い」
そう言って、さっさと部屋を出て言ってしまう。
さっきから、これの繰り返しだ。アヤメたちが追って来ているらしいから、移動。それをいつまでしていれば良いのか。
移動するたびに、徐々に街中に入ってきていることは分かるが、此処は何処なのか。土地勘なんて元々ないが、彼に付いて行けば安心、とはとても考えられない。
本当に、タクトとクラークに会いたい。
あいつらが癒し系だったとは、初めて気付いたよ。
どうも、このジンという男は信用できない。確かな理由があるわけではない。ないが、私は自分の感覚というものを信用するようにしている。
自分を信じられるのは、自分だけだ。それに、私の勘は意外によく当たる。
特に、自分に合う合わないを見極めるのは、失敗したことがない。
ジンは駄目だ。私と、ズレている。何処がどうズレているのかは分からないが。
とにかく、このズレは決定的だ。絶対私にとって良くないことを運んでくる。
だから、早く離れたいのだが・・・、彼は後ろにも目が付いているのだろうか?
私がこっそり道を外れようとしても、すぐに気付くのだ。どれだけ足音を殺しても、気付かれてしまう。一体どうやって知っているのか、謎だ。
結局、逃げるに逃げれず、私はジンと一緒に移動し続けた。
そして、東の空が薄ら明るくなる頃、ようやくジンは小さな民家の中に腰を落ち着けた。
私はと言うと・・・、疲れ切っていた。
徹夜自体余りしない上に、歩き回っていたのだ。当然いろいろと限界を迎えていた。
通された部屋に入るなりベッドに突っ伏し、そのまま意識は彼方へ飛んで行った。
***********
『私たちは、召喚主に服従するしかない。慣れ親しんだ世界から引き離されて、勝手な都合で使われる。ヒトであって、ヒトでない。私たちは、そういう存在よ』
『召喚主と長い間離れると、俺らはそういう風に感じるようになる』
足元がふわふわしている。
「違う」。
意味もない否定が、頭に浮かんでいる。
『違わないわ。貴方も私たちと、一緒』
違う。違う、はずだ。
・・・いや、私は何を否定しているんだろう?
私は、何を考えているんだ・・?
『知っているはずよ。だって、貴方は・・』
タクトの困った顔が浮かぶ。それは、最初に出会った時の顔。
クラークの無表情が見える。いつもと変わらないはずなのに、何処か冷たい。
『召喚されたモノ、だもの』
アヤメが、ジンが、笑っている。
嫌な笑いだ。
目を逸らしたら、目の前に鏡があった。
覗き込んで、映り込む自分を見つめる。何一つ、変わっているはずのない自分の姿。
しかし、そこに映る自分の頭上。そこに、光る文字があった。
見上げても、こちらでは見えない。
再び、鏡の中の文字を見つめる。
そして、同じく鏡に映るアヤメとジンの頭上にも文字を見つけた時、私は知った。
**********
急に思考がクリアになった。
さっきまで、ぼんやり何かを見ていた気がするのだが、思い出せない。
何か、重要な何かを掴んだはずなのだが・・・。
「うーん・・・」
唸ってみたが、思い出せないものは思い出せない。
まあ、夢の中のことだ。考えても仕方ない。
気分を切り替え、立ち上がる。ゆっくり寝たおかげで、疲労はある程度取れたようだ。
此処は、ジンに連れて来られた、民家。場所はよく知らないが、街の中。誘拐犯アヤメからは解放されたが、未だに誘拐されているようなもの。
・・・よし、状況確認はすんなりできた。頭の方も何とか回復したらしい。
良い傾向だ。このまま現状も回復してくれると有難いのだけど。
そちらは、そう上手くいかないかもしれない。
と、部屋の扉がノックもなく開く。
入ってきたのは、ジンだった。というか、ノックくらいしろよ。常識だろ。
「ああ、起きていたか。朝食を用意した。来い」
相変わらず有無も言わせぬ態度である。
まあ、私のお腹は既に空腹を訴えていたので、断ったりしないが。
ジンの後を追って部屋を出る。
廊下の先にあった部屋に入ると、美味しそうな匂いが出迎えてくれた。
テーブルの上に、誰が作ったのか、2人分の食事が用意されていた。
片方の席にジンが座り、私も席に着いた。
良く知らない男と向き合う形だが、気にしない。そんなことより、空腹をどうにかする方が先決だ。
早速手を合わせる。と、向かいでジンも同じように手を合わせていた。
「・・・いただきます」
そう言って食べ始める。でも、私は食事どころではなくなってしまった。
こっちの世界に来て、初めてだったのだ。
食事の時に、手を合わせる人と出会ったのは。
私の居た国では当然のことだったが、これを初めて見たタクトとクラークは、不思議そうな顔をしていた。
いや、クラークは、例によって無表情だったけど。
それはつまり、この世界では、食事時に手を合わせる習慣がないということだ。それなのに、ジンは当たり前のように手を合わせた。
つまるところ、それは・・・。
「ねえ・・」
「先に食事を済ませろ。話はそれからだ」
言葉少なに言って、パンを手に取るジン。
どうも機嫌が悪いらしい。
しかし、私も空腹を抱えているのだ。此処は言う通り、食事を済ませよう。そう考え、スプーンを手に取った。
次回もサエ視点です。
タクトの方は、もう少々お待ち下さい。