戦争と立ち往生 5
背後から割って入って来たのは、やたらと背の高いおじさん(かな?年齢がよく分からない)だった。
ぼろぼろで砂まみれの、多分元は黒だったと思わしき灰色のコートを着ていて、口元には一体いつから剃ってないんだと言いたくなるほど伸び放題な髭を生やしていた。
髪もボサボサで、脂ぎっている。鈍い鼻の持ち主である私にさえ感じられる、据えた臭いも漂ってきた。恐らく、風呂に入っていないのだろう。
汚い。
そう思ってしまうのは、仕方のないことだと思う。というか、近寄って来ないでほしい。
「一杯くれないか?」
私が身を引いているというのに、気にせず隣に腰を降ろしやがりましたよ。
臭い。
思わず鼻に手を当てるが、そんなんで、どうにかなる臭いじゃなかった。慌てて席を降りて、距離を開ける。
・・・まだ臭う・・。
「生憎、私はこの店の者じゃないんでな。勝手に商品は出せない」
逃げた私と違い、カーディナル姐さんは涼しい顔をして、正面に座る男にそう言った。
流石だ。この臭いの中で、顔を顰めることなく対応できるなんて。やっぱり姐さんと呼ぶべき人だ。
さっきいろいろと意地悪をされたが、何だかどうでもよくなってきた。
あれだ。共通の敵が出てきたら、今まで敵同士だった人たちが、協力して倒すって感じだ。
・・・この人が共通の敵かどうかは、知らないけど。
「そうかい。じゃあ、ひょっとして、あんたがカーディナルか?」
「どうだろうな。・・そのカーディナルって奴に、何か用事でもあるのか?」
「いいや。別に、用はない」
「?どういうことだ?」
声は出さなかったが、私も姐さんと同じことを問いたかった。
カーディナル姐さんを探していたわけじゃないのか?じゃあ、何でさっき「カーディナル」の名を出したんだ。
意味が分からない。
「カーディナルには、用はないんだ。ところで・・、そこのお嬢さんは、この店の人か?」
と、矛先が私に向いた。
汚い顔にくっついているくせに、妙にキラキラした目がこっちを見る。・・いや、「キラキラ」じゃない。「ギラギラ」だ。
取って食いそう、ではないが、明らかに獲物を狙う目だ。カーディナル姐さんとは違う意味で、私に何らかの価値を見出したような・・・そんな感じがする。
「その娘は、私の知り合いだ」
「・・・へえ、そうなのか・・」
答えたのは姐さんなのに、男は私をじっと見たまま動かない。だから、ではないが、私も動いてはいけないような気がして、立ち尽くす。
気分は、廊下に立たされた生徒だ。
廊下に立たされた経験など皆無だけど、そんな気分はきっとこんな感じなのだろうと思う。
据えた臭いが、漂ってくる。
「あんた、名前は?」
動けないって知っているのか、特にアクションを起こすことなく、声だけかけてくる。
いや、声と視線だが、この際何でもいい。とにかく、触れられてはいないってことが、重要だ。
そう、触れられていない。動きを封じられているわけでもないのに、何故私は動けない。
何度も比べて申し訳ないような気もするが、カーディナル姐さんとは違う。威圧なんてこれっぽっちもされていない。
確かにぎらぎらした視線に晒されているけど、その程度で動けなくなるほど、私は繊細にはできていないはずだ。
なのに・・、動けない。
「・・・サエだ。それがどうした?」
答えなかった私に代わって、姐さんが口を開いた。
何処か警戒している姐さんのことなど、まるで相手にしないで、男は私を見続けている。私も、視線を外すことが出来ない。
臭い。臭いが、今度は鼻を押さえることすらできない。
と、彼の口が動く。しかし、声は出なかった。でも、なんとなく分かった。彼は「サエ」、と確認したようだ。
「・・・・。いや、何でもないさ。・・酒が飲めないなら、こんな所に居ても仕方ないな」
ようやく私から目を離して、立ち上がった。出て行くつもりらしい。
今まで熱心に見ていた割にあっさりと、扉まで行ってしまう。
そのまま出て行くだろうと見送っていたら、ふと振り返った。逆光で見えないはず瞳と、合ったような気がした。
「またな」
それだけ言って、出て行った。戻ってくる気配はない。
知らず力を入れていた肩を落とす。
大きな溜息が聞こえた。私ではない。カーディナル姐さんだ。
見ると、今更鼻を抓んで手を振っている。そんなことしたって、この臭いはそうそう無くならないだろう。
「・・・・・」
居心地悪い沈黙が流れる。
カーディナル姐さんは、何か考えているようだ。カウンターに目を落としたまま、動かない。
私も、考えていた。
「またな」って言われたことを。
「また」と言うからには、いつかまた会う気なのだろうか。それとも、ただの挨拶なのか。
・・・・分からないことが、多すぎる。
情報がもっと・・・、あっても分からないかもしれないけど、もっと欲しい。
あの男と出会ったせいで、なんか、余計なフラグが立った気がする。こういうのって、後々で影響してくるんだよね。
本の中では、大概「後の敵キャラでした」とか「実は仲間の1人でした」とか、重要人物の位置づけになる感じだ。
登場の仕方といい、去り方といい、どうもそんなフラグを立ててしまった気分にさせられる。
どうでもいいが、普通に考えていて『フラグ』とか出てきてしまう自分が、悲しい。
何普通に『フラグ』って思ってんの。ゲームのやり過ぎか。
いやいや、そんな自嘲、今更だ。私の脳内なんて、むしろ、それしかないと言った方が正しいぐらいなのだから。
そんなことより、情報だ。多分、後で分かってくるだろうけど、今欲しいと思ってしまうのは仕方のないことだ。
軽く混乱している思考を放り出して、顔を上げる。
駄目元で、カーディナル姐さんに訊いてみようと思ったところで、タイムアップになった。誰かが扉を開けたのだ。
「お、おかえり。遅かったな」
「・・・・・」
クラークが、無言でカーディナル姐さんを見て、私を見て、そして、店内を見回した。
いつも変わらない表情が、ほんの少し、歪んでいる・・・と思った。どうやら、店内に残っているあの臭いに気付いたらしい。
どんだけ臭かったんだ、あの男。
そして、よく堪えられたな、私たち。褒めてやりたいぐらいだ。
「ああ、この臭いは・・・ちょっとな。そんなことより、どうだ?収獲はあったのか?」
「・・・・・」
さっきまであった恐ろしい感じを微塵も出さずに、話を進める姐さん。しかし、クラークは入口に立ったまま、それ以上入ろうとしない。
私を見るだけだ。
・・・・・・。もしかして、「もう行く」ってことかな?
当てずっぽうだが、私ももう出たい。そう思って、彼のそばまで行くと、扉が開けられた。
クラークの開けてくれた扉を通って、外へ出る。
「・・・またな」
店の中から、さっきと同じ言葉をかけられる。振り返ったが、既に扉は閉められた後だった。
「またな」、か。
先を行くクラークの後を追いながら、もう一度店の扉を振り返る。
カーディナル姐さんは、どっちの意味で言ったのだろうか。また・・、会うつもりなのだろうか。
分からないから、情報を集めに来たのに、分からないことが増えてしまった。
一歩も進んでいないのに、二歩退がったような、損した気分だ。
その後、私たちはメインストリートに沿って歩きつつ、店の人や通行人に聴き込みを行った。・・「私たち」というか、主に私が、だが。
だけど、街の人から得られる情報は、はっきり言って大したことなかった。
眉唾どころか、「いつの間にか睨み合いが始まっていた」と言う人までいて、あてにならない。
「そっか・・。それだけ、情報が秘匿されてるってことかな」
今日一日の報告、ということで夕食後、タクトたちの部屋に集まった私たちは、ちょっと落ち込み気味だった。
私たちは言うまでもなく、タクトもあまり情報を貰えなかったらしい。
「なんかなー・・、何か隠しているのは分かっているんだけど、それが何なのかさっぱり分からなかった」
「ふうん・・。そういえば、クラークって私を置いて何処行ってたの?」
「うん?ああ~、えっと、そうだな・・。何処って、説明しにくいんだけど・・・」
怪しい。
突然言葉を濁し始めたタクトから、クラークに目を移す。いつも通りの冷静な顔を、穴が開くほど、いや、穴を開けるつもりで見つめてみるが、ピクリとも動かない。
端正な顔を見放題だ。
いやそんなこと、どうでもいい。
「ごめん。教えられないんだ。それに、今回の戦争とは関係ないことだったらしいから」
やっぱり、怪しい。
が、仕方ない。無理に訊き出すのもどうかと思うし。
話したくないことを言わせるのは、嫌いだ。だって、自分に「それ」を受け入れられる準備がないから。
聞いてみたら予想以上に重かった、なんてことになったら大変だ。
「これなら聞きたくなかった」って思いたくはない。
私は事なかれ主義、なのだから。
藪を突いて蛇なんか出てきたら、堪ったもんじゃない。
そういう『フラグ』は、極力無視するに限る。
「でもどうするの、これから」
「そうだな・・・。道は限られてるかな」
「?どういう道があるの?」
「一つは、山の中を突っ切って国境を抜ける。調べたけど、どうやらあの国境にある壁は山の中ほどで途切れているらしい。あの左右の山は険しくて、進める場所は限られている。その限られてる通過地点にだけ関所を設けているらしいから、そこを避けるだけで良い」
タクトは簡単に言ったが、それは言うほど簡単ではないことは、私でも分かった。
限られた場所にしか関所がないのは、そこさえ押さえておけば、後は通り抜け不可の場所しかないってことだ。
旅慣れしたタクトとクラークなら、ひょっとしてひょっとしたら通れるのかもしれないが、私にはまず無理だ。
現にタクトも、とりあえず言ったという様子で、真剣にその案を考えるつもりはないようだ。
「まあ、現実的に考えて、この案はいろいろ無理だからやらないけど」
「だね」
「で、次だけど、二つ目の案は、戦争が終わるまで待つってことだけど・・・。これも今の情報から察するに、長引きそうだから却下」
「うん」
睨み合いはしてる。でも、実際に戦っているわけではない。これでは、終わるまでにかなり時間がかかりそうだ。
途中で何か起こったとしても、収拾がつくまで動けないだろうから、あまり良い案だとは言い難い。
「後は、国王に直談判。王命の撤回、または俺たちの通行を許可してもらう。・・・現実的ではないけどな」
「うーん・・、だよね」
王様に、そう簡単に会えるわけがない。その上、許可が降りない可能性の方が大きい。例え降りたとしても、それが施行されるまでの時間もかかりそうだ。
元の世界でもそうだが、組織の上に行けば行くほど、手続きやらなんやらでとにかく時間がかかるものだ。
無駄に時間がかかって、挙げ句、項目の落としがあったりして、もう一度やることになったりするイメージがある。
なるべく最短で、ということを考えると、別の案を考えた方が良さそうだ。
「で、残るは一つ」
「それは?」
「それは、・・・戦争を止める」
「・・・・・」
これはクラークじゃない。私だ。
いや、クラークも喋っていないから、どっちでもいいんだけど。
いやいや、そうではない。
それどころではない。
「戦争を、止める・・?」
「そうだ」
「どうやって?」
「どうにかして」
「・・・・・はあ~・・」
真面目に聞いた私が馬鹿だった。
このアホ魔法使いが。提案するくらいだったら、せめて方法くらいは考えておけよ。使えない奴め。
心の中で貶して、何とか溜飲を下げる。うっかり、思ったことをそのまま言ってしまいそうになった口を、一度閉める。
「どうだ」と言わんばかりのアホ・・、じゃなかったタクトを見つめる。見つめるだけで、何も言わない。
何を言ってあげればいいのか、分からないのだ。
傷付けずに言う方法が、思いつかない。
「サエ?」
「えっと、うん、ちょっと待って」
何て言うべきだ?
「そんなの無理だ」?
いや、この様子だと「頑張れば何とかなるよ!」とか平気で言いそうだ。
「お前もうちょっと脳みそ使って考えろ!」とか?
いやいや、お前が考えろ。こんなこと言ったら、もう一緒に旅とかできないよ。雰囲気悪くなるどころの話じゃなくなる。
じゃあ・・・「それは置いといて・・」って話題を変える?
いやいやいや、この状態でそれは駄目だろ。それこそ、無理ってものだ。
・・・・どうしよう。
私の言葉を待つ、タクトの真っ直ぐな視線が突き刺さって痛い。・・どうしよう。
さっと視線を逸らして、クラークに助けを求める。
「今こそ友人であるお前の力が必要だ!このアホな友人の間違いを正してやってくれ!!」
そういう念を込めて、見つめる。
目を逸らされた。
「・・!!」
「??本当にどうしたんだよ?」
「えっ!?いや・・、何でもない、よ・・?」
「そんなことないだろ?クラークと何かあったのか?」
私とクラークを交互に見るタクト。しかし、私はそんなこと気にしていられない。
再び視線を飛ばす。今度は「逃げるなよ!」という念を込める。
見つめ合うこと数秒。
クラークが溜息を吐いた。
勝った・・!!
「タクト」
「えっ・・?!」
低い男の声にを呼ばれ、当たり前のようにタクトは振り返った。
いや、今、タクトを呼んだのは誰だ?
私じゃない。そして、クラークでもないはずだ。だって、彼は声を出さないのだから。
しかし、混乱する私の前でタクトとクラークは顔を合わせて、いつもの「タクト一人芝居」をしている。
もちろん、部屋には他に人はいない。3人だけだ。
と、いうことは・・・。
「クラーク・・?」
「?」
「今、タクトを呼んだのって・・・」
「クラークだけど・・・。それがどうした?」
いや、さも当たり前だろって顔をされても、納得できない。あんなにはっきり声を聞いたのは、初めてだったんだけど!?
今まで頑なに口を閉ざしてきたのは、何だったのだ!!
こういうのは、もっと切羽詰まったときとか、もっと仲良くなったときに、「初めて聞いた、ドキドキ」ってなるものでしょ!?
・・・・ああ、熱くなってしまった。
いや、よく考えれば別にそこまで怒ることでもないか。
名前呼んだだけだし。どちらかというと、「もっと話そうよ」って思ってたんだから。
うん、これはこれで良かったんだ。
「でも、珍しいよな。クラークが、俺以外が居る時にはっきり声出すのって」
「・・・・・・」
「やっぱり、サエのこと気に入ってんだな」
「・・・・・・・・・・・・」
沈黙が多いんですけど。
というか、本人が居る前でそういうこと言っちゃって良いんだろうか・・?
気に入られてるって発言より、そっちの方が気になってしまう。
「これからも一緒に行動するんだし、普通に話せるようになる日も来ると思うぜ」
タクトが笑顔でそんなこと言うが、本当にそうだろうか?
無表情のクラークを見つつも、そんな日が来ることが想像できなかった。




